第三章――影と揺らぎ――その七
「こえぇ」
黒龍が帰ってきて開口一番がこれだった。
「本家で何か言われたかい?」
「いんや、特には。協力者のあぶり出しは向こうでするから、白銀の旦那たちは黙ってろってくらいか。元則が上手く立ち回ったな」
「まぁ、時間も結構あったしね。こちらで見つけた場合の件は言っておいてくれたかな?」
「無論。当主は不服そうだったが、了承はした。他の当主もいる前だ。反故にはできねぇ」
「それは助かるね。で、何が怖いと?」
話の流れから、本家で特に怖いものは何もなかったはずだが。
「獏、ですわよ。夏姫さんが入浴されてるんですけど、入り口に巨大化して待ってますの。本当に忠犬という感じですわね」
「間違いがなくていいんじゃないかい?」
いつぞやのを蒸し返すがごとく、聖は黒龍を見ながら言った。ばつの悪い黒龍は気まずげに睨んできただけだったため、少しばかり面白くないが。
「そういう問題ではないんですの。夏姫さんよりも大きい図体で、一応伏せの形はとってますけど、誰かしら通るたびに睨んできますわ。あれだけ訓練された使い魔は初めて見ましたわ」
こちらのことを気にすることなく、葛葉が言う。
訓練どころか、先程使い魔にしたばかり、ありえない。おそらく、夏姫に憑依した時からあの興味のなさに妖魔が惹かれたのかもしれない。夏姫は本当に自身に危害を加えなければ、聖にも誰にでも一定の距離を持って接する。危害を加えると分かれば、これまでの行動で明白、徹底的に相手を叩きのめそうとする。それで己の命が危険にさらされようとも。
夏姫の身を守るという点においては最適な使い魔かもしれない。
「聖、それで話って?」
黒龍と葛葉をさげてしばらくして、夏姫が入ってきた。黒龍たちのクレームはもっともである。
「せめて室内では小型犬タイプにしてもらえないかな?いくらなんでもアイリッシュ・ウルフハウンドの大きさをを室内飼いにはしたくないね」
それだけでたちまちスキッパーキくらいの小さめの姿になる。なんとも利発な妖魔だ。
「来週までには、全てに関して決着をつけたいと思う」
「何でまた」
「君との契約が一ヶ月だ。その間に終わらせておかないと、サンジェルマンが変に執着する。君にとってどうでもいいことかもしれないが、あの男が君の素性を他の魔術師に言ってしまう可能性がある。
一月とはいえ、私が弟子にしたと分かれば面倒ごとに巻き込まれやすくなる。今の状況であれば、あの男は知識を独占したいがため、他には漏らさない」
それ以外のことはあえて言わないでおくか。
「分かった。そのために囮になれって事でしょ? 獏も含めて」
「そのとおりだよ。あの男からしてみれば、獏の一件は計算外もいいところだろうね。だからこそ、君を人質にするという方法をとったと見える」
すでに獏は抱きかかえられ、夏姫の腕の中でくつろいでいる。魔青が拗ねるわけだ。
「一つ聞きたいんだけどさ、獏の寝床ってどこ?」
今気にするべきところではないはずだ。
「……君にはそこから説明しないと駄目か。魔青と一緒に考えないで欲しい。魔青は私が『創った』使い魔。だからこそ別の寝床が必要となる、ところが獏は妖魔の使い魔だ。基本的には君の『気』の部分に滞在する。寝床は要らない」
いつからか、夏姫は魔青を閉まっておく瓶を「寝床」と言うようになっていた。夏姫の中では魔青も獏も同じ扱いなのだろう。
だからこそ、魔青にとっては、獏が腕の中でくつろいでいるのが許せないということか。
「現状のままでいいってこと?」
それには答えず、夏姫の頭を撫でた。
明日からが正念場、現在までの夏姫を見る限り適正という面では合格であるが、それ以外の部分、そこを見極めるための試験開始である。
これまで放っておいたあれも同時に始末できるとは、この上なくありがたいことである。