ラブコメ性難聴転生者の会戦
ポリス共和国に戦の機運が高まっていた。この都市国家に長い間タダ飯食らいさせてもらってきた南田としては、命がけで恩を返さざるを得ない。
転生前には人並みの運動神経しかなかった南田も、この異世界では相対的にトップアスリート並の体力の持ち主だった。逆に一般人がトップアスリート並の異世界に転生しなくて良かった。つくづくそう思う。
自分は本当になんの取り柄もない人間のだから。
「ナンダさん……」
南田は軍議にむかう途上で、金髪碧眼耳の尖った少女に呼び止められた。僭主の娘である。耳は母方の遺伝らしい。
「姫(と南田が勘違いして覚えている単語)」
少女は頬を赤らめ、切なげにくねくね身をよじらせて、
「死なないでください。あなたのことが、好きです。生きて帰ってきたら……」
「え、なんだって?」
「」
そこに筋肉をかたどった鎧を身につけたおっさんが「ガハハ」と通りかかって会話は打ち切りになってしまった。
「よく来てくれた。勇者たちよ!敵は巨大な領域国家といえども、一騎当千の我らが力を合わせれば百人力、云々」
戦女神神殿の礼拝堂で、ポリス共和国の僭主が演説をはじめる。彼はすらりとしたしなやかな長身で、いかにもやり手のオーラがある。多少の失言はオーラで押し切る。
筋肉鎧おっさんの隣に座った南田はヒアリングに意識を集中させた。結果、景気付けの前口上で集中力を使い切ってしまう。
「……であるからして~、援軍をくわえても敵の半数ほどの我々が勝つためには、右翼と左翼に戦力と精鋭を集中して~」
パワーポイントとは言わないが、ホワイトボードを使って説明してほしいものだ。一応文字はあるものの、口約束文化のせいか、異世界人たちの会話に関する記憶力は尋常じゃない。南田のコンプレックスは異世界に来ても強まるばかりだった。町内運動会的なちんけな競技会で優勝しまくるくらいでは到底解消されない。
「……と言うわけで、やってくれるな?ナンダ殿」
「え、なんだって?」
なんだかんだで、すぐに会戦直前になってしまった。原始共同体社会の戦争はあっさり風味。せいぜい三日の食料をもって出撃し、戦闘自体は半日で終了する。
もっとも、今回の相手は領域国家。そのアンパイア帝国はそれなりに整備された官僚機構が準備した大量の補給物資をもって、長期遠征を企てていたのだが、共和国側は自分たちの流儀で対処するつもりだった。
その数は戦闘員だけで2万。対するポリス共和国側は1万程度。まぁ、最右翼最前列を任せられた南田の目からは、どちらも雲霞のごとき莫大な数で、多寡など分からない。敵味方の距離が横陣の幅よりも近くなっては尚更だった。
ぶっちゃけ自分の左29人とその後ろ10列の合計299人を指揮するだけでも手に余った。背中に仲間の視線が突き刺さっていることを感じる。みっともない真似だけはできない。
戦いは儀式的な子供たちの投石で始まった。少なくともポリス共和国側は始めようとした。しかし、帝国隊列からは子供に向けて容赦なく矢が放たれる。
普段は素朴な自作農。誇り高き戦士たちは激高した。文化が違うことなど彼らは、知らない。
ラッパが鳴る。
「突撃!」
「「うおおおおおおわおおおおぉおぅ!」」
南田はともかく剣を抜きはなって駆けだした。すでに作戦に齟齬が生じていることも良くわかっていない。この世界の(そして南田がいる文化圏の)住民は「男に二言はない」を元の世界とは別の意味でことわざとして使い、滅多に二度同じことを説明してくれないのだ。
しかし、共和国軍の暴走は彼らを助けた。少年への攻撃に手間を取られた敵の弓兵はほとんど矢を放つことなく、共和国軍隊列の接近を許したのだった。
轟音が乾燥した平野を満たす。
鉄と鉄、青銅と青銅、肉と肉がぶつかり合い、食い込み、ひしゃげ、中身を辺りにまき散らした。接近戦では味方の側に一日の長がある。「それしかしてこなかった」からだ。
帝国軍の得意とする複雑な駆け引き、戦列の入れ替え、複数レンジ同時攻撃は野卑な肉弾戦でかき乱され、瞬間的に麻痺した。
南田にはその一瞬で十分だった。まるでなろう小説みたいに、立ちはだかる敵兵を切り倒し、蹴り飛ばし、隊列の隙間に身体を割り込ませて新顔をぶちのめしていく。カッコいいからという理由で剣を選んだのに、主兵装である槍をもった敵をものともしない。
彼は今でもどこかで異世界を現実と信じられておらず、バーチャル感覚で戦っているところがあった。それゆえに勇敢。それゆえに無鉄砲。
特に後列の敵は自分が矢面に立つ心の準備ができていなかった。敵隊列に躍り込んだ南田の前進速度はむしろ上がる。
「なんだ!?お前は!」
「え、なんだって?」
ドゴォ!
アンパイア語は分からない。分からない言葉を話す相手の方が、少しだけ倒しやすかった。
「ナンダ殿に続けー!」
後ろから299人が物理的な圧力を追加する。南田が楔となって作った亀裂が拡大する。敵の足下がよろめき、彼ら同士で武具をぶつけあって、動揺と混乱を伝播させていく。
「うぬ……」
最後列にいた巨体の敵兵が帯剣を抜こうとした。その動作が終わるよりも早く、南田の横薙ぎがその顔を切り裂いた。視覚的にヤバそうなので、倒した相手の顔は見ない。代わりに剣から血糊を飛ばしてカッコつけてみせる。
「なんだ。知らなかったのか?デカブツは大抵やられ役なんだ」
――元世界に適応した南田の体力が飛び抜けているだけである。
目の前の敵は崩壊した。こちらより長かった隊列の分も含めて全面的な潰走に移る。
「今です!ナンダ殿!!」
「え、なんだって?」
後方から聞こえた声は騒音にかき消され、大量に分泌されたアドレナリンを鎮めるには至らなかった。
結果、南田隊は本能的に目の前の逃げる敵を追う。本来の作戦では戦列突破後、敵の後方に回り込むことになっていたのだが……ただし、南田隊の行動には軍事的価値があった。
彼らは自分たちの三倍以上を戦場から駆逐して、戦列復帰を不可能にした。さらに帝国陣営まで敵を追いかけると山と積まれた物資に片っ端から火をつけた。
略奪に走ろうとする兵士は、南田がぶん殴って止めた。ひたすら徹底的に燃やして燃やして燃やしまくる。彼が異世界に来てから、こんなに多くの人工的な明かりを目にしたのは初めてであろう。頭の中はフェスティボー!もう誰にも止められない!!
ド派手な放火で帝国軍の戦略的な勝ち目はほとんどなくなった。彼らはポリス共和国の城壁をすぐさま越えない限り補給切れで路頭に迷う運命だった。
だから僭主は勝てなくても巧く退却すれば良かったのだが、当初の作戦で敵の包囲に拘ったため悪戦苦闘を続ける羽目に陥った。彼の作戦には敵の後ろに回り込む味方の動きが把握しにくく、引き際を見極められないという欠陥があったのだった。
勝てば不問に処された欠陥が、僭主たちを苦しめる。確かに味方の耳の尖った左翼と右翼の南田隊以外は敵の後方に向かおうとした。しかし、アンパイア軍の中央は何とか後列の兵士たちを、この新手に立ち向かわせた。
結果は乱戦。入り乱れる敵味方の海を、統制を残した一部の部隊が掃除して回るむちゃくちゃな戦況になった。その一部部隊に南田隊があれば先に帝国軍の司令官を討ち取っていたかもしれない。
だが現実は冷酷だ。けっきょく、数の多い方が勝った。
あえなく僭主は親衛隊と共に討ち取られ、彼が追放した亡命ポリス共和国人たちに死体を引き裂かれた。
戦いの第二ラウンドでは二つの凱旋部隊が衝突する。
敵陣営の火事を肴に食事を済ませた南田隊と、勝利の心地よい疲労感に包まれた帝国軍はお互いの帰路で、驚きの遭遇。いかなる時も鷹揚で、一部では愚鈍とも噂されていた帝国司令官は槍先に突き刺した僭主の首を、南田たちに突きつけて見せた。
下手な言葉で宣告する。
「この戦いはお前らの負けだ。降伏せよ」
もちろん、南田の答えは決まっていた。
「え、なんだって?」
予想外のリアクションに敵司令官は一瞬ひるんだ。勝利に酔った頭で、小勢を侮り矢も射かけず声の届く距離まで接近したことが誤りだった。約300人は一丸となって突っ込んできた。
彼らはまるで目隠しされた馬のよう。周囲の状況も理解せず、指揮官に煽られるがまま突っ走る。
さすがの南田にも困難な状況は分かっていた。
異世界人は可聴音領域が微妙に異なり、彼らの間では別の音でも、南田の耳には同じ音に聞こえる単語がたくさんある。文脈で理解を補うにも文化的な蓄積が必要で、とても苦労させられてきた。
しかし、僭主の首を見せられれば言葉を聞くまでもない。そして、取り柄がない自分を拾ってくれた男の復讐をしたくなった。
恩人が死んだ責任の一部は自分にあるのだが、思考が単純化された南田は体力任せに暴れまくる。敵司令官はすんでのところで逃したものの、僭主の首は取り返した。
生首と目が合う。
(うわっ、キモ!……しまった。失礼なことを考えてしまった。でも、なぁ……)
転生者の部下も当たるを幸い武器を振り回し、帝国軍を恐慌状態に陥れる。もちろん大量にいる敵の全体が混乱したわけではない。混乱に巻き込まれていない部隊は、突如現れた強敵の退路を断つべく、動き始めていた。
生首のリアリティに正気を取り戻した南田はそれに気づいた。脱出を急ぐ。
「お前ら、町に戻るぞ!」
兵士たちは顔をあげて答える。
「「え、なんだって?」」
「Oh……」
その後、南田は多くの味方をやむなく置き去りにして血路を切り開いた。母都市にたどり着くと居残りの兵士や本体の敗残兵と一緒になんとか城壁を守りきり、物資不足に苦しむアンパイア帝国軍を撃退した。
他の候補者が戦死したことから、しばらくして彼は棚ぼた式にポリス共和国の僭主の座についたのだった。傍らには死亡フラグ不発少女を侍らせて。
数年でポリス共和国は周辺都市国家で初の文書主義国家になった。また、共和国親衛隊が突撃時にあげる「エェナンダッテ!」の伝統的な雄叫びは、近隣諸国の軍隊にひどく畏れられたという。