(5)
予約サイトでは先払いのところが多く、クレジット決済が基本だ。普通の高校生である二人は、カードを持っていない。
当日、宿泊できる宿というのがまずほとんどヒットしない。検索順にダメ元で電話をかけてみるけれど、シングル二部屋の確保が難しすぎた。しかも高い。
ネットカフェやカプセルホテルなども調べてみたけれど、未成年という壁が立ちふさがった。
ネットカフェは青少年保護育成条例で、18歳以上じゃないと夜10時には追い出される。カプセルホテルは、保護者同伴でないと泊めてくれないのだ。
「ちょっと、どうしよう……海兄にもう一回頼む? 雑魚寝でいいからって。――け、けどさあ。絵麻さんがわざわざ千葉から出てきてるわけで!」
ブツブツと言っていると、
「薫、一人芝居は恥ずかしいぞ」
カミサマがツッコミを入れる。いつの間にか天ぷら定食の器は下げられているが、代わりにぜんざいとアイスクリームが置かれている。
思わぬ散財に青ざめるが、かまっている暇はない。頼りにならないカミサマのツッコミは放置した。
「あー……どうしよ……帰るしかない?」
スマホでバスの空席検索をするが、やっぱり、当日便はもう埋まっている。
「じゃあ新幹線?」
経路検索をしてみると、金額が倍以上。しかも、新京成の終電に間に合うには、遅くても夜の8時くらいには京都を出ないといけない。
「瑛太がいつ起きるかわからないし……さすがに北野天満宮に行かないと、帰れないよね……」
ため息を吐くと、薫は検索リストの次のホテルに電話をかけた。
そして何件目だろうか。時刻はもう午後3時になろうとしていた。瑛太は起きないし、諦めて海のところに頼み込もうかと思いはじめたときだった。
「え、空き室あります? でも一部屋……ですか」
薫はがっかりしながら電話を切る。と、そのとき、
「なんで同じ部屋ではいけないのだ?」
カミサマが不思議そうな顔をして言った。
「夫婦なら同じ部屋で構わぬだろう? むしろ私はそのほうが楽し――」
コーヒーを飲んでいたカミサマが突如、盛大に噎せるのを横目に、薫はツインの値段を確認した。シングル二部屋より安い。
そうだ。一部屋しかないなら、二人でそこに泊まればいいのだと、目からウロコが落ちた気分だった。
薫は検索条件を変えて、再び電話をかけた。
「ツインルームとか、和室の空きありませんか?」
受付のお姉さんがすぐに返事をくれる。
「あ、ありますか! じゃあ、それ一部屋予約をお願いします。ええと、立花です、電話番号は――」
そこでカミサマが薫のスマホを取り上げた。
カミサマは苦しそうに息を整えると、「すみません、今のなしでお願いします」と無理矢理に通話を終わらせた。
「ちょっとカミサマ、何してるわけ!」
薫は憤った。せっかく宿が取れそうだったというのに!
だが、直後、薫は目を瞠った。カミサマが眼鏡を掛けていた。
「誰が、カミサマだ」
瑛太だった。彼はケホケホと咳をして、胃の辺りをさすっている。
「瑛太! 起きたの?」
起きたということは、回復したということだ。
嬉しくて、ホッとして、破顔する薫を、しかし瑛太は怒鳴りつけた。
「薫、さっきの一番ヤバいやつだからな!」
「はぁ? え、今の状況わかってるわけ? あのね、宿がなくって電話かけてて――」
「わかってるから起きたんだろ!」
「じゃあ、もうちょっと早く起きてよ、メチャクチャ大変だったのに――っていうか、今電話切ったの瑛太!? なんで切るわけ!」
よくよく思い返すと、電話を切られたとき、瑛太の口調は戻っていたと思った。
カミサマに向いていた怒りの矛先は、直ぐさま瑛太に向けられる。
「あのさ。俺たちはもう高二なわけ。修学旅行でも同じ部屋にならないだろ!」
「そりゃあ、まあそうだけど。非常事態だし――っていうか、兄ちゃんとこでの雑魚寝と何も変わらなくない? むしろ快適だよ」
「いや、だからそういうことじゃなくて――――あぁ、もう……まじでこれ、おもかる石、当たってるんじゃ……」
「は? おもかる石がなんでそこで出てくるわけ?」
瑛太は何か言いよどんだ。
「とにかく、同じ部屋は絶対だめだから。陸兄が包丁持って飛んでくるから。シングルで探して」
瑛太は低い声できっぱりという。さすがにかちんときた。
「瑛太、寝てばかりで何もしてないくせに。こっちは山登りして疲れてて、更に非常事態に対処してたんだよ。偉そうにすんな!」
瑛太の視線が冷え込んだのがわかった。薫は臨戦態勢を取る。
散々心配させられて、さらにせっかくの案を潰されて腹が立っていたし、受けて立つつもりだった。だが瑛太は、
「この手は使いたくないけど。おまえ、まじムカつくし」
そう言うと薫からスマホを取り上げて、どこかに電話をしだした。
「あ、じいちゃん? 京都に知り合いの宮司さんいるだろ?」
意外な人物に目を丸くする薫の前で、瑛太は事情を説明している。
「ってわけで、うん。説教は帰ってから聞きます。とにかく宿坊を紹介してほしい。それか社務所の隅とかでいいから、貸してほしいんだけど――――え? あぁ、そっか、まだそこは当たってない」
瑛太がさらさらと何かメモを取っている。
075からはじまる番号は、どうやら京都市内の番号だ。
「助かった。ありがとう。うん、大丈夫。いざとなったら薫の兄ちゃんがいるし。――わかってる、ちゃんと薫の家にも連絡するから」
瑛太は電話を切ると、そのままメモをじっと見た。電話をかけると思いきや、立ち上がって食券を売っていた受付に移動した。
「宿泊希望の者なんですけど。本日、空室二部屋分あるでしょうか?」
ぽかんとするしかなかった。
「え、え、ここって宿――なわけ?」
「宿坊。参拝客専用の宿泊施設だよ」
驚きすぎて呆然としている薫の前で、受付のおじさんが、「ありますよ」と笑う。
「僕たち未成年なんですけど、保護者の同意書持ってきたら大丈夫ですか?」
おじさんが頷いた。
瑛太は勝ち誇った顔で言う。
「苦情は受け付けないからな」
瑛太はそのままロビーで海に電話をかけて同意書を書いてくれと頼んだ。
海はそこではじめて、瑛太が一緒だと知ったようで驚いていた。母は薫が行くという大雑把な情報しか、伝えていなかったようだ。
「ここまで同意書とお金を持ってきてくれるって。鈴木さんが伏見稲荷大社見たいって言ったらしくて」
「今から?」
瑛太は頷いて、スマホをいじっている。
「たしか『下鴨神社』の辺りだろ、海兄のとこ。なら京阪で一本だし、30分位かな」
「じゃあ、……北野天満宮に行ってたら受け取れない?」
時間がかなり押している。ノートを見ると、ここからかなり距離がある。時計の針は3時半を指している。
「電車とバスで1時間くらいのはず。帰ってくるころには6時、か」
瑛太は少し考えこんだ。
「今日慌てて行く必要もない、かな……明日にするか。明日からの計画も全部立て直さないとな」
瑛太が「明日の」ではなく「明日からの」と言ったことに気がついて、薫は生えたままの角を一度、押し込めることにした。まだまだ続く戦いのことを思い出したのだ。
休んで回復したようにみえるけれど、あてが二連続で外れた瑛太は、相当落ち込んでいるはずなのだった。
(北野天満宮まで回って……で、手がかりもなかったら……)
また眠ってしまうかもしれない。
考えたくないけれど、あんなふうに悲しいのはもう嫌だ。どう慰めるかを、今から考えておかなければならないかもしれないと思った。
4時になり、同意書を持ってやってきた次兄は、瑛太を見るなり、「誰だお前?」と笑った。
瑛太の変化のことを忘れていた薫は、絵麻さんと一緒に「すごいでしょ」と野次を飛ばす。
宿泊料のあまりの安さに驚いた兄は、食事代としてかなり多めにお金を置いていった。と言うより、二人で一泊して一万円でお釣りが来るというのが、おかしいのだった。
絵麻さんに引きずられるようにして、兄は伏見稲荷大社へ消えていく。
「雀の丸焼き食べたい〜」
と絵麻さんはごきげんだった。腕にぶら下がるようにして甘えているが、苦笑いしている兄もまんざらではない様子。喧嘩しても直ぐに仲直りをするので、今回も心配はしていなかったけれど、とりあえず薫はホッとした。
薫たちはそのまま宿にチェックインする。
受付のおじさんの説明によると、なんとこの宿には門限があった。そしてお風呂の時間が決まっていた。
「門限は10時やから、気をつけるんよ。って言うても、あんたら夜遊びするようには見えへんけどな」
かかと笑うと、風呂の時間を教えてくれた。こちらは9時までだそうだ。
「やけど、夜のお稲荷さんはオススメよ、できれば行ってみて」
薫が千本鳥居の灯籠を思い浮かべていると、瑛太は一人ずんずんとあてがわれた部屋に向かっていった。
薫もついていくけれど、足がひどく重かった。膝がぐらぐらする。
(あー、もう登りは勘弁……)
部屋は、同じ階だった。
「じゃあ、荷物置いてから……そうだな食堂に降りてきて。計画立て直したいから」
瑛太はそう言い置くと、部屋に入っていった。薫も自分の部屋へと向かう。
歴史ある――ぶっちゃけてしまうと古い外観を裏切ることなく、部屋もレトロな印象だった。だが、広かった。一人だけで使うのが、申し訳ないくらいだ。
畳の上に足を投げ出してみる。ついでのように大の字になってみる。疲れが床に流れていくような感覚。薫は、自分が相当疲れているのだと自覚した。
それはそうだ。昨日はバス泊で、良く寝たとは言い難い。そして今日の登山だ。疲れないわけがなかった。
ウトウトとしながら、起きないと、と自分に言い聞かせる。瑛太が待っているのだ。だが、体が全然言うことをきかない。
(瑛太……えいた、大丈夫かなあ)
なんとなく、彼を一人にしておくのが怖いのだ。
家なら家族がいる。だけど、ここには薫しかいない。それもあってツインルームはいい考えだと思ったのに。何かが気に入らなかったようだ。
(っていうか、昔は一緒に寝てたくせにさあ)
さすがに今、同じ布団で寝ろとは言わないが、同じ部屋で寝るくらいなんてことないと思っていた。
瑛太は違うのだろうか。一人だけ勝手に分別をつけて、大人になってしまったような気がしてもやもやする。
(あー、やだやだ、こういうのやだ…………)
*
「遅いな……寝てるか。これは」
食堂で待つこと30分。瑛太はスマホの時計を見つめると、ため息を吐いた。
食券を買わないと中に入りにくい雰囲気だったので、コーヒーを頼んだのだけれど、どうやら無駄になってしまうようだった。
疲れているのは自分も同じだ。だけど、やはり心配ではある。
電話をかけてみたが、留守電になる。メールもだめ。本格的に寝入っているようだった。
(また腹出して寝てんじゃ……)
物心ついたころには薫の家に泊まる事は日常茶飯事だった。薫の三人の兄たちと座敷に雑魚寝するとき、薫は必ず真ん中で寝ていたが、一番寝相が悪かった。
(あの延長なんだろうなあ)
幸せなこども時代の延長。
わかっているのだ。瑛太が勝手に意識しているだけだ、ということは。だけど、瑛太の目に映る薫は、彼女の兄たちとは別の生き物だった。いや、兄たちがいたからこそ違いが目立って見えたのだと思う。
一方、薫本人は昔から兄のお下がりが大好きで(母親は最初は可愛い服を着せたがったけれど、兄と違う服を嫌がったらしい)、兄と同じように遊ぶのが普通で、親に特に女子扱いされていない。
そのまま育ってしまったせいで、未だ違いを意識しないのだろう。
そして兄たちがいるからこそ、彼女には瑛太が兄と同じ生き物にしか見えていない。
兄たちが全員家を出た今、瑛太を別に見てくれるのでは、と淡い期待を抱いて今まで来たけれど……まだまだ時間がかかりそうだった。
ふと、朝に持ち上げた石の重さを思い出す。
ため息を吐くと同時に、瑛太は立ち上がった。
(倒れはしてないと思うけど……見てくるか)
部屋にたどり着いた瑛太は、来てよかったと思った。
鍵がかかっていなかったのだ。すぐだからとかけなかったのだろうけれど、本当に不用心で呆れてしまう。
(自覚がないにも、ほどがあるんだよ)
怒ったまま部屋に入ると、予想通り薫はすやすやと気持ちよさそうに眠っている。
学校には、こっそり化粧をする生徒も増えてきているけれど、薫の顔には未だそんな気配はない。
昨夜、バスで自分の指がこの頬に触れたときの感触を思い出したとたん、自らの意志で触れたいという欲望が湧き上がり、瑛太は慌てた。
「――薫!」
思わず薫を起こす。このままでいると、魔物に魅入られそうだった。何のために部屋を二つ取ったかわからない。
「んー?」
薫が寝ぼけ眼で起き上がる。そして、部屋の中をぐるりと見回して、今何処にいるのかを理解した。
「あ、ごめん、寝ちゃったよ――え、今何時?」
「もうすぐ5時だ」
「うわあ、ごめん! それじゃあどこも行けないよね!?」
「どこか行く気だったわけ?」
瑛太は驚く。北野天満宮に行くのをやめたのは、疲れているからという理由が大きかった。だから観光はやめて、休養を取るつもりだったのだ。
「だってせっかく来たんだし、もったいないじゃん。京都は観光地多いのに」
「無理して疲れてもしょうがなくないか? 明日の朝、早く起きて移動したほうが効率的」
「そうだけどさあ……美味しいもの食べに行くとかいろいろ」
「美味しいものはもう、食ったと思う」
財布に残されていたレシートを見て愕然としたのは、先程のことだ。
最高額の天ぷら定食にぜんざいにアイスクリーム。その上、稲荷山の茶屋で団子と抹茶とあんみつまで食べているのだ。
瑛太の目が据わる。薫が慌てている。
「っていうか、ここで充分だろ。うまかったし。あてもないんだし、他に行って疲れるほうがもったいない」
「ん……うーん」
薫は案外、食い意地が張っている。というより冒険が好きなので、同じところで二食続けて食べるようなことができないのだ。
瑛太だったら、むしろ味を知っているから安心できるのだけれど。
「それより」
まだごねそうな薫を遮って、提案をする。
「飯食って、風呂入ってから観光すればいいんだよ」
「えー? でも夜に見て回れるところとか――」
「さっき受付で話聞いてなかったのか?」
「あ」
瑛太は、本殿がある方向を指差した。
「ここに泊まるんだから、行かないのはもったいなくないか?」




