3 関羽の慟哭
●関羽SIDE
私は姓を関、名を羽、字を雲長、真名を愛紗という。
巷で賊どもが好き勝手に暴れている事を聞きつけ、1人で賊討伐に励んでいた。
大体が少数だったので問題なかったが、前回の賊は数が多かった。
私は太ももに傷を負いながらも、どうにか一掃する事が出来たが、その時に自らの限界を感じてしまった。
1人での限界と、誰も助けてくれない孤独感、信頼出来る者も居ない絶望感、色々な感情が心の奥底から沸き上がり、私を蝕んでいく。
正義の為に地元では暴利を貪る塩商人を殺したが、官史に追われてしまい、止むを得ずに故郷を捨てた。
正しきを事を成したのに、それすら誰も認めてくれない。
堪え切れない涙が頬を止めどなく流れ落ちるなか、幽州の琢郡に辿り着いた。
生きる希望を見失いながら、その気持ちを押し殺すように賊討伐に明け暮れ、遂に負傷した。
我ながら笑ってしまう。
仕えるべき主君も見つからず、誰も私を心から必要としてくれない。
私だって・・・そこまで強くない。
武に自信はあるが、それだけだ。
私の両手には、何もない。
依存して、されたい。
そんな時に巷で噂になっている天の御使いが、その名声によって民を護る為に義勇軍を旗揚げした事を聞きつけた。
私が休んでいる村から、目的の村まではかなり近い。
もしかしたら、天の御使いなら、私の事を心から必要としてくれるかもしれない。
私は縋るような思いで楼桑里と呼ばれる村まで辿り着き、義勇軍の兵らしき男に天の御使いへの面会を希望した。
負傷した傷口がじくじくと痛むが、今は気にする余裕がない。
もし、天の御使いですら駄目なら・・・自ら命を絶とう。
この大陸に、私は不要だから・・・
そこで私はご主人様と桃香様に出会い、私の名を聞いて驚きながら是非とも力を貸してほしいと言われた。
本当に、嬉しかった。
初めて必要とされる気持ちに私は高揚していた事は間違いない。
だが、そのせいで傷口の事も完全に忘れていた。
そのまま数百の義勇兵と共に桃香様のご学友である公孫瓚殿の許に向かい、協力体制を取り付ける事が出来た。
以前とは違い、生き生きと日々を楽しめる。
ご主人様は優しいが、基本的に私の胸や太ももばかりをみているような気がするが、気のせいだろう。
受け入れてくれたのに疑うなどあってはならない。
私の居場所は此処しかないのだから。
ただ、ふとした時に傷口が痛む。
そろそろどうにかしようと思うが、ご主人様達は私の様子に気付いていないようで、義勇兵の調練や新兵の選抜を頼み込まれた。
必要としてくるのだ、こんな傷どうという事はない。
それから数日後、調練中にふと視線を感じてその先を見てみると、目付きの鋭い男が睨み付けるように調練の様子を眺めていた。
あの目付きは私が散々討伐してきた賊と同じ、人殺しの眼だ。
何故か居ても立っても居られなくなり、私は気付かれないように回り込んで男に声を掛けた。
どうやら考え込んでいたようで、その声にゆっくりと私に振り返り、眼を見詰めてきた。
今まで眼を合わせてくれたのは桃香様だけで、ご主人様とは中々視線が合わない。
・・・気にし過ぎているな。
だが、その男は視線を一切動かす事なく私を射抜いていた。
立ち振る舞いの隙のなさ、背中に背負った二振りの薙刀、そして私が嫌いな目付き・・・
何故か私の心を見透かされているような気がしてしまった。
いくつかの問答を繰り返すなかで私は自分でも分からない程に激昂した。
どうして・・・貴様は強い眼差しで私を見詰める・・・!
男と話しているとやけに傷口が痛む。
ご主人様達と居る時は痛みなどなかったのに・・・!
気付けば無抵抗の男を捕らえ、逃げるように地下牢に閉じ込め、かなり上等な得物だと判断した二振りの薙刀を公孫瓚殿に渡す事にした。
まずは経緯を報告するが、話しながら私が全面的に悪い事に気付いた、いや、気付かないフリをしていた。
何故かあの男の眼差しが脳裏から消えない。
それを振り払うように報告を済ませ、得物を手渡す。
得物を少し眺めていた公孫瓚殿は驚愕したように目を見開き、足早に立ち去ってしまった。
私はそれよりも早くご主人様達のお顔が見たくて気にする余裕もない。
駆け足気味にご主人様達の許へ辿り着くと痛みは治まった。
やはり、此処こそ私の唯一の居場所。
ご主人様こそ天の御使いとして大陸を救う唯一の御方。
桃香様の理想こそ我が正義。
でも、ご主人様は私と目線を合わさなかった。
凡そ1時間後、公孫瓚殿が私達を集め、急いであの男を連れて来るように言われた。
どうやら得物と関係がありそうで、私自らが連行する事を告げて足早に地下牢に向かい、暢気に居眠りをしている男を叩き起こした。
大きなあくびをしながらむくっと立ち上がり、開錠した扉からゆっくり出て来るが私と目線を合わさない。
いや、私の事を無視していた・・・それが酷く腹が立ち、傷口の痛みも増してくる。
チラリと目線を向けたのは得物の有無を問う時だけ。
私が痛みを堪えながら謁見の間に連行する時は、完全に私を無視していた。
それは、私がご主人様の横に並んでも同じ。
本当にどうしようもなく腹が立つ。
私が不当に扱ったのは認めるが、どうして私の眼を見て言わない・・・!
どうして公孫瓚殿ばかり見る!
どうしてご主人様達が居るのに傷口が痛む!
こんな掠り傷で弱音を吐くような鍛え方をしていないのに、どうして私の心を蝕むようにじくじくと痛む!
冷静さを失い、食って掛かるように罵るがそれでも私を見ない。
そして、私は桃香様の言葉で壊れた・・・
目の前の男が桓帝の嫡男で、次期皇帝だったとは・・・
男子が居なかったから一族の河間王の系統である霊帝が就かれたと聞いている。
その、人物に私は・・・
半狂乱になりながら刻まれた文字を何度も見返すが、間違っていない・・・天の御使いの事も・・・
私は目の前が真っ暗になって崩れ落ちたが、誰も心配するような声を掛けてくれなかった・・・
今までの倍以上に傷口が痛み、そこで漸く気付いた。
私は現実を見ていなかった・・・必要とされる喜びに酔いしれ、傷を負ったと話しているのに無視された事を無理矢理忘れていた。
ご主人様は私の名に惹かれただけ、桃香様は便利な臣下が出来たと思っただけ・・・
現に、ご主人様が狼狽していると直ぐに桃香様が宥めていた。
人は追い詰められた時に、その本性を現す。
私の心はぽっかりと穴が開いたような虚無感しか感じられない。
此処では本当の意味で私を必要としてくれない・・・全て夢だった・・・
そう思うと脇目を振らずに駆け出し、謁見の間を後にする。
本当は少しだけ呼び止めてくれる事を期待し、少しだけゆっくり動くが誰も声を掛けない。
その瞬間に私の中の何かが弾け、全力疾走であの御方の許に走り出す。
おかしな話だが、最初から私自身を見てくれていたのは誰でもない、あの御方だったとはな。
私は名乗ってもいなければ、身分も告げていないのにちゃんと強い眼差しで私自身を見てくれたのに・・・
本当に愚かな女だ・・・きっと嫌われているだろうな・・・ふふ、それも仕方ないか・・・
だが、それでも、もう1度私を見てほしい。
頼むから・・・私を蝕む孤独から救ってくれ・・・
そして、城門前で何やら考え込んでいるお姿を見つける事が出来た。
出会った時と同じような場面に内心微笑んでしまう。
・・・声を掛ければ前と同じように振り向き、私の眼を見詰めてくれるだろうか。
正直、怖い。
でも、この機会を失えば永遠に私は孤独のまま。
だから、
「おい」
前と同じ言葉を掛ける。
すると、
「・・・なんだ、関羽か。何か言いたい事でもあるのか?」
ゆっくり私の方に振り向き、強い眼差しで見詰めてくれた。
声色は不機嫌だが、今までの事を思えば仕方ない・・・これから信頼してもらえれば。
気付けば、傷口の痛みは治まっていた。