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第3話   別れ

 誰にだって一度や二度、日常の中に非日常を望んだことがあるだろう。

 単調で退屈な毎日にちょっとした変化を求め、ほんの少しの刺激を欲する。ただし、それはあくまでも寄り道のようなもので、いつでも帰るべき日常があってこそのこと。冒険心というものは安定の中で享受するからこそ甘美なのだ。

 だというのに、世界がなんの前触れもなく、本当にその姿を変えてしまったらどうか。平凡でも確かに存在していたはずの穏やかな日々は泡沫(うたかた)と消え、それまでの暮らしが跡形もなく崩壊しまったらどうか。もしも、その馬鹿げた転調が本人の責任だとするなら、日常への回帰を望むことは愚かなことなのか。いや、どんなに愚かな行動だと咎められても、彼は決して諦めないだろう。

新たな世界で残りの一生を過ごす気はない。あるかどうかも定かではない帰る方法を必死に探す。おそらく、その道のりは長く険しいものとなるだろう。手がかりと呼べるものもほとんど存在しない。先々の不安思えば、夜もまともに眠れず、どうしたって暗くならざるを得ない。それでも、こちらの世界にだって元の世界と同様の親しんだ天則はあった。

 つまり、明けない夜はないのだ。月が暮れれば、日はまた昇る。どん底の男にも変わらず暁光は射し染める。

 新たな一日が、始まろうとしていた。


***


 異世界への転移という衝撃的な展開から一夜が明け、一刀は朝から劉備たちと共に事後処理に追われていた。

 山賊の襲撃によってもたらされた被害は少なくない。村人の死者は7名。怪我人は重軽傷を合わせて12名にのぼり、破損した家屋や荒らされた畑なども加えると対処しなければならないことは多い。

 とりわけその中でも、優先事項となっているのは怪我人の処置と死体の埋葬だ。関羽が切り伏せた山賊たちの遺体も未だ道の端に積まれたままで、倫理的な意味以外にもこのまま野ざらしにしておくわけにはいかない。なぜなら、死肉を漁る野生動物を呼び寄せてしまうし、遺体が生前に何らかの病気に感染していたら病原菌の温床ともなってしまう。これは可及的速やかに対処すべき案件だろう。

 しかし、火葬が禁忌とされていたこの時代、埋葬の方法はもっぱら土葬が一般的でこれだけの人数分ともなればかなりの重労働となる。そこで劉備たちが助力を買って出ることは、もはや当然の成り行きで、とはいえ、その彼女たちに穴掘りを手伝ってほしいと頼まれた一刀の方は、正直、戸惑いを覚えた。いかんせん、その作業は人の死という忌避の記憶に直結する行為であり、出来ることなら関わりたくないとういうのが本音だ。しかし、前日にとってしまった己が行動の後ろめたさから否とは言えず、また、今は体を動かしている方が余計なことを考えずに済む気もして、渋々これを了承。

 こうして4人は村落から少し山中へ入った場所に穴掘りを開始し、作業中、一刀はいくつかの情報は得ていく。

 情報源となってくれたのは、意外にも関羽だった。


「へー黄巾の乱ってもう終わったんだ」

「いえ、完全に沈静化したわけではありません。あくまで太平道の教祖張角とその側近たちが倒れたというだけであって、未だ大陸の各地に黄巾の徒は数多存在します。むしろ、統率が失われたことによって、本来の教義とは無関係に暴れだす無法の輩が増え、大規模な反乱こそ減少したものの、全土の治安自体はより悪化していると言えます」


 昨日の様子からすれば無視されることも覚悟していたが、二人っきりの状況で思い切って話しかけてみれば、案外、彼女はすんなりと会話に応じてくれた。その説明に相槌を打ちながら、一刀は穴を掘る(くわ)を休めることなく、己が知る三国志の歴史を思い返す。

 ――確か黄巾の乱をきっかけに王朝の衰退が加速して、群雄割拠の時代に突入するんだよな。

 いわゆる三国乱世の幕開けだ。


「そして、もはや朝廷にこれを収めるだけの力はなく、代わりに台頭してきたのが黄巾との戦で力を示した者たちです」

「それって曹操とか孫堅とか?」

「はい。他には袁紹殿や袁術殿、公孫賛殿や馬騰殿、劉焉殿といった方々たちです。しかし、曹と孫の名をいの一番に上げられるとは少々驚きました」

「え?」


 三国志といえば、やはり魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備だろう。孫権はまだ幼少で、この頃はまだ父親の孫堅が当主のはずだから、この二人の名が真っ先に思い浮かぶことは歴史を知る者にとってはごく自然な流れと言える。

 では何故、未来を知らない関羽はそれを意外だというか。

 ――ひょっとして俺の知ってる歴史とは違う……?

 劉備一行の性別が入れ替わり、話す言語も変わっているのだから歴史に変化が生じていてもおかしくない。


「…………」


 一刀の(くわ)が黙考で止まると、関羽も手を止めこちらに向き直って言った。


「確かに曹操殿も孫堅殿も先の戦乱で多くの戦功を立てられた傑物と言えるでしょう。私もお二方とは戦場を共にしたことがありますから、その実力に疑いはありません。しかし、現情勢下では曹操殿はあくまで陳留を治めるだけのいち太守でしかなく、孫堅殿にいたっては既に亡くなっておられ、孫家は袁術殿の庇護下にあります。ですから両者を大局的観点から見ますと有能ではあっても有力ではないというのが一般的な見解でしょう。対して、多くの人間が今もっとも天下に近いと思う人物の名は――献帝太師董卓です」

「……なるほど」


 董卓。その名は一刀もよく知っている。 

 ――酒池肉林の暴君……。

 正史において、幼帝を傀儡にして富と権力を欲しいままにした彼は混迷の時代を象徴する人物だ。関羽の苦々しい表情から察するに、この世界でも彼は非道な行いをしているのだろう。そんな男が今同じ時を生きているのかと思うとそれだけでゾッとするが、しかし、一刀の意識がより強く向いたのはそこではなかった。


「あのさ、反董卓連合とか組まれたりしてるの……?」

「……よくご存知ですね。実は先頃、袁紹殿より各地の諸侯へ悪逆董卓打つべしの檄文が発せられ、今まさに反董卓連合の機運が高まっているところです。かく言う我らも連合に参加すべく幽州刺史であられる公孫賛殿のもとへ向かっている途上だったのです」

「そうなんだ」


 何度も小さく頷きながら、やはり、と一刀は思っていた。

 ――孫堅の死ぬタイミングがおかしい……。

 詳しい時期までは覚えてないが、少なくとも反董卓連合の結成までは生きていたはずだ。それなのに、この時期にもう亡くなっているということは、一刀の知る歴史とは明らかに齟齬が生じていることになる。となると問題はその程度になってくるわけだが、話を聞いている限り、歴史の本流にまで劇的な変化が生じているわけではなさそうだ。安易な断定は禁物だが、今のところは多少の差異があることを確認できただけでも大きな収穫だろう。

 と、そこで、一刀はついでにあの件についても尋ねてみることにした。

 それは彼女たちの不思議な名前についてだ。名乗った名とは別に、互いを呼び合うあの名はなんなのか。今更偽名を疑う気はないものの、単なる好奇心から一刀は関羽に話かける。が、


「その前に、そろそろ止まっている手を動かしていただいても?」

「あ、はい!」


 彼女の機嫌を損ねないうちに鍬を振り上げ地面に落とす。それから改めて言った。


「それでなんだけど、なんていうか関羽さんは関羽雲長なんだよね?」

「……はい?」

「いや、そんな残念な人を見るような目しないで! 別になんであなたは関羽なんですか? とかいかにも哲学ちっくなこときくつもりはないから!」

「……じゃあなんですか?」

「ほら、関羽さんって劉備さんや張飛ちゃんには別の名前で呼ばれてるでしょ? あれはあだ名か何かなのかなーって」

「……あだ名、ですか?」

「うん。えっと、なんだったっけ。関羽さんは確か、愛――ッ!?」


 その瞬間、続くはずだった言葉はかき消されていた。何かが目の前をとんでもない速度で掠めたからだ。一刀は驚きで尻餅をつき、足元に深々と突き刺さる鍬を見て、それが彼女の振るったものだと理解する。固唾を飲みながら恐る恐る視線を上げれば、そこには怒りというよりは呆れ顔の関羽がいた。


「まさかとは思いますが、北郷殿は真名をご存知ないのですか?」

「ま、な……?」


 はぁー、と盛大なため息を吐くと彼女は説明をはじめた。


「いいですか? 真名というのは――」


 曰く、この世界では、なんと名前が二つあるそうだ。親にもらった名とは別に、書いて字のごとく真に心を許した者のみ口にすることができる魂の名で、彼女の場合なら“愛紗”がまさしく真名に当たり、


「万が一にも許可なくその名を口にしようものなら、斬られても文句は言えせんよ?」

「いや、斬られたら文句言いたくてもそれどころじゃないと思うんですけど……」

「……北郷殿!」

「――ひいいい、すいません!」


 ギロリと睨まれ、憎まれ口を直ちに引っ込めるが、ともあれ、それ程、真名とは神聖なものらしい。

 ――歴史以外にも、俺の知らない習慣や風習がまだまだありそうだな……。

 ただ、すっかりへそを曲げてしまった関羽とはこれ以上の会話はなく、劉備と張飛が戻るまでの間、黙々と穴を掘る時間が続き、人数分の作業が終わるのには丸一日を要した。


***


 一刀は時間が空くとだいたいここにいた。

 そこは決して気分の良い場所とは言えず、どちらかと言えば近寄りがたい場所だ。けれど度々ここを訪れるのは、今後について考えるには最も相応しい場所でもあったから。

 村での生活も三日目を迎え、身の振り方をもう一度考えるために、一刀は早朝からそこに立っていた。


「今日でお別れか……」


 劉備たちはいよいよ旅立つ。

 反董卓連合に参加するという目的がある以上、村での手伝いをひと通り終えた今、彼女たちがここに留まる理由はもうない。

 そして、それは一刀にも言えることだ。もとの世界に戻るためには、彼もまた旅立ちを決断する必要がある。つまり、三人とはここでお別れだ。


「……これでいいんだよな」


 あれから何度も力を貸して欲しいと頼まれたが、一刀はそのすべてを断り続けてきた。はたしてそれは本当に最良な選択だったのかどうか。


「…………」


 こればかりはいくら頭を悩ませても仕方がないことだ。考えればなんとかなる範疇の問題でもなければ、そもそも彼女たちと行動を共にするということの意味を考えれば、端から選択肢にはなり得ない。世界の救世主になる気などさらさらなく、戦場に出向くなどもっての外。ならあとは完全に気持ちの問題だ。劉備たちには悪いが、こちらにはこちらの都合があるとそう割り切るしかない。

 しかし、だからといって簡単に開き直れほど乾いた性格をしているわけでもなく。一刀は呵責で弱々しく肩を落とす。

 暗く沈んだ背に声がかかったのはそんな時だった。


「北郷殿? こんな所で何をしておられる?」 

「……あ、関羽さん」


 振り返る一刀は驚きよりもまず気まずさを感じていた。それはやはり、ばつの悪さと負い目ゆえ。一刀は誤魔化すように、おはようございます、と挨拶を交わすと、さっそく話題を逸らした。


「関羽さんこそ、どうしてここへ?」

「出立の前に少し話をと思い部屋に寄ったのですが留守でしたので、ここではないかと」

「そう、ですか」


 彼女はいつも以上に凛とした佇まいでこちらを見ている。

 おそらく、これは出立の挨拶で、彼女と二人きりで交わす最後の会話になるのだろう。

 ――始まりと終わりは同じ場所ってか。

 奇しくも二人の立ち位置は狙ったようにあの日と同じ。惨劇の痕跡こそすっかり消えているが、鮮烈な記憶は色褪せることなく、脳裏には血飛沫の舞踏が今でも鮮明に焼きついていて――、


「覚えていますか?」

「え?」

「その、北郷殿があの日、気を失う直前に言われたことです」


 少しだけ遠慮がちに投げかけられた問いに、一刀は即答できなかった。

 ――気を失う直前……?

 そう言われると、確かに何かを言った気もする。ただあの時は本当に一杯一杯でほとんど無意識で口走ったような台詞だ。それがなんだったかまでは覚えていない。


「え、えっと」

「……そうですか。覚えていらっしゃらないのですね」

 

 何故か俯き加減で普段とは違うしおらしい様子に、一刀は存分な戸惑いを覚えたが、しかし、記憶にないものはどうやったってない。慌てて頭を下げた。


「すいません! 俺なんか失礼なこと言っちゃいましたか? 言っちゃったんですね!? ほんとすいませんでした!」


 ここ数日の交流で彼女ともそれなりに打ち解けたと思っていたが、最後の最後にこれだ。

 ――結局怒られてばっかだったな俺……!

 お説教の覚悟を決めながら、一刀は頭を下げ続ける。これが一番被害を最小に抑えることができる方法だと経験から学んだ。彼女はまっすぐな性格で下手に言い訳するより素直に謝罪した方がいくらかお説教が短くなる。

 ――あとはいきなり叱りつけられるか、こんこんとダメだしされるかの二択なんだけど……。

 しかし、どいうわけか頭上から聞こえてくるのは、怒鳴り声でも冷ややかな声でもなく、くすくすと押し殺した笑い声で、


「……?」


 低頭のまま見上げた一刀は、始めてみる関羽の笑顔に思わず目を奪われていた。


「――――」


 どんなに強く、凛々しくとも、彼女はひとりの女性なのだ。

 出会いからの印象でそんな当たり前のことを失念していたが、彼女ほどの美人がにこやかに笑えばそれだけで絵になる。

 一刀がしばらく見とれていると、ひとしきり笑った彼女は少しだけ意地悪にこう言った。 


「ええ、それはそれは無礼でした。だって北郷殿は“どうしてそんなに美しく人を殺せるんだ?”と問われたのですよ?」

「げ」


 素直にも程があるだろうと記憶にない過去の自分を責めてみても後の祭り。命の恩人によりにもよって殺人鬼にするような質問を投げ掛けるとは。道理で当初の関羽さんのアタリがきついはずだ、と今更ながらに理解した男は身体中に大量の冷や汗を流していた。

 ――まずい! これはまずいって絶対!!

 別れの時にわざわざするくらいだ。相当根に持っているいるのだろう。そう考えると一連のらしくない姿にも合点がいく。つまり、先程の笑顔も怒りが沸点を超えた時にでる特有のあれで、この返答をもし誤りでもしたら――、

 ――死にたくないんですけど!!

 一刀は必死に考える。生き残るための方策を。しかし、下手な言い訳は逆効果で、馬鹿正直に、この世のものとは思えなかったから! などと答えようものなら、やっぱり即死だろう。

 どう答えるべきか。困り果てた男は顔色を赤に青にとコロコロ変化させながら唸り続ける。

 すると、どういうわけか正面から、またもくすりくすりと笑い声が聞こえてくる。それも先ほどよりも大きくだ。

 いよいよ困惑した男に、関羽は笑いを押し殺しながら言った。


「ふふ、別に責めているわけではありません。ただ単純に、それはどのような意味なのかとお聞きしたくて」

「え」


 予想外の言葉と、まっすぐな視線が一刀に届く。ようやく質問の意図を理解して、早とちりであわてふためいていた自分が無性に恥ずかしくなったが、ともあれ、一刀もまっすぐ彼女の瞳を見返し、


「えっと、 それはですね、別に深い意味とかなくてそのままの意味です。なんていうか、関羽さんがすごく綺麗だったんです。美しい舞を見ているようで」

「――なっ!?」


 その途端、彼女の顔は真っ赤に茹で上がり、


「き、ききき、綺麗などと何を! 私のような、ももんが!」

「ももんが……?」


 普段の凛々しさはどこへやら。おそらく“者が”を“モモンガ”と噛んだのだろうが、この動揺っぷりは珍しい。今も壊れたおもちゃのように同じ台詞を何度も繰り返しながら右往左往だ。

 ――そういえば、たまに劉備さんや張飛ちゃんにこんな風に遊ばれていた気もするな。

 ニヤリ。ちょっと楽しくなってきた一刀は、照れ臭さを我慢して言った。


「私のようなって、どこからどう見ても関羽さんは美人じゃないですか? 体形だって抜群だし」

「~~~~っ」


 強烈な二の矢にこれでもかと目を見開き、関羽は絶句。然る後、気恥ずかしさから直視は耐えられないとばかりに瞬間沸騰した顔を伏せていた。

 ――なるほど。こりゃ楽しい!

 普段との差が大きすぎて、初々しいその姿がなんとも微笑ましい。

 だが、一刀はそんな胸の温まる感情とは別に、一方で納得できない思いがあった。

 ――だからだろうなきっと。そんなこと言っちゃったのは。

 こんなにも愛らしい女性が人を殺すという異常。本来ならもっとも対極にあるはずの蛮行を、演舞の如く見せた現実。あの日、この場所で無意識の中からこぼれたそれは疑問というより、むしろ、嘆きに近かったのだろう。

 二度と見たくない。彼女の頬を差す赤が、返り血に代わる瞬間を。そんな現実とは無縁であってほしい。一刀はこの世界のあり方が気に入らなかった。

 そして、現状に納得できないのは彼女も同じ。もっとも、まったく別の意味でだが。

 すっかり沈黙していた関羽が呟くように言う。


「鬼と言ったではないですか……」

「え?」


 上目遣いから恨めしさを滲ませた瞳で。 


「悪霊退散だと言ったではないですか」


 どこか拗ねているようにも見える仕草に、絶句するのはこちらの番で。

 ――まさかここまで根に持つタイプだったとは!?

 ともかく、何か言わなければと焦る一刀は思いついた言葉をそのまま声に乗せ、


「い、いや、あれはその、つまりですね! 鬼というのは関羽さんの強さを表現する例えであってですね、そんなまさか関羽さんの姿が鬼に似てるとかそういうあれじゃなくて、っていうか、あの発言は実在の人物や団体とは一切関係ないのであります!」


 必死さがありありと窺える早口とおかしな口調。ビシっと伸びる背筋に意味が伝わるわけもない敬礼。そんな不恰好な男の姿に三度、くすり声が鳴った。

 

「……ふふっ、冗談です」


 関羽は火照りの残る顔を上げて、これでおあいことです、と満面の笑みを見せる。


「――っ!?」


 途端、高鳴る鼓動に、熱をもった顔を一刀は思わず伏せていた。

 ――ホントおあいこだな。

 と、そこへ、 


「あーやっと見つけた~!」「愛紗とお兄ちゃんみっけなのだ!」


 タイミングがいいのか悪いのか。劉備と張飛が駆け寄ってくる。


「もぉ~、探したんだからね愛紗ちゃん!」

「す、すいません桃香さま! 北郷殿に出発前の挨拶をと思い少し話をしておりました!」


 そして、これがよくなかった。劉備は慌てた関羽の雰囲気を敏感に察知して、むむっと眉をひそめると、


「あぁ~! そっかそっかごめんごめん。愛紗ちゃんは二人っきりでお兄さんとお話したかったんだね~♪」

「――なっ、何をおっしゃって!!」


 わざとらしく。これみよがしに。ポンと手を打ち冷やかしを。おそらく関羽を探して、村中を歩き回る羽目になったお礼も込められているのだろう。

 つい先ほどその楽しさを実感しただけに、一刀もその気持ちはわかる。が、さすがにここはフォローにまわる。なにせ一刀としても気恥ずかしさが残る話題だ。早く話題を逸らそうと割って入り、


「そ、それより、二人も挨拶にきてくれたの?」


 も、これまた墓穴。


「あれれ~お兄さんも顔赤いよ? 二人で何してたのかなぁ~?」

「「――――」」


 結局、劉備の毒牙にかかった二人は、しばらくの間、笑いの炎に身をやつすこととなった。



***



「お兄さんはこれからどうするの?」


 村の入り口へと向かう道すがら、そう問いかけてきたのは、やはり、劉備だった。こちらの今後を気にけけてくれているのもあるのだろうが、きっとこれから最後の勧誘が始まるに違いない。

 そう思った男は、少しの寂しさを感じながらも明るい声色で返した。


「とりあえず管輅さんって人に会おうと思ってる」

「じゃあやっぱりここでお別れなんだ……」


 その言葉を聞いて、突然、一刀の腰にしがみついてきたのは張飛だった。


「いやなのだ! お兄ちゃんも一緒に行くのだ!」

「張飛ちゃん……」


 この数日間でもっとも親しくなったのはこの少女だ。人懐っこい性格の張飛とはすぐに打ち解け、その奔放な明るさにどれだけ救われたことか。今後を悲嘆ではなく多少でも前向きに考えられるようになったのは、間違いなく彼女のおかげで、一刀だってできることなら、紅の髪を梳くこの柔らかな感触を放したくない。

 しかし、それでも……。


「張飛ちゃん……ごめんね」

「いやったらいやなのだ!」

「ねえ、ど~してもダメなのお兄さん? 一緒にいこうよ、ね?」


 ここぞとばかりに劉備も詰め寄ってくるが、一刀の答えは変わらない。

 ごめん、と静かに呟くと、それ以上の勧誘を阻むように関羽が言った。


「桃香さま、それに鈴々も。その話は終わったはずです」

「「うぅぅ……」」


 すがるようにこちらを覗きこむ二つの眼差しに、一刀の心は揺れる。

 張飛だけではない。劉備や関羽ともそれなりに仲良くなった。それこそ今この世界で繋がりのある唯一の人たちだ。離れることは耐え難く、このまま一緒にいられたらとどれほど思うか。しかし、どうしてもそれはできないのだ。


「一緒には……行けないよ。ごめん」


 一刀は知っている。先の未来を。これから起こるであろう事象を。彼女たちが公孫賛を訪ねる理由――反董卓連合の顛末を。

 つまり、歴史がそのまま辿るなら、彼女たちは虎牢関にて呂布と矛を交えることになる。後世でも"人中の呂布”と謳われるほどの比類なき猛将とだ。それを知りながら、どうしてのこのことついて行けようか。そこに待ち受けているものが、どれほどの非日常なのか想像もつかない。その領域に一歩でも足を踏み入れてしまったら、もう二度と日常には戻れない気がする。ならば別れの孤独を甘んじて受け入れるのは当然の帰結だった。

 

「気になさるな。何度も言っていますが北郷殿には自身の考えがあるのですから」


 臆病な心にこの気遣いはしみる。思えば、静かに傍観しながらも、最後はいつもこうして関羽が取り成してくれていた。彼女は他人にも自分にも厳しいだけで本当に心優しい人なのだろう。

 ――だからあとは関羽さんが劉備さんにも張飛ちゃんにも上手く言っておいてくれるよね。

 ところが、そうはならず、


「ですが……ひとつだけよろしいですか?」


 いつになく真剣な表情の関羽はこちらをじっと見ていた。それはまるであの日に戻ったかのように。

 一刀が黙って頷くと彼女は静かに口を開いた。


「はっきり言って私には、なぜ桃香さまが北郷殿を天の御遣いだと断言できるかまったく理解できません。いえ、それ以前に、そもそも御遣いなる者が必要だとも思っていません。なぜなら、私にとって桃香さまこそが乱世を統べる救世主であり、他はありえないからです」

「…………」


 もっともな話だ。関羽といえば、劉備玄徳を天下人にするため生涯を捧げた高潔な武人。その潔い生きざまに感銘を受けた多くの人々が、後に神として崇めたほどだ。そんな偉大な人物と同一格である彼女が、どこの誰とも知れない御遣いなどに頼るわけがなく、まして、それが一刀だとすれば論外もいいところだろう。


「ははっ、そうですよね」


 自分でも散々そう言って断っておきながら、情けないことに、相手から改めて無価値だと突きつけられると自虐の笑みがこぼれてしまう。

 しかし、続く彼女の言葉は、一刀の感情とは真逆のものだった。


「……ただ、北郷殿に同行して欲しいと思う気持ちなら、少しわかるようになりました」

「え?」

「北郷殿は、桃香さまに似ておられます」

「俺と劉備さんが?」

「はい」


 関羽は頷き、


「桃香さまには大きな志があります。それはこの乱世を治め、皆が笑って暮らせる世をつくること。無意味に人が傷け合うことなく、手と手を取り合って生きて行ける国をつくることです。そして、北郷殿のお心はその願いに通じるものがあると、この数日でわかりました」


 一刀には意味がわからなかった。

 劉備の目指すものは素晴らしい夢だと確かに思う。だが正直、一刀にはまったくと言っていいほど実感が伴っていない。未だかつて、そんな大きなスケールで物事を考えたことはないし、言ってしまえば、身の回り以外の世界なんてものは興味の外、どうでもいいのだ。ならば、これの一体どこに通じるものとやらがあると言うのか。己がそんな高尚な人間とはとても思えない。だが、関羽はあくまで似ていると黙する男に語り続け、

 

「それと、北郷殿は口癖のように、自分にはなんの力もないと言われておりましたが、それは間違っています。思うに、北郷殿は武のみを指して力と言われているようですが、それは大きな誤りです。人にはもっと大切な力があります。私はそれを桃香さまに教わったのです」


 本当に意味がわからなかった。

 己の無力さは一刀が誰よりも痛感している。力は力だろうと。きっと彼女は意志の力だとか、想いの力などの精神論的なことを言いたいのかもしれない。なるほど、一理はあるだろう。そう言った側面があることは否定しない。だが、現実問題として、彼女たちに助けられなければ、間違いなく一刀は死んでいる。それは意志や想いで覆るようなものではなく、瞭然たる事実として存在しているのだ。

 ――それとも、まさか俺にご都合主義の隠された力があるとでも言いたいのかよ?

 馬鹿馬鹿しい。それこそ根拠のない単なる過大評価だと咎める反面、浮き彫りになる己の矮小さに一刀は苛立ちを覚えずにはいられなかった。

 

「ですから、北郷殿が持っておられる力は桃香さまと同じ――」

「やめてくださいっ! 俺は……俺には……!」


 だからだろう。激しい拒絶反応が表に出てしまったのは。

 一刀には聞こえてしまったのだ。それが自分にではなく、天の御遣いに向けられた言葉のように。必要ないと言いつつも、結局は天の御遣いという特別な何かに期待しているだけだろうと。卑屈な心に関羽の想いはまっすぐ過ぎた。


「そう……、ですか。わかりました。ならば、今はもう止めておきましょう。確かにこれはご自身で解決されるべき問題かもしれません」

「…………」


 関羽は何を伝えたかったのか。結論は語られぬままだが、いつしか俯き地面を睨む一刀の肩を、彼女は、大丈夫ですよ、と優しく叩く。そして、


「さて、少し長くなりましたか。桃香さま、そろそろ参りましょう」

 

 ついに別れの時がやってきてしまう。

 この期におよんで、まだ未練が残っている己が情けなく、一刀からは何も言い出せなかった。

 彼女たちも別れを惜しんでか口が重く、しばし流れる無言の時。

 それでももう一度、関羽に促され、挨拶らしい挨拶もないまま三人と一刀の間に一歩二歩と距離が空き……。

 ――くそっ……!!

 喪失感は一刀を衝き動かした。

 咄嗟にその背を追い、待ってとばかりに伸ばした手――、しかし、一刀は途中できつく握り締め、違うだろうと深く深く頭を下げ、


「本当にお世話になりました! 道中気をつけて、その……、いってらっしゃい!」


 もう二度と会うことはないとわかっていても、別れの言葉だけはどうしても使いたくなかった。空元気で精一杯の虚勢を張る。大恩に何も報いられないせめてもの罪滅ぼしに、最後くらい明るく送り出したかったから。

 恐る恐る作り笑顔の顔を上げると、三人の表情も和らぎ――、


「いってきます♪」「いってくるのだー!」「いってまいります」


 ひとりとして別れを口にすることなく、陽気に、元気に旅立っていく。彼女たちは何度も振り返り、こちらに手を振り、一刀も小さくなる後ろ姿に、いつまでも手を振り続けた。消えてくれるなといつまでも見送り続けた。しかし、そんな都合のいい祈りが通じることもなく、ついには視界からすべて消えてしまう。


「……さようなら」


 胸を刺す惜別の思いに、男は消えるような声でひとり別れを呟いていた。



***



 振り返っても、もう村は見えない。

 桃香は村があった方角を見つめながら、深くため息をひとつ吐き、


「ねえ愛紗ちゃん? 私ね、やっぱりお兄さんが天の御遣いさまだと思うの」

「私にはわかりかねます」

「そう、だよね~」


 予想通りの返答に桃香は天を仰ぐ。

 ――あーあ、お兄さんと一緒に旅をしてみたかったなぁー。

 それは何も彼が御遣いだからという理由だけではない。もちろん今でもそうだと信じている。だが、もし違ったとしても構わなかった。

 ――お兄さんは優しいもん。

 彼の人となりを知れば知るほどそう思った。纏う雰囲気がこれまで出会った誰とも違う。性格が優しいとかそういった次元ではなく、まるで、争いがない世界からやってきたかのような穏やかな瞳をしていた。桃香はそんな彼と一緒に過ごす時間が純粋に楽しかった。


「はぁ~あぁ~」

「桃香さま……」


 ため息のおかわりに、わかりやすく肩を落とす彼女を見かねたのだろう。愛紗はやれやれと苦笑しながら言った。


「しかし、北郷殿が真の御遣いであられるならば、またいずれどこかでお会いすることもあるでしょう」

「……え?」


 すると、隣でしょげていた鈴々もパッと顔を上げ、


「本当なのか!? 鈴々はお兄ちゃんと絶対また会いたいのだ!」

「ふふっ、そうだな、私も彼とはまた会いたいものだ」


 信じていればまた会える――。

 再会を意識した途端、桃香の胸は少し暖かくなった。表情にも明るさを取り戻す。そのままついでにニタ~っといやらしく笑う。

 ――なーんだ愛紗ちゃんもやっぱりお兄さんのこと……♪

 復帰早々、善からぬことを思いつく辺りが桃香のらしさだった。


「へぇーへぇー、愛紗ちゃんもそんなに会いたいだ? お兄さんに♪」

「と、ととと桃香さまっ! そんなにとはなんですかそんなにとは――!」

「あ、また赤くなったのだ」

「赤くなどなってない!」


 鈴々も笑う。桃香が笑えば皆笑う。


「にゃはははは、赤愛紗~」 

「だ、誰が赤愛紗だ! 北郷殿の手前、ここのところずっと我慢していたが、今日という今日は……もう許さんッ!!」

「――にゃー! 今度は鬼愛紗なのだ~!」


 慌てて逃げる鈴々を照れを隠して赤鬼が追う。

 すっかりいつもの三人組だ。賑やかな鬼ごっこをくすりと横目に、桃香は空へ囁く。


「そうだよね……きっとまた会えるよね?」


 青く澄み渡る空。旅立ちにはうってつけだ。

 桃香は地平の青空に溶けていく二人の背をすぐに追いかけた。

 その足取りは、先ほどよりもずっと軽やかに――。

読んでいただきありがとうございます。


ここで桃香たちとはお別れ。そして一刀くんは新たな旅立ちです。

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