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世界で一番あなたがきらい  作者: 湊波
第二章 銀の花
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彼女と筋書き

 一貴婦人、リルデリアにとって、その日は記念日となった。面会者がいると侍女に告げられ、その名前を聞いた時には、嬉しすぎて卒倒した。それから侍女にたたき起こされ、ふくよかに育った彼女の体を揺らして、慌てて最上級のドレスを身に纏い、夫の目の前でもつけたことのないお気に入りのアクセサリーで自身を飾ること一時間。

「本当に、申し訳なかった」

「そんな……構いませんのよ」

 自分は今、憧れの銀の騎士、フェン・ヴィーズに頭を下げられている。それが申し訳なくて、リルデリアは丸々と太った両手を慌てて振った。二人のテーブルの間には、包みに入ったドレスが置かれている。リルデリアが侍女を通してフェンに貸し与えたドレスだ。

「もう着る予定のないドレスですわ。侍女と二人で、捨てようかとも話してたんですもの」

 これは、半分本当だ。ずいぶん昔、リルデリアは王宮一の美女と名高かった。ドレスはその頃に使っていたものだが、今では到底着られるものではない。そのドレスが再び日の目を見る機会を与えられたのだから、リルデリアとしても喜ばしい。

 ……というのは、建前である。衣装箱を整理した時に、侍女の一人と銀の騎士様にこれを着せればどうだろうか……と盛り上がったのは、今年の初めのころだ。あれはよかった。熱心な銀の騎士の追っかけである彼女と侍女が、銀の騎士の新たな楽しみ方を密やかに発見したのだ。正直、想像だけで興奮した。互いに鼻血を流してぶっ倒れたところを、別の侍女に見つかって白い目で見られたことも、今ではいい思い出だ。

 そうして、その妄想が現実になったのだから、リルデリアには感謝こそすれ、フェンを責める気持ちなど微塵もない。

 むしろ、ごちそうさまと言いたい。惜しむらくは、彼の女装姿が見られなかったことだけだろうか。

 そう、一人胸中で盛り上がるリルデリアを他所に、頭を上げたフェンは物憂げである。

「そうは言っても……傷はついていないんだが、血がついてしまって」

「まぁ血……」

 リルデリアは手に持った扇子で自身の口元を隠した。心配以上に、物憂げな表情を浮かべるフェンに、にやけそうになる口元を隠したかったからだ。

「お怪我でもなされましたの? そういえば、何かの調査に入るために夜会に出てらっしゃった、と聞きましたけれど……あ」

「? どうかなされましたか? リルデリア夫人」

「もしかして、フェン様が出られていた夜会って、昨晩の爆発があった夜会かしら」

「え、えぇそうですが」

「まぁまぁまぁ!」

 リルデリアは興奮のあまり、声が少し上ずった。ぼんやりしていると影口を叩かれることの多い彼女の頭も、銀の騎士に関する妄想の時は別だ。

 朝の茶会で別の貴婦人から聞いた噂。性別さえも隠して夜会に出なければならなかった銀の騎士。そうして、血のついてドレス……ぎゅんぎゅんと高速で回転していたリルデリアの頭は、ある一つの結論を叩き出す。

 リルデリアは目を輝かせた。

「昨日の夜会……フェン様もユリウス殿下と共に、犯人を捕まえるために奮闘してらっしゃった、ってことですのね……!」

「……え?」

 リルデリアの一言に、フェンの顔色が変わる。

「ちょ、ちょっと待ってください。あの、ユリウス殿下と共に、というのは……?」

「ユリウス殿下が犯人を追い詰めたのでしょう! 殿下も不審火の件で調査を進めてらっしゃって、それであの夜会に行きついた、と聞いていますわ。流石、第一王子ですわね。今回の一件で、きっと陛下の覚えもめでたくなったに違いありませんわ」

「あ、あの」

「それにしてもフェン様がユリウス殿下と協力して事に当たってらっしゃったなんて……そうですわよね、フェン様は元々ユリウス殿下と仲が良かったわけですし……! 二人の間で結ばれた男の友情! たまりませんわ……!」

「あの!」

 夢見るように嘆息するリルデリアは、そこでようやっとフェンが何か聞きたそうな目をしていることに気づいた。

 リルデリアは小さく咳ばらいをする。

「も、申し訳ありませんわ。私としたことが、つい」

「いいえ、それはいいんですが……」

 フェンが戸惑ったようにリルデリアに問いかける。

「失礼ですが、そのお話はどこでお聞きになったんです? その……私がユリウス殿下と協力している、というのは」

「あらやだ、フェン様ったら」

 リルデリアはかつて花のようと謳われた笑みを浮かべた。

「女子には女子の、秘密の情報網というものがありましてよ。殿方がそれを訊くのは無粋なことですわ」


*****


 おかしい、とフェンは思いながら、リルデリアの部屋を後にした。

 ユリウス殿下と共に、犯人を捕まえた? アッシュではなくて?

 フェンは眉をひそめる。リルデリアは噂の出どころを教えなかった。大方、あの夜会に居合わせた貴婦人のうちの誰かが、噂としてリルデリアを含む他の貴婦人に話したのだろうが。

 見間違えたのだろうか。フェンはそう思う。確かにフェンもアッシュの姿を見たのは、ダンシーに襲われた時だけだ。アッシュは夜会自体には顔を出していないようだった。

 アッシュより、ユリウスの方が余程人当たりが良い。夜会という行事にも、よく顔を出すのはユリウスの方だ。例えば、赤い髪をした人間を貴婦人が見かけたとして、アッシュかユリウスか、どちらで勘違いすることが多いか考えれば、間違いなく後者だろう。

 ……でも、本当にそうか? フェンの胸の内がざわつく。

「待ってたよ、フェン」

 不意に声をかけられた。フェンは振り返る。

 長く続く廊下は、降り続く雨のせいで薄暗い。普段は忙しく廊下を行き交っているはずの侍女の姿もない。

 そのせいで、声の主を見つけるのは簡単だった。等間隔に備え付けられた窓の一つに、オルフェが背を預けるようにして立っている。その片手には小さな包みを持っていた。

「良かった。昨日よりはマシな顔してるね」

「……昨日は、すまなかった」

「あはは、いいよ。男とはいえ、見た目はなかなか綺麗なお嬢さんだったからさ」

 呑気に笑ったオルフェは、フェンに向かって包みを放り投げた。

「ところで、これを君に」

 フェンは慌てて包みを受け止める。見た目に反して、包みは重い。金属同士が擦れる独特の音がした。

「報奨金だって、アッシュが」

「え?」

「あと、もう俺には仕えなくていい、っていうのが、あいつからの伝言で、」

「ま、待ってくれ! どういうことだ? 報奨金? 仕えなくていい?」

 突然のことにフェンは困惑しながらオルフェを見た。

「どういうことって言われても」

 オルフェは小さく肩をすくめ、何かを思い出すように宙を見つめながら口を動かした。

「君があの部屋にいた犯人を倒したんだ。あいつは今回の不審火の犯人だった。だから陛下の戯れで始まった怪奇現象の調査も、これでおしまい。君はめでたく報奨金をもらって、殿下から解放される」

「は……?」

「っていう筋書きかな」

「筋書きって……」

 面白がるように締めくくったオルフェの言葉に、フェンは開いた口が塞がらなかった。なんだ、それは。信じられない思いでオルフェを見る。必死で昨日のことを思い出すが、オルフェの口から語られた話は、どれもフェンの記憶になくて、余計に混乱するばかりだった。

 オルフェは何も言わず、フェンの反応を楽しむかのように軽薄な笑みを浮かべている。

 廊下の闇がぐっと濃くなる。雨が窓を叩く音だけがやけに耳につく。

 しばらくして、やっとフェンは口を動かす。

「……本気で言ってるのか?」

「本気、っていうのは?」

「僕が、本当に彼らを倒したと?」

「…………」

「違う、だろう……? 犯人を倒したのはアッシュ殿下で……犯人をおびき寄せるきっかけを作ったのだって」

「…………」

「さっき、リルデリア夫人が言ってたんだ。僕がユリアス殿下と協力して事件を解決したことになってるって。でも……違うじゃないか。アッシュ殿下が僕を助けて、くれて」

「フェン」

 オルフェは静かにフェンの名を呼んだ。声を荒げるわけでもなく、怒るわけでもない。ほんの少しの憐れみの交じった声音。

 それにフェンは僅かに期待して、口をつぐんだ。オルフェがフェンの言葉に肯定してくれるものと、そう思った。

 けれど。

「第一王子は、確かにあの夜会にいたんだよ」

「……え?」

「そして爆発のことを調べる内に、犯人と戦う君を見つけた。だから君に加勢して、犯人を捕まえた……そういう筋書きだ」

「っ、それは事実じゃない!」

 フェンは思わずオルフェに詰め寄った。その胸倉をつかむ。オルフェの背中で、窓ガラスが鈍く音を立てる。

「どうしてそんなことを言うんだ……! あんたはアッシュ殿下に仕えている身だろう!」

「仕えていたのは君だけだ」

「なんだって?」

 オルフェは表情一つ変えず、フェンを笑う。

「俺は昔のよしみであいつのところにいただけさ。別に仕えてたわけじゃない。誓いだってたててないし」

「で、でも……あんたは殿下と仲がいいんだろう?」

「それもどうなるか」

 返る言葉は、ひどく低い。それにフェンが耳を疑えば、オルフェは笑みを深めた。やんわりとフェンの手を退ける。

 乱れた襟を整えながら、オルフェは常の口調で穏やかに続ける。

「勘違いしないでほしいんだけど、これはアッシュの提案だ」

「アッシュ、殿下の……?」

「敵を倒したのはアッシュだ。そうだね、それが事実だ……でもその本人が、ユリアス殿下に手柄を譲るって言ったんだ。ユリアス殿下自身も最初は受け入れなかったけど、結局折れた」

「待ってくれ……なんでそんなことを」

「昔からそうだったからだよ。この国では」

「そうだった、って……」

 そんなの、おかしいじゃないか。フェンはオルフェにぶつけかけた言葉を飲み込んだ。ぶつけたところで、どうしようもないということくらいは、フェンにだってわかった。

 だが、だからって。やりきれない気持ちで、フェンは目を落とす。報奨金が入っているという小袋が目に入った。

 望んでいたはずの金だ。

 けれど、これではまるで手切れ金のようだ。実際のところ、アッシュとしても、そのつもりなのかもしれない。そのことに、フェンは思い当たって。


 ――受け取れない。これは。


 顔をしかめたフェンは、踵を返す。足早にアッシュの部屋に向かって歩き始めた。

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