第15章 - 大魔王を滅する
鉄雄 は咆哮し、全身が巨大なフグのように膨れ上がり、筋肉は裂け、血管は真っ赤に浮き出た。毒気と龍気が混じり合い、その吐息は死の瘴気のように腐臭を放つ。
彼は四肢を大地に突き立て、一気に前方へと疾駆する。手を叩きつけるたびに岩片と砂が飛び散り、巨体は砂漠の獣のように猛スピードで迫った。
前方では、可欣がアクセルを握りしめ、オフロードバイクが咆哮を上げて岩塊の崩落を縫うように走る。陳明軍は後ろにしがみつき、その目は背後の怪物を射抜く。
鉄雄は走りながら掌を振り回す。そのたびに黒く濁った毒風が青と赤の閃光を帯びて吹き荒れ、大地を爆ぜ飛ばした。一撃が車体の脇をかすめ、バイクは大きく揺さぶられ、転倒寸前に。
明軍は可欣の背にしがみつき、声を張り上げる。
――「もっと寄せろ! 奴の近くへ!!」
可欣は歯を食いしばり、眼光を鋭くしてハンドルを切る。バイクは一気に旋回し、怪物の巨体へ肉薄する。
その刹那、明軍は車体から飛び上がり、鉄雄へ飛びかかる。両腕で巨体を抱き締め、二人は地面を転げ落ち、砂塵を巻き上げながら死闘を繰り広げた。
鉄雄は獣のように咆哮し、腕を振り回して砂を爆ぜ飛ばす。明軍は重傷を負い、血に濡れながらも全力で拳と脚を繰り出した。拳と拳がぶつかるたびに岩が砕け、大地が震える。
荒い息の中で、明軍はかすれ声で叫ぶ。
――「可欣! 逃げろ...ここはもう崩れる!」
可欣はアクセルを握り締め、涙に滲む目で明軍を見つめた。胸が裂ける思いに一瞬ためらったが、すぐに唇を噛み、炎のような眼差しで叫ぶ。
――「嫌よ! 一緒に死ぬんだから!」
バイクが砂を切り裂き、円を描きながら二人の周りを旋回する。風と砂は渦を巻き、嵐のような輪を作った。
可欣の手には残り三本の飛刀。原気は尽きかけ、手は震えていた。
――一投目は衣をかすめ、砂に突き刺さり消えた。
――二投目は力なく壁に弾かれ、火花を散らして落ちた。
――最後の一本、彼女は全ての力を込めて投げ放つ。
「シュッ!」――銀の閃光が闇を裂き、鉄雄の肩に深く突き刺さった。怪物は痙攣し、獣の咆哮を上げる。血が噴き出すも、なお足は揺るがず、目は狂気に燃え盛っていた。
明軍はその隙を逃さず、鉄雄の腕を抱え込んで組み伏せる。骨がきしみ、二人の体が砂に沈む。だが鉄雄は逆に明軍を押し倒し、膝で喉を押さえつけ、片腕を振り上げた。毒気が渦巻き、死の一撃が落ちようとしていた。
鉄雄の口から、地獄の獣のような唸り声が響く。
――「龍脈を守ったところで...貴様の命までは守れぬ!」
生死の刹那――。
「ドガァン!!」
バイクが轟音を立てて突進し、可欣がハンドルを握り締めて巨体に激突した。鉄雄の足が明軍の喉から外れ、溜めていた掌力は霧散する。
巨体は宙に浮き、岩に叩きつけられ、「ゴンッ」と乾いた音を響かせた。
可欣は砂の中から立ち上がり、倒れていた鉄片を掴む。それはかつて爆破されたジープの破片。焼け焦げた鋼は、まるで天が遺した処刑具のように輝いていた。
彼女は血まみれの手でそれを握りしめ、赤い眼で鉄雄に突進する。
「うおぉぉ!」
全身の残力を込めて振り下ろした瞬間――鉄雄はなお両腕で可欣の手首を掴み止めた。
「ぐっ...!」
可欣は全力を振り絞るが、力尽き、刃は宙で止まる。
その時、明軍が飛び込み、鉄雄の肩に突き刺さっていた氷刃を握りしめ、ねじり取った。
「ギャアア!!」
絶叫と共に鉄雄の力が緩む。
「ズブッ!」
可欣の鋼片が百会の急所を貫いた。血が噴き上がり、鉄雄の巨体は痙攣する。最後の力で可欣を吹き飛ばしたが、明軍はさらに刃を首筋に突き立て、一気に切り裂いた。
鉄雄の咆哮は絶え、巨体は砂上に崩れ落ちた。血が滝のように流れ、砂漠を紅に染めた。
可欣は震える手で明軍の肩に触れる。彼の息は荒く、眼はなお獣のように赤く燃えていた。
「...明軍、もう行こう。」
二人は互いにもたれ、崩落する地底から這い出した。
背後で地鳴りが轟き、砂塵と共に奈落が閉じる。仲間たちと怨敵は全て大地に飲み込まれた。
――やがて、上空から西域軍のヘリが降下し、兵士たちが残党を拘束する。重傷の鉄山(Thiết Sơn)は縛られ、担架に載せられる。彼はなお血走った目で叫んだ。
「小僧トラン! 俺はいつか貴様の血肉を喰らってやる!!」
明軍は静かに歩み寄り、冷たい眼差しで顎を持ち上げ、囁く。
「ならば...こちらが先に、お前の血をすすり、皮を剥いでやろう。」
劉啓栄(Lưu Khải Vinh)が拳を叩き込み、鉄山は血を吐いて倒れた。
「反逆者どもを全員、法の下で裁け!」
兵士たちは残党を拘束し、軍用トラックに積み込んだ。
明軍と可欣はただ黙って見届ける。冷たい目に宿るのは正義と、拭えぬ憎しみ。
ヘリの中、二人は血に染まったまま肩を寄せ合い、荒い息をつく。龍脈を守った代償は、血と涙と仲間の命。彼らは英雄として生き残ったが、胸に残るのは深い喪失だった。
「明軍...わたし、ベトナムに帰りたい...」
可欣が震える声で呟く。
明軍は微笑み、彼女を抱き寄せ、額に口づけした。
彼女の懐には一枚の写真。
ヴィン・ヴァンヒーの朝の海。碧い海と白い雲、岩場に寄り添う小さな宿「太陽と風」。
可欣はその写真を胸に抱き、目を閉じて囁く。
「いつか必ず...ここに帰る。」
明軍は彼女の手を握り、遠くを見つめた。
ヘリは砂漠を離れ、血塗られた龍脈を背に去って行った。
――だが物語は、そこで終わりではなかった。
数か月後、ヴィン・ヴァンヒーの「太陽と風」民宿。
主人のミンは受付に一枚の絵を飾った。
黒い戦装束の男と白い戦装束の女が、CBR1000に跨り碧い海岸を駆け抜ける姿。
絵の下にはただ一行。
「来ては去り、夢のごとし。」
誰もミンがどうしてこの光景を描けたのかを知らない。
想像だと言う者もいれば、西域の兵士から聞いた話だと主張する者もいる。
だが中にはこう誓う者もいた――「あの二人を確かに見た」と。宿に現れ、一言の感謝を告げて消えたのだと。
それ以来、人々の間で囁かれる言葉があった。
「会えども会えず。来ては去り、夢のごとし。」
――完。