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『えー、<特殊生命保険センター>とは1892年、17代内閣総理大臣、今野 永利により設立された機関であり――』
チョークが黒板に打ち付けられ、擦れる音がする。重いような、軽快なような。
孝明は新しく追加された文字列をノートに書き込んでいく。
『2012年、現内閣総理大臣の畑市 昭彦により『改正・特殊保険法』が制定された。これは<センター>の利用を無償化するというもので、えー、『旧特殊保険法』の時代は<センター>の利用に千~13万円ほど費用がかかった。この費用を無償化することで、<センター>の利用者は格段に増加した』
『先生、どうして<センター>の利用者が増えるような事をしたんですか?』
孝明の斜め前に座っている女子が教師に質問する。成績優秀で、いつも解らないことはその場で質問をする子だ。
『いい質問だ。そもそも、なぜこんな機関ができたのか。そこから話そう』
クラス中が雰囲気を察して少しざわつく。これは、いつも話が長くなる予兆だ。
『この国には他国にはない考え方がある。みんなよく知っているだろう、『死の自由』だ。全国民は中学校に上がると同時に<センター>の利用を許可される。小学校で『いのちについて』は習っただろう。ある程度物事の判断がつく年齢になったとして、中学生から『死の自由』を認められる。この考え方はこの国独自の宗教観によるもので、えー、まあ倫理の授業で習ってるだろうから詳しいことは省くが、『精神的苦痛からの解放』を根底にもつ』
『でも、必ずしも死が救済ではないと山田先生は仰っていました。元々は『神に祈り信じることで苦痛から開放される』と……。』
『だが、当時の宗堂(※宗教施設。寺院や教会のようなもの)では神の教えと称して国民に大量の麻薬を讓渡していた。これが有名な“456楽寺事件”。この件に関与していた4代目総理大臣、楽寺 縁季ら12名は死刑判決になっている。楽寺首相は宗堂の一つである楽寺堂の長で、政府と宗教の関係について随分な議論が繰り広げられた事件だ。結果として『政治に宗教の口出し無し』の今の体制が取られるようになったわけだ。
で。随分脱線したが、その後宗堂は解体され、それに変わる施設が必要になった。それが<特殊生命保険センター>、安らかな死をもたらす施設。政教分離が唱えられている訳だから、宗堂のような働きはない。
ではなぜ<センター>が必要になったのか。それは『自殺者数の増加』が原因だ。薬物に頼って辛いことから目を背けていた人々が宗堂の閉鎖により大量に首を吊った。まあ、あれだ。言い方は悪いが、後処理が大変なんだよな、自殺は。1892年、政府は倫理的観点から実用を先延ばしにしていた<特殊生命保険センター>を導入。だが、<センター>の利用費が高いことがネックとなって利用できないという国民の声が少なからずあったらしい。それで政府は無償化に踏み切った。無償化は国民の声だったわけだ。
ちなみに、<センター>を死ぬだけの施設だと思ってるやつは多いだろうが、<センター>の役割は大きく二つ。1つは『死の提供』、もうひとつは『心理カウンセリング』だ。後者はあまり知られていないな。うちの学校にもあるだろ、相談室。あれより専門的な感じだ。『旧特殊保険法』時代は利用するのに大体千円程度の費用がかかったんだが、今は無料で受けられる。気になるやつは行ってみるといいぞ』
ベッドに寝転がり授業ノートを見返していた孝明は、何気なく聞いていた教師の話を思い出してノートを閉じた。
先日参加した首相の『送り出し』で出会った相原という職員の言葉が思い出される。
『この国のために必要な制度だから――』
人が死ぬ制度など、必要だとは思えない。授業で言っていたこと以外に、何か真意があるのだろうか。
「聞きに行ったら、少しは教えてくれるかな」
西日の射す室内は琥珀色の海に沈んでいるかのように穏やかで、暖かく感じられる。
突然、玄関の扉を荒々しく開ける音がして孝明は身を強張らせた。ゆっくりと体を起こし、息を殺して机に向かう。椅子に座り、ノートを開いたところでリビングからガラスの割れる音が響いてきた。
――ああ、まただ。
母は時折、感情が制御できなくなる。その時々に気に食わないものを壊さなければ気持ちが落ち着かない。医者から処方される精神安定剤を飲めばいくらか冷静になるものの、自分ではその発想まで至らないほど気持ちが高ぶっていることがほとんどだった。薬を飲ませようと孝明が出ていけば、暴力の対象が物から孝明自身に移るだけで反って母を刺激してしまう。
最初こそ母がヒステリーを起こす度、それに対処しようとした。しかし、日が経つにつれ病状の悪化していく母を見ているうちに孝明は部屋に籠るようになった。母の視界に入らなければ暴言を吐かれることも暴力を振るわれることもない。
感情の波が沈み込んだのを見計らって薬を渡してやれば、母は普段通りの落ち着きを取り戻す。
(はやく、はやくはやく……)
食器の割れる音と母の咽び泣くような叫びが嫌いだった。
妹が死んだ日から母は変わってしまった。兆候はあった。父が『居なく』なった時から母は笑わなくなった。孝明には、どうしようもできなかった。
何時間経っただろうか。外は暗くなり家の中が静かになった。
孝明は部屋を出た。リビングに散らばる陶器やガラスの欠片を無表情に見つめ、戸棚の近くに座り込んでいる母に視線をやった。
母は両手で顔を覆い、俯いて泣いていた。小さく消え入りそうな声で何か言っているが聞き取れない。
孝明はコップに水を汲むと、棚から薬の瓶を取り出して母の前に跪いた。そっと肩に手を乗せる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
顔を近づけてようやく聞こえるような声で、母は過呼吸気味に何度も謝っていた。きっとその相手は孝明ではないのだろう。
声をかけながら母に薬を飲ませる。呼吸が落ち着いてきたのを確認して、寝室に連れていった。
リビングに戻り割れた食器類の破片を拾う。人差し指に血が滲んだが、気づかないふりをして作業を続ける。細かなものは箒で掃いて集め、新聞で包んで玄関に置いた。
両手を水で洗い、指の怪我を見る。案外深く切れていたようで、血が止まらない。
顔をしかめて患部をティッシュで包む。絆創膏はあっただろうかと戸棚を探るが、見つからない。
「痛て……」
ティッシュから血が滲んでいる。
その赤色を見ていると無性に自分が惨めに思えてきた。なぜ精神病の母を介抱しているのか。行動の後始末をしているのか。
――どうして、母は自分を見てはくれないのだろうか。
心のどこかで、母が<センター>に行けばいいと思っている自分がいる。
母を大切に思えない薄情な自分は、死んでしまえばいいと思ってしまう。
いつも、考えないようにしている。
ここは『普通』の母子家庭で、母はいい人で、何の歪みもない家族。
どうして、そうじゃないのだろうか。
理由もなく泣きたくなることがある。本当に悲しい時には流れないくせに、ふとした瞬間に気持ちがせり上がってくる。
そうなった時、いつも不安になる。自分もいつか母のようになるのだろうか。そう考えると、怖い。
ようやく戸棚の奥から絆創膏の箱を引きずり出す。患部に一枚貼り、箱は戸棚の分かりやすい位置に仕舞い直す。
家の中は静かだった。おそらく、母は寝ているのだろうか。電気も付いていない室内は、肌寒さを感じさせる。
夕飯はコンビニで済ませようと、孝明は家を出た。
吐く息が白い。一番星は見えるだろうかと空を見上げてみるが、夜空は薄曇りで星は見えなかった。