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神様の名前探し  作者: 山本風碧
8/21

(2)

 雨の中、駅から線路沿いに少し歩くと鳥居が見えた。

 閑静な住宅街の中、ずらりと並ぶ赤い幟になんだかワクワクする。

 神社の石垣は比較的新しいけれど、中の本殿は随分と歴史を感じさせる古いものだった。

 鳥居の前の由緒の立て札を見ると、


「京都伏見稲荷大社から分霊……って書いてあるね」

「明治に造られたみたいだな」


 四つある鳥居は伏見稲荷大社を真似ているのか、間隔が詰めて立てられていた。

 二つ鳥居をくぐると左手に手水舎。この間の作法通りに手と口を清めると、参道へと戻る。

 最後の鳥居の前には、キツネの石像が置かれている。狛犬ではなく何と呼ぶのだろうかと思っていると、


「狛狐だ」


 と返答がある。そのままだった、なるほど。


「じゃあ狛ってなんだろ」

「王――ここでは祭神の意味になるかな――それを守る眷属のこと」


 よく知ってるなあと、神様関連については生き字引のような瑛太に感心する。

 雨脚は強まっている。

 スニーカーのつま先が濡れて、靴下に水が染み込んでくるのがわかった。


(これは早めに片付けないと……)


 本殿に向かって進む。

 雨だからだろうか。駅から近いというのに、人影はなかった。

 左手には小さなお社が四つ。二ノ宮神社では見かけないけれど、あれが末社というものだろうと思う。

 社務所の雨戸は閉められている。

 本殿の賽銭箱の前に立つと、傘を広げたまま足元に置く。瑛太がおもむろに腰を折る。

 二拝。二拍手。そして手を合わせる瑛太を見ると、いつもの問いが浮かび上がる。


(瑛太は何を祈ってるんだろ? 神様を信じてないのに、どうしてそんな真剣な顔で)


 真剣な横顔は、なんだかすごく綺麗だった。

 思わずじっと見ていると、最後の一拝を終えた瑛太と目が合う。「なにやってんだ」と思いっきりにらまれ、慌てて参拝する。

 二拝二拍手。そしてしばし願い事を心の中で唱えて、そして最後に一拝。

 参拝を終えて「ところで様子はどう?」と振り返ると、瑛太は末社の前で傘をささずにぼんやりしていた。

 どうしたのだろうと近づくと、その手にはなぜか油揚げ。


「え、瑛太? ちょっと、その手に持ってるものは――」


 様子がおかしい。

 嫌な予感がして、薫は彼の手から油揚げを取り上げようとした。

 だが、彼はひょいと薫の手を避けて本殿の裏側へと逃げた。

 薫の手を巧妙に躱した彼は、突如、油揚げを口の中に押し込んだ。


「うわあああ! ちょっとまった!」


 大丈夫それ! いつの!? 薫は青くなった。


「そんなにお腹空いてたわけ!? って、神様へのお供え食べちゃだめだよね!?」


 立ち止まった瑛太は、眼鏡を外し屈託なく笑った。


「これは神饌だ。ならば神に供えた後は人が食べて良いのだ。この者は人であろう? ならば問題ない」


 自分を指差して人と言う《彼》は、どう考えても瑛太ではない。

 薫は名前のないこの人を何と呼んで良いものかと考え、結局、便宜上こう呼んだ。


「……カミ、サマ?」


 これなら間違いではないから、失礼には当たらないだろう。

 すると彼はあっさり頷いた。


「エイタの妻か」


 まだ言っているのか。

 薫は驚きをあっさり捨てて、真顔になって否定する。


「違います。友人の、立花薫です」

「そうなのか?」


 カミサマは不思議そうな顔をした。

 だが、その顔をしたいのは薫のほうだ。何をどう見たらそんな勘違いをするのかが、わからない。

 むうっと顔をしかめていると、


「まあいい――薫とやら。もっとないのか。先程の。うまかった」


 カミサマは油揚げを持っていたほうの手を、ひらひらとさせた。


「油揚げですか? え、好物とか? もしかして、カミサマはお稲荷さまですか?」


 お稲荷と言えば油揚げ。

 まさか、名前探しがビンゴだったりするのだろうかと思って、興奮する。

 好物につられて、自分が何者かを思い出したのかも。ならば、お役御免だ。

 思わずガッツポーズをしようとする薫だったが、カミサマは何のことだと言ったふうに首を横に振った。


「いや、そんな名は知らぬ。単に腹が減っただけだ。エイタは栄養が足りておらぬから。金はあるくせにひたすら節制して、買い食いの一つもせん。

 この年頃の男はもっと食うはずであろう? 食わぬからこんなにひょろりとしておるのだ。なんでも良いからもっと食わせねば、私の仮宿が貧弱なのは許せぬ」

「……はぁ」


 言っていることに一部同意するものの、今聞きたいのはそういう話ではない。

 名前探しは失敗だろうか。先はまだ長そうだとがっかりする。

 だが、瑛太がいない今、薫が手がかりを得ないと前に進まないのだ。

 気を取り直して、薫は聞き込みを開始した。


「あの、じゃあ、なんで出てこられたんです?」


 前回は少年の祈りに反応して現れた。だが、今回は祈っている人は見当たらない。


「先程の神饌に念が残っておってな」

「油揚げですか?」

「うむ」


 カミサマがふと後ろを振り向く。

 なんだろうと思って薫も振り向くと、トボトボと参道を歩いてくる人影があった。

 とっさに薫は、カミサマを引っ張って木の陰に隠れた。

 人影の正体は、なんだか疲れた様子のおばあさんだった。

 腰が少し曲がっていて、首から手ぬぐいをかけている。年齢は七十を超えていそうだった。

 彼女は手水舎で手を清めると、なぜか本殿に向かわずに末社の一つに向かう。そしてしばし前でじっと佇んでいる。


(あれ? なんで本殿じゃないの?)


 傘から雨だれが落ちては、水たまりから跳ねかえる。

 おばあさんの足元は長靴だが、それを飛び越えるようにして、服に水玉のシミができていく。


(何してるんだろ)


 そのまま1分ほど、彼女はずっとその状態だった。

 だが、おばあさんはやがて小さく首を横に振ると、持っていたエコバッグから小さなお皿を取り出して、油揚げを載せた。


(あ、あの油揚げ、もしかして)


 お供えした本人だろうかと見つめる薫の前で、おばあさんは真剣な顔でお参りをしている。

 そして、辺りに響き渡るような大きなため息を吐くと、一拝して踵を返した。

 刹那。瑛太が彼とは思えない素早さで、おばあさんに近寄る。

 そして薫が止める間もなく「失礼。そなたの願い事は、五穀豊穣か?」と問いかけた。


(ちょっとー! カミサマ! 止めて!)


「す、すいません、この人、神社オタクなんです」


 薫は慌てすぎて、意味不明なフォローを入れた。おばあさんは目を数回瞬かせただけで、すぐに気を取り直して答えてくれた。


「五穀豊穣……まぁそうだねえ。ここのところ畑が不作続きで」

「畑――農家の方ですか?」


 薫は口を挟んだ。

 この辺りでは梨が特産品だ。だがおばあさんは小さく首を横に振った。


「いいや。家庭菜園みたいなもんでね。ここの裏に畑があるんだよ」


 おばあさんは社務所の屋根の下に移る。

 雨を避けるのだろう。ついていくと、彼女は社務所の縁に腰掛けて事情を話しはじめた。

 話相手がほしかったのかもしれない。

 薫の祖母も世間話が好きで、知らない人によく話しかけているものだ。


「老後の趣味なんだが……収穫する前にものがなくなっているんだ」

「え」


 ニュースなどでたまに聞く。収穫直前の農作物を根こそぎ盗っていく窃盗団。


「そ、それ、警察に行ったほうが」


 そう言うと、おばあさんはびくりと頬を引きつらせる。


「あ、いやいや、そんな大事にしたいんじゃなくってね。なくなるって言っても、一つ二つ消えてるだけで……もうそんなに記憶力がいいわけでもないし、気のせいかもしれないとも思ってね」


 いや、本当は気のせいであってほしいんだと、おばあさんは気難しそうな顔をしてつぶやいた。


「せめて、ここに来ると多少、気分が晴れるんじゃないかと思ってね」


 でも、それはおそらく神頼みでは解決しないと薫は思った。

 しょんぼりと立ち去ろうとするおばあさんを見ても、カミサマは相変わらず何のアクションも起こさない。


「助けてあげないんですか!」


 小声で尋ねるけれど、カミサマは「なぜだ?」と首を傾げた。


(じゃあ最初から相談を受けるなよー!)


 なんて無責任なんだと憤った薫は、「あの!」と思わず声をかける。


「なんだい?」


 ああ、これは瑛太に怒られるかなぁ、そう思いながらも薫は口を開いた。


「私たちで良ければ――ちょっと調べてみましょうか?」





 ぽつり、ぽつりと水たまりに小さな円が広がっている。

 雨は上がりかけて、時折晴れ間が覗いていた。

 いつの間にか起きた瑛太が、怖い顔をして薫を見ている。

 目をそらしつつ、薫は瑛太の事情聴取を受けていた。


「そーいうの、警察の仕事だろ。そもそも名前探しの本題からずれてるし」


 収穫がある、と畑に向かうおばあさん――池田さんは、少し戸惑ったような顔で、「ありがとう」と言って立ち去った。


「でも本人が訴えるつもりなさそうだし……でも困ってるし」

「で、なんで『私たち』でやることになってるわけ」


 薫は目を瞬かせた。

 兄たちに頼むときには「お願い!」と拝み倒すけれど、瑛太に向かってそうするのは抵抗がある。

 年長者としての――実際は同学年だけれど――プライドがじゃまをするのかもしれない。

 瑛太は兄たちのように頼ってよい相手ではない。

 ちょっと生意気な弟分。

 だから薫がやるなら、瑛太もやる。二人で一セットという意識だったのだ。


「別に手伝ってくれなくていいよ」


 なんだか裏切られた気持ちになり、思わずムキになる。


「一人で大丈夫だから、もう本屋に行ってくれば? お金使い込まれる前に行かないとだめでしょ」

「何意地張ってんだよ。一言、お願いしますって言えばいいんだろ」


 むうっと顔をしかめたまま瑛太は歩きはじめる。薫は目を見開いた。


「なに? 結局手伝ってくれるの?」

「自覚ないみたいだけど、おまえ相当危なっかしいんだよ」


 瑛太は吐き捨てるように言う。


「危なくなんかないし」

「どうしても一人でやりたいんなら、そう言え」

「いや、そんなことないけど……」

「『お願いします』は?」


 瑛太はどうしてもその言葉がほしいらしい。渋々口を開く。


「……オネガイシマス」


 満足そうににやりと笑われて、なんだか負けたような気持ちになる。


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