第一話
シヴァを召喚した青年はエリアス=ザカリアルと名乗った。
藍色の長髪を背中で一纏めにし、青玉を宿す目元は隈どりをしているのかくっきりと際立っている。
長身の体にゆったりとしたローブを着ており、耳や腕には多数の装飾品が見え隠れする。
動くたびに耳飾りがしゃらしゃらと音を立て、まるで女性のようないでたちだ。
高価そうな装飾品を無造作に扱う手つきからして、かなりの富裕層であることがうかがえる。
立ち居振る舞いもそこはかとなく気品が漂う…気がする。
そして一番の特徴と言うべきは、その端正な顔にほとんど表情というものが浮かばないことだ。
だからと言って冷徹に見えるわけではなく、顔立ちが甘やかであるためか、せいぜいそっけなく見える程度であろう。
その見た目と雰囲気、そしてこれまでのの経験から、エリアスは貴族かそれに準ずるものであろうと勝手に予想する。
もっとも見た目だけで人の立場を推し量れるほど、シヴァは人生経験が豊富な訳ではないのだが。
見た目から判断すると、年齢は二十過ぎといったところだろうか。
シヴァが十八だと明かすとエリアスは微かながらに驚いた表情をして言葉遣いを改めたので、こちらの世界では見た目と年齢に齟齬があるのかもしれない。
エリアスは年齢だけではなくシヴァの性別も勘違いしているようであるが、そちらの誤解は敢えて解かないでおく。
エリアスが男である以上、男尊女卑の考えがあろうとも、その逆は無いと考えたためである。
今更女だと明かすのが屈辱的であったとか、そんな理由ではない。決して。
○●○●○
エリアスは一通りシヴァと会話を済ませると、疲労困憊したように座り込んだ。
魔力というのは体力と別物ではあるが、使用に際し疲労を伴うらしい。
人間を召喚する術と言うのはかなりの魔力を消耗するらしく、すり減ったエリアスの体力が回復するのを待つため、一晩この場所で野営することとなった。
ちなみに現在二人がいる場所は森のひらけた場所であり、100M四方の空き地が広がっている。
不自然な境界で草木が途絶えているから、恐らく人為的に作られた空間なのだろう。
どうせなら近くに小屋でも作っておいて欲しいものである。
空地にはなにやらびっしりと文字らしきものが書きこまれており、それがシヴァを呼び寄せた魔法陣なのだと簡単に推測できる。
これを書くのにどれほど時間をかけたかを思うと、シヴァは全くもって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それほどの労力をもってして呼び出されたのが自分のような一料理人だったなど、あまりにも報われない。
せめてものお詫びに自分の特技を生かすべく食事を作ろうと思ったのだが、残念なことにエリアスは携帯食しか持っていなかったので、料理をする機会は得られなかった。
周りが森であり食材は溢れているはずだが、シヴァは素手で動物を捕まえた経験もなく、植物系統は生態系が違う可能性が高い。
下手に採取して毒にでも中ったら目も当てられぬ事になりそうだ。
そもそもシヴァは元の世界でも、自分で食材となる植物を採取した経験がない。
食材とは与えられるものであり、自ら狩るものではなかった。
シヴァがやっていたことといえば、せいぜい採取され市場に出回っているものを比較し吟味するくらいである。
味気ないパンのようなものをもそもそと食べながら、シヴァは今までの恵まれた生活を痛感した。
己の至らなさ加減に涙が出そうだ。
エリアスは呆れていないだろうか。
そろりと視線をあげ、伺い見る。
シヴァの対面で干し肉を食べているエリアスは、相変わらず無表情で何を考えているのかよく分からない。
「美味しいですか?あ、いや、私はまずいなんてこれっぽっちも思ってないですけど!」
無難な話題を選んだはずが、余計なことを口走っていた。
だがエリアスは特に気にした様子もなく、少し首を傾げただけだった。
「それを美味しいと言う人はいないと思うよ。申し訳ないけど、明日村につけばもう少しましなものが食べられるから我慢してほしい」
「村、ですか」
「一旦王都に戻りたいから、シヴァの馬を最寄りの村で調達する。王都までは馬で5日ほどかかるからね」
国内の移動でも数日を要することにシヴァは驚く。
魔法一つ使う場所の確保に5日--往復で10日もの時間をかけるとなると、魔法とはそれほど便利なものではないのかもしれない。
だが先刻、エリアスが枯れ木に火をつけるにあたって、陣を描く様子はなかった。
魔術というのは使い勝手が良いのか悪いのかよく分からないが、それを説明させるのも躊躇われる。
ただでさえエリアスは疲れた様子であるし、ど素人のシヴァに魔法を一から説明するのはつらいだろう。
ということで、もう一つ気になったことを聞いてみる。
「王都ということは、この世界には王様がいるんですか?」
「シヴァの世界にはいないのかい?」
「いえ、そのような立場の人は一応いましたね…。こちらの王様はどんな役目を果たしているんでしょう」
エリアスが少し考え込む。
質問が抽象的すぎただろうか。
「税を集めたり、政治の方針を決めたり――直接は議会が決めているから、それを認可することかな。国家の催事には当然顔を出すし、神や悪魔との交渉も王族の仕事だ」
何だか聞き捨てならない言葉が混じった気がする。
「…悪魔?」
「神や悪魔というのは、簡単に言えば人間の上位種だ。魔力や筋力、容姿に至るまですべてが人間の上を行き、人では打ち勝つことが出来ない存在と言われている。トレボロを除けばね」
――トレボロ。
嫌な響き。
その言葉を聞いた瞬間背筋がぞわりと粟立ち、シヴァは唇をかみしめた。
エリアスはシヴァの変化には気づかないようで、よどみなく説明を続けていく。
「悪魔というのは、神の中で人間に害を与えるものを指す。」
シヴァは悪魔=邪神と脳内で置き換える。
「それほど強いのに、悪魔に交渉の余地が有るんですか?」
「危険ではあるけど、言葉は通じるからね。それに低級の悪魔に対してはトレボロで対抗できる。トレボロは分かる?」
「分かります」
それ以上その言葉を聞きたくなくて即答した。
「王様は命を張って国民を守っているんですね。」
「王とはそういうものだろう。だからこそ国民は王族を敬い愛するのでは?」
シヴァは目を伏せた。
エリアスの言葉はきっと正しい。
しかし、シヴァの国における王とは果たしてそのような存在だっただろうか。国民は王をどう思っていた?
シヴァは首を振る。この世界と元の世界を比べること自体、きっと意味のないことだ。
この世界の王は本分を果たし、国民は王を慕っている。
そのような関係にある王と国民はとてもきれいで羨ましいけれど、シヴァの世界ではきっとそんな関係は叶わない。