第五話
「死とは何だろうね」
私の隣に座った男が、そんな問いかけをしてきた。
いきなり何を言い出すんだというように彼を見上げたが、彼は至って真剣な顔つきだった。
「衰退の先にある停滞だろう。あなたの専門分野じゃないか」
私はそう答えた。
死とは身近に溢れているものだ。
わざわざ思考を割こうとすら思わないほどに、厳然としてそこに在る。
過去の一時は死を恐れたこともあったが、一部の例外を除いてそれが普遍的に訪れることを理解してから恐怖は無くなった。
「だが、我らからは最も遠いところにあるものだ」
その、一部の例外に位置する男が言った。
「幾千万の死を見てきたのに?」
「いくら見聞きしようと、理解には至らぬ。脆弱な人間と我らは似て非なるものだ」
まるで人間の死など無価値であるかのように彼は吐き捨てた。
人間である私の目の前で。
「あなたがたにだって、死は訪れるだろうに。その脆弱な人間に死をもたらされた仲間のことを忘れたか?」
彼の高慢な言葉への意趣返しのつもりで、私は皮肉った。
「怒ったのか?お前の人間好きにはほとほと呆れ返るな」
「あなたはお忘れかもしれないけれど、私は人間だからね」
嫌味たっぷりにそう言うと、彼は予想外のことを言われたような顔で私を凝視した。
「ああ…そうか、そうだった。――ならば、お前もいつかは、死ぬんだな。」
そんな当然のことを思いつめたような顔で言う男がおかしくて、私は少しおどけてみせた。
「当然だ。ああ、置いて行かれるのが嫌なら、あなたは私が殺してあげようか?」
冗談のつもりでそう言った。
だが、彼はそう取らなかったようだ。
「そうだな。俺はお前に殺されたい。」
そういって立ち上がる彼に、私はしばし呆然となった。
そのまま立ち去ろうとする彼を、私は引き留めようと――
○●○●○
「――待ってよフェルマータ!」
シヴァは目を覚ました。
自分の声で目を覚ますなんて、どんな間抜けだと思いながらエリアスのほうを窺う。
幸いなことに熟睡しているようで、シヴァの声で起きた様子はない。
シヴァはほっと胸をなでおろした。
寝言で他人を起こすなど、間抜けを通り越して迷惑極まりない。
シヴァたちは現在森林の中、ひときわ樹齢を重ねた大木の元で野営をしている。
広大な森林には人が行き来する道が確立されているものの宿はないため、これから最低でも一週間ほど王都に着くまでは野宿が続くらしい。
シヴァは寝床を選ぶ性質ではないので、今のところ不眠で悩まされたりはしていないが、地面に寝袋一枚だとやはり体が痛む。
一旦起き上がり軽く伸びをすると、ぱちぱちと爆ぜる焚火をぼうっと眺めた。
魔法で作られた焚火は衰えることなく燃え盛り、あたりの獣を散らしてくれる。
散らしてくれる、はずなのだが。
気のせいか、焚火の向こうに光る眼が二つ。
目を擦っても消えないので幻覚ではないようだ。
簡易結界が張ってあるので、獣の一匹や二匹を恐れることはないのだが、結界は目に見えるものではないので視覚的恐怖はぬぐえない。
その上、こちら側が明るいために、暗闇である向こう側の様子がわからないのだ。
もしかしたら、見えない範囲には何匹もの獣が潜んでいるかもしれない。
シヴァは獣を刺激しないようにエリアスの側へにじり寄ると、小声で彼の名前を呼んだ。
すると熟睡していたはずのエリアスは予想外にもすぐに目を覚ました。
やはり先ほどの寝言で起こしてしまっていたのかと若干恥じ入りながらも、シヴァはエリアスに現状を説明した。
「まずいね。」
即座に探査の魔術を展開したエリアスが呟いた。
「近くに10匹近い狼が潜んでる。火にも慣れてるようだし、魔法で一掃するには木が邪魔だね。」
「逃げますか?私、足には少々自信がありますけど」
「獣相手に追いかけっこは得策ではないけれど…仕方ない、走ろうか。」
方針が決まり善は急げと、枕代わりにしていた荷物をひっつかみ、シヴァとエリアスは猛然と走り始めた。
走るのが得意だという言葉に偽りはなく、シヴァは男性であるエリアスに勝るとも劣らない勢いで森を駆け抜けていく。
というより、小魔術で狼を牽制するエリアスをシヴァが引っ張っていく形だ。
狼にも縄張りがあるのか、走っていくうちに、一匹、また一匹と数が減っていく。
このまま行けば逃げ切れるかというとき、シヴァは運命の残酷さを呪った。
「なんでこんなところに倒木が。」
完全に道をふさぐ形で木が倒れていたのである。
それほどの太さはないが、乗り越える瞬間は確実に背中が無防備になるだろう。
追ってきた狼は残り一匹。
シヴァとエリアスは倒木と狼に挟まれるかたちで停止した。
狼は警戒心ゆえか、いきなり飛びかかってくる様子はない。
エリアスは息を乱していて魔術を使えるような状態ではないし、回り道をするにも道をそれて足場の悪い森の中へ踏み込むのは愚策。
ならば、とシヴァは鞄を探る。
手探りでそれを探し当てると、鞘から引き抜き狼へと投げつけた。
ひゅっと風を切り、それは一直線に狼の頭部へと向かっていき――。
「おお、当たった…」
シヴァが投げたのは、昨日エリアスに買ってもらった短剣であった。
短剣は眼球を貫き脳まで達し、即死させたようだった。
「隙ができればと思ったんですけど、案外当たるものですね」
「いや、普通は当たらない。シヴァ、相当運良いんだね…。」
なぜか脱力したように呟くエリアスと、
「でもこの短剣、本当に役に立ちましたね。でも血まみれだしこれでお役御免ですね!」
対照的に短剣を手放して妙に晴れ晴れとした顔のシヴァであった。