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世界で一番あなたがきらい  作者: 湊波
第四章 亡国の王女
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あの日の果て、燃ゆる金炎

 ルインは、幼さの残る眉を寄せた。小瓶をテーブルの上に置く。ことりという小さな音が、暖かな空気に響く。

「怪しいなぁ……アッシュはいつもそう言うから……」

「そうか?」

「そうだよ。君はもう少し、自分の本心を言葉に出して言う癖をつけた方がいい」

「オルフェみたいに?」

 アッシュがニヤリとして返せば、ルインが小さく噴き出した。

「兄さんは本心出しすぎ。特に女の人に対して」

 ルインはくすくすと笑う。オルフェと違い、どちらかといえば可愛らしさの残る顔立ちが和らぐ。

 彼は再び小瓶を手に持った。湯気の立つ窯の前に立ち、背を伸ばしてすぐ近くの窓を開ける。

「お茶なら、そこの棚にしまってあるから。先に出して飲んでてよ」

 アッシュは苦笑した。ルインは、彼の兄であるオルフェより余程気立てが良い。ただしこうやって、研究に没頭している時だけは別だ。

 それでも、この気安い関係が嫌いではない。半年前……初めてアッシュがこの兄弟と出会った時に、いきなり呼び捨てにされた時はどうしようかとも思ったが。

 腰に差していた剣を戸口に置き、アッシュは棚に向かう。

「戦の方はどう?」

「どうということもない」

「またそんなこと言って。昨日も大勝したんだろう? 水の国の将軍相手に。これで何勝目だっけ」

「知らん。いちいち数えてられるか」

「こういう数字、兄さんの方が良く覚えてるんだけどねぇ。なんでもお祝いしたい人間だから……あ、ちょっと待ったアッシュ! その瓶じゃない!」

 瓶に液体を詰め終わったルインが、アッシュの方を見て猛然と駆け寄ってきた。アッシュの手から瓶を取り上げる。

「馬鹿! これは実験用の花が入ってる方だ! 死にたいのかい!?」

「……そんなに危ない物なら、もう少し手の届かないところにしまっておけ」

「駄目だよ。そしたら、今度は僕が瓶をとれなくなるだろ。ほら、お茶いれるから、アッシュはそこに座ってて」

 ぐいと背中を押されて、アッシュは渋々椅子に座った。ルインが手早く茶をいれる。程なくして、縁の欠けたカップにお茶が注がれた。

 どちらからともなく、カップに口づける。二人の間に穏やかな沈黙が落ちる。

 響くのは窯から上がる湯気が蓋を震わせる微かな音、そして窓の外から響く兵士たちの賑やかな声。

「それにしても良かったよ。今回も誰も死ななくて」

 ルインがぽつりと呟いた。どこか憂いを帯びた表情に、アッシュはカップを片手にすましてみせる。

「当然だろう。俺が率いているんだ」

「ははっ。君のそういう強気なところ、嫌いじゃないよ」

「事実を言っているまでだろう」

「そうかな……ううん、そうだよね。敵も味方も、最小限の命だけ奪って戦を終わらせる。君の理想に共感したからこそ、僕たちは君に従ってるんだから」

 ルインの視線がテーブルの上をさ迷う。

「でも、時々不安になるんだ。水の国との戦が始まって半年だ。正直、奇跡だよ。僕たちの兵団で、誰も死んでいる人がいないってことは。他の兵団じゃ、多かれ少なかれ犠牲が出てるっていうじゃないか」

「そうだな」

「あとどれくらい、この戦は続くんだろう」

 アッシュは静かに目を伏せた。

 泥沼化している。一言でいえば、それに尽きる。その答えはしかし、ルインを含めた、この戦場にいる兵士の全員が知っている事実だ。今さら言葉に出したところで、何になるというのか。

 アッシュはため息をつき、口を開いた。少しばかり明るい声音になるよう努めながら。

「ところで研究の方はどうなんだ? さっき俺を殺しかけた花……あれは使えそうなのか?」

「それはもちろん!」

 あからさまな話題転換だったが、ルインも察してくれたようだ。

 どこかほっとした様子で、胸元から一輪の花を取り出してアッシュに手渡す。

 白い花弁のついた、一輪の花。

「名前は分からないんだけどね。どうも水の国にしか咲いていない花みたいなんだ」

 だから、この花が沢山咲いてるこの辺りは、最高の立地だよ。そう言って、ルインは屈託なく笑う。

「この花の生育には、綺麗な水が必要なんだって。水の国の人たちは、これを使って薬もつくるみたい」

「こんな花が爆薬になるとはな」

「僕もびっくりだよ。でも、もしこの研究が成功すれば、これまで壊せなかった大きな岩やなんかに手を加えられるようになるんだ。そうすれば、新しい交易路を開拓できて、うちの商会ももっと手広く商売ができる」

「こういう時だけ商人だな。お前は」

「腐ってもルアード商会の次男坊ですから」

 ルインは得意げに胸を張る。しかもだよ? ともったいぶったように言葉を続けた。

「実は、ユリアス殿下も僕の研究に興味をもってくださったみたいでね? 今度会って話をすることになったんだ」

「兄上と? 王宮に行くのか?」

「ううん。近々、兵団の慰問に来るらしくて。そのついでに会ってくれるみたい、なんだけど……もしかして知らなかったのかい?」

「……知らん」

「どうせアッシュのことだから、どうでもいいと思って気に留めてなかったんだろう?」

「どうせとはなんだ」

 アッシュが眉根を寄せれば、ルインは小さく笑った。

 それから、ああそうだ、と付け足す。

「お願いなんだけど……このことはオルフェ兄さんに内緒にしててほしいだ」

 アッシュは首を傾げた。なぜかと目線で問えば、ルインが片目をつむる。その仕草は、オルフェとそっくりだった。

「今回のことが上手くいけば、ユリアス殿下が研究資金を出してくれるって話なんだ。これまで兄さんに頼りきりだったから……ここで一発、資金を自分でとってきて、兄さんを驚かせいたのさ」


*****


 思い返せば、後悔は尽きなかった。

 敵味方なく、可能な限り命を救って戦を終わらせたいという、偽善じみた願いを抱いていたことも。

 ユリアスに会いに行くというルインを止めようともしなかったことも。

 あの頃の自分は現実を見ていなかったのだ。だからこそ未熟で、愚かで、無力で、その後に起こる全てを、止めることができなかった。


 そのはじまりは、ルインがユリアスに会いに行って、数日経ってからのことだった。


*****


 なにかが砕け散る大きな音が、小屋の方から飛んできた。

 そして小屋の扉を開いたアッシュは、部屋に広がる惨状に目を見張る。

 

 棚に整然と並べられていたはずの小瓶が、床一面に散らばっている。

 粉々に砕け散った欠片が西日を反射して輝く。


 その中心で椅子を手に持ったルインが、ぽつりと立ち尽くしている。


「ルイン……何を……」

 ルインがゆるりと振り返った。虚ろな瞳がアッシュをとらえる。

「……壊してるんだよ」

「壊す?」

「そう」

 ルインは無感動に床を見下ろした。

 一歩踏み出す。

 砕け散ったガラスの破片を踏み砕く。何度も何度も。

 その度に、耳障りな音が悲鳴のように響く。

「これは駄目だ。あってはならないものなんだ」

「あってはならない? 何を言っているんだ……これはお前の研究だろう? オルフェを助けるために」

「そう、兄さんを助けるために始めた。それだけのはずだった……それだけの……」

 ルインの言葉尻が揺れた。瞳が揺れ、涙がこぼれる。

「でもね……そうじゃないんだ。違うんだよ……」

 アッシュは弾かれたようにルインの下に駆け寄った。崩れ落ちそうになる彼をなんとか支える。

「アッシュ……僕は君のお兄さんが恐ろしい」

 ぽつりと言って、ルインは肩を震わせた。顔を上げる。

 怯える瞳に、赤の目を持つアッシュの姿が映りこむ。

 その姿が、ルインにはどう映っていたのか。

「この前、ユリアス殿下に会いに行ってきたんだ。そこで、小瓶について話してきた。その時に殿下、何て言ったと思う?」


 ――この小瓶を使えば、たくさんの人間が殺せるね。


 ルインの口から密やかに放たれた言葉に、アッシュの心臓が凍りついた。



*****


「兄上!」

 アッシュがユリアスの下を訪れるのに、それから幾日もかからなかった。

 野営地の一角、王族が寝泊まりするにしては簡素な天幕を押し上げて中に入る。

 アッシュは自分がここに訪ねてくることを、前もって伝えていなかった。

 けれど書類をしたためていた手を止め、顔を上げたユリアスは予見していたように柔らかく微笑む。

「久しぶりだね。元気そうで何よりだよ」

「ルインに何を言ったんだ?」

 怒りに目を光らせ、アッシュは足音高く詰め寄った。音を立てて机の上に手をつく。

 椅子に座ったユリアスは動じることなく小首をかしげる。

「何、っていうのは?」

「とぼけるな。会ったんだろう? ルイン・ルアードに」

「うん。それはもちろん。頭も良かったけど、なにより良い子だったね。君とも仲良くしてるみたいじゃないか。正直、僕はアッシュのことを心配してたんだよ? 友達がちゃんとでき、」

「人殺しの道具になるって言ったそうだな。あいつの作った小瓶を」

 アッシュは実の兄を睨みつけた。にこやかに話していたユリアスの声が止まる。

 笑顔は変わらない。

 けれどその目が、すいと細められる。

「なんだ。ちゃんと僕がルイン君に何を言ったのか、知ってたじゃないか」

 アッシュは机の上の拳を握りしめた。

「……っ、なんてことを言うんだ! ルインの話をちゃんと聞いていたのか!? あいつは武器を作るつもりで、研究してたんじゃない! あの小瓶は元々、物を壊すためだけに作られたものなんだぞ!?」

「分かってるよ、そんなこと。僕はただ、小瓶の応用の可能性を示してあげただけだ。一番単純で、効果的な方法を」

「単純で、効果的!? 何を馬鹿なことを……!」

「馬鹿なことを言っているのは、お前だ。アッシュ」

 ユリアスは一つ声を落とした。その顔から笑みが消える。

 アッシュは思わず口を閉じる。

 自分と同じ赤の目に、闇よりも深い暗い光が灯る。

「状況を考えろ。水の国との戦は泥沼化する一方だ。戦力ではこちらが勝るはずなのに、勝ちきれないのは何故だと思う? この戦の勝敗を決定づけるだけの、圧倒的な力が足りないからだ」

「その力とやらに、あの小瓶がなると言いたいのか?」

「そのとおり。殺傷能力も勿論だけど、音がいい、あれは。見た目も派手だから敵の戦意も削げる。武器として申し分ない性能だ」

「ふざけるな、ユリアス! 大勢の人間の命を奪えというのか!?」

「ふざけたことを、アッシュ。戦の勝者は人を多く殺した方だ」

 十分な日の光が差さない天幕の中が、ますます暗くなる。

 二人の間の空気が、まとわりつくような冷たさを帯びる。

 ユリアスの目が光る。

「この戦が終わった時に、水の国の民がいなくなっているのが理想だ。一つの国に、二つの民は相いれない。絶対に。だからこそ、私情を持ち込むことは許さない」

「だが、」

「忘れるなよ、アッシュ・エイデン。お前は火の国の王族だ」

 厳然たる事実がアッシュの胸に重くのしかかる。アッシュは奥歯を噛む。

「……分かっている」

「いいや、分かっていない。戦が長引けば長引くほど、火の国の兵士は死ぬ。民は戦による食糧不足で喘ぐ。水の国の民の死は悲しむくせに、自国の民の死には心を痛めないのか?」

「……それは」

「正直に言えば、アッシュ。お前のやり方も気に食わないな。戦の度に負けた兵を捕虜として抱えているそうじゃないか? どうしてわざわざ敵の民を養うんだ? 彼らを殺して、その分の食糧を火の国の兵に回す方が、よほど正しい」

 アッシュは黙した。言葉が出なかった。

 君のお兄さんは恐ろしい、と言っていたルインの言葉を思い出す。それはまさに現実となって、アッシュの目の前に立ちはだかっている。

 ユリアスの言うことは正しい。

 正しいが、だがそれは正解だろうか。

 迷うアッシュを前に、ユリアスがうっすらとほほ笑む。

 その指先が、ついとアッシュの胸元を指さした。


「――予言をしてあげよう。お前の偽善はきっと、最悪の結末を招く」


*****


 その予言は、果たして現実となった。

 怒号。剣戟。血の臭い。

 死が席巻する戦場をアッシュは駆け抜ける。剣を振るう。容赦をしている余裕などなかった。何人目か、何十人目かの敵が絶命する。血と脂で汚れた刃の切れ味は悪く、ぞっとするような手ごたえだけが掌に残る。

 舌打ちした。その時、不意に血煙の狭間でオルフェとルインの姿を見つける。

「どうするんだ、アッシュ……!?」

 アッシュが駆けよれば、血まみれになったオルフェが敵を斬り伏せながら叫んだ。その顔に、いつもの飄々とした笑みはない。当然だ。

 アッシュ率いる兵団は、夜襲を受けた。兵の半分は殺され、残りの半分も散り散りになっている。さらに性質の悪いことに、捕虜にしていた水の国の兵が次々に解放されている。

 オルフェと背をあわせるようにして立つ。アッシュは顔を歪ませる。

 兵力差は歴然としていた。誰に言われずとも、よく分かっていた。自分一人ならば、生き残れるかもしれない。けれどオルフェは、ルインは。他の兵士はどうなる。

 彼らを見捨てるのか。


 敵の命を気にかけ、仲間の死を黙って受け入れることが、本当に正しい選択か。


 アッシュは唇をかみしめた。柄を握る手に力を籠める。

「……ルイン、あの小瓶は小屋の中にあるのか」

 ルインがびくりと肩を震わせた。恐怖の滲む目でアッシュを見上げる。

 オルフェが憤然として声を上げた。

「やめろ! ルインの研究を人殺しの道具にするつもりか!?」

「……オルフェ、お前は黙ってろ」

「いいや、黙ってられないね! あれは危険だ! 狙って使えるようなものでもない! 無差別に人が死ぬんだぞ!?」

「ルイン、どうなんだ」

 オルフェの言葉はそのまま、アッシュの本心だった。

 それでも彼は無視する。オルフェも、自分の偽善も。

 全てを捨て、ルインを見つめて。

 それにルインは真っ白になった唇を震わせて。


「……使おう」


 たった一言、それだけを言って、頷く。





 そしてその日、戦場でルインの作った小瓶が初めて使われた。

 小瓶から生み出された炎は敵と味方を焼き、夜闇を金炎に染め上げた。

 その中で、敵を戦鬼のごとく屠る第二王子を、僅かな生き残りの兵士たちは畏れと共に”金炎の王子”と呼んで。




 オルフェの弟ルイン・ルアードは日を置かずして、自ら命を絶った。

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