婚約破棄?いいえ、こんにゃく破棄です
「こんにゃく、破棄していいか?」
――この何気ない一言が、まさかあんな大事になるとは、俺は思いもしなかった。
5月のゴールデンウィーク。
同棲しているエリカが、割烹着姿で腕を組み、宣言した。
「アキラ、今から大掃除をします」
「⋯⋯大掃除、ついにその時期が来てしまったか」
「私たち、普段あまり整理整頓しないから大仕事よね⋯⋯。この機会に、いらないものは捨てちゃいましょう」
そうして、大掃除が始まった。
俺とエリカは幼馴染みで、恋人で、親同士が決めた婚約者だ。
親同士の仲が良く、お互いの家も近いため、子供の頃から一緒に遊んでいた。
思春期を迎え、俺とエリカの仲の良さを同級生に冷やかされた時は、疎遠になりかけた。
――だが、親たちが許さなかった。
中学一年の夏休み、俺とエリカはパスポートと一ヶ月は生活できる資金を渡された上で、ハワイに飛ばされた⋯⋯二人きりで。
俺たちの親は、ハワイに別荘を持つぐらいには富豪だった。
そして、俺とエリカはその別荘で、中学生にして同棲をすることになった。
⋯⋯さすがにどうかと思うぞ、親たちよ。
別荘には何故か十分な食材も用意されていたため、ホテルや飲食店などで英会話を強いられるケースは少なかった。その分、俺たち二人の会話は今まで以上に増えた。
おそらく、親もハワイにいて、遠くから見守っていたと今は推測しているが、当時の俺たちがそれを知っているはずもなく、俺たち二人は力を合わせて家事を行い、共に遊んだ。
夏休みが終わる頃、俺とエリカは恋人になり、周囲からの冷やかしも気にならないぐらい仲が深まった。
ある時、「お前たち、付き合ってんだろー?」という冷やかしに、「え? 付き合ってるどころか同棲したこともあるけど?」と反撃したら、俺とエリカが生徒指導室に呼び出された。解せぬ⋯⋯。
事情を説明したら、親たちにまで連絡がいき、何故か俺とエリカが親公認の婚約者になっていた。
――婚約者って初耳なんだけど!?
親同士が勝手に決めた婚約だが、恋人同士である俺たちに特に不満はなく、大学生の今に至るまでその関係が続いている。ちなみに、まだプラトニックな関係だ。
親たちの教育のせいか、俺たちはそういうことは結婚してから、と決めている。
俺たちは一緒の大学に通うことにしたが、親たちがせっかくだから同棲しなさいと、4LDKの一軒家の鍵を渡してきた。⋯⋯至れり尽せりで非常にありがたくはあるが、中学の時から同棲も住む場所も親たちが勝手に決めるため、素直に感謝を言えない気持ちもあった。
――そして現在に至る。
4LDKの広さに二人で生活していたため、物の置き場に困ることはなかった。
しかし、デートの記念品や友人からのプレゼント、親からの贈り物などをとりあえず捨てずにとっておこうと溜め続けた結果、少し手狭な状態になっている。
まずはいらないものを整理した方がいいな。
俺はとりあえず、いるものといらないものを分別することにした。
⋯⋯げっ! この箱、開封してないじゃん。
未開封の箱を開けてみると、中には食料品が詰めてあった。親からの贈り物だろう。
生鮮食品などのすぐに腐るようなものは入ってなかったので、問題ないだろうと箱の中を見回したが、箱の隅にあるこんにゃくが目に留まった。
賞味期限は確認したが問題ない。だが、こんにゃくって常温で保管しても大丈夫だっけ?
問題ないかもしれないが、ちょっと怪しかったので、エリカに確認して捨てることにした。
俺はこんにゃくを手に持ち、掃除機をかけているエリカに尋ねた。
⋯⋯尋ねてしまった。この後、一大事件を起こす、あのセリフを。
「なあエリカ、――こんにゃく、破棄していいか?」
「!!!?」
――その時のエリカの驚きようは凄まじかった。
持っていた掃除機を落とし、蒼白な顔で俺にしがみついて叫んだ。
「いや! 捨てないで!!」
「え!? そ、そんなに(こんにゃくが)好きだったの?」
「っ!!⋯⋯そうよ、大好きよ! ⋯⋯アキラは違うの?」
エリカは悲痛な顔で聞いてくる。
そうか、そんなにこんにゃく好きだったのか。
⋯⋯今度大量に買って、こんにゃくパーティーをしよう。
「いや、俺も好きだけど⋯⋯でも、さすがにこのまま(常温保存)の状態はきつくないか?」
「このまま⋯⋯そ、そうよね。今までは⋯⋯その、清い関係だったものね⋯⋯。アキラも大人なんだし、もっと触りたいわよね?」
エリカは顔を赤らめながら、ボソボソと聞こえにくい声で呟く。
前半部分がよく聞こえなかったが、こんにゃくを触りたいかと聞かれたことはわかった。
でも、何故そんな話になるんだ?
「?? いや、確かに(こんにゃくは)触ってて気持ち良いけど、それとこれとは関係ないだろ」
「え!? 関係ないって⋯⋯アキラは触れなくても大丈夫なの?」
「え、ああ⋯⋯別に問題ないけど⋯⋯」
「そ、そんなに魅力ない!?」
「魅力!?(こんにゃくに)魅力ってあるのか?」
「っ!? うぅ⋯⋯ひ、ひどいわ⋯⋯」
エリカが涙目で俺を非難する。
こ、こんにゃくの触り心地に、そんな魔性の魅力があるのか!?
いや、確かに男がアレをするときに使うという話は聞いたことがある。
俺は使ったことがないのでわからないが、ハマる人はハマるほど魅力的な感触なのだろう。
でも、なんでエリカはそんなに必死なのだろうか? エリカには関係なくないか?
「わ、悪かったよ⋯⋯。でも、そういうのって、人によるだろ? 俺にはそこまで魅力的に感じられないだけで、他の人にとっては十分魅力的だよ(多分)」
「アキラが魅力を感じてくれないなら意味ないの!!」
ええ!? 俺が魅力に感じないと駄目なの!?
エリカがそう言うなら⋯⋯こ、今度試してみるか。
せっかくだし⋯⋯このこんにゃく、使うか?
「わかった。じゃあ(こんにゃくを)試してみよう。⋯⋯その、試してみて、やっぱり魅力を感じなくても文句言うなよ?」
「わ、わかってるわ。アキラが試して、それでアキラが魅力を感じないなら、私も諦める⋯⋯」
エリカは不安に怯えながらも、決心した様子で承諾する。
そ、そんなに怯えることなのか⋯⋯。
「で、でも、これだけは言わせて! たとえ、アキラが婚約破棄したとしても、私は一生愛してるわ!」
「そんな大声で愛を叫ぶなんて、どんだけこんにゃく好きなんだよ。⋯⋯ん?」
「⋯⋯え?」
エリカと顔を見合わせて、お互いに気づいた。何かが致命的に食い違っている、と。
「⋯⋯⋯⋯えっと、アキラさん? か、確認。これはただの確認なんだけど⋯⋯、この話って、婚約破棄の話ですよね?」
「⋯⋯いいえ、こんにゃく破棄の話です」
俺は手に持ったこんにゃくを掲げ、判決を待つ被告人のような顔をしたエリカに告げた。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯う、うわぁー〜〜ーーん!!」
エリカは、これまでのやりとりが勘違いだったことに気付き、今まで口にした内容を思い出したのだろう。
羞恥で顔を真っ赤に染めた後、巣穴に逃げ込むリスのように寝室へと去っていった。
「⋯⋯そ、そういうことかぁー」
俺はその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
理解が追いつくと納得と同時に、自省の気持ちが湧いてきた。
俺だって、エリカに婚約破棄の話されたら、必死になって引き留めるよ!
うわー、俺、好きだったの? とか、魅力あるのか? とか、なんて非道いことをエリカに言ってしまったんだ⋯⋯。
後悔しつつも、一連の会話を頭の中で再生し、勘違いを正しながら、エリカの言葉を思い出す。
――っ!!⋯⋯そうよ、アキラが大好きよ! ⋯⋯アキラは違うの?
――アキラも大人なんだし、もっと私の体を触りたいわよね?
――そ、そんなに私の体は魅力ない!?
――わ、わかってるわ。アキラが私の体で試して、それでアキラが魅力を感じないなら、私も諦める
――で、でも、これだけは言わせて! たとえ、アキラが婚約破棄したとしても、私は一生愛してるわ!
うわー!うわーーーー!!!!
⋯⋯俺、絶対エリカを幸せにする!!
とりあえず、エリカに勘違いさせたことを謝りに行かないと。
⋯⋯さっきのエリカの言葉、まだ有効なのかな? 婚姻届、書いてから行くか。
読んで頂き、ありがとうございます。
ちなみに、こんにゃくは常温で長期保存可能らしいですよ。