第7話 真実を告げる日
怒り狂った海は嘘のように静まり、夜空には満天の星が瞬いている。
葵と澄海は、肩を並べて立つ。髪に砂をまといながらも、互いのぬくもりだけは確かに残っていた。
「……すまなかった」
澄海が低くつぶやく。蒼い瞳には悔恨の色がにじんでいた。
葵は小さく首を振り、その横顔を見つめる。
「あなたは私を守ろうとしてくれた。止められて……よかったのです」
波の間に沈むその言葉は、まるで祈りのように澄んでいた。
澄海は目を細め、そっと葵の手を握る。
「そうか。葵、お前は強いな」
「いいえ、あなたがいてくれるから」
葵は、澄海の目をまっすぐに見つめた。
「……共に生きてほしい。海の神としてではなく、一人の男として」
「はい。私も、あなたと生きていきたい」
夜空を覆う星々が、ふたりの誓いを見守っていた。
*
翌朝――。
工場の片隅に設けられた小部屋。葵はお雪に支えられながら席についた。
窓の外では、海を渡る朝の光が差し込み、荒れた浜辺を金色に染めている。
傍らには澄海が立っていた。その手は葵の肩を支え、その温もりを伝えている。
これから――記者会見が始まる。
壇上に立つ葵は、深呼吸して一歩を踏み出す。白い光が無数のカメラから瞬き、熱気が肌を刺した。
「私は……御鷹葵です。これまで男の跡取りとして生きてまいりましたが――」
ごくり、と葵は唾を飲み込む。
「本当は、女です」
会場がざわめいた。記者のペンが一斉に走る。
「そして、私は汐見澄海さまの妻であり、その御子を身ごもっています」
一気に、会場が沸く。一拍置いてから、拍手が次第に広がっていった。
その傍らで澄海が手を伸ばし、強く握り返す。
「そなたこそ、私の花嫁だ」
その一言に、会場はさらに大きな拍手に包まれた。
だがそのとき――。
「黙れ!」
玄道が壇上に飛び込もうとした。怒りに顔を歪め、娘の言葉を封じようと腕を伸ばす。
しかし報道陣のカメラが一斉に玄道を向き、光が浴びせられる。
「御鷹玄道氏、今の発言はどういう意味ですか? 『男の跡取り』として娘を偽らせていたのは事実ですか?」
「御子を宿した娘を罵るのか?」
記者の追及に玄道は言葉を詰まらせ、汗を浮かべた。
「そんなの嘘です!」
華子が扇を振りかざして叫ぶ。
「海神の花嫁は、この私です! だって……私は懐妊しているのですから!」
会場の視線が彼女の腹に注がれる。鋭い声が飛んだ。
「医師の診断書はあるのですか?」
「腹帯の中身は布ではないのですか?」
華子の顔色が蒼白に変わる。取り巻きの令嬢たちでさえ、嘲るように口元を押さえていた。
「くっ……!」
さらに蓮臣が前に出た。
「皆さま! 葵の言葉に惑わされないでください。彼女は確かに女ですが、海神の花嫁など――」
「蓮臣さんですね? あなたが工場で御鷹葵様を襲おうとした、という証言は事実ですか?」
記者のひとりが冷たく問い、会場がどよめいた。
「なっ……!」
蓮臣の顔が引きつる。
「現場を見た者がいるのです。あなたが葵様の背広を引き剥がそうとした、と」
ざわめきは怒号となり、蓮臣は蒼ざめたまま後ずさるしかなかった。
舞台に立つ葵は、震える手で髪飾りを握りしめた。
母の遺した想いも、自身の祈りも、すべてが今この瞬間に繋がっている。
「私は、もう偽らない。女として、母として――澄海さまと共に生きます」
その声は、凪いだ海のように穏やかだった。
拍手が爆発のように巻き起こり、歓声が天井を揺らす。
玄道は恥辱に顔を伏せ、華子は布の詰まった腹帯を押さえて崩れ落ち、蓮臣は人々の嘲笑の中で退散するしかなかった。
「お嬢様……よかったですね」
手拭いで目元を抑えながら、お雪は繰り返していた。
その光景を見守りながら、澄海は葵の手を取る。
「何度でも言う。そなたこそ、私の花嫁だ」
「……澄海さま」
ふたりの姿に、祝福の拍手が一層大きく広がっていった。




