表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様の名前探し  作者: 山本風碧
16/21

(2)

 仮宿の主が目をつぶり、夢の中へと落ちていくのと入れ替わるようにして、《彼》は目を開けた。

 いつも通りの風景を予想した《彼》は、開いたばかりの目を瞬かせた。


「ふむ?」


 隣には仮宿の主の妻――いや娘は否定していたが――がすやすやと眠っている。

 いつの間にそういうことになったのだろうかと、首を傾げる。意識は大体共有しているけれど、そういう決定的な事柄は起こらなかった気がするのだが。


「うむ?」


 そして《彼》は、自分が横になっているのは寝台ではないことに気がついた。

 腰掛けている椅子は、随分と座り心地の良いものだったが、どう考えても寝床ではなく、どうやらここは寝室ではない。

 しかもガタガタと、揺れが体を覆う。移動中のようだと、《彼》は納得する。


「そういえば、旅の予定を立てていたか」


 行き先が伊勢にならなかったことには、妙にホッとしていた。


(伊勢――アマテラスのいる場所)


 アマテラスと聞くと心が騒ぐ。不快さがせり上がる。

 その辺りに名前の手がかりがある気はするのだけれど、どうしてもその場所に行く気がしない。その理由が自分でもよくわからない。

 エイタたちが言っていたように、彼女と喧嘩をしたのかもしれないが、その記憶のかけらもつかむことができないでいる。

 仮宿から抜けて、早く自分の名を取り戻したいはずなのに。


(あぁ……そうか)


 ふと《彼》は、この体を気に入っていることに気がついた。

 どうせ、この体が朽ちてしまうまでには、まだ時間がある。居心地がよい仮宿は、本物の宿でもよいのではないか。そんな気もしてきたのだ。

 ここにいれば、人間どもの自分本意で一方的な願い事を聞かなくてよいし、人の身勝手さをエイタの口を使って直接ぶつけることもできるのだから。

 困ったときの神頼み、などと言うが、人は容易に神に頼りすぎる嫌いがある。

 一歩踏み出せばいいだけの話なのに、その一歩を踏み出すことをせずに、願いを叶えてくれと安易に頼みに来るのだ。


(まぁ、それが人というもので、だからこそ神が必要とされるのだが)


 自らの存在について考えはじめた《彼》は、だが途中で考えを放棄した。


(……まあよい。折角の機会だ。もう少し、人としての俗な楽しみを味わうのもよいではないか)


 隣にいる娘をじっと見つめる。

 指を伸ばし、そして頬に触れる直前で止めた。


『止めろ――!』


 仮宿の主が、猛反発をしたのだ。

 体の内側から、殴られたような感覚。

 痛みという新鮮な感覚を味わう。今までにない反応に、《彼》は目を見開いた。


(これは、珍しい)


 滑らかな肌の感触は、仮宿の劣情をさぞかし煽るであろうに。


「誰よりも触れたいと思っているくせに、なぜ止める?」


 そうつぶやくと、


『それは、俺のものだ。俺の意識がないときに、薫に触れたら許さない。そんなことをしたら、出てこれないように封じ込めてやるからな!』


 と、心の中から叫び声が聞こえた。驚きが、喜びに変わった。

 今までにない反応。これは、面白い。たしかに眠っているのに、夢の中で戦っているのだ。


「指一本触れられないくせに何を言う。臆病者を手伝ってやろうというのに」


『余計な世話を焼くな』


 娘との関係が壊れるのではないかという恐れが勝って、触れられないのだ。

 近すぎる関係は壊れると脆い、ということをエイタはよく理解している。

 だからこそ、願いを叶えたければ、ほんの少しの勇気を出すだけだというのに、その一歩を踏み出せずにいる。愚かしくも可愛い人間。

 不快さをこらえて指先を伸ばすと、娘の頬に触れる。

 とたん、みぞおちを殴られたような凄まじい衝撃とともに、猛烈な反発心が湧き上がった。


「っ――――!」


 胃の辺りを押さえて手を引っ込める。吐き気はひどかったが、ぎりぎりと歯噛みするエイタを想像すると、笑いがこみ上げてきた。


(これも一興)


 たまらずくつくつと笑みをこぼすと、前の椅子に腰掛けた娘が迷惑そうに振り返った。そして彼と目を合わせた途端に、顔を赤くした。


(この姿は娘の気を引くらしいな)


 学校とやらでも、瑛太に色目を使ってくる娘がちらほらと増えだした。

 だというのに、その武器が使いたい相手にはまったく効かないのが、たまらずおかしい。

 有効なはずの買い物を、散財とエイタが言うのはそのせいだ。


(買ったものを素直に着ているのは、褒められたいからであろうに)


《彼》は窓ガラスに映る姿を眺めては再び笑う。

 そして鏡像の向こうに横たわる夜の闇を満足そうに見つめ、静かに目をとじた。



 *



 5月5日、午前7:00。定刻より遅れてバスが京都駅に到着した。さすが大型連休だ。深夜にもかかわらず、高速で渋滞が発生したのだった。

 3、4日という案もあったけれど、4日まで伏見稲荷大社で還幸祭という大きな祭りがあるということで、あえて避けた。祭りは見たいけれども、主目的は観光ではないし、時間を取られて目的を果たせなかったら本末転倒だからだった。


 バス停からバス停へ。市営バスに乗り込み、北へと向かう。

 陸は最後まで伏見稲荷大社を最初にするスケジュールを推していたけれど、こればかりは目的があるので譲れなかった。

 だが、隣に座る瑛太はどことなく顔がこわばっている。

 薫は気がかりを口にする。


「カミサマ、出てくるかな?」


 先日の神明神社では出てくることさえしなかったのだ。まだいるのだろうかというくらい姿を見ていないせいで、不安になってくる。

 瑛太はとたん眉間に深いシワを寄せた。


「夜に出てきてた。あいつはまだ寝てるみたいだけど――マジでしばらく出てくるなって感じ」


 昨夜、バスで寝てる間に何かあったのだろうか。ひどく憤っている。


「でも出てこなかったら、名前探しが進まないと思うんだけど」


 素朴な疑問をぶつけると、瑛太は複雑そうに顔をしかめた。


「わかってる。神社で出てくるのは問題ない。問題ないんだけど、あー……、なんかもうムカつくんだよあいつ」

「……なんかあったわけ? また散財? でもバスに乗ってたからお金使えないよね?」


 薫は不機嫌の原因に想いを馳せるけれど、瑛太はさっさと話題を打ち切った。


「ここで命運が分かれる。早くアイツを追い出さないと」


 そう言うと、瑛太はぴりりと表情を引き締めた。

 張り詰めた表情が痛々しい。

 緊張しているのかもしれない。それはそうだ。もしかしたら八坂神社が一連の名前探しの旅の終点かもしれないのだから。


 バスが祇園に到着する。

 四条通りと書かれた標識が道沿いに立てられている。大きな四車線の通りを車が行き来していて騒がしい。まだ8時前と早い時間なので、店は閉まっていて、チェーン店だけがちらほらと開いている。

 どちらに行けば、と視線を動かした薫は、ある一点に目を留めた。


「瑛太、あれ――」

「あれだな」


 大通りの突き当りに、朱色の楼門があり、存在感を示していた。

 思わずゴクリと喉が鳴る。武者震いなのか、震えが湧き上がる。

 瑛太の顔は白い。励まそうと軽く叩くようにして背を押した。


「行こう。瑛太。だめでも、死ぬわけじゃないんだし大丈夫だよ。責任持って、最後まで付き合ってあげるから」


 そう言うと瑛太は肩の荷が下りたのか、ひどく安心した顔をした。




 楼門正面に辿り着くと右側に立派な石碑があり、【八坂神社】と書かれていた。

 人はやはりまだ少なかった。無言のまま楼門をくぐる。左手に手水舎があり、手と口を清めて参道を行く。

 参道は右に折れ曲がっている。鳥居をくぐりぐるりと周回して本殿へと向かう。道の脇には露店が並んでいるがまだ営業前だ。

 途中左側に縁結びの神という立て札があり、興味を惹かれる。主祭神に縁の神々を祀る末社だ。


(大国主命、かあ)


 立て札に目が行く。たしか因幡の白兎の神話の神様だ。もっと詳しい説明がほしいなと思ったけれど、本題に集中しているのか、瑛太はまったく反応することなくずんずん先へと進んでしまう。


(瑛太って、そういうの興味ないのかなあ)


 薫も大概疎いほうだけれど、瑛太は更に上を行く気がする。そんな考えが頭をかすめるが、名前探しが終わるまでは浮かれていてはいけないと、薫は自分に言い聞かせた。

 もしここで解決すれば、あとの日程はすべて観光に充てられるのだから。今は名前探しに集中しようと肝に銘じた。

 参道を進むと、提灯がずらりと掲げられている建物が見えた。あれはなんだろうと思って首を傾げると、


「あれは舞殿」


 と瑛太が小さくつぶやく。


「踊るの?」

「踊るんじゃなくて、舞うんだよ」


 瑛太はそっけない。本番を前にそれどころじゃないのだろう。彼はそもそも舞殿を見ていなかった。彼の意識はもう、舞殿の左側に移っているのだ。

 そこには本殿が鎮座していた。

 楼門と同じく朱塗りされた柱、白い壁、そして大きな檜皮葺の屋根。


「大きいね」


 感想を漏らす。そして瑛太の横顔をじっと見つめる。彼は息を呑み、ただ本殿をにらみつけている。

 一歩、二歩と前に進むと、本殿の前に立った。

 二拝二拍手。そして手を合わせ、願う。


(どうか、どうか、瑛太が早くカミサマから解放されますように)


 一礼して脇に避けると、瑛太を見つめる。

 彼は、どこかぼんやりと本殿の奥を見つめていた。

 訊くのが怖いと思いながら、「……どう?」と尋ねると、瑛太はひどく落胆した様子で「……何も、変わらない。っていうか、あいつ、起きもしないし」と言った。

 目の前が暗くなる薫の前で、瑛太が大きなため息を吐いて、空を仰いだ。

 瑛太の目の中の陰は、驚くほどに濃かった。

 瑛太の落胆は、薫の比ではないと思った。こんなところまで来て、成果どころか手がかりもまるでないなど、ショックに決まっている。

 だからこそ自分がしゃんとしないと。

 薫は「よし!」と大きく息を吐く。


「次だよ、瑛太。スサノヲがリストから消えたって思えばいいんだよ。一個ずつ消していこう、ね? そしたらいつか絶対見つかるから」

「……」

「予定通り稲荷に行こう。伏見稲荷大社。三個もあるんだから、京都で最悪でも三つは消える。そしたら残りは五つだよ」


 本当にそうだろうか。前提条件が間違っていないだろうかという不安がよぎるけれど、励まし続ける。

 瑛太はうつむいて押し黙っている。ここだ、と希望を持ってやってきたのだ。そう簡単に立ち直れるわけはないと思う。

 観光気分で行くつもりだった次の神社、伏見稲荷大社は、どうやら名前探しのために行くことになってしまった。

 正直に言うと、薫だってものすごくがっかりした。一緒になって落ち込みたかったけれど、瑛太がこんなふうに落ち込んでいるのは見たくなかった。

 とそのとき、瑛太が真っ青な顔でその場にしゃがみ込んだ。


「……わる、い、俺――実は、さっきから吐きそうで……」

「え!? なんか悪いものでも食べた!?」


 と言ったものの、すぐに違うと気づいた。なぜなら、まだ今朝は朝食を食べていないのだ。


「いや、これ、多分――」


 瑛太は右目を細めながらぐるりと境内を見回して、ある一点に目を留める。そして目を見開いた。


「あれって――あぁ、そうだった、姉弟なんだから、ここにないわけないんだった……!」

「瑛太? なに? どうした?」


 瑛太は顔を背けて、指だけでそちらを示している。見ると、そこには真新しい白木の鳥居があり、奥に社が二つある。立て札を読みたいと思ったけれど、目の良い薫でも距離がありすぎて見えなかった。

 瑛太は苦しげに胃の辺りを押さえると、よろよろと出口へと向かう。


大神宮社だいじんぐうしゃだ。だめだ俺、――ここから出たい――戻ろう、すぐに」


 それが何なのかはわからなかったけれど、


(この間と同じ……! ってことは、アマテラス縁のものだ!)


 直感で理解した薫は、すぐに瑛太を支えるようにして参道を戻った。

 八坂神社の楼門を出た辺りで、ようやく瑛太の顔に血色が戻ってきた。ひとまず、楼門の前の階段の隅に瑛太を座らせる。


「ねえ、いまのって、この間と同じ?」


 瑛太は頷いた。


「なんか、もっと強烈だったんだけど……そういや、なんか式年遷宮のあとに伊勢から撤却材を運んだとかなんとか……あぁだめだ……頭もいてえ、最悪」

「どこかで休憩して考えよう? ほら、スタバあったよさっき。それとも――」


 これでは旅の続きは無理だろうと思った。帰る? と言いかけたが、瑛太は先回りして遮った。


「次、ちゃんと行くから。薫の言う通り、ここで潰せるだけ潰しておかないと」


 こめかみをもみながらではあるけれど、瑛太の声には力が戻ってきていた。

 薫はホッとする。

 どうやら、さっき沈んでいるように見えたのは、気分の悪さもあったらしい。

 瑛太は顔を上げて前を向く。瞳の中に先ほど見えた陰は、大分薄くなっていた。

 瑛太はノートを取り出して目を落とす。そして、力強さを取り戻した目をして言った。


「このまま伏見稲荷大社に行く。京阪で一本だ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ