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第8話   再来

「どうした一刀? もう限界か? ほれ、ほれ」

「少し、はッ! くッ――、手加減をしろっての!」

「なんじゃ、そのへっぴり腰は、そこらの童でももう少しマシじゃぞ」

「うっせえよ! そっちこそ、もうちょい老人らしい強さであれよ!」


 一刀は必死だった。

 ここは管輅邸の裏庭。行われているのは朝の地稽古だ。

 地稽古とは、実戦形式のスパーリングのことで、管輅の正式な弟子になってから早、ひと月。あの日から一週間ほどで動けるようになった一刀は、こうして鍛錬に明け暮れている。

 それは大変厳しいものだった。

 覚悟しろという脅し文句に偽りなし。全身は打ち身とアザで痛くない箇所を探す方が難しく、骨が折れたと思ったこともしばしばあった。

 今も樫の枝を削っただけの長さ五尺(一メートル)程のただの棒切れが、上下左右から絶え間なく襲い掛かってくる。

 太刀筋こそ剣道とは違うが、その技量は間違いなく達人の領域で、現世の祖父と対峙した時と同等。いや緊張感で言えばこちらの方が上かもしれない。


「くっ――」


 一刀は鞘の抜けない宝剣で無軌道のそれをひたすら弾き、硬質な物同士がぶつかる歪な音が連続する。

 まさに防戦一方。

 額を流れる大粒の汗を拭う暇も、ひとつの呼吸も満足にさせてくれない波状の剣戟。一瞬でも気を緩めれば、この均衡は容易く崩れてしまう。

 圧倒的な実力差だ。こちらはすでに無酸素下の応戦で息も絶え絶え。集中力だってあと何秒間持つかわからない。だというのに、眼前の老人はこれでもまだまだ手加減しているとばかりに、わざとらしく片手で耳をほじりながら打ち込んでくるのだから実に腹立たしい。


「じじい……!」


 しかし、子供が棒遊びをするような気軽さで振るわれるそれは全く可愛げなのない一閃だ。

 持てる技術と集中力を総動員しても完全には対処しきれない。徐々に手数に押し込まれていく。制空圏が容赦なく削られ、その身に迫る。

 そして、ついに棒切れが宝剣をすり抜けて胸を突き、太ももをはたき、手首を打つ。

 骨まで響く鈍痛の痺れに、一刀は膝をつき、手から宝剣がこぼれた。


「――ッうぅぅ」

「まだまだ無駄に力が入りすぎじゃ。力むから剣からしなやかさが失われ、受けの反発から硬直が生まれる。そのせいで体勢はより悪くなり、挽回しようとますます力が入ってしまう。いつも言っておるじゃろう。意識するのは常に剣の流れ。その上で相手の力と反発するのではなく、上手く利用せいと」

「……はい」


 手首の痛みから顔をしかめながらも殊勝に一刀は返事をするが、納得はしていない。

 それを実践するのがどれだけ難しいか。アドバイスのひとつやふたつで習得できるなら誰も苦労はしないし、んなこと簡単にできるわけないだろ。しかもわざわざ三発もいれやがってこの陰湿ジジイ、と――。


「……何やらよからぬことを考えておる顔じゃのう?」

「ソ、ソンナコト、アリマセンヨ?」

「嘘をつけ。大方、“んなこと簡単に出来るわけないだろ! わざわざ三発もいれやがってこの陰湿じじい……!”とか考えておったんじゃろ」

「じ、じいさん、まさか読心術まで!?」

「おぬしの思考が単純すぎるだけじゃ! 素振り千本追加じゃ馬鹿者め!」

「げえぇぇ」


 素振りと地稽古。これがここ数週間繰り返してきた鍛錬の内容だ。

 地稽古は朝昼の二回行われ、管輅の攻撃を防ぎきるのが目標で、一刀からの攻撃を禁止しているわけではないが、万が一、一本とれたとしても終わることはない。

 素振りは毎日千本行う。ただし、すべてを連続で行う必要はない。寝るまでに千本こなせばいい。いつどれだけやるかは本人次第だ。

 その代わり、ひと振りひと振りを正確に。確認して。丁寧に。剣に自らの思いを乗せ、何のために力を振るうか胸に刻みながら。

 このやり方だと二百回もやると腕がパンパンでまともに上がらなくなるが、他にもやらなければならない家事もあるため、腕が上がらなくなったら家事をこなし、ひと段落ついたらまた剣を振るうというのが基本的な流れだ。

 ちなみに、以前、剣道のすり足式の二拍子素振りをしたら鬼のように怒られたことがある。あれではただ回数をこなしているだけで、体力向上以外なんの役にも立たないらしい。

 結局、強くなるための近道は、いちばん地味でしんどいことの繰り返しのようだ。

 もっとも今日は、千本追加でいきなり倍。普段でもすべてが終わるのは夕方以降なのに、どうしろというのか。

 寝る時間があるといいなぁ、と、どこか他人事のように一刀は現実逃避。すると屋敷から声がかかった。


「一刀さま~管輅さま~、食事の支度が整いましたよ」


 縁側からひょっこり顔を覗かせるのは椿だ。あの騒動以来、彼女も管輅邸で暮らしている。

 念のため、しばらくは街に戻らない方がいいと管輅が判断し、共に生活することになったのだ。


「お二人とも朝のお稽古はここまでにして、朝餉をお召し上がりください」

「ありがとう椿、お腹ぺこぺこだよ!」

「おかわりもありますから、たくさん食べてくださいね」


 同じ屋根の下、先の件もあって二人の仲が以前より親密になったのは言うまでもないだろう。さすがに男女の仲にまでは発展していないものの、友人以上の間柄だ。

 ただ、その先は仮に一刀がどれだけ望んだところで難しいだろう。

 なにせ管輅の監視が厳しい。愛娘に近づく悪い(むし)だと明らかに警戒されている。これ以上の接近は快く思っていないようだ。


「おかわりしておる時間があるとええのう?」

「ぐっ」


 卓を囲む三人はそれなりに愉快な人間模様を描いていた。


***


 昼食後、三人は揃って買い出しへ出かけることになった。

 本来なら荷物持ちは一刀ひとりで十分なのだが、出発直前に珍しく椿からこう願い出たのだ。


「あの管輅さま。わたしもご一緒させて頂けませんか? それから僅かの時間でかまいません。女将さんにせめて一言、急なお暇でお宿にご迷惑をおかけしていることを謝りたいのですが」


 あの日を境に、椿は中心街へ一度も踏み入れておらず、これまで世話になっていた職場のことが気にかかるのは当然だろう。彼女らしい健気な願いだ。

 管輅はこれをすぐに了承し、


「そうじゃのう。ならば、まず宿に寄るとしようかの」

「ありがとうございます!」


 椿の顔にはパッと明るく花が咲き、頭を垂れる。

 よいよい、と老人もとびっきりの笑顔。これまでは敢えて突き放していただけに、ここ最近のデレっぷりは目に余り、立派な子煩悩っぷりだ。

 反面、一刀に対する風当たりは強くなる一方で、先日などは、椿が自発的に一刀の傷の手当をしていたところにやってきて、嫁入り前の娘の前でやたらと肌を晒らすな!! と怒鳴られた。これにはすぐに椿が理不尽だと反論し、逆に管輅が叱られていたが、その後の地稽古が地獄だったことは記憶に新しい。年頃の娘を持つ父親というものはいつの時代もあまり変わらないようだ。

 ともあれ、こうして三人は揃って陽気に屋敷を出る。

 まだまだ残暑の厳しい夏日和だが、足取りは軽い。特に、女将さんに合えることがよっぽど嬉しいのだろう。椿は急かすように前を行き、しかし、最初の角を曲がったところで、その足がピタリと止まる。

 続く二人もその場で揃って足を止めた。

 

「なあ、じいさん……。あれって……」


 快晴の空をおどろおどろしく立ち昇るそれは、まるで街を襲う黒龍のように。それも二本、三本と。

 間違いなく凶兆だ。そして、おそらくこれは八年前にも現れた現象――。

 

「ワシは……、ワシはまた予言できなんだのか? なぜじゃ? なぜまたこの街を火災が襲う? なぜワシは止められないんじゃ!?」


 管輅が膝から崩れた。

 茫然自失。椿が慌てて駆け寄るが、管輅は一切の反応を示さず、ただ吸い込まれるようにその光景を眺め続ける。


「……じいさん、気持ちはわかるけど、とにかく街へ急ごう」


 一刀の呼びかけにも反応はない。ただうわ言のように、どうして、なぜ、と繰り返すだけ。

 その後もしばらく呼びかけ続けたが、何を言ってもこちらを見向きもしない。

 積年の感情が虚無感という形でいっきに溢れたのだろう。その無力感なら一刀だって何度も味わった。痛いほどわかる。

 だからこそ、今を動く。


「あ~~~もうっ!! 椿、じいさんのこと頼んだ!」

「え? あっ、一刀さま!」

「先に行く!」


 そう言い残すと、一刀は一心不乱に走り出していた。


***

 

 煙と熱と喧騒に飲み込まれる街がある。 

 一軒の屋台から出火したと思しき小さな炎は、気づいた時には火柱となり、瞬く間に生半可な消火ではその侵食を止められない程の勢いになっていた。

 炎は周囲のありとあらゆるものを取り込みながら膨れ上がり、今では近隣の数棟を丸ごと喰らう程の巨大さで、なおも貪欲に広がり続けている。

 ありふれた昼下がりは飲み込まれた。恐怖の赤に脅かされ、人々の悲鳴が混乱を助長する。不快な燃焼の響きと香りを黒煙に孕ませて、おびただしい数の火の粉が宙を舞う。

 その光景に誰もが八年前の大火災を重ね、迫る火の手から懸命に逃げる。

 幸か不幸か、彼らは嫌と言うくらい熟知しているから。その侵攻速度は想像を超えると。それに囲まれれば一巻の終わりだと。

 恐れる者も。叫ぶ者も。惜しむ者も。顧みぬ者も。手を引く者も。幼き者も。男も。女も。動ける者はただ走る。

 そうして、命からがら安全圏に退避した人々は、燃え行く街をじっと見つめ、


「俺たちの街が……」


 そこに漂う気配は諦念だ。まるで物語のエンドロールを惰性で見続けるているかのように。あるいは、祭りの後の営火でも眺めているかのように。すべては終わったこと。もうどうにもならないのだと。

 人々は口々に言う。


「また、私たちは見捨てられたのね……?」

「なんで、なんで管輅は助けてくれないんだよ!」

「そ、そう言えばこの間、管輅の縁者を襲った奴がいるって噂で聞いたぞ……!」

「その噂なら俺も聞いた! 確か襲った奴らは……」


 そして今回は新たな生贄も追加だ。

 管輅に明確な敵意を向けた者がいる。ゆえに我らはまたも見捨てられたのだ、と。

 思い込みもここまで来ると、もはや狂信に近い。すべての災厄を呪いや祟りだと恐れるのとなんら変わらない。

 そんな思わぬ形で人柱として白羽の矢が立った件の三人組は、集まる視線に、ふざけるな! と反発し、


「あいつは八年前に俺たちを見捨てたんだ! 今更、俺たちを救うわけがないだろ!! 俺たちのせいなんかじゃねえっ!」

「だが、お前たちが管輅さまに手出ししなきゃ、今度は救ってもらえたかもしれないだろう! なんてことをしてくれたんだ!!」

「そうよ! どう責任とってくれるのよ!」

「う、うるせえよ!! 何が“さま”だ! 反吐がでるぜ。どいつもこいつも似たようなもんだろうが! あいつのことをいつも陰でなんて言ってやがる!  奴の顔を見ればどんな目してやがる! もし俺たちの罪を問うなら、てめえらだって同罪だろうが!!」

「――な、なんだと!?」


 今まさに灰塵と化す街を背に、彼らは何をしているのか。大の大人が雁首揃えて何の相談をしているのか。

 馬鹿馬鹿しいなんて生易しい表現ではあまりに不足。どこまで浅ましく滑稽な争いだ。

 燃え盛る炎は空を焦がし、黒煙がたなびく雲のように覆い、人々の心にまで闇を落とす。

 勢いは増すばかりだ。どちらも。

 ある者は管輅のせいだと喚き散らし、ある者は管輅に敵対した者の責任だと泣き叫ぶ。

 誰ひとりとして、悲劇の結末を変えようとする者はいなかった。起きた不幸を呪い、嘆き、悲しみ、ただ救われることを諦めていた。

 途轍もなく不毛な時間が過ぎていく。

 前向きな言葉や、建設的な発言は一切ない。もはや、単なる罵り合いへと変化した最低な集団だ。

 だから。

 こんな聞くに堪えない論争をひとりの男が貫く。


「――こんな時に、何やってんだよッッ!!」


 締め付けられる胸を握り、男はありったけを叫んだ。

 こんなものを見るために、じいさんは苦しんできたわけじゃない、と。


***


 突如の乱入者に人々は視線を向け、一斉に口を噤む。

 気迫に驚いた者。何事だと様子を窺う者。その顔に見覚えがある者。反応はそれぞれだが、一様に静まり、乱入者を見守る。

 その中でいち早く開口するのは、怒りを覚える者だった。


「お、お前……何しに来やがった。わざわざ俺たちを笑いにでも来たか? ざまあみろとでも言いに来たのか!! ふざけやがって覚悟は出来て――」

「――いい加減にしろッ!! そんなくだらないこと言ってる場合かよ!!」


 再び一刀は叫ぶ。

 雑言を踏み潰し、喉が裂けそうなほど声を張る。

 一刀は願う。この声が、この場にいるすべての人に届いてくれと。

 目を覚ましてくれ――その一心で言葉を作り、


「いつまで人のせいにして逃げまわる気だよ! 見捨てられた? あんたら、いつまでじいさんに頼る気だ? 一から十まで予言してもらわないと生きてもいけないのか! 今も街は燃えてるんだぞ! ここは誰の街だよ! 暮らしてるのは誰だよ! あんたらの大事なもんが、こんなくだらない言い争いしてる間にも灰になってるんだぞ!? ぐだぐだ嘆く前にやれることがあるだろ!!」

「な……、そんなことお前に言われなくたって――!」

「――だったら!! こんな所で何してんだよ! 皆で仲良く消し炭の鑑賞会か! ふざけてるのはどっちだ! そんな暇があるならな、少しでもいいから火を消す努力をしてみろよ!!」


 誰かに頼る前に出来ることをしてみないか。

 それだけのことだ。ただそれだけのことを一刀は全身全霊で訴えかけている。なんの打算もない真っ直ぐな感情で。

 わかるから。

 不条理な不幸を誰かに押し付けたい気持ちも。それじゃ何も変えられないことも。

 一歩踏み出せば必ず報われるなんてご都合を説くつもりはない。踏み出しても徒労に終わるかもしれないし、むしろ状況が悪くなるだけかもしれない。だが、それでも踏み出すしかないのだから。変化を望むなら足掻くしかないのだから。そのことを本当は皆もわかっているはずだから。だから――、


「どうしてだよ!!」


 しかし、思いは空しく。無言。人々は戸惑いを見せるだけだった。

 賛同も批判もない。誰ひとりとして視線すら合わせようとしない。一様に口を結び、目を逸らし、心を閉ざす。

 彼らにとって一刀は所詮よそ者。若造の戯言だ。どれだけ真摯に訴えかけても、“何も知らないくせに”の一言で片がついてしまう。

 その言葉にどれだけの力があっても、どれだけ人々の心を打とうとも、決して殻を打ち破ることはできない。


「ならどうしろってんだよ……! 何を言っても伝わらないのかよ!!」


 虚ろにも映る彼らの姿。轟々と燃え行く街。八年という歳月に塗り固められた分厚い悲傷の念――。

 握り締めていた拳から力がほどけていく。募る歯がゆさとは裏腹に、一刀にも無駄なのかもしれないと諦めが過ぎり、しかし、寸前で断ち切る。

 無駄などない。思いは届いているはずだ。少なくともたったひとり、彼だけには――。


「顔を上げい、俯くな一刀。おぬしの言う通りじゃ。ワシらにはやれることがある」

「遅いんだよ、クソじじい」


 遅れてすまなんだ、と管輅は並ぶ。すぐ後ろには頷く椿の姿もある。

 予期せぬ者の登場にざわめくのは群衆だ。狼狽と言ってもいい。ところが、次の瞬間、そんな彼らは一斉に息を飲んだ。

 一刀の肩を叩いた管輅がそのまま踏み出し、おもむろに頭を下げたのだ。


「すまん。ワシが不甲斐無いばかりにまた止められなんだ。預言者だのと仰々しく持ち上げられてもワシの力はこの程度じゃ。じゃが、これで終わりではない。まだすべてが燃えてしまったわけではない。やれることがまだある。ならば、この通りじゃ! この老いぼれに皆の力を貸してくれんか?」


 どれだけ憎まれていようと、ある種で神格化までされている者の懇願。彼らにとってはありえない光景だ。これ以上の驚きはない。

 静寂は一瞬でどよめきへと膨れ上がり、しかし、なんてことはない。

 人々はすぐに気づく。そこにいるのは、冷酷な裏切り者でも、人智を超越した者でもなく、ただの痩せ細った老人だと。

 これまで塗り重ねてきた虚像とは、あまりにも程遠い実像を突きつけられ、やがて群衆は再び言葉を失った。

 少し考えれば誰だってわかることなのに。敢えてそれを無視して、管輅ひとりに責任を押し付けていられたのは、彼が強欲な権力者で偏屈な超越者という前提あればこそだ。

 これでは困るのだ。彼らだって、さすがに単なる老人へすべての憎悪をぶつけることは気がひける。それは歪の上に成立していた図式に不備が生まれたことを意味し、となれば誰だって改めて疑問を抱く。自分たちはこれまで何をしてきたのだろうか。これから何をしようとしているのか、と。

 揺らぐ。揺らいでしまう。そして僅かでも揺らいでしまえば人の心は脆い。あれほど他言を寄せつけなかった外殻にも、ついに罪悪感という小さな亀裂が走り、


「何を……、何をしたらいいんですかい?」


 小さな娘を抱きかかえる男の言葉。これが崩壊の契機となった。


「お、おい! てめえ何言って――」

「嫌なんだよ! 俺も、あの兄ちゃんや管輅さまが言う通り、見ているだけなんてもうまっぴらなんだよ!」

「お、俺もだ!」

「わたしもよ!」


 人々は堰を切ったように、次々と声を上げ、次第に広場は喚声に包まれる。

 ようやくだ。

 八年という歳月が生み出した深い溝に、今この時、貧相でも橋が掛かったのだ。その発端が新たな火災というのは実に皮肉的な因縁だが、しかし、それでも繋がった。繋がれば取り戻せる。過去の関係を。築いていける。新たな関係を。

 その功労者のひとりは間違いなく、この男だった。


「……よし! じいさん、火を消しそう!」


 胸には既に高揚感があるが、まだだ。やっと条件が揃っただけで、まだ何も成し遂げてはいない。浮かれるなと心を二度叩き、一刀は覚悟を呼び起こす。


「いや待て一刀。消火はとりあえず後まわしじゃ。それよりもまず――皆、聞いてくれい! 男衆はまず火の勢いを食い止めるぞ。これから燃え広がりそうな箇所に先回りし、水を撒き、土をかけ、可能ならば壊してしまえ。その間、並行して逃げ遅れた者がおらんか見て回るんじゃ。それから女衆は怪我人の手当てと井戸の水を汲み上げて集めておいてくれい」


 迅速な指示に群衆から思い思いの意気込みの声が上がり、一同は一斉に作業へと取りかかる。

 ――ここからだっ……!!

 一刀も遅れまいと炎の街へと駆けた。


***


「よいか! 各々まず水を被ってからじゃ。それから単独行動は避け、必ず何人かで行動を共にするんじゃ! 頼りにならんとは言え、いずれ城からの応援もくるはずじゃ。それまではワシらで踏ん張るぞ!」


 管輅の指示が飛び交う中で、男たちは手分けして持ち場につく。

 見慣れた街並みの姿はなく、広がるのは烈火の世界。

 うねる炎は家屋の倍近くの高さまで達し、こちらを威嚇するように膨大な熱量を叩きつけてくる。

 額からは拭った端から玉のような汗が湧き出し、身動きする度に、普段の何倍もの体力と気力が奪われていく。

 劣悪で過酷な環境だ。

 皆、表情には苦痛が覗き、しかし、周囲から聞こえてくるのは励ましの声で、弱音などではなかった。

 負けてなるものか。これ以上失って堪るか。守ってみせる。

 先ほどまで痛みのなすり合いを演じていた者たちが歯を食い縛り、ひたすらに為すべきことを為している。

 ならば負けていられない。

 一刀も意気込み、作業に取り掛かる。


「こっちもいいよ、じいさん!」


 “消化は後回し”の意味が今ならよくわかる。今更これにいくら手桶で水を見舞っても、それこそ焼け石に水。一軒分を消す間に他のすべてを焼き尽くされかねない。


「よし、皆で一斉に引くぞ! そぉれ!!!」

「「そおおおおれええええ」」


 掛け声に合わせ、男たちは縄を一斉に引く。

 それは平屋の支柱の何本かに通されていて、数十人の力はメリメリと木材の亀裂音と共に、平屋を折り畳むように倒壊させる。


「よし、次じゃ!!」


 彼らが行っているのは風下の家屋を中心に破壊し、人力では倒せない建物については、迫出している部分だけを破壊し、土と水を撒く。延焼を封じ込めるための地道な力技だ。

 当然かなりの重労働で、さらに破壊予定の範囲は広大。火災を完全に遮断するよう周囲を破壊し尽さなければ意味がない。

 つまり膨大な作業の終了と炎の侵攻、どちらが早いかという競争だ。

 時間をかけてはいられない。

 緊張感と熱、そこに焦りまで加わり、体力消耗は激しい。汗と埃とすすで皆の顔はドロドロだ。しかし、誰一人として手を緩める者はいない。諦める者はもういない。一丸となって作業を続ける。

 そうして、ついに二十軒目の家屋を引き倒した、その時だった。


「おい、あそこに誰かいるぞ!!」


 風上。炎の合間から倒れこむように人が飛び出してきた。

 女性だ。

 一刀は地面に伏したまま動かない彼女に急いで駆け寄り、抱き起こし、


「大丈夫ですか!?」

「――お、お願い……! まだ……、私、のっ! 助けてぇ!!」


 錯乱気味の声と縋りつく女性の力強さ。すすに黒く汚れた体。手肌には火傷を負い、頬を伝う大粒の涙。

 意味をうかがい知るにはそれだけで十分だった。


「お子さんは、どこですか?」


 女性が指さす先、そこには轟々と炎を吹き上げる民家が見える。

 ――あ、あの中に……?

 一刀は大きく息を飲んだ。

 あの中に飛び込むことが何を意味するのか。生きて戻れるのか。自分がやることなのか。そんな常人の、当然の感情が胸を襲う。

 しかし、


「お願い、します……、どうか、どうかッ――!!」


 痛みを感じる程腕を強く握られ、死に物狂いの哀願を前にすれば、弱気は消える。消し得る。

 なにせ一刀は筋金入りのお人好しなのだから――。


「……俺が、助けます」


 一刀は女性の手をやさしく外すと、近くの桶水を頭から被る。

 こうなったらもう止まらない。止まれない。止まれば、また考えてしまう。

 行く。

 助走は、徒歩から駆け足に変わり、


「む、どうした一刀? ま、待て、何をしておる? おぬしまさか、おい――待たんか!!」


 事態に気がついた管輅の制止も無視してトップギア。そのまま――、


「――どっりゃあああ!!」


 雄たけび一発。一刀は半開きの戸口を豪快に蹴破り、炎の中へ飛び込んだ。


「――ッッッ!?」


 そこはまさしく火の海だった。

 大げさでもなんでもなく、オーブントースターの中を体験している心地だ。

 わずかに呼吸するだけで喉と肺を焼かれるような痛みに、咄嗟に右肘の内側で口元を隠し、こもる煙に目を細める。

 水分を含み損なったむき出しの体毛は、途端に熱で縮れ、突入から数秒。舞い戻った臆病風は引き返せと囁く。

 ――まだだ。まだ諦めには早い。もう少しだけ!

 己を鼓舞し、闘志を奮い立たせ、火の道を進む。奥へ奥へと。

 一歩は重い。一歩は遠い。一歩が怖い。踏み出すその一歩が確実に死へと近づいている。今ならまだ間に合うと引き返えしそうになる。

 それでも、一刀は進む。探す。あの母親の顔を思い出し、前へ。

 すると、最奥。揺らめく炎の谷間に、倒れる男の子を見つけ、

 ――息は……、ある!

 押し当てた耳に生の鼓動を聞いた一刀は男の子を上着で包み、抱き上げる。

 間に合った、これで救える。

 ――あとは、ここから脱出するだけ――!

 が、その時。

 後方で柱の砕ける轟音が響き、間髪入れず燃え崩る天井のへり。

 衝撃で舞い上がった噴煙の奥には、即席の火壁が出来上がる。


「――――」


 信じたくない光景だ。

 愕然とするしかない。なにせ一本道の退路を断たれ、四方を囲うは炎の牢。もはや逃げ場など、どこにもなく、やぶれかぶれの強行突破も不可能だ。

 ――手立てが、ない……?

 足りないものはそれだけじゃない。

 灼熱の世界は酸素も薄く、思考力すらそぎ落していく。

 何より、時間がない。天井のへりが崩れたということは頭上が燃え崩れるのも時間の問題だろう。

 それは死地に輪をかけ、ないない尽くしの絶体絶命。脱するには常軌を逸した何かが必要だ。

 普通なら、諦めるか神に祈るか。それでなくてもこの状況だ。思考を放棄しても不思議はない。

 だが、一刀は違った。どんなに絶望を突きつけられようと、噴出す汗を拭う寸暇も惜しみ、生き残る手段を探し続けた。そんな妙案が都合よく浮かびはしないとわかっていても。たとえ、悪足掻きであったとしても。今、やれることをやるしかない。

 頬を伝う滴は顎の先端からぽつり、ぽつりと地に落ちて、無為無策の時を刻む。

 炎は嘲笑うかのように勢いを増して、諸共焼き尽くそうと部屋を覆う。死への秒読みだけが加速する。

 ――ちくしょう……。

 ついに極度の酸欠と熱で、立っていることすらできなくなった一刀は膝を折り、

 ――結局、またこれかよッ……!

 胸をつく衝動は再三にわたり味わってきた無力感。

 最後はいつもこれだ。

 どれだけ努力しようが関係ない。過程はどうあれ、無能さに歯軋りする結末しか用意されていない。

 それは、無様な己を呪うだけの既知感に溢れかえる現実で、 


「ふっ、ざけんなァッッ――!!」


 認めない。絶対に諦めるか。口惜しさは天を衝く。が、炎はその叫びすら容赦なく飲み込み糧とする。

 そして、無慈悲に終わりの合図が――鳴る。

 頭上から不吉な亀裂音が上がり、爆ぜる火の粉。天井が完全に倒壊した。


「――!?」


 走馬灯だ。

 極限まで引き伸ばされた体感時間で、両の目は絶望の映像をハッキリと捉える。

 燃えながら落ちる木片も、吹き抜ける気流に広がる炎も、粉塵と混じる火の雨も。

 残された時間は一秒にも満たない。

 その刹那に一刀が見せた行動は、ただ男の子を強く抱きしめることだった。

 無論、この窮地で体ひとつ盾にしたところで、無意味なことくらいわかっている。

 だとしても、他にできることはもう何もなかった。なら、コンマ数パーセントでもいい。この子の生存率が上がるのならそれで十分、無様で結構。それが最後の最後まで抗った執念の証なのだから。

 自己満足と言われればそれまでだが、それでも一刀は貫き通した。死という結末は覆せずとも、やり抜いた。諦めなかった。

 ゆえに、引き寄せることができたのだろう。奇跡を。 

 炎が一刀を飲み込もうとしたまさにその時、世界は突然、光に満ちる。白く透き通る光が溢れだし部屋を照らす。あたかも二人を守り、包み込むように。

 硬く目を閉じ、(うずくま)る一刀はその異常事態に気づけず、


「……あれ?」


 さらに一間置いて、ようやく違和感からゆっくりと瞼を開いた時には、光はすっかり消えた後。

 直撃するはずだった落下物は一刀を避けるように散らばり、あれほど苛烈に燃えていた炎の壁はそこだけが焚き火と見紛う程弱まっていたのだ。


「な、なんだこれ? 何が、起きた?」


 わからない。皆目見当がつかない。けれど、


「――考えてる場合じゃない!」


 弱くなった炎の道を一気駆け。一刀は残る力を振り絞り、外界へ目指し、そして、飛び出した。


「か、一刀!? 水じゃ水をかけい!」


 抜けた先、外で待ち構えていた管輅たちに水を浴びせられ、倒れこむ。

 ヒリつく肌に染み入る水分、肺に行き渡る新鮮な空気。一刀は猛烈な生の実感を得る。

 と同時に、


「ゴホッゴホァ……! じ、じいさんこの子をっ」

「うむ」


 勝ち取った運命を、守り抜いた生命を、抑え切れない達成感を噛み締めていた。


***


「ありがとうございます! あぁ、本当になんとお礼を言えばいいのか――」

「いいですいいです、お礼なんて」


 途切れなく下がる頭に、照れ笑いで、まいったと手をかざす一刀は天幕の中にいる。

 ここは街外れに設けられた避難野営地。火傷の処置をと寄ったその場所で、偶然にもあの親子と再会したのだ。


「よかったね、君」


 恥ずかしいのか、母の胸へ隠れ伏せる少年の髪をそっとひと撫で。幸い、少年も軽い火傷だけで済んだようだ。ちゃんとお礼をいいなさい、と諭す母親をまたも宥め、一刀はしみじみ思う。

 本当によかった、と。

 あの後も遮二無二に作業を続けた一同は、遅れてやってきた兵士たちと協力し、火災を終息へと導く。

 とはいえ、それはこれ以上の延焼の危険性が一先ず去っただけのこと。

 鎮火には至っておらず、風向き次第で再炎上の恐れもある。とても予断を許す状況ではない。

 街は今もなお、夕暮れの空に苦々しい黒煙を吐き続け、被災の爪痕は拡大し続けているのだ。現時点でも全焼、半焼の家屋は相当数に上るだろう。最終的な被害はどれ程になるのか。

 それに被害は建物だけとは限らず、内にも外にも様々なモノがあったはずだ。値段がつけられない高級品から、値段はつけられない思い出まで。数多くの大切な物が。

 ――出来たことに出来なかったこと、か……。

 一刀は親子に手を振り別れ、天幕を出た。できなかったことをしかと確かめるために。

 改めて見る。

 野営地に溢れる人々を。

 多くの者が心に、体に、傷を負った。ここにいる人々はそういう人たちだ。

 やはり充足感にはそれなりの空しさがつき纏っていた。


「……何を俯いておる?」


 声の主は管輅だ。

 彼は一刀が何を考えているのか、おおよそ察しがついたのだろう。

 言葉を繋ぐ。


「おぬしは最善を尽くし、よくやったわい」

「でも、さ」

「やれることをやる。そう言ったのはどこの誰じゃったかのう?」

「……だよな」


 たらればを言い出してもキリのないこと。

 少年は救うことができたのだ。被害もある程度は抑えられたし、できることはやったはず。

 理想には程遠くでも、これが精一杯の現実だ。くよくよしていたって仕方ない。

 一刀は顔を左右に振り、よし、を合図に持ち上げる。

 すると、今度は入れ替わりで管輅がおずおずと視線を下げ、


「それに、反省せねばならんのはワシの方じゃ」


 それはまるで懺悔のように。管輅は言った。 

 

「少しばかり未来が見えるからと、それだけでワシはすべてを救える気になっておった。なんと愚かしいことか……。にもかかわらず、いざとなればあの様じゃ。おぬしが街へと走り去った後、椿に言われてしもうたわ。“本当にこのまま皆を見捨るおつもりですか”とな」

「椿がそんなことを……」

「うむ。それでも、ワシはどうしていいかわからんままじゃった。言われるがままに街へ行き、何をすればよいのか、彼らに何と言えばいいのか……。じゃが、おぬしの言葉を聞いて気がついた。ワシは皆をどこかで見下しておったのだと。力無き者として守ってやらねばならんとな。傲慢にもほどがあろうて」

「傲慢って、じいさんは少し背負いすぎただけだよ。見下してなんか……」


 慰めは必要ないとばかりに管輅はゆっくり首を振る。


「やれることがある。皆にはそれだけの力がある。なのに、ワシがすべて導いてやらねば、と勝手に思い込んでおったのじゃ」


 おそらく、管輅がこうして胸の内を晒すのは久方ぶりだろう。少なくとも、この八年間では一度もなかったはずだ。

 ずっとひとりで抱え込んできた。その勝手な思い込みとやらを。

 それは一体どれだけの重さだったのか。たとえ独りよがりな覚悟だったとしても、だ。天の御使いなんてものを背負わされそうになった男としてその凄さが少しはわかる。


「じいさん……」

「やっと目が覚めたわい。おぬしのおかげでのう。礼を言う」


 管輅は終わりに頭を下げ、その小さな両肩は憑き物が落ちたように軽く見えた。

 やっと綺麗に流れ落ちたのだろう。八年物の頑固なヤツが。

 だから一刀は、下がりっぱなしの無防備な頭に――。


「えい」


 ぽすりと手刀を落とす。らしくない。ガラじゃないだろう、と。


「はい一本。覚えてる? 最初の勝負。これで俺の勝ちだね」

「……馬鹿者め。ここは敷地外。残念ながら適用外じゃ」


 一刀にはこんな返し方しか思い浮かばなかった。

 調子が狂うのだ。あの憎まれ口がないと。

 早く、いつもの不敵なじいさんに戻ってほしい。それだけだった。

 そして、思いは伝わり、二人はわずかに頬を緩ませ、


「ひよっ子の分際で」

「うっせ、妖怪じじい」


 やはりこっちの方がしっくりくる。予定調和のいがみ合いがよく馴染む。他人行儀はむずかゆく、師弟とも少し違う。そんな二人の距離感だ。

 と、そこに新たな声が。


「――にいちゃん、管輅さま!」


 向ける視線の中には、地面に手をつき伏せる頭が三つ。あの三人組の姿があった。


「すいませんでした!!」


 察する通り、土下座から上がるのは謝罪の言葉。

 突然の出来事に、二人は顔を見合し、先に言葉を発したのは一刀であった。


「俺の分は、椿に謝ってもらえるかな」

「……にいちゃんもか」


 にいちゃんも? と不可解な返事に問い返すと、


「いや、ねえちゃんには先に謝ってきたんだ。そしたら、向こうでも、にいちゃんに謝れって言われてよ」

「そう、……ですか」

「本当にすまなかった!」


 一段と深くなる土下座を見下ろし、一刀は思う。

 どうすべきかを。

 一刀は聖人でもなければ賢人でもない。ありふれた一般人だ。

 彼らに対して怒りも憎しみも感じているし、土下座ひとつで許せる程、出来た人間ではない。

 許せるはずがなかった。あの日の椿を思えば。

 想起される記憶に、思わず拳には力が入り、


「俺は……」

「収まらねえってなら、気が済むまで殴ってくれて構わねえ! だからこの通りだ!」

「一刀」


 管輅も成り行きを注意深く見守る。

 もし、感情に任せて拳が振るわれることがあれば、やはり止めるつもりなのだろう。

 しかし、それは無用な心配だ。

 何度も言うが、この男は無類のお人好しなのだから。

 不意に力は解かれ、


「なら、もういいですから」


 謝罪をすんなり受け入れて見せる。

 自身もあれだけの怪我を負わされたと言うのに、恨みつらみは一言もなく。

 一刀は知っているから。

 震える体で、馬鹿な男を責めるどころか、励ましてくれた心優しい人がいたことを。

 暴言を待つ者にとってそれは何よりも堪えることを。

 彼らの誠意が偽りじゃないと見て取れれば、それで十分。

 そこに、椿が彼らを自分に委ねたという意味を考慮すれば、本当に何も言うことはない。

 ――許してやれってことでしょ、椿?


「あとは、じいさんに」


 男たちは、この借りはいつか必ず返します、と額を地面にこすり付けていた。

 その様子に、これでよかったんだと改めて思う。

 なら、後は管輅だ。

 男たちも言葉に従い管輅を見上げ、だが、発言は先んじて遮られ、


「ならばこれで仕舞いじゃ。ワシに謝罪はいらん。お互い様だったんじゃ」

「か、管輅さま……」


 彼も同様。

 椿と一刀が許したからには、敢えて付け加えるものなどなし。早く立んか、と彼らの手を引く。

 男たちは立て続けの酷な仕打ちに涙ぐみ、ただただお辞儀を繰り返す。それもすぐに、やめんかと制止がかかるが、なんと今度はそんな様子を見ていた周囲の人々までひとり、二人と加わりだし、管輅に謝罪を始めたではないか。

 そして、輪はどんどん大きくなり、いつしかそこは大謝罪会に。

 予想外の展開に珍しくあたふたする管輅を残して、一刀は輪からこっそり抜け出し、


「これで一応、一件落着、かな?」


 ひとり呟き見守って。ふと、考える。

 預言――。

 それはさぞかし便利な力だろうな、と。

 それを参考に行動すればまず失敗はないのだから。攻略WIKIを見ながらRPGを進めるようなものだ。

 ただ、時に過剰な便利さは人を不便なものに変えてしまう、とも思う。

 管輅がそうであったように。平原の人々がそうであったように。

 彼らは少々預言に頼りすぎた。もしくは、慣れすぎたとも言える。

 力を持つ者は知らず知らず過信するようになり、享受する者たちは堕落してしまったのだ。

 ゆえに、両者は忘れてしまう。

 未来なんて本来はままならないもので、思い通りになることの方が稀だという当たり前のことを。

 だから予期せぬ未来に対して、あまりに脆くなってしまった。不便なものに成り下がってしまった。疑心暗鬼の確執は長きに渡り、互いを遠ざけることで自身を成立させるという歪な形態を成してしまった。

 ――でも、もし本当に嫌だったら……。

 一刀は思う。

 それでも心のどこかできっかけを求めていたんだろうな、と。

 憎しみの反面。歪でも関係を保ち続けたのは、結局そこに繋がっていたからだと。

 でなければ、説明がつかないのだ。

 人々の輪からはもう、謝罪の言葉なんてどこからも聞こえてこないことに。被災の直後だと言うのに人々は笑っていることに――。 

 ――もう大丈夫だよな。

 緩む頬で一刀は思い、小さくガッツポーズ。……だが、しかしだ。この後すぐに一同は恐怖に凍りつくことになる。

 不吉の影は一刀の背後より静かに忍び寄っていた。


***


「一刀さま。少しよろしいですか?」


 聞こえる声に、反射的に一刀の背筋が伸び、強張る表情筋。

 聞き覚えのあるその声が普段より一段低く聞こえた気がする。本能が全開で訴えかけてくる。超やばいと。

 そろりと振り向けば、


「――――」


 案の定、半目の椿がこちらに向かって歩いていて。

 ひと目でわかる。理由はわからないがめっちゃ怒っている。


「な、なんじゃこの気配は……!?」


 その禍々しい威圧感に管輅も驚きを隠せず、民衆の輪からは各所でヒィ、と短い悲鳴が上がる。

 普段大人しい人ほど、怒るとおっかないの最たる例だ。

 皆、目を疑う。あれは本当に椿なのか? と。

 そんな中、椿は目の前までやってくると、とても笑顔には思えない笑顔で静かに語りはじめた。


「私、先ほど可笑しな話を聞いたんです。なんでも、一刀さまが燃える民家に飛び込んだとかなんとか。ね、可笑しいでしょ? フフフフフフフ」

「ひぃぃぃぃぃ!?」


 すっと笑う口元を隠す仕草に、上品さより殺気を強く感じるのはどうしてなのか。

 何かの間違いであってくれと願うが、漂うはただならぬ悪寒。

 管輅たちは何の合図もなしで、本能的に足並みを揃え、そろりそろりと後ずさっていく。

 標的はこちらではない。巻き込まれてなるものか、と。

 ――薄情者どもがああああああああああ!!


「一刀さま?」

「は、はい!!」

「無茶はもうしないと、約束しましたよね?」

「え? あ、あの、いや! あれは違うんだ! あれは止むに止まれぬ事情っていうか、とにかく! まず、事情を聞いてほしいんだ。そう、正しい情報を共有することが大事だよ。うん、話せばわかる!」

「なるほど。確かにそれは大事なことです。ですが、……なら、なぜ少しずつ後ずさりされているのですか? まさか逃げようとされているのですか? なぜですか? ていうか、じっとしていてください。動かないでください。止まりな、――そこへ直りなさいッ――!!」

「すいませんでしたァァ――――!」


 一刀は全力で逃げた。当然、椿は追ってくる。

 近づく二人に集団から悲鳴が再び上がり、群れは霧散した。


「なぜこっちに逃げてくるんじゃ! 他所へ行かんか馬鹿者!」

「そうだよ!! 俺たちを巻き込むんじゃねえよ! ひとりで逝ってくれ!」

「逝くってなんだよ!」


 確かに彼らは多くを失った。過去にも、今も。

 だが、すべてを失ったわけではない。残っていたものだってある。取り戻したものだって、守ったものだってある。

 それに、ちっぽけかもしれないが得たものだって。


「そうだ、借り返すって言ってたよな? よし返せ、今すぐここで! お願い、アレを止めてください!!」

「む、無茶言うんじゃねえよ! んなもん無理に決まってんだろ!」

「かぁーずぅーとぉーさぁーまアアアアア!!」

「「――ぎゃあアアアアアアアアアア!!」」


 こうして平原の街を襲った二度目の火災は、全壊、百六十棟。半壊、八百七十二棟。負傷者、四百九十七名という大きな被害出しながらも、奇跡的にひとりの死者も出すことなく終わりを迎える。

 しかし、それは受身のままで得られた奇跡ではなく、立ち向かい、掴み取った奇跡だ。それに真の奇跡と言うならば、


「そういえば、天井が焼け落ちたあの時、なんで俺、無事だったんだろう……?」

「何をブツブツと、ちゃんと聞いているんですか!!」

「――ひゃい!?」


 ちなみに。

 とっ捕まりって地べたに正座の一刀が、椿の業火を鎮火するには、さらに一時もの時間を要した。

第8話読んでいただきありがとうございます。


平原でのお話はこれでひと段落です。

次回はついにあの人物が。


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