第01話 落文師・樫瑠璃
──ここは、この国で唯一、外国との交易が許された港街。
本土の西の端から、扇状に広がった岩礁地帯を埋め立てて造った人工島。
その名も要島──。
本土との唯一の接点である木造橋。
それが架する場所が、涼具である扇の要の位置に相当することから、政府よりそう命名された。
昔ながらの木造建築が並ぶ中に、赤い煉瓦で造られた異国風の建物も、ぼちぼち生えてきた。
人種的に近い、近隣諸国の人たちの姿はもう、珍しくもなく──。
外国人専用の居住地区「居留地」には、黄金色の髪を持つ者も、遠目に多く。
わたしがこの島へ転居して、もうすぐ一年。
毎日なにかしら、新たな発見あり。
でもさっき買った当国の茶葉は、香りがいま一つで新鮮さがない。
この前の大雨で、新茶の出荷が遅れたのか──。
──トンッ!
「ん……?」
つむじに落ちてきて、前髪を滑り下りていったなにか。
足を止めて視線を下げると、一つ先の石畳に、結われた折り文。
落とし文。
直接手渡さない、恋文──。
海外の未知の文化が流入する港街にも、こんな古風な手口が残ってる。
言葉が通じない異国の想い人へ、なんとか気持ちを伝えようと、間違いだらけの異国語をしたためた落とし文もある。
良くも悪くも奥手な国民性が、この街ではより浮き彫りに……ということだ。
まあそのおかげで、わたしが食べていけてるのだが──。
「しかし……」
……こんなわたしに落とし文など、物好きもいたものだ。
落とし主は恐らく、いま右手にあるカラスミ屋の二階に。
考えられる人物像は……。
一つめ、物好き。
二つめ、「あれくらいの女だったら俺にも釣り合う」という、分をわきまえつつも失礼な男。
三つめ…………ん、たぶんこれだ。
いまわたしの左手を通り過ぎた女。
背格好が近く、年ごろも同じ。
ほんのり栗毛気味の、つむじからすなおに垂らした長髪。
柿茶色の着物。
真上から見ると、わたしに相当近いはず。
けれどわたしと違い、髪を折り目正しく左右に分け、面皰一つないきれいな額を見せている。
眉は細く鋭く整え、大きな丸い瞳は目張りで大人っぽい切れ長の印象に。
頬と唇には、やや濃いめの紅。
着物は色合いこそわたしのと近いけれど、生地の質も銘も段違い。
一方のこちらは、太い眉毛に絡まりそうな、雑に伸びた前髪。
おまけに毛先は、あちこちほつれてる。
化粧品は、潮風から肌を守るための塗り薬だけ。
真上からとは言え、あの彼女とこのわたしを見間違えるようじゃあ……文を落とした男に、恋の成就はあるまい。
さてこの落とし文、どうするか……。
無視して去ってもいいが、わたしは文で商売をしている女。
このまま通行人に踏みにじられるのは忍びない。
落とし主に届けてやるか。
お礼にカラスミの切れ端でも、貰えるかもしれ──。
「あっ……あの!」
「んっ?」
「その文……僕のですっ! 人違いで落としてしまったんです!」
おっと、落とし主自ら登場。
んー……思っていたより造形いいぞ、この男。
年はわたしの少し上くらい。
背はわたしより顔半個分くらい高くて、すらっとした体型。
顔は……特別良くはないが悪くもなく、髪は全体が立つほどの短さで、全体的に清潔感がある。
それでもさっきの彼女は、高嶺の花……といったところ。
話しかたもたどたどしいし、落とし文を使うあたり……。
パッと見は陽気屋っぽいけど、人柄の根っこは陰気屋ね。
「その文……三日三晩悩んで書き上げたんです! 返してくださいっ!」
「あー、やっぱり。本来の相手は、あとから来た真ん中分けの子ってわけだぁ」
茶葉の紙袋を小脇に挟んで、前髪を両手で左右へ掻き分けてみせる。
「あ、はいっ!」
「それから……。わたしみたいにジト目じゃない、お目々パッチリの子ね?」
上瞼を人差し指で持ち上げて、生来の半閉じ気味の瞳を、無理くり丸くする。
「は、はいっ!」
「そして、こんな髪ぼさぼさでなくて、すっぴんでもない」
「はいっ!」
「……正直なのはいいことだけれど、ちょっとは褒めてほしかったわ」
「あ……いえ、決して悪気はっ! そ……そうだ! これ売り物ですけど、お詫びのしるしに、一匹どうぞ!」
店頭に並んでいる梱包済みのカラスミ一つを手に取って、こちらへ。
ははーん、この男……。
「……あなた、この店の若旦那ね?」
「は、はい……」
「真昼間なのに店にも立たず、部屋で悶々と女を待ち伏せ。大事な売り物を安易にあげちゃう浪費家。そして、カラスミの数え方は『匹』じゃなくて『腹』。家業をろくに手伝ったことのない放蕩息子、でしょ?」
「あ、いや……。そのぉ……」
「そして──」
──かさかさかさかさ……。
「──案の定、駄文。この、女心にまったく響かない独り善がりの恋文に、三日三晩要する貧弱な感性」
「わわっ! 他人の恋文、勝手に読まないでくださいよ!」
「けれど文章はしっかり書けてて、字もまあまあきれい……と」
「読み書きは、しっかり習いましたから。でも、己の気持ちを上手く伝えるのも、相手の心に響く言い回しも、とんと苦手で……」
「……よね。誰かに代筆してもらって、それを写したほうがいいわ」
「はい……。落とし文を代筆してくれる仕事人がいる……って聞いたことあるので、そちらへ頼んでみることにします」
おおっと。
この男、わたしの飯の種の類。
西洋の言葉でいうとクライアント。
逃す手は……ないわよね、ふふっ。
「……ンまぁ、当国三大珍味の高級品、カラスミもいただいちゃったことだし。落とし文、わたしが代筆してあげようか? もちろん代金は、別にいただくけれど」
「だ……代筆? あなたは……いったい?」
食いついた食いついた!
金持ってそうな高級カラスミ屋の息子……イナが釣り針に食いついた!
オボコ、イナ、ボラ、トド……。
カラスミの原材料となるボラは、成長とともに名前が変わる出世魚。
もっともこいつは男だから、カラスミになる卵巣持ってないけれど。
トドのつまりは……金づる!
思わぬところで、楽そうな仕事を獲得!
「……こほん。わたしは、落文師、樫瑠璃。落とし文専門の代筆家よ!」