第十一話
今回集まった討伐隊は数にして百人弱。
頭数でいえば、魔獣を圧倒的に上回っている。
だが夜闇は魔獣たちに味方した。
「魔獣が出たぞおおお!!」
そう叫んだ男が、三秒後には片腹を喰われていた。
音もなく闇から現れた魔獣に誰一人動けなかった。
予想以上に素早い獣の動きに、シヴァは目を瞠る。
そのまま男の腹を食いちぎった獣は悠々と闇へと同化していった。
それを皮切りにして、場が一気に恐慌状態に陥った。
恐怖に駆られた十数人の人間は街の方向へと走りだし、隊の外側に配置された人員は中心に逃げ込もうとした。
無秩序に人が入り乱れ、ただでさえ碌に見通しのきかない視界がますます狭まる。
もし魔獣が、この混乱を予想してああいった攻撃を仕掛けてきたというのであれば、シヴァたちは彼らの知性を甘く見ていたと言うしかない。
このままでは、何も出来ぬうちに討伐隊は全滅する。
「どうすれば…。」
シヴァはすがるようにエリアスを仰ぎ見た。
そのシヴァの目に映ったのはすでに陣を描き終えていたエリアスが魔法を展開するところであった。
人の背丈を超えるほどの、炎の壁。
松明の数倍の光量を持つそれは、数匹の魔獣を焼き払いながら彼ら全体の姿を浮かび上がらせた。
つややかな黒い毛皮をもつ、尾の長い獣。
幾十もの金色の目が炎に照らされてらんらんと輝く。
姿を隠せないと悟ったのか、獣たちが次々に襲い掛かってくる。
弓を持っていた数人が矢を放つが、ほとんどは掠ることもなく闇に吸い込まれていく。
街人のほとんどは長剣を携えているが、中には剣の持ち合わせがなかったのか棍棒や鉈を振り回している者もいる。
わずかではあるが魔術師らしき人の姿も見えるが、寄せ集めの集団なだけあって連携は全く取れていない。
魔獣の牙が、爪が、人々の命を奪っていく。
エリアスが立つ場所は隊の後方に位置しているが、魔獣が到達するのも時間の問題だろう。
魔術師はとても心強い存在だが魔術という攻撃の特性上、接近戦となるとひどく脆い。
中級の魔術の方陣を描くのでも数十秒を要するのだ。
魔術師がまともに力を奮えるのは、不意打ちか前衛がいるときに限られる。
このままではエリアスの命まで危険に晒される。
シヴァが、わがままを言ったせいで。
シヴァと同様の懸念を抱いたのか、エリアスは早々に賭けに出ることにしたようだ。
中規模の魔術で三匹の魔獣を屠ると、隣で突っ立っていたシヴァの耳に口を寄せた。
周りの喧騒が煩すぎて、そうしないと声が聞こえないのだ。
「僕はこれから座標系の魔術を使う。五分くらいかかるけど陣を描いてる間動けなくなるから、本当に危なそうだったら教えて」
シヴァはこくりと頷く。
この状況で五分もかけるということは、恐らくエリアスはその魔術で魔獣を一掃するつもりなのだろう。
だがこのままで五分持つだろうか。
人々の健闘で魔獣はその数を半分ほどに減らしている。
だがそれ以上に人の被害は大きい。
魔獣が容赦なく人の急所を狙うせいで、後ろに控える救護班へ運ぶ暇もなくこと切れていく。
逃げようにも相手の方が圧倒的に足が速いのだ。
背中から追い打ちをかけられて死んでいく者が何人もいた。
むせ返るような血のにおいが風に乗って運ばれてくる。
――人とはこんなにも脆弱だったのか。
体の芯が凍えるように寒い。
シヴァの目の前に、血で濡れた剣が転がってくる。
もう、すぐそこまで魔獣が迫ってきているのだ。
剣を拾おうとして、それを躊躇う自分がいることにシヴァは気づいた。
――武器を握りたくない。
周りでこれほどの人が死んでいるのに、そんな甘いことを考えた自分に失笑する。
――私は何のために召喚された?
――世界を救うため?私に世界など救えない。
ならば無理に武器を握って戦うよりも、このままおとなしく死んだ方がいいのではないだろうか。
だが、その考えはエリアスに迫る二匹の魔獣の姿を見た瞬間吹き飛んだ。
方陣ははまだ未完成で、エリアスはそちらしか見えていない。
――私が死ぬのは自業自得だ。でもエリアスはそうじゃない…!
意識が白熱する。
時の流れが酷く緩慢になるのを感じながら、シヴァは剣を拾いあげた。
凍えていた身体が熱を持ち、勝手に動きだす。
地面を強く踏み込み、シヴァは魔獣のもとへと飛び込んだ。
○●○●○
「この街を救ってくれて本当に有難う。被害は大きかったけれど…これからは安心して暮らせるわ」
疲労でそのまま丸一日眠っていたエリアスが目を覚ますと、アーシェがエリアスたちの部屋を訪れていた。
杖を使えば一人でも歩ける程度に回復したらしい。
魔獣の討伐による死者は六十余名。
死者が隊の半分を超えたところで、討伐隊のほとんどは死を覚悟した。
だがエリアスの魔術が完成し、紫雷が魔獣たちをピンポイントで打ち抜いたことで形勢は逆転した。
ほとんどの魔獣は即死し、絶命に至らなかったものもすぐにとどめを刺された。
もしかしたら、森の中にはまだ魔獣が生息しているのかもしれないが、そこまではシヴァたちの与り知るところではない。
明後日には殉死者の葬儀を執り行うそうで、シヴァ達も出席を勧められたが、急ぐ旅であることを理由に断った。
「もう行ってしまうの?私、一人でこの街をまとめる自信がないわ。ね、力を貸してくれない?」
アーシェが不安そうに瞳を揺らすが、流石に今度はシヴァも頷かなかった。
その代わりにエリアスが口を開く。
「それは単に君が統治者としての覚悟をしてないだけ―-」
シヴァは肘で小突いてエリアスを黙らせた。
「空気を読めと一昨日言ったばかりでしょう。女性の心はガラスでできてるんですよ」
小声でエリアスに囁き、申し訳なさそうな顔をアーシェに向けた。
「ごめんなさい、エリアスはとても大切な用があるのに、私に付き合ってくれただけなんです。私だけこの街に残っても邪魔なだけでしょうし、申し訳ありませんけど行かせてもらいますね」
「そう…。」
シヴァだけ残っても邪魔だということを否定しないあたり、アーシェはとても正直だった。
シヴァは軽く傷つきながらも、さりげなく路銀と食料を要求し荷物用の馬もせしめたところで、街を後にした。
○●○●○
「ところでシヴァ」
馬を歩かせながら今後の話をしていたところで、エリアスが思い出したように話を変えた。
「なんですか?」
「シヴァがすごく手際よく魔獣を殺してたって討伐隊の一人が言ってたんだけど」
「…何のことですか」
「やっぱり彼の見間違いかな。シヴァはずっと僕の傍にいたしね」
「きっと、そうですね。皆冷静ではない状態でしたし、勘違いしてもおかしくありません」
シヴァはそう言って、ゆっくりと笑みを形作った。