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『剣を持たない受付係は、今日も冒険者たちを生還させる』

作者: 紅茶伝
掲載日:2026/05/06


 朝の空気はまだ冷えていた


 石畳に残った夜露を踏み潰しながら、冒険者たちが次々と通りを歩いていく


 剣を背負った男、杖を抱えた魔術師、大荷物の採集屋、眠そうな顔の運搬人――その全員が向かう先は、街の中央に建つ大きな石造りの建物だった


 冒険者ギルド《黒鉄の角亭》


 朝六時


 本来なら静かであるはずの時間帯だが、この建物だけは別だった


 分厚い木扉が開かれるたびに、酒と鉄と革の匂いが混ざった熱気が外へ流れ出し、内側からは怒鳴り声と笑い声、椅子を引く音、硬貨のぶつかる音が絶え間なく響いてくる


 依頼更新の日だからだ


 稼ぎの良い護衛依頼


 素材価値の高い討伐依頼


 期間限定の特別採集


 条件の良い依頼は早い者勝ちになる


 だから朝のギルドは戦場になる


「押すなって言ってんだろ!」


「おいその依頼取ったの俺が先だ!」


「受付どこだよ!?」


「討伐報告の列こっちじゃねぇ!」


 怒声が飛び交う


 肩がぶつかる


 新人冒険者が列に飲まれて転び、後ろから来た大男に踏まれそうになる



 ――その瞬間だった


「止まってください」


 大きな声ではなかった


 怒鳴ったわけでもない


 それでも、その一言だけで妙に空気が止まる


 転びかけた新人の前へ、一人の男が自然に入り込んでいた


「あなたは後ろへ一歩。……はい、そちらの槍、下げてください。危ないので」


 黒髪の青年だった


 二十代半ばほど


 派手さのない服装に、腰には武器すら下げていない


 ギルド職員用の濃紺のベストだけが、彼が受付係であることを示していた


「討伐報告は左列です。依頼受注は右。素材査定は奥へ回してください」


 男は視線を動かしながら、ほとんど間を置かずに指示を出していく


「あなた、怪我してますね。治療班へ」


「え、あ……」


「そこの二人は今口論しても順番変わりません。先に書類を出してください」


 言われた冒険者たちは、不思議なほど素直に従っていた


 怒鳴られているわけではない


 威圧されているわけでもない


 だが、逆らうより従った方が早いと自然に思ってしまう


 青年の名前はカイル


 《黒鉄の角亭》の受付係だった


「相変わらず朝から大変そうだな」


 近くを通った中年冒険者が苦笑する


 カイルは書類を整理しながら軽く肩をすくめた


「毎日です」


「よく回せるよほんと……」


 そう言われるのも無理はなかった


 普通、冒険者ギルドという場所は荒れる


 血の気の多い連中が集まり、金が絡み、命が絡み、酒が入る


 揉め事が起きない日の方が少ない


 だがこのギルドは、他より圧倒的に問題が少なかった

 理由は単純


 カイルがいるからだ


 彼は強くない


 剣技も並


 魔法も平均程度


 冒険者として見れば、埋もれる程度の実力しかない


 だが代わりに、別の才能を持っていた


 人を見る才能


 人を動かす才能


 誰と誰が相性悪いか


 誰が限界寸前か


 誰が焦っているか


 誰に何を任せれば最も上手く回るか


 それを異様な速度で整理できる


 だから冒険者たちは、いつの間にか彼の指示に従うようになっていた


「カイルー!」


 受付奥から女性職員が顔を出す


「また揉めてる!」


「どこです?」


「酒場側!」


 カイルはため息を飲み込みながら立ち上がる


 向かった先では、案の定、大柄な冒険者二人が掴み合い寸前になっていた


「だから俺の取り分が少ねぇっつってんだろ!」


「お前途中で逃げかけただろうが!」


 周囲には野次馬


 机には割れたジョッキ


 床には酒


 最悪だった


 だがカイルは焦らない


 まず視線を動かす


 片方は顔が赤い


 酒が入っている


 もう片方は怒っているが、理性は残っている


 周囲はまだ“面白がっている段階”


 つまり、今なら止められる


「はい、まず離れてください」


「はぁ!? 関係ねぇだろ受付が!」


「関係あります。机壊したら弁償なので」


 ぴたりと男が止まる


「あとあなた」


 カイルは片方を見る


「左足引きずってますね。昨日の怪我、開きかけてます」


「……っ」


「痛みで余裕がなくなってるだけです。今日は帰って休んでください」


 男が言葉を失う


 図星だった


 カイルはもう片方を見る


「あなたは酒抜いてください。今判断力落ちてます」


「……」


「でないと明日、後悔しますよ」


 静かな声だった


 責めているわけじゃない


 ただ状況を整理して並べているだけ


 それだけなのに、不思議と熱が冷めていく


「……悪かったよ」


「俺も、ちょっと言いすぎた」


 周囲の冒険者たちが感心したように笑う


「また収めたぞ」


「なんなんだろうなあの人」


「説教臭くないんだよな」


 カイルは割れたジョッキを拾いながら小さく息を吐く


 本音を言えば、面倒事は嫌いだった


 怒鳴り声も好きじゃない


 できれば静かに仕事をしたい


 だが、放っておくと誰かが死ぬ


 冒険者という仕事はそういう職業だった


 だから彼は見る


 崩れそうな人間を


 噛み合わない関係を


 無理をしている新人を


 壊れる前に止める


 死ぬ前に帰らせる


 その積み重ねだけで、このギルドは少しずつ安定していった


「カイルさん!」


 新人冒険者が駆け寄ってくる


 まだ革鎧も硬そうな少年だった


「初依頼、受けたいんですけど……」


「戦闘経験は?」


「ほとんどないです」


「仲間は?」


「いません」


 カイルは少し考える


 そして依頼札を数枚見たあと、一枚を抜き取った


「薬草採取です。東側の街道沿いなら危険も少ない」


「討伐じゃなくて?」


「あなたはまだ周囲を見る余裕がありません」


「……」


「最初は生きて帰ることを覚えてください」


 少年は悔しそうな顔をした


 だがカイルは誤魔化さない


「強くなりたいなら、まず死なないことです」


 その言葉だけは、妙に重かった


 少年は黙って依頼札を受け取る


「……はい」


 去っていく背中を見送りながら、カイルは再び受付へ戻る


 広間ではまた怒鳴り声が響き始めていた


 誰かが笑い


 誰かが揉め


 誰かが夢を見て


 誰かが命を賭けている


 そんな混沌の中心で


 武器を持たない一人の男だけが、今日も冷静にギルドを回していた。


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