肥後国の兵法者天狗斬ること
今は昔、肥後国にて兵法学びし者江戸に出でなむと旅するに、甲斐国によりて一山に登りて太刀筋鍛えなむとす。程よき谷川ありて太刀筋振るうに、木陰より木の枝飛び来たるなり。「これ猿の悪戯か。切って捨てなむ。」とて見るに、此度は背中より木の枝飛び来たるなり。その者「これ小賢しきなり。猿にあらず山の怪のなす業か。」と思ひて、目を閉ぢるに「かっかっかっ。」と嘲笑い聞こへたる。兵法者これも意に介さず、その場に居るに頭上にて「ばさ。」と何者や飛び来たるなり。兵法者やにわにそれを払ひのけ太刀振るうに気配止みなむ。太刀には黒き血着きて辺りには黒き羽根散り落ちたる。兵法者これを見るに「さては天狗の悪戯なりや。」と太刀納めたるなりと。