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一 パパになった日

 燃えている。

「パパ」

 赤々と熱の逆巻き立ち昇るなかへ歩みながら、か細い乙女はゆっくりと振り向いてくる。瑠璃色になびく細やかな髪は神々しいばかりに艶めいて、追いすがることをためらわせる。

 眩く、目尻の垂れた大きな瞳が微笑んできた。



 燃えている。

「生きとる者はおらぬか!」

 赤く使い古された陣羽織をはためかせながら、か細い武士(もののふ)は汗を振り撒いて馳せていく。闇に点々と建つ家々に焼け残るものはなく、至る所で人々が投げ出され、朱くなっている。

 __必死に逃げ惑ったろうに……。

 ぎっと、武士は砕かんばかりに歯を噛みしめる。

 家族を守ろうと勇気を振りしぼり、ほうき一本で立ち向かったのだろう、体ごとへし折られている老人もいた。小さな我が子をきつく抱きしめたまま、ともに貫かれている母もいた。その子は、泣きながら動かなくなっていた。

 __誰がかような……この貧しい村に何があると……されどまずは。

 ばっと、加速する。

 __誰か生きとれば助けねばならぬ。

 右へ左へ機敏に視線を奔らせ、見落とすまい、聞き逃すまい、だが急げと精神を研ぎ澄まし、応える声を求め力いっぱい叫びつつ、炎を掻いくぐり、塀を飛び越え、戸を開け放ち、角を跳ね曲がり、橋を突っきっていく。

 滴る汗は絶えず、喉が張り付き、息をすれば肺が痛む。

 知ったことかと探し続ける。

 どれくらい探したか。

 __おらんのか……。

 挫けそうになってくる。

 もう村外れまで来てしまった。探し漏らした区画はない。

 __否、まだ隠れとるやも、地下とかに。戻って入口っぽいとこ、しらみ潰しに探してくれるわ。うぃー、されば残りを探しきったら二周目だね。

 どっと、緩んだ速度を再燃させる。

 武士には、自分こそが天下一だと信じて疑わぬものがある。

 __執念!

 半世紀近くを生きてきたが、思い出せる限り事の大小を問わず、ただの一度たりとも諦めたことがない。よく言われた。しぶとい、否、しつこいと。文句あるかと言い返してきた。あらゆる素質や環境に見放され、生き残るためには心折れている暇などありはしなかった。

 はっと、急停止して振り返る。

 __うぃー、村人じゃないね。

 しばらくぶりに見たその亡骸に、惨殺された跡はない。ここ大和国(やまとのくに)にある和服ではなく、海を隔てた黄華国(おうがこく)にある漢服を着ている。

 __襲ったは黄華兵か。されど目立った外傷もなしに、何故くたばった……。

 触ってみて訝しむ。ぐっしょりと濡れ、潮水の臭いがする。

 ひとまず先へ進めば、同じような亡骸が散らばり、辺りに潮気が満ちているのに気付く。だが水らしきものはない。

 __なんか動いた⁉

 目を凝らす。飛んでいく。

 敵かもしれない。だがついに生き残りを見付けたかもしれない。

 武士は立ち止まった。振り向かれ、目が合った。

 女の子であった。

 冷たくなった母のそばを離れず、か細い小さな命がうずくまっていた。



 じっと、女の子が見詰めてくる。

 暗がりでも分かる。目がよじれるほどに腫れている。怖れているように見える。しかし縋っているようにも見える。

 __おのれ、どうなっとるか……何故に言葉が出ぬ。

 武士(もののふ)は唇を噛みしめる。

 女の子は何も言わない。言えるはずがない。言葉を失ったかもしれない。

 __こちらまで失ってどうするか、さあ言え!

「ごめんね……助けにくるのが間に合わなんだ」

 ようやく絞り出したのは、正直な無念であった。

 膝を折り、女の子へ目線を近付ける。

「ごめん、ごめん、ごめん……せめて君だけでも、おじちゃんが守るからね」

 ふっと、女の子が表情を緩めたように見えた。

 だが動かない。話さない。

 十歳にも満たないだろう。

 精神状態は言うまでもなく、健康状態も気にかかる。小さな体で村外れまで逃げ続け、汗だくで疲れきっているだろう。夜は冷える。おそらく何も飲んでいない。そんななか、どれだけの間、ここにうずくまり泣いていたことか。

「まずはしっかり生きよう。何か食べんと……」

「ママがね、しんじゃった」

 うっと、武士は刺されるように胸が疼くのを感じた。

「なんで? なにも、わるいこと、してないんだよ?」

 武士は悶絶したくなる。

 記憶をえぐられる。自分も幼くして父母を奪われた。休む家はない、食べる物もない、守ってくれる人などいない。ただ延々と馬糞を運ばされ、生ごみをあさり、捨て駒として最激戦地へ投げ込まれるだけの日々に揉みしだかれ、心は砕け人であることを封じ、もの言わぬ鉄へと堕ちた。

 __かように罪なき幼子が、あれを味わってしまう……。

「ねえ、なんで? ね……」

 消え入りそうな声である。

 かっと、武士は眼を見開く。

 __断じて同じ目には遭わせぬ。

「理由はまだ分からんけど、必ず調べるよ。だから今は、ちゃんと食べて寝て回復しよう。守ってくれたママのためにも」

 抱き上げようと手を差し出すと、弱々しく首を振られた。

「ママと……はなれ……たく……な……」

 ばっと、武士は跳ぶ。意識を失い崩れゆく、小さな体を抱き止める。

 __なんと軽い……熱い!

 一刻の猶予もない。立ち上がる。

 __水がいる、川あったよね……ご母堂、心配なさるな。

 疾風迅雷、武士は誓いながら翔け去っていく。

 __後で会わせる。されど、断じて同じ世では会わせぬ。



 ご飯を握る武士(もののふ)は、鮭をまぶせようとして停止した。

 __うぃー、アレルギーあったら弱るね、具材だけ持ってって起きたら訊いてから混ぜて食べさせよっか……不謹慎なれど嬉しいような。

 あれから、遅れて駆け付けてきた味方の軍に陣屋を借り、女の子を寝かせ解熱を試みた。他に生き残った者がいないか探すのは兵たちへ任せ、時間を忘れ、疲労を忘れ、我を忘れ、軍医を質問攻めにし付きっきりで介抱した甲斐あって、夜が明ける頃には寝息が静かになってきた。

 __がんばったね。

 全ては、女の子が生きることを諦めずにいてくれたが故だと思う。

 これほど安堵したのはいつ以来か。

 そして、これほど驚愕したのもいつ以来か。

 __よもや仙嶽(せんがく)一族とはね……。

 朝日が差して初めて、女の子のミディアムな髪色が黒ではないと分かった。

 深い世界を悠然と満たす海のように、心静まる気品を纏いながら瞭然として瞳を潤す七宝、ラピスラズリを溶かし込んでいた。

 収容された女の子の母も、同じであった。

 瑠璃色の髪は、武士も崇敬してやまぬ偉大なる大将軍《海神(わだつみ)》ら、壮烈なる英雄を輩出してきた武の名門・仙嶽一族の血を引く証である。

 __さればあの潮気も、襲撃された所以も合点がいく。

 調べると言ったが、根深くなりそうだと血が騒ぐ。

 __うぃー、今はどーでもいいわ!

 どっと、女の子が寝ている陣幕へ飛んでいく。

 __かわいいんだよ!

 顔も可愛らしい。小さな体も愛らしい。だが問題はそこではない。

 自分が助けなければ、女の子はすぐにも命尽きていた。あの弱く、脆く、儚く、それでいて一生懸命に生きようともがく命を護ることができるのは、自分しかいなかった。他の誰でもない、自分しか護ってやれない。

 __なんと、心地よい……。

 子供は大好きである。懐かれやすく保護欲も人一倍もつ。

 だが武士には家族がいない。決して子宝にも恵まれない。

 教え子たちは結婚し、愛する我が子を大切に育てている。

 羨ましかった。

 いつも思っていた。無条件に己の全てを賭して護りたい命を、常にそばにあって護る。なんと幸せなことであろうか。叶うことなら自分もそんな存在、かわいい命をかき抱きたい。

 今、あの女の子がそれに思えてならない。

 __護りたい……。

 父親や親族が見付かれば、引き渡さねばならない。分かっている。しかし想う。せめて今だけでも、親代わりをさせてほしい。助けたのは自分である。ならば最後までやり遂げるのが筋というもの。

 女の子は心を痛めている。癒さねばならない。

 生半可なことではない。だが力尽くしたいと強く想う。

 __これが、かわいい、だね……。

 はっと、だが陣幕へ着いたところで胸が張り裂けそうになった。

 女の子が立っていた。

 溢れ出る大粒の涙をこすり、必死に何かを探していた。

 武士を見付けるや、弾かれたように走り寄ろうとする。よろめき、倒れかける。跳んで支える武士へ向け、泣き顔を満面の笑みへ変えてくる。

 武士はたまらなかった。

「待っとったん?」

「まっとった」

「ごめんね、起きたら誰もおらんくて不安だったよね」

「うぇー、かんない」

「まだ起きたら辛いでしょ。おにぎり持ってきたから、お布団のとこで食べよ?」

「たべう! ぴんくいの、しゃけ? あおね、しゃけ、すきだよ」

 __うぃー、よかった元気なってきた。

 かんない、というのは、分かんない、のことだろう。あお、というのが名前だろう。もともと人懐っこい子なのだろう。などと考えつつ女の子を陣幕の中へ入れ、寝台へ座らせる間に机を倒して布団で覆い、寄りかかる所を作ってやる。

 嬉しそうに食べるのを眺めながら、武士は少し悲しくなった。

 __ママ、って言わんけど……乗り越えようとしとるんだね。

「おじちゃん、なんで」

 ほぼ残っていながら原形をとどめない握り飯にがっつきながら、女の子が見上げてくる。平静を装いながら、母親のことを訊いてくるかと身構える。

「め、あかいの?」

「うぃー、左目だけ偽物だから」

「どいこと⁉」

「うぃー、話せば三〇時間かかるから今度ね?」

「さんじゅーじかん⁉ なっがー、へんなのぉ」

「うぃー、残さず食べたら三時間にしてあげる」

「うぇー、あい」

 あい、というのは、はい、のことだろう。などとまどろみつつ、武士は機を見て言わねばならぬと決意していた。女の子が離れたくないと言った母親を含め、村人たちを火葬する用意が整っていた。

「おじちゃん、おひげ、ながいね。みっつだね」

「三股にして伸ばすんも、三つ意味あるんだよ」

「それも、さんじゅーじかん? せみろんぐ? かみのけ」

「両方いかにも。ところで君は名前、あおなん?」

「あい! あおいもん」

「うぃー、納得するしかないじゃん」

 きゅっと、あおが手を握ってきた。げらげらして見詰めてくる。

 不覚にも胸が高鳴った。冷たく骨ばる武士の手とは違い、温かく柔らかく、掴むだけで溶けてしまいそうな手をしていた。

 甘えてくれた。感無量であった。

 会話もどんどん弾み出した。

 名前は(いちじく)あお、苗字が珍しいとは思っていない。九歳になったらしい、武士の五分の一しかない。魚が好き、だが食べること触ることに関してはキラい。恐竜や宝石に甲冑にも興味がある、だが区別はつかない。意外に神話も知っている、だが神名は〈須佐之男(すさのお)〉しか発音できない。

 父は兵士だったが、三年前に討ち死にしたという。

 母の話はしなかった。

 だが話すのが止まり、俯いていった。

 あおが食べ終わった。武士は正面へ回り、しゃがみ込み、目線を合わせた。

「ママに、お別れしに行こっか」




「おじちゃんは、どこにもいかない?」

 はっと、武士(もののふ)は手が温まっていくのを感じた。

 聞こえるか聞こえぬかという乾いた音を抑揚なく弾き続ける焔、黙々と天へ伸びゆく煙を見詰めながら、ぎゅっと、あおが手を握ってきた。微動だにせず見上げてきた。

 __この眼……この身をもって知っておる。

 もう、ひとりぼっちになりたくない。護ってほしい。甘えたい。だがそう言えば行ってしまうかもしれない。仕事や事情もあるに違いない。出逢って一日も経っていない。

 それでもどうか、置いていかないで。

 そう全霊で訴えてくる。

 __全霊で応えねば、(おとこ)にあらず。

 武士は手を離さずしゃがみ込み、小さな命と目線を揃える。

「行かぬよ」

 心たぎらせ、見詰め返す。

 一心に注がれる眼差しに一切の穢れがないのは、目尻の垂れた大きな瞳が潤んでいるせいではないだろう。骨など入っていないような鼻が、団子も頬張れそうにない口が、今は痛ましい。瑠璃色になびく細やかな髪は神々しいばかりに艶めいて、触れることをためらわせる。

 もう仕事など関係ない。身分など知ったことか。社会がなんだと言うのだ。

 __どうにでも乗りきってくれる。

 傷めないように瑠璃色を撫でる。

「仕事でどこか行っても毎回戻ってくるから、待っとってね。戻ってきたらずっと一緒におるよ。だからあおも、おじちゃんのとこに戻ってこられ。いつでも待っとるよ」

 見る見る、あおの中の自分が歪む。

 抱きしめたくなる。

 この小さな命を満身でかき抱き、自分が付いていると励まし続けたい。泣いてもいいと、伝えなければならない。このままずっと寄り添って、吐き出させ、触れ合って、身も心も芯まで温めさせてほしい。

 とても他人とは思えない。理由は分からない。どうでもいい。

 護りたい。育てたい。愛したい。

 この子の親になりたくてたまらない。

 あおにとって自分は会ったばかりの他人、そんなことを言えば気持ち悪くさせるかもしれない。抱いたりすれば嫌われるかもしれない。だがもう、知ったことか。

 安心してほしいのだ、させてみせる。

「おじちゃんを、あおのパパにしてくれたら嬉しいな」

「……あ……あおは……えっ、えと……」

 そっと、あおを抱き寄せる。

 抱きしめてもいい、抱きしめるべきだ、抱きしめたい。

 鍛えに鍛えたこの心身で、か細い小さな命を護りたい。

 何を犠牲にしようとも構わない、絶対に離したくない。

 ただその一念。

 腕の中から声が漏れる。いたいけな手が背へ回ってくる。羽毛の滑るような力でしがみ付いてくる。よじれるように少女が泣きじゃくる。

 武士は目をつむり、ひたすらに抱きしめ続けた。

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