6.暖かい世界
「そういえば……無能、無能ってさっきから自分で言ってるけど……それが何だって言うのかしら?」
「へっ?」
思わず声が裏返る。まさかその話を振られるとは思っていなかった。
キミコさんは穏やかな顔でミドリを見つめ、次の言葉を促す。
「私、みんなが普通に当たり前にできるような事ができなくて……ほんとに何もできなくて迷惑ばかりかけて……生きてちゃダメな人間なんです、本当は」
昔、無力感に思い悩み手当たり次第色々な本を読んだが『生まれてきたのがもうすでにすごい事』とか『周りと比べるな』とか『自分の味方でいろ』とか……全然的外れな話ばかりだった。
キミコさんも人生経験豊富とはいえどうせ同じような感じだろうと、ミドリは思っていた。
そこまで分かってもらえなくても、今日は話をできてスッキリしたからいいんだと自分に言い聞かせて。
しかし、実際にキミコさんの口から出たのは予想外の言葉だった。
「そりゃ、何でもうまくできれば周りの人間にとって都合が良いし、喜ばれるかもしれないけど……それであなたが幸せになれる訳じゃないでしょ」
「えっ……それってどういう……?」
「そもそも、あなたは自分が思ってるほどたいした人間じゃないわ」
「いえ、そんな……自信無いし……」
「逆よ、自信過剰なの。身の程を知りなさい」
言葉一つ一つが鋭い刃となって勢いよく胸に突き刺さる。キミコさんの落ち着いたトーンの話し方のせいで余計に深く心を抉る。
目頭がカッと熱くなり目の前がぼやけてくる。
(自信過剰……身の程知らず……)
しかし、ぼやけた視界に何か動くものが見えた。キミコさんが顔の前で違う違うと手を小刻みに振っていた。
(そうじゃない?何か違うって事?もっとキツい話?)
次に何を言われるのか想像もつかない。
不安な気持ちになりながら、おずおずとキミコさんの顔を見つめた。
「無能な自分……つまり普通と違う自分は許さない。許せない。だから自己否定。何かできた事あってもめざとく他の欠点見つけてひたすら否定、否定、否定……決して自分を許してはいけない、なんて思い込んで。そりゃあ、苦しいでしょうね。自分で自分を散々痛めつけて」
「自己否定……?私が……?そんな事、考えた事が無かった……でもできて当たり前ができないなら、それはダメだと思うし……」
今まで従ってばかりのミドリは初めて人に意見した。それも初対面の人に。
不安になり慌ててキミコさんの顔を見ると、変わらずニコニコとしていてホッと安心する。
「それは、過去に誰かから許してもらえなかった事があるとか?」
「それは……」
「誰から?親から?友達から?上司から?」
そう言えば、いつからだろう。
こんな無力感を感じるようになったのは。
長い間考えないように思考に蓋をしていたせいか思い出せなくなっていた。
たしか、親だったかな?
小さい頃から変わり者だった私。
いつだったか公園で他の子と遊んでて、変な遊び方し始めてゲンコツされたっけ?
あとは……普通になりなさいとか、目立つような変わった事はしないでってよく言われてたっけ?
「聞いといてなんだけど……誰から何された、なんてそんなのはどうでもいいのよ」
「えっ」
「過去に起こった事は今更もう変えられないんだから。それより今の自分をどうするかよ。自分を操作できるのは自分だけ」
自分を操作できるのは自分だけ。そう言われればそうだ。
でも普通になれない、頑張っても普通のレベルに到達できない人は。私は……
「これからどうするも何も……私は何もできない。できない事は変わらないから……」
「できない事がたくさんある。それでいいじゃない。自分の人生、誰も口出ししないでしょ?なら許しちゃいましょうよ?いいじゃない、そんな自分でも」
「ええっ?」
またしても予想外の言葉に頭が追いつかない。
「認めちゃいなさいよ、自分に期待しすぎなの。人間、完璧になんてできっこないわ。私だってこの歳でできない事まだまだたくさんあるし……」
何を言い出すんだこの人は……とミドリは目を丸くして固まる。
「人間だいたいみんなそうでしょう。似たようなもんよ、あなたも私もね。まぁ、たまに天才はいるでしょうけど……それでも完璧な人間なんていないのよ」
(完璧な人間なんていない?あのアイも、リーダーも、他のみんなも……?うそだ!全然そんな風に見えないし……)
でもキミコさんが嘘をついているようにも見えなかった。
「だからね……そうじゃなくて、自分のできることをできる範囲でするの。たまにちょっと背伸びして頑張ってみたり、休憩したりしてね。そうやって、自分に正直に生きているうちにあなたを必要とする人は必ず出てくるはずよ」
「ほ、ほんとに……?」
「ええ。アイちゃんだけじゃないわ、他にもまだまだいるはず……」
「そんな、ほんとにいるんでしょうか……?あと一人?」
「何人いるかは……さぁね。占い師じゃ無いし分からないわ。人間はね。一人では駄目なの。どんな完璧な人でも一人で完全に孤立してしまうと苦しくなる。誰でもいいから、誰かと関係を持つことね。もし誰とも関係が無くなってしまったら……あなたの世界が完全に閉じてしまったら……おかしくなってしまうでしょうね。あなたが壊れてしまう……それは、とっても恐ろしい事よ……」
「でも……でも!私なんかに仲良くしてくれる人なんて!世界中探してもいない!いる訳無い!今までそんなの、誰もいなかった!アイだけ……!アイだけだった、こんな私と一緒にいてくれたのは……!」
思わず立ち上がってテーブルに手をつき、前のめりになりながら叫んでしまった。
自分でもこんな声出るのかというくらい、絞り出すような悲壮な声だった。
それはミドリ自身の心の叫びだった。
唐突に静寂が訪れる。
キミコさんは何も言わずに瞼を閉じていた。
(いきなり大声出して、怒らせちゃったかな……謝らないと……)
「あ、あの……」
「ほんとにそうかしら?世界中インタビューして回ったの?どこぞの先住民のナントカ族まで?」
「いや、そこまでは……」
「ふふっ、あんまり強く言い切るもんだからついつい意地悪しちゃった。ごめんね」
「…………」
「でも、この世はあなたが思っているより遥かに多くの優しい人がいる。もちろん悪い人もいるしニュースになって目立つけど、そんなの少数派よ。だから、私に騙されたと思って外に出てみて。人に触れてみて。きっとそこには温かい世界があるわ」
「で、でも……」
「もしそれでうまくいかなかったり、嫌な事が起きたら私のせいにしていいから」
本当にそうだろうか。まだいまいち信じられない。
暖かい人なんているのだろうか。本とかテレビの中だけじゃなくて。
「そもそも、優しさって受け取った人が決めるのよ?だから一人でいちゃ絶対人の優しさなんて分かりっこ無いわ、ああもったいない。つらいこと苦しいこともあるけど、それだけじゃない……いや、それ以上の幸せがこの世にはあるはずよ。優しい人がどれだけいるのか……実際に外に出てその目で見てみなさいな」
心がじんわりと温まる。
世界は自分が思っているより優しいのかもしれない。
散々怯えていたあの恐ろしい世界は思い込みなのだろうか。
もしそうだとしたら。
まだ確信は持てないけど……怖いけど、信じてみようかな。
「ありが……っ、……ありがとうございます……!」
「あら、また泣いちゃった?泣き虫だねぇ……ふふふっ」
結局、落ち着くまでしばらくキミコさんの部屋にいさせてもらった。
涙は引き、顔も拭いて綺麗になった。腫れぼったくなった瞼や充血した目までは元に戻らなかったが。
窓の外はもう真っ暗だった。日が短くなってきたのもあるが、だいぶ長居してしまった。
今日はもう疲れたし、部屋に戻ったらすぐ寝よう。
キミコさんに別れを告げ、扉を開けると大きな何かにぶつかる。
「わっ!ごめんなさい!」
「うわっ!すいません!」
目の前には男性が尻餅をついていた。何かピンク色の袋に包まれたものが地面に転がっていった。
「すいません……あの、大丈夫ですか?」
「いえいえこちらこそすいませ……あ、えっミドリ?」
「えっ?……あっ!アオイさん?」
彼はアオイ。ミドリと同じチームの人だ。背が高くすらっとしていて、癖のある髪をふんわり七三分けにしている。
ミドリより一回り年上で、確かリーダーと同い年だったはず。大雑把なリーダーと違い、几帳面な性格でミドリがチームに入ったときもどう教育するかで散々二人でもめていた。
「あの話はリーダーから聞いたよ……どう?調子は良くなった?」
「なんとか落ち着いてきました……だから、そろそろ復帰しようかなって」
「そっか。みんな心配してたよ。リーダーの奴なんて気にしすぎて仕事が手につかないみたいだった……『返事が来ない!まさか倒れたのか?!』『いや、でもソシキは異常無しって言ってるしな』とか一人でごちゃごちゃ言って」
「えっリーダーまで!ほんとですか?!」
(わ〜!やっぱりめちゃくちゃ心配させてた!)
「ああ……落ち着かないのか、なんだかいつも以上によくしゃべってうるさかったなぁ」
「そうだったんですか……」
(さっさと返信しとけばよかった……)
彼はお尻に付いた砂を素早く払うと、いくつか付いていた埃を指で丁寧に摘んで捨てた。
細かくて丁寧なのだが、ちょっと神経質。
立ち上がり、ミドリに別れを告げるとキミコさんの部屋に入っていった。
ミドリは開けっ放しだった扉を閉めると、自分の部屋に戻った。
あの後リーダーから連絡は特に無かった。
もう遅い時間だ。明日の事はもう返信しても準備が間に合わないだろう。
(参加できなくても、何か返信しとけばよかったな……)
(仕方ない……まぁいっか。次だ次)
今日は気分が良かった。いつものくよくよ悩むミドリでは無い。
ベッドに入りうとうとしていると、いつの間にか眠りに落ちていた。
最近の何かから逃げ出すようなものでは無く、とても心地よくリラックスした眠りだった。




