第11章 - タクラマカンの目的地
風が崩れた古城の壁の割れ目を抜けて吹き込んでいた。
階段は砂に覆われ、時おり瓦礫がぱらりと落ちる。荒れ果てたこの場所が、一行の束の間の休息の地となっていた。
趙可欣(=Triệu Khả Hân)は石段に寄りかかり、顔色は幾分戻ったがまだ蒼白だった。右腕を動かすと、傷口はふさがったものの鈍い痛みが残る。体力はようやく七割ほど回復、内力はまだ流れが滞っていた。
まどろんでいた彼女はふと目を覚まし、自分の姿に気づいて愕然とする。衣は砂と汗で汚れ、乱れた髪は額に張りついている。
――「な、なにこれ......!? 私、なんてみっともない格好......服もしわくちゃ、汚れてる......!」
慌てて立ち上がろうとした瞬間、よろけた身体を陳明軍(=Trần Minh Quân)が抱き止める。彼は腕に力を込め、低くしかし確かな声で囁いた。
――「汚れていようが、みすぼらしかろうが関係ない。君が生きてここにいる――それだけで十分だ。」
その言葉に、埃も煤も一瞬で消え去ったかのようだった。胸の奥で涙が込み上げる。
――「明軍......私、一生に一度でいいから......子どもが欲しいの......」
彼は言葉を返さず、ただ強く手を握り、闇の中で涙をこぼした。
やがて可欣は涙を拭い、卓上の鋼鉄の弩を手に取る。かつて契丹の女戦士・月華のものであった武器だ。
彼女はそれを明軍に差し出し、静かな声で告げる。
――「これは彼女の遺した武器。受け取って。近接だけじゃなく、遠距離も必要よ。」
明軍は眉をひそめる。
――「俺は弩を扱ったことがない。」
可欣は彼の指を取り、一本一本を矯め直しながら笑んだ。
――「狙うのは目だけじゃない。呼吸と鼓動で狙うの。放った矢は、必ず討つべき相手に届かなきゃならない。」
その夜、彼女は月光の下に石を積み上げて的を作り、試練を与えた。
――「最上段の石だけを射抜いて。他を崩さずに。」
矢は飛び、上の石を砕いたが、塔全体も崩れ落ちる。可欣は首を振った。
――「的を当てるだけなら誰でもできる。だが世界を揺るがさず一点を射抜く――それが真の技よ。」
彼女が投げた飛刀は、頂点の石だけを弾き飛ばし、下の石は微動だにしなかった。明軍は目を見開き、やがて感嘆の笑みを洩らした。
――「君はただの飛刀手じゃない......弩の師でもあるんだな。」
可欣は二つ目の塔を狙い、石をひとつ抜き取ると、残りは自然に組み合わさり元通りに。
――「一点を撃ち抜けば、局面そのものが変わる。精妙な力こそが勝敗を決めるの。」
明軍は深くうなずいた。
――「わかった。学ぼう。」
その後、二人は焚き火の影の中で互いの武器を持ち替え、舞うように鍛錬を重ねる。刃と刃が紙一重で擦れ合い、呼吸が重なり合う。
やがて可欣は咳き込み、明軍の胸に倒れ込む。
――「もういい、無理はするな。」
――「少しでも......あなたと舞えてよかったわ。」
彼の腕の中、彼女は赤らみながらも微笑む。
その空気をぶち壊すように、浩南がずかずか入ってきた。両手にはペプシの缶を二つ。
――「師匠、師母~、喉も渇いたでしょ?」
明軍は思わず目を輝かせたが、必死に真顔を装って答える。
――「置いとけ。......助かる。」
浩南はにやりとしながら退室。直後に缶のプルタブが「プシューッ」と弾け、甘い炭酸の匂いが漂った。
可欣はふと見上げ、火影に揺れる彼の顔を見つめ、そのまま唇を重ねた。
弾ける炭酸の音と共に、刹那の口づけが戦場の只中で甘く燃え上がる。
翌朝。
ミンチュンが突然、ハンの目の前に布を丸めたものを差し出した。
――「開けてみろ。」
ハンは首をかしげ、警戒した。
――「まさか...中にゴキブリとか入ってないでしょうね?」
ミンチュンは吹き出した。
――「もし本当にそうだったら? 武人がゴキブリごときに怯えると、敵に知られたとき弱点として突かれる。そうなったらお前だけじゃなく俺も困るぞ。」
ハンは顔を真っ赤にして地団駄を踏む。
――「もう! 本当に意地悪なんだから...! でも...貸して!」
布を開いた瞬間、黒光りするゴキブリが稲妻のように走り出した。
ハンは絶叫する。
――「きゃあああ! 殺す気!?」
ミンチュンは肩をすくめ、からかうように微笑んだ。
――「またお前に首にしがみついてもらえるからな。」
ハンは胸を押さえながら顔をしかめる。
――「次やったら、本当に殺すから!」
二人は結局、顔を見合わせて大笑いした。
その後、一行はタクラマカンの大峡谷――龍脈へ通じる最後の地底道へ向かった。
車列が砂丘を抜け、中央の大穴まで残り五百メートル。最後尾のトラックでトゥエ・ナンが笑顔でユェチェンに何かを話しかけたその瞬間――。
「ドン!」銃声が響いた。
弾丸は後頭部を貫き、額から突き抜けた。血飛沫が弧を描き、笑みを浮かべたままのトゥエ・ナンは、驚愕の眼差しを残して崩れ落ちた。
砂煙の中、契丹のジープとオートバイが押し寄せ、銃火が交錯する。
ハンは絶叫し、まだ温かい彼女の体を抱きしめた。血が掌に溢れ、嗚咽は風に裂かれる刃のように響いた。
混乱の中、ティエ・シャンがジープから飛びかかり、ミンチュンと絡み合って転げ落ちる。
後方ではハン・ハオナン・カイルンがユェチェンを守って必死に応戦。銃火と爆発で砂漠は地獄と化す。
ハンは毒で衰弱した体に鞭打ち、カランビットを抜いて突撃するが、力はもはや以前のようには振るえない。
ティエ・シャンの体当たりをまともに受け、吐血し倒れる。
ミンチュンは獣のように彼と組み合い、ついに「砂中十三掌」の奥義で彼を砂地に沈めた。ティエ・シャンの絶叫は、砂に呑まれて消えた。
戦いのあと、泣き崩れるユェチェンがトゥエ・ナンの亡骸を抱く。仲間たちの顔は怒りと悲しみに歪む。
ミンチュンはハンの肩に手を置き、低く言った。
――「俺たちは行く。龍脈の中心へ。」
残骸と血に覆われた砂漠を後にし、夕陽に影を伸ばしながら、彼らは巨大な裂け目へと進んだ。
深く口を開く地底道。岩壁には古の刻印が残り、熱気が下から吹き上げる。
カイルンは通信機を失ったと告げ、仲間を見回す。
――「お前たちは進め。俺は救援を呼んで戻る。」
そう言い残して彼はバイクに跨がり、砂煙の向こうへ消えた。
残った四人は暗闇の裂け目の前に立ち尽くす。
ハンは胸の奥で悟った――全員が生きて戻るとは限らない。だがその覚悟こそが彼女を冷静にさせた。
カランビットを握りしめ、一度だけ振り返り、そして闇へ足を踏み入れる。