第5章 - 契丹の女武者
夕暮れ、隊は荒れ果てた砂漠の井戸にたどり着いた。砂岩で築かれた井戸の縁は風化し、苔が点々とし、灼熱の砂漠とは違う冷気が漂っていた。
陸玉真はすぐに膝をつき、水を試験管に汲み、位置を記録する。李凱栄は銃を構えたまま周囲を警戒している。
趙可欣は衣を広げ、刃を一つ一つ布で磨いた。銀色の飛刀は炎を映し、虎爪刀は獣の牙のように光を放つ。
「武器が曇れば心も鈍る。武人は心も刃も共に清らかでなければならない」
彼女の言葉に、皆は思わず静まり返った。
陳明軍は黙って戻り、手にしていた缶を開ける。プシュッ――泡立つペプシ。さらに袖から取り出したのはタピオカ入りのミルクティーだった。
「砂漠で...タピオカ?!」浩南は目を剥いた。
だが明軍の視線は井戸の闇に向けられていた。地の鼓動のような低い唸りが底から響いてくる。
「下にあるのは...龍脈だ。」
✺✺✺
一週間後。
ジープのタイヤが乾ききった砂地を軋ませながら、ひび割れた谷間を越えていく。
タクラマカン砂漠の風が長く唸り、顔を叩き、皮膚を剥ぎ取るかのような乾いた熱気を運んでいた。
陳明軍と趙可欣を含む五人の一行は、徐々に砂漠の奥地へと進んでいった。
やがて彼らが辿り着いたのは、広大な荒地――「塵の城(尼雅古城)」、新疆南部にある遺跡であった。
かつて西域の都市だったが、今は崩れた壁と砂に半ば埋もれた石門だけが残っている。
広場の中央には巨大な石の井戸が口を開け、青く輝く水脈が覗いていた。冷気が立ち上り、灼ける昼の熱気とは対照的だった。
夜が降りる。一行は井戸を囲んで野営を張った。
陳明軍は井戸の周囲を見渡し、低く確かな声で言った。
「烏魯木斉からこの古井戸、さらに岩山を越えて塵の城まで……我らは龍脈の二つの関門を越えた。水はまだ巡り、気は清らか。邪気が混じった形跡はない。つまり、タクラマカンの龍脈はまだ破壊されていない。」
玉珍は地誌を記録し、李凱栄は銃を磨き、曹浩南は必死に焚火を起こしていた。
趙可欣は布袋から小さな箱を取り出した。
中には透き通った精石――氷晶石が収められていた。内部には青白い光が渦を巻いている。彼女は掌に乗せ、震える声で言った。
「これは我が家伝の氷晶石……起動するには強大な内力を注ぎ込まねばならない。もし成功すれば《氷晶訣》が成り、私の飛刀はさらに鋭く冷たくなる。」
陳明軍は手をかざして制し、鋭い眼差しで低く告げた。
「まだその時ではない。ここの龍気は嵐のように荒ぶっている。欲を出せば経脈が弾けて死ぬぞ。武者は忍を知るべきだ。俺とお前で少しずつ、体を馴染ませていくのだ。」
二人は井戸の水面に手を添えた。氷晶から放たれる冷気が趙可欣の体を巡り、陳明軍の内力から溢れる熱気が交わり、均衡を成す循環となる。
砂がわずかに震え、風が地の嘆きのように吹き抜けた。趙可欣は歯を食いしばり、汗を滴らせながらも眼差しは揺るがなかった。陳明軍は呼吸を整え、彼女に合わせ続ける。氷晶は蒼白い光を放ち、彼女の身体を冷気の靄で包み、陳明軍の熱が赤く砂を割った。
やがて二人は同時に目を開いた。趙可欣は荒い息をつきながらも口元に微笑を浮かべた。陳明軍は頷く。
「よし。これで第一歩だ。焦るな、少しずつだ。」
趙可欣は掌を閉じ、冷気を収めて氷晶石を袋に戻した。その瞳は沈んだままだった。
「五行の精石の中で、火系には特に強大な二つがある。火炎石と黒炎石。
どちらも今は神崎一族が握っている。熊本の阿蘇火山の傍らに本家があるからだ。
噂では、この二つを長く近づけるだけで天地が揺らぎ、一国を滅ぼすほどの火劫を招くという……。」
陳明軍は眉を寄せ、遠く霞む熱気の地平を見上げた。
「やはり……精石に関してはお前の方が俺よりはるかに詳しいな。」
趙可欣は微笑んだが、その笑みは憂いを帯びていた。
「知れば知るほど運命の脆さを思い知らされるの。もし火炎石と黒炎石が触れ合えば……日本だけでなく、東方の龍脈すべてが危機に陥るわ。」
焚火がぱちぱちと爆ぜる。玉珍は古びた「オアシスカード」を取り出し、手を震わせて一枚めくった。☠️――《ミイラ》。
空気が凍りつく。砂に埋もれた遺跡の壁の隙間から、墓の呻きのような風が鳴った。
曹浩南は慌てて叫ぶ。
「おい、他のカードないのかよ!?いつもミイラばっかりじゃん!UNOに替えろって!」
一行は爆笑し、空気は和んだ。しかし胸の奥で誰もが悟っていた――この兆しは偶然ではない、と。
翌朝、一行は長旅の疲れを癒やすために昼まで休むことにした。
玉珍は崩れた石壁に記号を写し取り、李凱栄は銃身を磨き、趙可欣と曹浩南は稽古を始めた。
趙可欣は古井戸の脇で飛刀を握った。彼女は目を閉じ、氷晶からの冷気を導き、刃に注ぎ込んだ。目を開けると、刀身には青白い光が宿り、夜霜のように冷たかった。ひと振り――「シュッ!」――飛刀は枯れ木に突き刺さり、白い霜がひび割れを広げた。
曹浩南は目を丸くし、感嘆の声を上げる。
「うわぁ……姐さんの飛刀、アイス仕様かよ!あれで賊を刺したらアイスキャンディーだな!」
趙可欣は答えず、次にカランビットを抜いた。刃が光を弧に描き、宙を舞ったが、彼女は息を吸い、手を開いた。刃は空中で止まり、逆回転して「スッ」と掌に収まった。
皆が口をあんぐり開ける。曹浩南は尻餅をつき、ため息をついた。
「こりゃもう……俺は観客でいいや……。」
陳明軍は腕を組み、口元をわずかに上げて頷いた。
「いいぞ。内力と武器を合わせられるようになった。氷気を飛刀に、呼吸を虎爪刀に――正しい道だ。その調子なら、すぐに両手の刺客となれる。」
趙可欣は汗を拭い、カランビットを強く握った。瞳は決意に輝き、笑みが浮かんだ。
夕方、一行は再びジープで出発したが、曹浩南が用を足そうと降りた時、砂が割れ、渦に呑み込まれかけた。
「助けてくれぇ!」と叫び、玉珍が身を投げて抱きとめた。砂は瀑布のように崩れ、二人を飲み込もうとしたが、仲間の必死の綱引きで辛うじて救出された。
曹浩南は砂まみれで息を荒げ、呻いた。
「……西域で龍気を探すつもりが、ミイラになるとこだった……。」
皆が大笑いしたが、玉珍の瞳には勇気が宿っていた。
さらに翌朝。
ジープは砂原を走り、空は灰色に覆われた。突然、砂丘の両側から銃撃が飛び、タイヤが破裂して横転した。覆面の賊たちが雪崩のように襲いかかり、激しい戦闘が始まる。
銃声と飛刀、双節棍が閃き、やがて賊は敗走したが、ジープは壊れ、一行は徒歩で進むしかなかった。
岩の裂け目の下に、沙岩で築かれた地下への入口が現れた。李凱栄が松明を翳すと、石段が闇へと続き、冷気が骨を刺した。
壁には三日月と双刃の刻印――月華の印だった。
陳明軍は低く告げる。
「ここは……奴らの根拠地だった。」
通路の終わりには巨石の扉が半ば開き、まだ乾かぬ血が古代文字の隙間に滲んでいた。玉珍が震える指で触れ、呟く。
「……誰かが……私たちより先に入っている。」