第1話 始まりの舞
以前「にじファン」に掲載していた「妄想伝」を大幅に修正したモノです。「ハーメルン」ではそのまま「妄想伝」で投稿いているのですが、タイトルも思い切っていじってみたり。
色々と至らぬ点があると思います。
それでも読んで頂けるなら、少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
是非ともご指導度鞭撻の程よろしくお願いします。
闇夜の中に浮かぶ影。
月明かりだけが注ぐ人里離れた山中に、黒衣の外套を纏う男がいた。
男の宿す瞳もまた漆黒。常闇よりも深く濃く、何を嘆き、何を思えばこんな恐ろしい色に染まるのか。彼から漂う気配はおよそ常人のそれとは異なっていた。
「いよいよ、ですね」
この日をどれだけ待ちわびたか。
ようやくだ。ようやく悲願が叶うと、男は不気味に笑い、腰から剣を抜いた。
「さあ、始めましょう」
目だった装飾もないそれを両手で握り、黒の刀身を天に突き立てる。
目を閉じ、何かを誓うように、いや、祈るように黒剣へと力を込めた。
「――――」
ただ無音の時が流れる。
まるで草木ですら呼吸を忍び、世界中のありとあらゆるものが動きを止めたかのような神秘の時間がしずしずと、しんしんと刻まれる。
そして、いくらかの時が過ぎると、男は吐息の中で呟いた。
「ああ、これで私も……」
続きの言葉を上塗りするように、静止した時が動き出す。
風だ。一陣の風が吹く。
草葉が揺れ、山がざわめく。次第に風は強くなる。木々が揺れ、山が慄くように鳴る。それから一際強い突風が停滞の帳尻を合わせるために吹き抜けると――男の姿は消える。それは端からいなかったと思わせるほど忽然と闇に溶けていた。
月夜はいつもの静寂を取り戻し、夜空は淀みなく澄み渡り、星々は燦々と瞬く。
しかし、そこには先ほどまでなかったはずの輝星がひとつあった。
とりわけ力強い光を放つその星を、後にある者はこう呼んだそうだ。
救世の星――と。
***
男子高校生が板張りの道場の床に腹ばいで突っ伏していた。
「つ、疲れた……なんだよ、素ぶり二千回て……馬鹿じゃねえの」
ぜいぜいと荒く息を切らしながら、体からは玉の汗を流し、袖を捲り上げたカッターシャツもぐっしょり。絞ればさぞかし青春の証を吐き出してくれるであろう。
板張りの床に体の熱が伝わっていくのを心地よく感じつつ、青年は荒れる息を少しずつ落ち着かせていた。
彼の名は北郷一刀。なぜ彼がこんな事態に陥っているかといえば、発端は遡ること今から二時間前。全くもって普段通りの学校生活をこなし、一刀は親友の及川と放課後を満喫して帰宅。しかし、そこにはちょっとしたサプライズが待っていた。ただいま、と開けた玄関に祖父が正座で鎮座していたのだ。
そして、祖父はその手に長年使い込んだ愛用の木刀を携え、笑顔でこう言った。
「一刀よ。今からこれで二千回ワシに殴られるのと素振りするのどっちがええ?」
「――いっ!?」
おかえりの一言も無く、古びた木刀と共に突きつけられた二択。祖父の目が全く笑っていないことに恐怖した一刀は、やむなし。
「じゃあ素振りで……」
引きつる顔でご機嫌をうかがいながら答えると、祖父の笑みはぬるりと消え、
「ぼさーっとつっ立っとらんでさっさと行ってこんか! こん馬鹿者が!!」
「――はいぃいい!」
放なたれた怒気に残っていたわずかの反抗心もかき消され、一刀は木刀片手に道場へと急行。こうして二時間木刀を振り続けた結果、精根尽きて床に寝転ぶ男が出来上がったというわけだ。
「それにしても……久しぶりだな。木刀握ったの」
一刀は熱がこもり始めた板床に新たな爽快感を求め、ごろりと半回転。天井を見上げて、そっと瞳を閉じた。
道場特有の張り詰めた静寂の中から聞こえてくるのは、時を刻む大時計の秒針と、虫たちの野外演奏。それから、過去の懐かしい笑い声だった。
「いつからだっけ……? 剣道が楽しくなくなったのって」
一刀が初めて竹刀を握ったのは五歳の時。交通事故で両親を亡くし、塞ぎこんでいた一刀を元気づけるために、北郷剣道館の道場主である祖父に勧められたのがきっかけだ。
正直に言えば、始めは無理やり握らされるだけの竹刀だった。何もわからぬまま、じいちゃんがうるさいからとりあえず程度の軽い気持ちで。しかし、次第に少年はその虜になっていった。
どんな子供もヒーローには憧れるもの。一刀にとってそれはテレビの特撮ヒーロー戦隊ではなく、木刀を振るう祖父の姿だったのだ。
何度も何度も祖父のマネをして少年は竹刀を振った。それだけで心がどうしよもなく躍り、胸の高鳴りがいつまでも止まらなかった。
強くなりたい。いや、強くなれる。誰よりも。あの日の少年はそう思っていた。疑うことなど欠片もなく、純真無垢に未来を信じてやまなかった。
だが、自身の成長と剣術の練達につれ、知りたくもなかった現実を知っていくことになる。
溢れるほどの万能感はいつしか薄れ、己の果てが垣間見えてくる。望んでやっていたはずの剣道が、徐々にやらされるものへと形を変え始めたのも、その頃からだ。
それでも一刀は必死でくらいついた。幼き日に見た夢を追いかけて自分なりに努力を続けた。しかし、その情熱が続いたのも高校に進学するまでのこと。高校剣道界は一刀をあっという間に平凡な剣士へと変え、彼の心はあっさり折れた。
そこからは剣から離れていくだけだ。これ以上知りたくない。嫌いになりたくない。夢の終わりを見たくないと。
一刀は逃げ出したのだ。
「才能……か」
閉じた瞳を見開く一刀は、天井に向かって木刀を軽く振る。
乳酸が溜まった腕は未だにだるく、それはいつもより重く感じた。
「じいちゃんの木刀。これに憧れたんだよなぁ」
少年の時分には危ないと中々触らせてもらえなかった。祖父の留守中にこっそり握っては、ヒーロー気分ではしゃぎ回ったことをよく覚えている。
「それで調子のって振り回してたら、じいちゃんの部屋の花瓶割って――って……ああ、なんだ。そっか」
結局、今も昔もじいちゃんに怒鳴られてばっかだったたな、と一刀は自嘲気味に微笑み、もう一度、瞳を閉じてゆっくりと深呼吸。まぶたの裏に映し出される光景は、花瓶を割った日の記憶だ。
散々怒鳴りつけたあとに自分を抱きしめる祖父の温もり。その腕の中でわんわん泣いた少年は泣き疲れ、いつしか眠りについてしまう。
小さな手でぎゅっと木刀を握り締めたまま。道場の床で、静かな寝息をたてる今の一刀と同じように――。
***
「――ふぇっくしゅんっ!! ……ん、やば、いつのまにか寝ちまってた」
一刀は眠りから目を覚ました。
鼻をすすり、半身を起こしてあたりを見回す。
「って、……あれ? ここどこ?」
どうも様子がおかしい。というか、そこには見慣れた道場の面影はなく、今、一刀がいるのは腐葉土の上。生い茂る草木たちは板床に取って代わり、お日様が煌々と照りつけるここは、どう見ても野外だ。
「え、うそ、森? いや山か?」
どちらにしても何がどうなってしまったのか。素振りを終えて道場でうっかり眠ってしまったはずが、目覚めるとそこは一転、大自然の中だ。
もちろん寝ぼけているわけでも、夢でもない。現実の出来事として見覚えもない場所にいるのだ。
「ま、まさかあのじじい、俺がさぼったとでも勘違いして、どこぞの山に捨てやがった――って、ないない! いくらなんでもそこまでは……」
いや、やっぱり、なくはない気がしてきた。半ば冗談のつもりだったが、考えるうちに段々とありうるのではと思えてしまうのが、うちの祖父の恐ろしいところだ。
では仮にそうだとして、ここは一体どこなのか。本当にどこぞの山中に置き去りにされたのなら、下手すれば遭難しかねない状況だ。いや、むしろ、仮説が正しいのなら、既に遭難していると言っていい。
「あはは、そ~なんです! ――ってくだらないダジャレ口ずさんでる場合か俺!」
とにかく、このままここに座り込んでいても埒が明かない。一刀が土を払いながら重い腰を上げると、足元からガランと金属特有の鈍い音が響く。
「ん? なにこれ」
それは見事な装飾が施された白銀の剣だ。剣と言っても日本刀の様な形状ではなく、儀式や祭祀で使われるような宝剣の類で、その剣は見立てよりもずっと軽く、鞘の装飾は驚くほど細やかで、柄の部分に何か文字らしきものが彫られているのに気がついた。
「漢文か? 紡想其的……うん。わかりません」
いつも居眠りばかりで、漢文の授業をまともに受けた記憶はないが、それにしたってのわからなさ。何となく見たことのあるような字もあるが、半分以上は読み方の見当もつかない字だ。一瞬で解読を諦めた男は鞘から剣を抜こうとする――が、
「あれ? ぬぅぎぃいぃぃぃぃぃって、おい」
いくら力をこめようと刀身は姿を現すことなく、まるで元から抜ける構造ではないと言わんばかりに、鞘にピッタリはまってビクともしない。
「ふおおおおおおおおおおおおおおおお」
その後、ムキになって何度か試みるも結果は変わらず。力を込めすぎてヒリヒリ痛む手のひらに息を吹きかけながら、一刀はもう一度、当たりを見回した。
すると道場に脱ぎ捨てたはずの制服と、通学カバンが近くの木の根元に落ちているのを発見。汗だくで眠ったせいなのか少し肌寒かった一刀はすかさず制服を羽織り、習慣化しきった一連の流れで、今は何時なのかと携帯電話をそのポケットから取り出し――そこでハッと気がつく。
「あっ、携帯あるじゃん!!」
人間、動転するとこんなにも気が回らないものなのか。
ともかく握り締めた携帯電話でとっとと誰かに助けを求めようとアドレス帳を開く。が……。
「圏外ぃぃぃ」
液晶上の非情な二文字に、一刀はがっくり肩を落とす。
しかし、それでも突破口は掴めた。カバンを拾い上げると気を取り直し、電波さま御来光の地を求めて道なき道を歩み出すのであった。
***
あれから何時間が経過しただろう。
降り注ぐ陽光の中をいくら歩けど圏外の呪縛は一向に解けず。映し出されるその二文字がアンテナ表示に変わることはなく。既に自分がどこから来たのかもとっくにわからず、どこへ向かっているのかなど、なお更わからない。さらに言えば、
「4月17日 20:47」
時間が進んでいないのだ。
太陽は真上にある。どう考えても今は正午付近だというのに、携帯の示す時刻は昨夜から止まったまま。
「なんだよこれ……? 電池切れなわけでもないし、壊れてるのか?」
理由はなんであれ、このダメージは重い。なぜもっと早く気がつかなかったのか。自分への歯がゆさも相まって、憤りの大きさはかなりのものだった。
溜まる鬱憤を晴らすべく、一刀は思わず杖代わりにしていた例の剣を地面へと叩きつける。
「――くそっ! ふざけんなよ!」
周囲に響く空しい金属音。
だが、八つ当たりの余韻は即座にまったく別の音でかき消された。
「うわあアァ!! だ、誰かあああああ!!」
「――!?」
聞こえてきたのは男性の悲鳴と助けを呼ぶ声。一刀はすぐに駆け出していた。
何があったかはわからないが、ほっておくわけにはいかない。何より、人の存在がその身を走らす。彼を救えば自分も助かるかもしれない。そんな打算の気持ちが働いた。
ともかく現場へ。小川を飛び越え、茂みを突っ切り、しばらく獣道を進む。笹薮を抜け、少し開けた山道にでた一刀は、しかし、咄嗟に近くの木陰へと身を隠す。
おかしな光景が繰り広げられていた。
そこには時代劇の農民風な格好をした男たちが、ひとりの男を槍や刀を突きつけ取り囲んでおり、
「ひぃっ……お、お願いだ! 殺さないで助けてけれ!!」
中年の男が泣きながら助けを懇願する姿と、それを薄ら笑いを浮かべて取り囲む複数の男たち。
――な、なんだよこれ……?
目撃したのはあまりにも想定外の光景だ。だからだろう。逆に混乱する頭はすぐにある可能性にたどり着く。
――ああ、ドラマかなんかの撮影! ……ってことは、山賊にでも襲われる村人のシーンってとこか?
なるほど。迫真の演技だ。腰を抜かして、顔面蒼白で怯える男の表情には鬼気迫るものがある。そう。まるで、本当に命乞いをしているかのように。見ているこっちが本当に殺されてしまうのではないかとドキドキしてしまうほどに。
だから、次の瞬間に起きた出来事を、一刀は瞬時に理解することができなかった。
男のひとりが何の迷いもなく、泣き叫ぶ男の胸を槍で貫いていた。
「えっ……?」
貫かれた男は背後の木にもたれかかり、白目を剥きながらヒュウヒュウと空気を漏らして崩れていく。その体は痙攣を繰り返し、胸から溢れる鮮血で死色に染まっていく。
ブチブチと強引に穂先を引き抜かれた胸は大きな裂け目が口を開き、肺が伸縮するたびに赤い飛沫を飛び散らせる。その動きも見る見るうちに小さくなり、横たわる身体はついに物言わぬただの肉塊へと成り果てた。
そのあまりにもリアルな一部始終を、一刀はただ茫然と見送り、
――こ、これ……本当に演技だよな……? そうだよな?
過ぎった悪寒に首を振る。そんな馬鹿なことがあるか、と。まさか本当の殺人現場に出くわしただなんてことあるはずがない、と。
だが、一度擡げた不安は一刀を急激に真実へと引き込んでいく。生々しい現実がもう都合のいい解釈を許してはくれない。
――お、おい、待てって。撮影ならマイクは? カメラは? クルーはどこだよ!?
これは撮影なんかじゃない。目の前で起きたのは殺人事件。あの男は確かに死んだ。しかし、その意味が理解できない。起こった現実が受け入れられない。人が槍で突き殺されるなどという非日常を、誰が容易に認めることができようか。
それでも困惑する頭で辛うじて理解できたこと、それは、
――ここにいたら……、ダメだ!
体内で鳴り響く警鐘に従い、静かに後ずさる一歩。無情にも、小枝を踏み折り、乾いた音が辺りに響き渡る。
「誰だっ!!」
「――くそっ!!!」
一刀は走った。わけもわからず走った。
今、この身に何が起きているのかも。どうして躊躇もなく人を突き殺すことができるのかも。なぜそんな狂人に追われなければならないのかも。一切合財、何もかもが理解できない。しかし、今はとにかく逃げるなければ。持てる全ての力をつぎ込み走るだけ。追いつかれれば死ぬ。それだけははっきりとわかっているから。
一刀は我武者羅に走った。木々の間を最速で駆け抜ける。枝葉が頬を切り、腕を割いてもそんなことは意に介さない。心臓が破裂しそうなほど激しく脈動しても。こんな激しい息切れの声を、未だかつて聞いたことがなくても。その足を止めることだけは決してない。
こんな所で死んでたまるかと、一刀は必死で全力疾走を続けた。
そして、視界が唐突に広けると、山中を抜けた。簡素な家が立ち並ぶ村落が見える。
――助かった!
今更、ここがどこかなどという些末な疑問は浮かびもしない。
畑を踏み荒らし、一直線で集落に入る。ここなら人がいる。叫べばいい。助けてくれと叫べばきっと誰かが助けてくれる。
「――ッ!?」
だが、見えた救いの道は儚くも崩れた。
一刀の目に映るもの。それは、おかしな格好をした数十人の賊と思われる男たちの姿で。彼らは村人たちを通りの中央に押し集め、取り囲んでいた。
「なんだ、貴様?」
「――――」
賊の頭目らしき隻眼の大男と視線が重なる。一刀にはもう逃げるだけの体力も気力も残されていなかった。何より、男の醸し出す気配が恐ろしくて、既に足は竦んでいる。きっとこの男は何人も、いや何十人も人を殺してきたに違いないと確信させる。
「あっ……あぁ……」
恐怖から声が喉でつかえて出てこない。口はカラカラで唾液が一滴も湧いてこず、鼓動は暴れ狂い、過呼吸の息づかいだけが鬱陶しいほど耳につく。ただ意識するのは――絶対の死だ。
「なんだその白い着物は? おかしな格好だ。それにこの村の人間じゃないな。何者だ?」
「お、俺は……、その、……っ」
膝が震える。視界が滲む。その中で確信に近い予感が胸を刺す。例え何を言おうが、どう足掻こうが、ここで俺は殺されると。
「まあいい。村人じゃないなら、消えろ」
振り上げられた刃が一刀を目掛けて振り下ろされた。
「あっ」
人はそれを走馬灯と呼ぶのだろう。極限状態の末、一刀には迫る刃がコマ送りで見えていた。しかし、あくまで見えているだけで体は動かない。というか動かすという意識すらない。着実に近づいてくるそれを目で追うだけ。絶命の瞬間を限界まで引き伸ばすのみ。だから、ゆっくりだろうと必ず最後のひとコマが訪れ、
――死んだ。
凶刃が首に触れた瞬間、周辺に真っ赤な血を撒き散らしながら、人であった物が大地へと崩れ落ちる不快な音が鳴る。あっけなく、確かな死は訪れた。
「「お、御頭ァ――ッ!!」」
ただし、それは一刀にではなく、頭目のもとに、だ。
「なんだてめえは!!」
焦点の合わぬ視線で、一刀は呆然と前方を見つめながら、思い出したかのように自分の首が繋がっているのかを、そっと震える手で確かめる。
大量の返り血を浴びたその手は真っ赤に濡れていたものの、
――生きてる……?
さらに、首のない屍が沈む血池の向こう側では、
「はっ、生憎だが、外道に名乗る名など私は持ち合わせておらん」
長い絹のような黒髪を左側に結い上げ、歩みに合わせて棚引くその美しい後ろ姿は、間違いなく女性のものだった。
無数の殺気を受ける彼女は偃月刀をかざし、
「鈴々、桃香さま、今のうちに村人たちを!」
「わかったのだ!」「うん任せて! さあ皆さんこっちへ!」
声と共に脇から、これまた二人の女性が飛び出し、村人たちを手際よく解放し、
「おぬしも早く逃げられよ」
「……え?」
わずかに覗いた横顔は、あろうことか自ら賊の群れへと猛然と飛び入った。
「地獄で詫びろ!! 下郎共が!!」
「――――」
そして驚くことに彼女は賊を次々と斬り払っていく。突かれる槍も払われる刀も決して彼女には届かない。弾いては裂き、避けては穿つ。流れるようなその動作は、まるで舞を見ているかのような流麗さだ。殺人現場にいながら美しいと思えてしまう異常な感性に、一刀は戸惑いを覚え、いや、あるいはそれもこの異常な状況がもたらした当然の帰結なのかもしれない。
「なんだよこれ……」
とうに振り切れた理性は魅入られ、舞い散る血飛沫でさえ彼女を魅せるための彩りであるかのように感じてしまう。これまでの状況も一刀にとって常軌を何周も逸したものだったが、眼前の光景は、もはや映画やアニメの世界で展開されるそれだ。現実とはとても認識できない。次元が違う。そこにはもう、悲惨さ凄惨さを感じるよりも、あまりの彼女の強さに美を思う男がいるだけだった。
幻惑の時はあっという間。
五分もかからない時間で、三十人はいたであろう賊を彼女は全て斬り捨てた。その終劇を一歩たりとも動くことなく、一刀は食い入るように見届ける。
視線に気がついた彼女がこちらに振り返った。
「む、おぬしまだこんな所で突っ立っていたのか。どうした? 怪我はないか?」
「綺麗だ」
「……は?」
「どうして……、どうしてこんなにも美しく人を殺せるんだ?」
「はぁ?」
途端、一刀はそのまま糸の切れた糸繰り人形のように膝から崩れる。
心も身体も限界だった。
「お、おいっ! 大丈夫か! しっかりしろ!」
抱きとめられた胸の中で、血の臭いと優しい温もりを感じながら意識が遠のいていく。
「気を失ったか……、おかしな奴だ」
意識が途切れるその間際、一刀は小さな笑い声を聞いた気がした。
読んでいただきありがとうございます。
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