こんな夢を観た「バクテリア・モンスター」
真昼の町中に、突如としてバクテリア・モンスターが現れた。
「逃げろー、襲ってくるぞっ!」人々は着の身着のまま、逃げ惑う。バクテリア・モンスターは、まるで意志を持った大きな波のように、うねり、震え、鞭毛を振り回しながら、なだれ込んできた……。
そもそものきっかけは、神社の前に捨てられていた小さな段ボール箱だった。
「バクテリアの子です。どうぞ、可愛がって下さい」とマジック・インキで書いてある。
「可哀想に」わたしは箱の前にしゃがみ込んだ。明るい灰色で、今川焼きをきゅっと引き伸ばしたような形をしている。まだ、手の平にすっぽりと収まるほど小さい。
食べ物も摂っていないのだろう、鞭毛を弱々しく伸ばし、必死にすがってくる。
わたしは放っておけず、段ボールごと抱えて部屋に持ち帰った。
「君は嫌気性のバクテリアじゃなさそうだね。大腸菌かな? ヨーグルト、食べてくれるといいけど」
冷蔵庫からカップ入りヨーグルトを持ってきて、バクテリアの前に置いてみる。鞭毛でクンクンと匂いを嗅いでいたが、すぐにおいしそうにすすり始めた。
「よかった。早く、元気になるんだぞ」わたしはほっとひと息つく。「そうだ、名前をつけなきゃね。えーと……。桿菌だから、『カンちゃん』なんてどう?」
バクテリアは食べるのをちょっとだけやめ、嬉しそうに鞭毛を振るわせる。
「ふふ、気に入ってくれたんだね」
こうして、わたしとバクテリアのカンちゃんとの生活が始まった。
カンちゃんはすくすくと育っていった。
初めのうちはヨーグルトしか食べなかったが、成長するにつれ、野菜の残り物、余ったおかず、何でも摂取するようになった。
悪くなってしまった肉や魚など、ぺろりと平らげてくれるので、生ゴミを出さずに済むようになり、わたしとしても大助かりだ。
「それにしても、大きくなったなぁ」わたしは胸に込み上げるものを感じた。拾ってきたときは手の平に載るほどだったのに、今では抱き枕よりまだ大きい。
体をそっとなでてやる。マシュマロのようにふんわりとした感触がした。長い鞭毛を、わたしの腕にクルクルッと巻きつけて懐いてくる。
わたし達にとって、至福の時間だ。
けれど、そんな幸せも長くは続かなかった。
どこから漏れたのか、たちまち町内の知るところとなり、ある日、部屋のチャイムが鳴ったのだ。
「こんにちは、保健所の者ですが」
「はい、何でしょう?」わたしはそらっとぼける。
「隠してもダメです。こちらでバクテリアを飼っているとの情報がありましてね」保健所の職員が感情の欠けらもない口調で詰め寄った。
「カンちゃんは、決して悪いバクテリアなんかじゃありません。どうか、見逃して下さい」わたしは懇願する。もちろん、通用するような相手ではなかった。
「そうはいきません。これも規則ですのでね」
カンちゃんは、シュラフのような袋に密封され、そのまま連れていかれた。わたしのカンちゃん。
搬送先は教えてもらえなかった。聞くところによれば、アメリカのCDCかユーサムリッドで、レベル3に隔離されているという。
そんな施設に入れられてしまっては、もう二度とカンちゃんに会うこともできまい。
あきらめるより仕方がなかった。
ところが、カンちゃんは自らの運命を妥協するつもりなぞ、さらさらなかった。
どうやったのかはわからないけれど、エネルギーを吸うことで体を膨れ上がらせ、ついには施設を脱出することに成功したのだ。
火器も化学薬品もまるで効かず、文字通りバクテリア・モンスターと化してしまった。
そのまま太平洋を渡り、ここ日本へと帰ってきた。
そう、このわたしを恋い焦がれて!
わたしは、団地の屋上まで上り、声が枯れる勢いで叫び続けていた。
「カンちゃーん、お願いだから、大人しくしてったらぁーっ!」
今や、ビルを飲み込むほどの巨体となったカンちゃんに、わたしの小さな声など届くはずもない。それでも、呼び続けずにはいられなかった。
上空を、数えきれないほどの軍事ヘリコプターが飛び回っている。自衛隊機に混ざって、アメリカ空軍のものも見えた。
町内放送のスピーカーが、あっちでもこっちでもがなり立てているので、初め、何を言っているのか聞き取れなかったが、どうやら「最終手段」を講じるらしい。
アメリカのヘリコプターが何かを発射した。ミサイルに見えたがそうではなく、銀色をしたカプセルだった。
カプセルはカンちゃんの体表で炸裂し、中からロボットのような物が数体飛び出す。
12面体の頭に複数の脚を持ち、がっちりとカンちゃんを捕らえて離さない。まるで、月面に到着した探査機のようだ。
「あれはまさか……」わたしは絶句した。
バクテリアには、それを食うウィルスがいると聞いたことがある。「バクテリア・ファージ」と呼ばれている。
彼らはバクテリアに取りついて、体を内部から分解してしまうのだ。
「待って、やめてーっ!」声を張り上げながらも、もはやそれしか方法はないのだ、と自分でもわかっていた。
ファージ達は、カンちゃんの体を蝕み、至るところに穴を開けていった。
カンちゃんは鞭毛をしならせ、ファージを振り払おうとする。それも、所詮は空しい行為に過ぎなかった。
体の大半が崩れ落ち、かろうじて一部が残っているばかりである。
その最後も溶けてなくなろうかと思えた刹那、鞭毛が力なくわたしを指し示した。懐かしい友人に再会した、そんな波動をわたしは確かに受け止めた。
「カンちゃん……」わたしは思わず、膝をついていた。
鞭毛はタバコの灰のように吹き流され、宿主を失ったファージも次々と砕けていった。




