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神様の名前探し  作者: 山本風碧
3/21

二 屋敷神の正体(1)

 公園へ向かって細い道を歩いていると、ご近所さんが挨拶をしてくる。せまい町内なので、ほとんどが顔見知りなのだ。


「ねえ、神様って今どこに行ってるわけ?」

(って……よく考えたら変な会話だ)


 すれ違ったおじさんが訝しげに薫を振り返り、我に返った薫は声を潜めた。

 そもそもリアリストの瑛太が、「憑依された」と訴えている今の状況が変だと、薫は改めて思った。

 だが、長い付き合いで、瑛太がこういうバカげた冗談をやる人間ではないことは、よく知っている。

 至極真面目に、憑依されたと言う彼に必要なのは、「バカを言うな」という説教ではなく、むしろ医師の診断かもしれない。

 もし神様が瑛太に吸い込まれているのを見ていなければ、薫は彼を病院に連れて行ったと思う。


「アイツは、今は寝てんだろ」


 瑛太は通行人を特に気にせずに、いつも通りの声量で返事をした。


「神様でも寝るの?」

「さあ。ただ、俺が寝てるときに起きてるっぽいから、今は逆って考えたらそう表現するのがしっくりきただけ」

「神様が起きてるときって、瑛太は寝てるわけ?」


 瑛太は前を向いたまま、「んー」と唸った。


「なんとなく、意識があったりなかったり。夢を見てるのに近い。おぼろげに記憶があるし」

「ふうん、聞こえてたんだ……」


 瑛太は気まずそうに頭をかく。


「とにかく、手がかりみつけないと」


 せっかくのふわふわヘアーは、かき混ぜたせいでぐしゃぐしゃだった。

 いつもならば整髪料をつけていないから、すぐにストンと落ちてくるが、今日はワックスがついているせいで、頭は妙な癖がついたままになってしまった。

 でも、本人は気にしない。外見に頓着しないのは相変わらずのようだった。


(あー、とにかく、眼鏡が残念! めっちゃ残念!)


「ねえ、いっそ、コンタクトにしたら? 一気にモテるかもよ?」


 ふと心の声が漏れると、瑛太の絶対零度の視線が薫に突き刺さった。


「はぁ? これ以上散財させるつもりかよ、ふざけんな。今の状況、誰のせいだと思ってんだ」


 視線とともに怒りの矛先がギラリと向く。蒸し返されるのは嫌だと薫は慌てて話を元に戻す。


「でも手がかりって? 神様の名前を見つけるとか、見当がつかないんだけど」

「よくそれで引き受けたよな!」


 半ギレ気味の瑛太は、説明を続けた。


「まずは、現場検証だろ。あの壊れた社を調べたら、何か手がかりが出てくるかもしれない」

「なーるほど」


 瑛太が顔を上げる。釣られて顔を上げると、ちょうど十字路に差し掛かったところだった。

 左に曲がると、小学校を囲む古ぼけたフェンスが見えた。

 道を挟んで左右には、古い家が立ち並ぶ。自動車が一台通るのが精一杯の道を、小学生が駆けていく。薫もかつて、瑛太と一緒に集団登校や下校をした道だった。

 道幅が狭まるにつれて、どこか異次元へと向かうような心地になってくる。会話はなく、足音だけが狭い道に響き渡る。

 そして、一歩先を行く瑛太が知らない人に見えてくる。

 この人は本当に瑛太だろうか。確認したくなって薫は口を開いた。


「そういえば、どうして家の中に神社があるんだろうね」

「屋敷神だな」


 ぶっきらぼうな返答に、これは瑛太だと薫はホッとする。


「やしきがみって?」

「家の敷地内で、個人的に神を祀ってる社のこと。ほら神棚はわかるだろ?」


 瑛太は神主の孫なだけあって、神様には詳しいのだ。

 二ノ宮神社を誇らしげに案内していた幼いころの瑛太を思い出し、懐かしくなりながら、薫は弓道場にある神棚を思い浮かべた。

 薫は一応弓道部に所属しているのだが、古い道場には神棚が据えられていて、射場に入るときには神棚に向かって一礼をする。


「あれを大げさにした感じって考えればいい」


 瑛太の髪の上に薄紅色の花びらが舞い落ちる。

 自治会館前の桜は、昨日今日で一気に開いて満開だった。

 細い道をハルさんの家に向かって歩いて行くと、荷台に大量の荷物を載せたトラックが一台バックしてきた。

 この辺りは行き止まりが多いせいで、よく車が迷い込んでは立ち往生している。脇に避けて進むとハルさんの家に辿り着いた。



 無人の家はガランとしていた。

 先程のトラックの荷物はここのものだったのかもしれないと、ようやく気づく。

 カビや染みの付いた畳の上にはビニールシートが置かれて、大量の本や衣類などの遺品が無造作に積まれていた。

 どうやらゴミとの分別が精一杯で、分類などはまったく手付かずのままのようだ。

 暗い家の居間には神棚があった。

 木製の小さな社の他には、榊も御札も何もない。そのせいで、神棚は空虚に見える。

 もしかしたらもう神様はここにはいないのかもしれないと、薫は何となしに思った。


「――屋敷神か」


 隣で神棚を見上げていた瑛太が、踵を返して庭に出た。薫も瑛太に続いて庭に出る。

 柔らかい日差しが頬をなでていく。草むしりを終えた庭には青臭い空気が未だ漂っていて、社の残骸は放置されたままだった。

 燃えるゴミに出せるくらいにはバラバラだったけれど、社の形が少し残っていたため、迂闊に処分できないという判断だろう。

 禁止されているわけでもないのに、御札などを燃えるゴミに出せないのと同じ。神様が宿っていそうで、罰当たりな気がするのだ。

 遠巻きに社を見つめながら、薫は尋ねた。


「屋敷神って、普通は何を祀ってあるの?」

「さすがにわからなかったから、昨日調べたんだけど」


 瑛太はピースサインを出すかのように、人差指と中指を立てる。


「祖先を祀ってある場合と、一般的な神様を祀ってある場合の二つだ」

「祖先って、でも、それって仏壇とどう違うの?」


 素朴な疑問だった。

 薫の父方の祖母は数年前に他界していて、家には小さな仏壇がある。祖先を祀るというのならば、仏壇が正しい気がしたのだった。


「単に、神道と仏教の違いだろ」

「だから、その二つがどう違うのかって、聞きたいわけで」


 薫が頬をふくらませると瑛太は肩をすくめた。


「ほんとに? 古代の神仏習合から明治の神仏分離まで、詳しく教えてやってもいいけど、今聞く?」


 つい勢いで言ったものの、薫はすぐにご遠慮させていただこうと思う。

 そんな長くて退屈そうな講義など、聞きたくない。日が暮れる。


「いや、すみませんでした。できるだけ簡単にお願いします」


 げんなりと首を横に振ると、実は語りたかったのか、瑛太は少し残念そうな顔をした。


「人が祀ってある神社はあるんだよ。有名なものだと、日光東照宮。徳川家康を祀ってあるけど、家康は歴史上にたしかに存在した人物だろ」

「たしかに。だけど――人は、神になれるの?」

「実際に神社に祀られているってことは、なれるってことだ。……じゃあ、神って一体なんだろうな」


 瑛太はリアリストのくせに、昔から神様には妙なこだわりがある。

 神様を信じていないくせに、神様の存在が気になってしょうがない。

 事あるごとに薫にこうした議論をふっかけてくるが、小難しい話はよくわからなかった。


 薫は神様が存在しているような気がしている。

 そう言うと「なんで?」と問われるが、それは感覚的なもので、根拠を示せなどと言われても困る。

 ただ、神様がいないと説明のつかないような奇跡は世の中にあると思うのだ。

 ごくごく一般的な日本人の感覚だと思うのだけれど、瑛太は納得しない。


 いつもの議論がはじまる予感を感じ、目を泳がせた薫だったが、ふと、これは偶然だろうかと思った。

 神様を信じない瑛太に、神様が憑くということは。


「瑛太の中にいるのが神様なら、神様が何かを知るいいチャンスになるんじゃないのかな。だから、悪いことばかりじゃないよ、きっと」


 薫が笑うと、瑛太が顔をしかめた。


「薫はお気楽すぎなんだよ。……でもまぁ、そうかもな。少なくとも、非現実的な《何か》がいるってことはわかったし」


 瑛太はうむ、と腕を組む。気のせいか眉の辺りに漂っていた憂鬱そうな空気が薄くなった気がした。彼は言った。


「とにかく。もし祖先神だったらお手上げだと思う。だってさ、ハルさんの家系図をずっと辿らないといけないわけだけど、ハルさん身寄りがないから」

「でもほら、調べたら親族が見つかるかも」

「調べるってどうやって?」

「戸籍を調べたりとか?」

「あれって、他人が手に入れられるようなもんじゃないけど。身分偽って、勝手に手に入れたら犯罪だし」

「そうなの!?」


 知らなかった、と薫は顔を引きつらせた。


「ああ。だから、地道にハルさんの遺品を調べるしかないだろうけど……」


 瑛太が胡乱な目でハルさんの家を見つめ、そしてゴミ収集所を見つめた。

 昨日にはあった大量のゴミ袋は消えていた。

 そういえば、今朝は収集車が走り回っていた気がする。

 自治会長さんをはじめ、大人がゴミとそれ以外を分類し、ゴミ以外は、先程母屋に残っていた。だが、もしもゴミの中に手がかりがあったとしたら、今から焼却所まで駆けつけて、膨大なゴミの中から資料を救い出さなければならない。現実的に無理だと思った。


「ゴミを漁るのはさすがにきっついね……」

「もう燃えてる可能性だってある。せめて、昨日のうちに気がついてたらよかったな。迂闊だった」

「でも、一日じゃなんともならなかったと思うよ」


 瑛太は今日何度目かのため息を吐く。


「んー……ハルさんの身元調査もできないことはないんだろうけど、戸籍の違法取得ってなると、最終手段にしたいよな。一般的な神様を祀ってある場合に賭けたい」

「一般的な神様?」

「屋敷神に多く祀られてるのは《稲荷》《神明》《祇園》《熊野》《白山》《天神》《八幡》《若宮》の八つだ」

「いなり? ってあのお稲荷さん?」


 聞きなれない単語の羅列。

 馴染みのあるのは《稲荷》《祇園》《天神》《八幡》だけれど、ぼんやりとしかイメージできない。祇園については、地名という印象しかなかった。


「稲荷ってのは、日本で一番多く祀られてる神様で、たしか国内に三万以上の神社があるはず」

「三万? ってめちゃくちゃ多い」


 ぎょっと目をむく薫は、瑛太の次の言葉に更に目を見開いた。


「ああ。日本の神社の総数が八万って言われるくらいだから、相当多い」

「八万⁉」

「摂社とか末社とかまで含めたら、もっと多いんだろうけど」

「せっしゃ? まっしゃ?」

「うちの神社にはないけど、他の神社で見たことない? 本殿の他に小さな社があるところ」

「あー」


 そういえば、市内の大きな神社にはあったと思い出す。一度もお参りしたことがないお社が。

 いつ行っても扉が閉じられているので、なんとなく通り過ぎてしまっていた。


「あれってやっぱり神様を祀ってあるの?」

「当たり前だろ。本殿の祭神に縁の神様を祀ってある」


 瑛太が恐る恐る木片を拾った。だが何の変化も訪れない。瑛太は厳しい顔で木片を眺めている。


「……ねぇ、ほんとに神様、いるのかな」

「わかんね。けど薫、宇気比で負けたんだろ」

「そういえば宇気比って何? 占いみたいなものって言ってたけど」

「古事記にはよく出てくる。あらかじめ宣言を行って、どちらが起こるかによって、吉凶、正邪、成否などを判断するんだ。神様が言ったんだろ? 『晴れたら嘘は言っていない。だから、晴れれば信用して協力しろ』って」

「うん」

須佐之男スサノヲ天照大神アマテラスオオミカミの話は有名だけど、それも知らないか? 須佐之男が、高天原たかまはら――って言ってもわかんないか。古事記では、神々が住む天界みたいなとこ、って書いてあるんだが――そこにやってきたときに、主であった天照大神が、須佐之男が攻めてきたんじゃないかって疑ったんだ。

 だから、須佐之男が自分の邪心のなさを証明するために宇気比を提案した。で、自分の身につけていた刀から男が生まれれば、邪心はないから信じてくれと訴えたんだ。そして互いにこどもを産むことになったんだけど、天照大神の玉から須佐之男が産んだのは女神、須佐之男の刀から天照大神が産んだのは男神だったため、誓約が成立した。

 そんな感じで、この宇気比ってのは、本当に重要なここぞという場面でしかやらない、それこそ『神』にする『誓い』だ。薫がやったのはそれと同じこと。どれだけ浅はかだったか理解できた?」


 瑛太は最後に蒸し返してきた。

 薫はなんとか話を本題に戻そうとしたが、そもそも何の話をしていたのかわからなくなっていた。


「え、えっと何の話だったっけ」

「屋敷神の話」


 瑛太はそれ以上追及せず、サラリと本題に戻す。

 きついことは言うけれどさっぱりしている、瑛太のこういうところは嫌いじゃないと思う。


「さっき言ってた八つの神社って、具体的にどう違うの」

「神社の違いなんて突き詰めれば祭神の名、ただ一つだよ」


 名という言葉が強調された気がして、薫は首を傾げた。

 瑛太は遠い目をして黙り込む。

 自分の世界に入り込んだ瑛太を横目に、薫は本題について考える。


(その八つの中に、瑛太に憑いてる神様がいる可能性が高いのか……)


 それぞれの場所を順に思い出して指折り数えていると、瑛太がはぁあ、と大きなため息を吐いた。


「アイツと直接話せないのかな。そしたらもっと手がかり得られそうだし……なにより、文句言いたいことめちゃくちゃあるんだけど」

「じゃあ、わたしが代わりに訊いてあげるし、文句も言っといてあげるよ。わたしだって『うちの瑛太になにするんだ』って、文句言いたいし」


 瑛太がなんだか複雑そうな顔をしたとき、『七つの子』のメロディが鳴り響く。

 こどもに家路につくように知らせるものだが、高校生になってもあれを聞くと家に帰らなければならない気がしてしまうのは、小学生のときからの刷り込みかもしれない。


「そろそろ帰らないとな。残念だけど、ここにヒントはないみたいだし……収穫ゼロだな」

「そう? 屋敷神について考えればいいってわかったんだし、収穫あったと思うよ」


 瑛太の残念そうな顔が少しだけ緩んだ。


「だな。じゃあ……大変だけど順に神社をあたっていくか」

「瑛太は神社に詳しいし、きっとゴミ漁りより見込みあるよ」

「だといいけど。でももう新学期だ。時間ないだろ?」

「まぁ、放課後は部活だから。でも、それ終わってからなら大丈夫だけど」


 のんびりとした春休みの終わりを思って薫は憂鬱になる。

 二年になれば、文系理系のクラス分けもあり、進学について真剣に考えなければならなくなる。そこそこの進学校だ。課外授業も増えるだろう。


「いや、さすがに遅すぎるだろ。課題もあるし」

「ってことはお休みの日? 私、土曜も部活あるから、日曜でいい?」


 そう答えながら、ふと、瑛太と二人で出かけることなどあっただろうかと記憶を探る。

 家が近所で親同士が仲がいいので、顔を合わす機会は多く、親戚同然の付き合いをしている。

 だけど、父母や兄がたいてい傍にいたから、二人だけという機会はなかった気がするのだ。


「わかった」


 頷く瑛太はどこか楽しげだった。


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