エピローグ
「ホラ。こちらの菓子も旨いぞ」
なぜか私は今、敵国の王子の膝の上に座らされ、口元へせっせと菓子を運ばれている。
口元へと運ばれた、花弁をかたどった焼き菓子を、ほんの少しだけ齧る。
途端に広がるバターとミルクの甘い香りに頬が綻んだ。
「おいしい、です」
期待された通りの言葉を告げると、嬉しそうに目の前の美丈夫が微笑んだ。
「そうか。次は何がいいだろうか。こちらのゼリーか、それともクリームがたっぷり乗ったプティフールにしようか。それともそろそろ塩気のあるものがいいだろうか」
目の前のテーブルに所狭しと置かれたプレートには、一流の菓子職人の手により繊細な技術を駆使して作られたデザートの数々が並べられていた。
「あの、そろそろ本当にお腹がいっぱいで。これ以上は作って下さった方に失礼になる食べ方しかできなくなってしまいます」
美味しさを味わうことなく、詰め込むだけになるのは不本意だと伝えれば、「なんと心優しいのか」とわざとらしく感動されて、おもわずジト目になる。
「楽しそうですね」
前世では恋人がいた記憶はないし、今世でも婚約者はいたものの名ばかりでしかなく、このように親し気な行為を異性であろうと同性であろうと誰かとしたことはない。
だから、確かに口元へ運ばれる菓子がどれほど美味であろうとも、落ち着いて味わうことはできないというのに。
「あぁ、存外楽しいものだな。資料としていろんなジャンルの小説や漫画も読んできたけれど、恋人を膝に乗せて菓子を与える行為について俺としては懐疑的だったんだが、やってみて初めて分かることというのはあるものだな」
しれっと返されてため息が出た。
「それはようございました。では、お約束を」
果たして欲しいと要求を伝えようとした口元へ、今度はつるりと皮を剥かれた葡萄が当てられる。
「ホラ。早く食わねば、俺の手に滴った果汁を舐めとらねばならなくなるぞ?」
これ以上、無体な要求をされても困る。
私はため息と一緒に、その艶やかな葡萄の粒を口に含んだ。
「ピアが、偽のヒロインが俺の手の者だということは気が付いていたな?」
別にルドの手の者だとまで分かっていた訳ではないけれど、アズノルの転生者が仕向けた偽者だということには気が付いていたので頷く。
「彼女には、王太子を落として傀儡にするよう指示を出していたのだが、リタが欲しくなったからな。アイツを精神的に追い詰めるよう指示を変更した」
そうして。私が寝ていた間のゲイル王国、いいやアルフェルト殿下達が陥れられていく様子が、私がそれを知りたがることに対して不満そうな顔をしたルドによって語りだされた。
「時間も無かったからな。あの王太子とお前の兄には手っ取り早くお前と同じ地獄に堕ちて貰おうと思ったので、ピアともう一人、お前は知らないと思うがカロラインという名でお前の義姉となったふたりの工作員にはかなり頑張って貰った」
曰く。婚約の儀の後の宴席でアルフェルトの酒に強力な睡眠薬を仕込んで完全に意識を飛ばさせた上でピアの部屋に運び入れ、ピアの純潔を強引に奪ったように偽装。そのピアには泣きながら『止められなくて申し訳ない』と詫びさせ罪悪感を煽り、婚姻を早め、その後の夜は震えて泣いてみせることで更なる罪悪感を刺激してやった。
曰く。そのたった一回で子を身籠った事とし、医者を勧められた際には、『よく知らない医者や産婆を相手に肌を見せるのは怖い』と侍女の前で泣くようにピアに指示を出した。そうして、こちらで手配した者を、ポラス子爵家から連れてきた侍女や医者だとしてピアの周りを固め妊娠の継続・出産を偽装。産まれてきた子供だといってアズノルの王家に連なる赤毛赤瞳の赤子を渡し、『不義の子かもしれない』と疑念を抱かせた上で、殺すのではなく死産ということにして内密に養子に出す提案をして受け入れさせた。表向きには死産と公表させ、何も知らない事になっているピアと共に、アルフェルトとふたりだけで葬儀を行わせた。
曰く。リタが眠っている事で賭博から手を引かねばならなくなったエストが、それでもすでに作ってしまった借金を返す方策に悩んでいる時に、ピアの又従姉で莫大な持参金を持つ商人の娘という触れ込みでカロラインと引き合わせ、平民の嫁を迎え入れることに難色を示すゾール侯爵夫妻に対し、借金の額と持参金を教え渋々受け入れさせ早々に婚姻を結ばせることに成功。初夜や日々の夫婦生活は酒+薬で眠らせたところに、耳元で作り話を吹き込み信じさせることで乗り切り、借金が無くなった開放感からエストが再び賭博に手を出すように誘導した。
曰く。借金がほどよく膨らんだところで、エストの賭博と借金についてカロラインにアルフェルトへ相談させるつもりだったが、ゾール侯爵が先に借金に気付いて金策に走り夜道を馬車で走り崖から落ちて夫婦揃って死亡。その報告を受けたエストが転んだ際に頭を打ち意識不明に陥るという幸運に恵まれたので、夫妻の葬儀の夜に、カロラインにはアルフェルトへ夫の賭け事狂いと不実について相談をさせた。二人きりで夜遅くまで過ごし、その特徴的な香水の香りをアルフェルトに移した後、疲れて夜遅くに帰ってきたアルフェルトを寝室で待っていたピアが浮気を疑う言動をすることでアルフェルトから冷静な思考を奪いピアの不義を問う言葉を引き出し、それを切っ掛けに気が付いた態で、子供は死産ではなく父親であるアルフェルトが殺したのだと叫んで王城中を走り回らせた。
「お前との契約について、2~3か月おきにという部分以外はかなりうまく熟したと思うぞ。どうだ、満足か?」
自慢げに訊かれて頷いた。
これ以上ないほど過剰な演出と共に齎されたそれを、あのアルフェルト殿下がどう受け止めたのか、直接見れなかったことは残念だったけれど期待以上の働きをロベル会長はしてくれたようだ。
「そうして。身の程知らずにも自分でゾール侯爵家へと戻したリタに慈悲を求めてやってきたので、俺が自らの手で叩き潰してやった。あぁ。だからあの国はもう無いぞ」
あまりにも膨大な策略について語られた最後に軽く付け加えられたそれに、思わずリタの口がぽかんと開いた。
「え?」
「薬のタイムリミットも近付いていたからな。いい加減、お前を起こしてやりたくもあった。このまま薬が切れて自然な状態でお前が目を覚ますかどうか最後の賭けに出るのものありかと思っていたのだが、まさか薬を打ってから目が覚めるのに更に一年掛かるとは思わなかったな。それを自分が心待ちにするとも思わなかった」
「俺としたことが存外お前に惚れていたらしい」
光栄に思えと言われて、乾いた笑いがついて出た。
「あの国は…、ゲイル王国は、すでにない、のですね?」
私の言葉に、つまらなさそうにルドは頷いた。
「あぁそうだ。今はアズノルの一地方に過ぎない。……なんだ、俺がお前に愛の言葉を紡いでやったというのに、気に掛かるのはそちらなのか」
あの日。目が覚めたあの部屋の窓から見えた山脈の向こうにある筈の、今はすでに無いという母国に視線を向けた。
──どうか、私が破滅した後の世界も破滅していますように。
あの日、命を懸けて神に祈ったそれは、叶うことなく終わったのだと思っていた。
それなのに。
「ルド殿下に、感謝を。私の悲願を、神は聞き届けては下さらなかったと思っておりましたのに。あなたさまが、叶えて下さっていたのですね」
目が覚めてから初めて、心から笑えた気がした。なのに。
「泣くな。泣かせたくてしたことではない」
ぐいっとその大きな手が私の頬を拭う。
笑っているつもりだった私は、どうやら泣いていたらしい。
「これは、悲しみの涙ではありませんので」
笑ったつもりだったけれど、私はそのままずっと泣いていたらしい。
ルドは、それ以上、言葉を重ねることもなく、私を膝の上で抱いたまま、気が済むまで、泣かせてくれた。
冷たい風が出てくるまで。
ずっと。