第二章――懐かしいヒトと言葉――その八
手遅れになる、という樹杏の言葉どおり、夏姫は危険だった。
頭の中を力ずくで覗かれそうになっていたのだ、当然だろう。しかも妖魔まで憑いている。おそらくは頭の中を覗けなかった時のために「監視」として憑けていたのだろう。
がくりと夏姫の身体が崩れた。
「嬢ちゃん!?」
戻ってきたことにより、ほっとしたのだろう。意識を失ったのだ。
「黒龍、肩と腕の手当てをしてもらえ。私は夏姫の様子を見る」
魔青の瓶はこのゴタゴタでなくなってしまったため、聖は夏姫を看病すると言って、ごねまくる魔青はサファイと黒龍に任せた。
少しばかり酷いと黒龍は思ったが、己の慢心もあるのだ。おとなしくごねる魔青の相手をするしかないと腹をくくった。
ベッドに夏姫を寝かせ、聖は頭に触れる。
奇跡的に、夏姫の頭の中は覗かれていない。意識を失ったのは負荷がかかったことによる意識低下、あとは妖魔が憑いてしまったための拒絶反応からきているのだろう。
妖魔を駆逐するのはやぶさかではないが、やめておく。夏姫に負荷がかかりすぎる。それに、それをしたがために、夏姫の特異性が失われるのはもったいない。思った以上の「適合者」であり、逸材である。
夏姫の頭に触れたまま、聖は一つの呪を唱えた。
――君、名前は?――
これは、夏姫の記憶か。聖が探るが、これ以上先の記憶は、ない。記憶喪失の子供を夏姫の養母、山村十子こと、祖父江十和子が引き取ったと聞いてはいた。だが今聖が見ているのは、この世に生を受けてから身体に刻み込まれていく記憶。つまりは「覚えていなくても、記録されている部分」である。その部分ですら、夏姫の記憶はないのだ。
――じゃあ、名前何にしようか……十子はどんな名前がいい?――
――藤崎君が決めれば良いんじゃない?私により藤崎君に懐いているもの――
この若い二人がおそらく十子と藤崎だ。この二人との記憶は最初からあるらしい。
――ん~じゃあ、夏に俺たちのところに来てくれたから、夏姫ってのはどう?――
うれしそうに笑う幼子、そして二人を父母と慕っていた。
「私はこんなもの見て喜ぶ趣味はないね」
鬱陶しくなり、治癒の形を取る。まぁ、藤崎との繋がりを見られただけ、よしとするか。
ぱちりと意識を取り戻した夏姫に思わず微笑みかけた。
「問題は無いよ。頭を覗かれたが、そこまで酷いものではない。これくらいですんで奇跡だね」
「……夢の中にあんたが出てきた。最悪だと思って起きたらあんたの顔がある。もう一度寝直したい」
「寝直すのは構わない。その時はまた夢に出ようじゃないか」
それが嫌だと見え、おとなしく起きてきた。
身体が少し落ち着き、夏姫が聖とともに書庫へ行くと、そこで待っていた黒龍に詫びを入れられた。
「どんな理由があるにせよ、嬢ちゃんの守りを放棄した」
そんな事か。夏姫としては全く気にしていなかった。
というか、自分から藤崎のほうへ向かって行ったのだから、当然だと思ってしまう。それに、おそらくこれから二人が話すことの方が重要である。
「気にしていなかったから。どうでもよかったんだけど」
こちらが許すと言うまで謝り倒しかねない黒龍にそれだけ答えた。黒龍が驚いた顔で見てきたが、それしか言いようが無い。
「最初からお互い触れられたくない事には、触れないのが暗黙のルールでしょう」
そう、それは最初の時にできたルールだ。そして、聖と黒龍はどんな理由があるにせよ、聖たちがヒトでないことに触れて欲しくないと、夏姫は感じ取っていた。
「ある意味図星だよ。ただ、触れて欲しくないというよりは、君が現実主義者だと思ったからね」
聖の言う「現実主義者」と夏姫の「現実主義」はかなり違う。夏姫は自身の目で確認し、体験したものしか信用しない主義なのだ。つまり、開かない扉、動かなくなるウィッグ、そして空間移動など、体験したのだから、こちらが現実なのである。面倒になりながらも、そう説明した。
「そういう考えか……なるほど」
「なんていうかさ、二日くらいで驚愕自体は使いきったし」
使いきってしまえばあとは慣れるだけである。
「ならば、そのまま継続できそうだね」
珍しく優しい一言に驚いた。