第02話 陰間の茶屋に散る花は(1)
『樫瑠璃先生。見合いの席での挨拶の代筆、ありがとうございました。無教養なわたしのこと、先生のすてきな原稿なくば、身の丈に合わぬ名家との成婚はありませんでした。いまは新妻として、愛する人とともに幸せな日々を送っています。先生にも幸多きことを祈ります』
にまぁ……。
にまにまぁ……。
これこれ、このお礼状!
落文師やっててよかったーってなる瞬間!
意中の男で玉の輿、おめでとう!
お見合いなんて本当は、想いをありったけ吐き出すのが一番なんだろうけれど。
身分差あると、そうもいかないのよね……。
……って、独り身なわたしが言うのもなんだけど。
「先生にも幸多きことを」とはありがたい言葉なれど、わたしはこの、紙と筆と机と本とお布団に囲まれた部屋で、礼状読みながら濃~い緑茶を飲めれば十分幸せなのよ~。
いやぁそれにしても、己が文才で世間の身分差覆すの、実に痛快!
──コンコン!
「……樫瑠璃、入るぞ」
──ガラッ!
乱暴気味なノックの直後──。
引き戸を開けて入ってくる、長い前髪がうざったい仏頂面の男。
その名は胡麻斑。
わたしの根城、二階の八畳一間の下に住む、若き大家。
そして──。
「……また礼状の読み返しか。承認欲求の権化だな」
「胡麻斑……。ノックの次は、入っていいかの伺いを立てろと言ってるだろ? なんのためのノックだ?」
そして、無神経。
無作法、不愛想。
自分の持ち家だからとは言え、きちんと賃貸契約している乙女の部屋へ無断で……とは何事だ。
さらに──。
「その調子じゃ、お茶と茶菓子を持ってくるまで十年かかるな。胡麻斑」
「この部屋での、おまえの姿は二つ。机に向かって文を書き、こちらへ背中を見せているか。そのように畳んだ布団を背もたれにして、なにかを読んでいるか。伺いを立てる意味は薄かろう」
「まあ……これが同性ならばそれも一理。しかし若い女の部屋へ、若い男がいきなり入るのは大いに問題だろう」
「樫瑠璃、老け専だったか?」
「そういう意味じゃないっ!」
さらにこの男……美丈夫。
美男子、美青年、HANDSOME。
異国生まれの母親の血を存分に継いでいるらしく、背はわが国の男たちより頭一個分高く、肌は白めで体毛は薄く、頭髪は光り輝く赤栗毛。
顔の彫りは深く、瞳は青色で、鼻は高し。
一方、口数は少なく不愛想。
言葉を選べば、生真面目で寡黙な性分。
精神面は、日本人の父の血が濃いようだ。
そんなこやつは──。
「承認欲求を満たしているところ悪いが、仕事だ。表が一件、裏が一件」
「あー……。表はどうせ例の、カラスミ屋の若旦那よね?」
「うむ」
「……はぁ。せっかく代筆してやったのに、まさか相手が露西亜軍の将校、その囲いだったとはねぇ。懲りずに二通目を落とせば、最悪国家間戦争モンよ」
「……うむ。露西亜の軍艦が、市井のカラスミ屋を砲撃する様は見たくない」
「表の仕事じゃあ、これ以上は手出し無用……か。うまく断っておいて」
「わかった」
「……で、裏のほうは?」
こやつは、裏の世界とわたしを繋ぐ代理人。
西洋ではAGENTと呼ぶらしい。
裏世界で必要とされる落文の仕事を、安全にわたしへと運んでくれる存在。
日々良書を読めるのも、美味しいお茶を飲めるのも、胡麻斑のおかげ。
だから多少の無作法には、目をつむらなきゃ……か。
「裏の依頼……幽函は、廓宛ての恋文」
「待ってました、廓への幽函! 花は咲けども実は成らぬ徒花の園、遊郭。そこへ見事に結実させます、わたしの筆で恋の実を!」
「はあ……。危ない橋を渡る役を前にして、のんきなものだな」
幽函──。
それは、幽閉状態の人へ送る恋文、その投函箱。
この世には存在しないことになってる、秘密の郵便差出箱。
遊郭、刑務所、さらには軍事施設──。
わたしの幽函の落文は、いかなる場所でも恋を成就させるっ!
それも一発必中で!