(3)
(あぁ、もう。瑛太のくせに生意気だぞー!)
もやもやしながら表参道を歩いていると、なんだかいい香りが鼻をくすぐった。
なんだろうと思っていると、〝いちご狩り〟という幟が見えた。
ハウスの中は、家族連れで賑わっている。
きゅう、とお腹が音を立て、そう言えば昼食を食べていないと気がついた。
瑛太は先程、油揚げを食べたからか平気そうだけれど。
「美味しそう」と思わず立ち止まると、瑛太は「俺の所持金は本を買うためだけにあるから」と、まるで興味がなさそうに先に進んでいく。
いちごのビニールハウスがある区画を過ぎて右に曲がると、次は梨畑。梨の白い花が枝びっしりと咲いている。こんな早くに花が咲くのか、と驚く。
そしてたどり着いた裏の畑は、住宅地に囲まれていた。
見上げると、神社の本殿と木々が見える。
敷地は思っていたよりも広い。どうやら、何人かで分割して使っているようだ。
春キャベツ、菜の花、レタスなどの葉物野菜、それからじゃがいも、かぶなどの根菜。バラエティに富んだものが、思い思いの方法で植えてあった。
池田さんは、敷地内のビニールハウスの中にいた。
ほわりと暖かい空気と、甘い香りが漂う室内には、匂いを裏切らない光景が広がっていた。
二メートル四方ほどのエリアに、いちごがずらりと並んでいたのだ。
これから色付くと思われる、青い実がたわわに実っている。
このまま行くと豊作だろうと思いながら見ていると、池田さんが赤くなった実を摘んで、籠に入れていく。そしてその中から薫と瑛太に五粒ずつ手渡した。
四センチほどの大きないちご。真っ赤に熟して食べごろだった。
口に含むと、甘酸っぱさと甘い香りが充満する。いちごというのは、どうしてこんなにも多幸感を与えてくれるのだろう。
「すごく美味しいです。表のいちごのハウスも池田さんが?」
瑛太も気に入ったのか、黙ってもぐもぐと食べている。
薫は残り二粒をゆっくりと味わった。
「いや。あっちは専門の農園。私のは完全に趣味だけど、直売所でも評判なんだ。一昨年からはじめたんだけど、楽しみにしてるって人も多くてね」
一瞬嬉しそうな顔を見せた池田さんは、一転して物憂げにため息を吐く。
「で……被害にあってるのは、ここなんだよねえ」
「ハウスだから、鳥や動物でもないみたいですね」
先に食べ終わった瑛太が、口を開く。
「私がいない間に減ってるんだ。しかも、まだ収穫には早いのまでなくなってる。けど、ずっと見張ってる訳にはいかないしね」
池田さんが力なく答える。
瑛太はおもむろに外に出た。そして、ぐるりと辺りを見渡して、池田さんに問いかけた。
「被害は平日ですか? 朝? 夜中?」
「てんでバラバラだね。唯一言えるのは、わたしがいないときってことだけで。鍵とか防犯カメラとかも考えたけれど、被害も小さいし……」
池田さんの答えは、なんとなく歯切れが悪い。
憂鬱そうにため息を吐く。瑛太はじっと池田さんを見つめていたけれど、
「じゃあ、見張っておきます。僕たちなら通行人の振りができますし」
と言い出した。
「見張るの!?」
薫が思わず問うと、瑛太は顔をしかめた。
「それしかなくない? 他にいい案ある?」
カミサマも憑いていることだし、もっといい案が出てくるのではと期待していた。甘かった、と薫は思う。
「それでよければ、家で待機していただけますか? 何かあったら連絡しますので、電話番号か住所を教えて下さい」
いつのまにか雨は上がっていた。けれど、まだどんよりとした雲が頭上に漂っている。見ていると、気分も重苦しくなってしまう。
池田さんは少し迷っていた様子だったが、最後には家の場所を教えてから帰宅した。
家は畑から少し離れた場所で、線路を越えて反対側のエリアにあるそうだ。
地図アプリをじっと見つめていた瑛太は、「うーん……やっぱりその可能性が高いかも」と難しそうな顔をして歩き出した。
「え、どこ行くの?」
瑛太はなぜか先程の神社に戻り、本殿の裏へと回る。
末社の隣にある木の陰からだと、畑の様子がよく見えた。
畑をにらみながら、瑛太がポツリと言った。
「池田さん、なにか別の事情がありそうだよな」
「事情?」
「なんとなくだけど……池田さん、実はここに見張りに来てたんじゃないかって思って。本殿に参らずに末社にだけ参るって変だろ。しかも神饌まで用意して」
「ああ、なるほど……そういえばそうかも」
池田さんの姿に、どこか不自然さを感じたのはそのせいかと思う。
「畑で見張ってりゃ、犯人は顔を出さない。けどここならって考えるのも、不思議じゃない」
たしかにこちら側が高台になっているので、向こう側からは見えにくい。恰好の見張りスポットだ。
「でも、池田さんがそれだけ見張って見つからなかったんだとすると、今日解決するのって難しいかな……」
スマホを出して時刻を見ると、もうすぐ午後1時だ。
さすがに何日も通う訳にはいかない。
未解決で放り出すのは申し訳ないと薫は憂鬱になるが、瑛太は意外にも「いや、可能性はある」と前向きだった。
「え、なんで?」
「んー……これは仮説だけど。池田さんは、犯人の予想はついているけれど、それを口に出せない理由がある。そんな気がするんだ」
「犯人を知ってる?」
予想外の説にぎょっと目をむくと、瑛太は頷いた。
「……そろそろ、家に戻ったかな。雨も止んだし……もしかしたら」
どういうこと? と薫が尋ねようとしたとき、住宅地の方からきゃいきゃいと小さなこどもたちの声が響いてきて、薫は畑に目を向けた。
「さー、いちごパーティーのはじまりはじまりー!」
こどもの集団の先頭には、誇らしげな小さな男の子。
小学校低学年に見える、やんちゃそうな男の子は、右手に何か握っている。目を凝らすと練乳だった。
その子はビニールハウスの扉を開くと、芝居がかった仕草で、「いらっしゃいませー!」と大きくお辞儀をした。
友達だろうか。男の子が二人と女の子が三人。なんだかびくびくした様子で、ハウスの陰で輪になっている。
「やっぱりこどもか……だから池田さん、被害届を出さなかったんだ」
瑛太が納得したように頷いている。
「止めないと!」
薫が飛び出そうとすると、
「でも、こんなことバレちゃうんじゃないのー? 怒られるよ?」
女の子の不安そうな声が聞こえてきた。
そして次に聞こえてきた声に、薫と瑛太は顔を見合わせた。
「大丈夫大丈夫。ばあちゃん、さっき戻ったばっかりで今家にいるし、もしバレても、俺のやったことだったら絶対怒んないからさ!」
曇天の下、どんよりした気分で薫は瑛太の後ろに続いていた。
「あの場で注意したほうが良かったかな……」
「でも未遂だったし、そもそも俺たち完全に部外者だろ。関係者を通すべきだし、池田さんの家族なら、余計に大事にするべきじゃない」
結局こどもたちは赤い実の少なさにがっかりして、次の機会にしようと解散していった。
大半がホッとした様子だったが、池田さんをばあちゃんと呼んだ男の子だけが、なんだか悔しそうに頬を膨らまし、石を蹴りながら帰っていった。
その様子を思い出したのか、瑛太が吐き捨てるように言う。
「とんだ糞ガキだな」
「でも怒んないって言ってたし……自分の家のものだと思ってたとか?」
「直売所に持っていってるってことは、あれは商品だ。それに家のものでも、黙って食べたらだめだろ。家で冷蔵庫の中身を勝手に食べると、母親マジギレしない?」
薫は、兄が勝手に母のプリンを食べて家庭内紛争が勃発したのを思い出し、半眼になった。
「だけどこどもなんだから、間違うこともあるよ。ちゃんとその場でだめだって教えてあげればいいんだよ」
諭しながらも、瑛太が厳しいのはそうやって育てられたからだと、薫は知っていた。
甘やかされた末っ子の薫と違い、瑛太は幼いころから祖父や両親に厳しくしつけられている。
普通、こどもだからと許されるところが、許されずに育ってきた。だから、自分にも他人にも厳しいのだ。
だけど、と薫は思う。
もうちょっとだけ自分に甘くなったら、生きやすいんじゃないかなあと。
彼を見ていると、たまに息苦しくなるのだ。
もっとゆるく行こうよと思う。けれど、そんな薫に、瑛太は苛立っているのかもしれないとも思う。
住宅地に向かうと、教えてもらった特徴をたよりに、敷地内に古い家屋と新しい家屋の二つがある家を探す。
池田と書いてあるほうのチャイムを鳴らすと、古い家屋から池田さんが出てくる。そして、後ろからは先程の男の子が現れた。
薫と瑛太の視線の先を知ると、池田さんは何かを悟ったような顔をした。
「そうか……たいすけか」
「やっぱりご存知でしたか」
瑛太の言葉に、池田さんははっとして口を押さえる。
「池田さんが家にいるときにしか被害が出ない、っておっしゃっていたので、もしかしてとは思ってたんですけど」
「……すまなかったねえ。でも、本人に訊いても『ちがう』って言っていたから……信じてたんだが」
池田さんは、一瞬目を鋭く光らせたが、結局は寂しそうに目を伏せた。
(え? 怒らないわけ?)
薫の母だったらここで雷を落とす。身構えていた分、拍子抜けする。
たいすけくんはじっと池田さんを見つめていた。
だが池田さんは、目を合わせない。
気まずい沈黙が広がるが、池田さんの口から他の言葉が漏れる気配はなかった。
やがて、
「なんだよ、なんだよ! ……ばあちゃんなんか、大嫌いだ!」
たいすけくんが言い捨てて飛び出していく。
池田さんは、はっとしたように顔を上げた。
そしてたいすけくんに手を伸ばしかけたけれど、結局引き止めずに手を握りしめる。
薫はかっとなる。
「追いかけなくていいんですか?」
一瞬びくりと池田さんが震えるが、彼女は結局ひどく辛そうな顔で、「私の出る幕じゃないんだよ」と言うと、力なくうなだれたまま家に入っていった。