(2)
やってきた日曜日。
薫と瑛太は細い道をてくてくと歩いていく。
いつものように地図アプリで検索すると、学校から徒歩10分ほどのところに小さな神明神社があるとのこと。
車通りが多く自転車が通りにくい道なので、散歩も兼ねて歩くことにした。
瑛太のスニーカーはまだ真新しく、紺色の靴に入った山吹色のロゴが眩しい。
ジーンズともよく合っている。お洒落な髪型といい、カミサマのセンスはなかなかいいなあと思う。
(まあ、元がいいから磨き甲斐があるってのもあるのかもね)
薫といえば、歩くと聞いていたせいで特にお洒落をすることもなかった。
いつも通りのパーカーにジーンズだ。
気が抜けていると言えば、抜けているけれど、これが楽なのだ。瑛太相手に気取っても仕方がない。
高校の裏門から出て、ぐるりと回ると弓道場が見えた。
今日は練習が休みだけれど、自主練をしている部員が数名いた。
フェンス越しに手を振ると、部員たちはぎょっと目をむく。
だけど、一緒にいるのが瑛太だと気がつくと、珍獣を見るような顔になった。
「ニノミヤ? え、まさかデートじゃないよね?」
「当たり前じゃん」
カラカラ笑って返すと、彼らは一様にホッとした顔になる。
それを見ていて不可解な気持ちになる。幼馴染というのは皆、知っているはずなのに、なんでそこまで反応するのだろう。
なんでも色恋沙汰に結びつけるのは、そういうお年頃だからだろうかと考えていると、瑛太はむっつりと顔をしかめたまま薫に問いかけてきた。
「薫は自主練出なくていいの?」
「んー、インターハイのメンバーになれなかったからねえ。メンバーが優先して練習することになってんの」
へらへらと笑って言うと、瑛太は渋い顔をする。
「あんだけ毎日練習してるのに?」
「弓道ってセンスが大事だから。っていうか、部員多すぎなんだようちの学年。あ、でもまだ全部終わったわけじゃないからね!」
言いながら少し息苦しさを感じる。
実を言うと、張り切って練習し過ぎたせいで、左手の肘を痛めてしまっているのだった。
あと一歩でレギュラーだったので、故障には落ち込んだ。だから、こうして日曜日に出かけられるのは良い気晴らしになる。
(って言ったら、きっと心配するだろうなあ……)
あえて黙っていると、じっと見つめられてぎくりとする。
何か不自然だっただろうか。
小さなころから姉弟同然。馬鹿正直に本音をぶちまけてきたせいで、瑛太に隠し事をするのは本当に苦手だ。というか、何がまずいのかすぐバレてしまう。
バレる前にと、薫は話題を変えた。
「そういえば、神明神社っていうのはどういう神社?」
探るような目をした瑛太は、口を開いた。
「祭神は天照大神。総本社は三重県の『伊勢神宮』。さすがに聞いたことあるだろ?」
「ああ――――うん。さすがに知ってる」
その名を聞いたことがない日本人は、いないだろう。
実を言うと、伊勢が三重県にあるのは知らなかったけれど、きっと呆れられるので黙っておく。
「日本の総氏神と言ってもいい。日本人が好きな神様、ナンバーワンだな」
アイドルのような表現で、思わず笑ってしまう。
横断歩道を渡って暫く行くと、「神明神社」と書かれた石碑があった。
国道から細い脇道へと入ると、がらりと世界が変わる。左右から樹木が枝を伸ばしている。
影が妙に濃い気がして思い出す。先週も先々週も雨だったなと。
久々の晴れ間のせいか、視界が眩しいのだ。
そのせいか、瑛太の顔がどこか青白く感じた。
瑛太も眩しそうに空を見上げる。
ほんの数日前まで、たしかに春の陽気だったというのに。夏に向けて、太陽は力をつけはじめているかのようだ。
「太陽がなければ生きていけない。だから太陽崇拝っていうのは世界各地にあるんだけど、日本の太陽神の女神は天照大神だ。同時に天照大神は、日本の皇室の祖神でもある」
「皇室?」
気後れして問い返す声量は控えめになってしまった。
瑛太はくすりと笑う。
「薫も、皇室に対して畏敬の念を感じるだろ?」
言われて、口の重さの原因に気がついた。
日本国の象徴。なんとなく、軽々しく出して良い話題ではない気がするのだ。
「初代天皇が誰か知ってる?」
瑛太は淡々と続けた。
「んーと……」
どこかで聞いた気がする。だけど思い浮かばなくて唸っていると、瑛太は薫の答えを待たずに性急に言った。
「神武天皇。で、神武天皇は古事記では天照大神の子孫だって言われてる。つまりは天皇は神――アマテラスの子孫だと、古事記では言っている」
「……」
祖神という言葉をそんなふうに言い換えられると、気詰まりは大きくなった。
話はどこへ向かうのだろうか?
どうしてか、タブーに触れているような気になって薫は戸惑う。
遮りたいような気分だったけれど、何かそれをさせない雰囲気が張り詰めた表情の瑛太にはあった。
「古事記っていうのは、つまりは初代天皇の神武天皇が誕生するまでの建国神話だ。当時の日本の覇者、大和朝廷が作った天皇家の正統性を示し、地方を従えるための政治的な神話。そして、天皇家の系譜は途切れずに今まで続いている。
だけど――現実を見てみると、今上天皇はどう考えても人であらせられる。ってことは、神を自らの存在で否定されておられることになる。ってことは、神話は単なる作りものの『物語』なのか? そこに出てくる神様は――天照大神だって存在するかわからないってこと?
そういう矛盾に目を向けずに、人は神に祈ってる。だけど、俺にはわからない。神って一体なんなんだ。――俺の中にいるこれは、一体――」
息を継ぐのも煩わしいと言った感じでそこまで言ったとき、瑛太はぐっと胸を押さえて立ち止まった。
矢継ぎ早の発言に、半ば唖然としていた薫は我に返る。
「瑛太?」
「わる、い――俺、ちょっと、ヤバい」
瑛太の顔は真っ青だった。
「え!?」
さっき青白いと思ったのは、気のせいではなかったのかと薫は動揺する。
瑛太を道の脇に寄せて、スマホを取り出す。家には母がいたはずだ。
「瑛太、今、うちのお母さんに迎えに来てもらうから」
「いや、いい。とにかく俺、『ここにいたくない』――ここを出よう、薫」
先程通り過ぎた石碑を越えると、瑛太の顔に穏やかさが戻ってきた。
さっきの『ここにいたくない』という発言も併せて考えると、原因は神社にあるような気がした。
「あの神社に何か、あるのかな」
振り返って見る。鳥居もくぐることができなかったが、本当に小さな神社だったと思う。
「カミサマが天照大神ってことはないよね? それでなんか反応したとか?」
問いかけてみるけれど、瑛太が「わからない」と顔をしかめるだけ。
カミサマが現れていない状態では、答えが返ってくるはずがない。
いらないときに出てくるくせに、出てきてほしいときには出てこない。つくづく、面倒な相手である。
「何か、関係はありそうだけど。突然、内側から殴られたみたいで……」
振り返った瑛太は口に手を当てる。
「なんか、吐きそう」
薫はポケットからハンカチを取り出して手渡した。
「それって、この間の油揚げのせいじゃないよね?」
「あれはさすがに治った」
うんざりと言うと、瑛太は高校の方へと歩きはじめた。
神社から離れるにつれ、足取りが軽くなっていってホッとする。
道を挟んで高校の反対側には小学校があり、桜の枝が青々と葉をつけていた。少し前までは桜のアーチだったのに、こうなるまでは本当にあっという間だ。
歩道の濃い影を踏みながら、駅に向かって歩く。
線路を越えれば薫と瑛太の住む七森町。そのまま帰るのかと思ったけれど、瑛太はそのまま駅へと入っていく。
「え? 帰らないの? どこに行くわけ?」
慌てて改札の前で引き止める。
「津田沼」
「はぁ? なんで」
「本を買ってないんだよ。先週、本屋行けなかったろ」
「あー、古事記とかなんとか言ってたっけ。まだ買ってなかったんだ」
思い出したが、今日は絶対に無理をしないほうがいい気がする。そう言ったが、瑛太は頑として譲らない。
「どうしても調べたいことがある。今日行かないと来週になる。解決がどんどん遅くなるし、最悪、また別のもので散財されるし」
カンカンカンカン、と甲高い音とともに踏切が閉じて家までの道が遮られた。
言い出したら聞かないのはわかっている。
少し悩んだけれど、瑛太の青白い顔が気になった薫は、そのまま瑛太と一緒に電車に乗り込むことにした。




