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無才の少年、最底辺から虹眼を開く  作者: 久日
第4章 愚かな滅びに至るまで
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67 天国から地獄


その朝、巳宝堂 隆興(みほうどう たかおき)の元に安全区域内でのダンジョン発生の報が届いたのは朝の7時半頃であった。


隆興の朝は早い。


空も白むかどうかの5時半には起き、屋敷の離れにある道場で多少体を動かして風呂を浴び、仕事を一定こなしてから、7時には家族揃っての朝食。


もう40年近くは続けている生活習慣である、ダンジョン発生以前から隆興の生活はほとんど変わらない。


隆興は59年前、巳宝堂本家の長男として生を受け、後継として申し分ない能力を発揮して30歳となった年に巳宝堂本家当主の座を継いだ。


巳宝堂は古くを遡れば華族の出の政治界や金融界に強い影響力を持つ資産家である。


隆興が巳宝堂を継いで3年ほどでダンジョンなどという今でこそ受け入れられているものの、当時においてはフィクションが形をとったようなけったいな代物が発生し、社会を大きく揺るがせた。


政治界、金融界も大人物の死や旧くからの名家の全滅、世襲の断絶など、等しく大混乱が起き、そんな中で巳宝堂という家からはほとんど被害を出さず、本家の人間などは皆無事で、安全区域という避難所を作るよう他の名家と連名で国に働きかけ、生活の場を安全に整えられたのは、隆興の非凡な優秀さ故であると言えるだろう。


そんな隆興の玉の人生にも小さな、そして今となっては致命傷と言えるほどに大きな瑕があった。


嫡男の後に妻の産んだ娘、茴香のことである。


隆興の非凡な才は残念ながら嫡男ではなくこの娘が継いでしまっており、年頃の様子を考えれば認めがたいが、下手をすれば隆興よりもよほど優れて生まれていた。


ダンジョン適性なるふざけた因子もそうだ。


巳宝堂本家の中で、あの娘だけがダンジョン適性Aを芽生えさせ、金糸の髪と妖しげな紫の瞳を得た。


他の者は元の黒髪黒目、適性はE~Fと、ダンジョン社会においては見下される位置にあった。


無論巳宝堂ほどの家の人間を見下すような身の程知らずは最近まで存在していなかった、そう最近までは。


全てはあの娘のせいだ。


勝手に巳宝堂の名で財団などを立ち上げ、元々の巳宝堂のコネクションを使って金融界をも席巻する大組織を作り上げた。


何につけても裏目に出るというか、厭わしい娘であったが、巳宝堂の名を世界に知らしめたという点では隆興も評価していたし、それに匹敵する功績を何も打ち出せない嫡男を不甲斐なく思って何度も叱責した。


だがあの娘の狂った企みが暴露され、巳宝堂財団が崩壊したとき、隆興、ひいては巳宝堂の血統すべてにおいて、あの娘の存在は一転して疎ましいだけの存在となった。


もう余計なことをしないようにと離れの別邸に押し込めておいたというのに、何故だか知らないうちに何者かに連れ出され、大勢の前にグロテスクな死体となって晒されるという不祥極まりない最期を迎えた。


元々巳宝堂財団の悪事が暴露された時点で、隆興の力をもってしても影響力を保持しきれないほど世間から軽んじられるようになった巳宝堂の名が、あの死体展示によって、完全に地に落ちた。


旧く日本の思想によれば死は穢れだ。


その穢れを全世界に大々的に振り撒いてしまった巳宝堂の者は社交の場にも顔を出せず、名家としての体裁を保つことが困難であった。


その上、元々隆興は茴香を内々に処分したがっていたのではないかと……すなわち隆興が茴香を見殺しにしたのだと、陰で囁かれるようになり、茴香を慕っていた使用人どもなどは何人もが紹介状も無しに暇をもらっていく始末。


先述では朝の仕事を、などと言ったけれども、今の巳宝堂の家においてまともにこなすべき仕事などほとんどない。


もはや燃え尽きかけた火の車、この安全区域に住まう権利を保持するために奔走しているのが現在の隆興の仕事といって過言でなかった。


あの娘が生まれてからというもの、何もかも上手くいかない。


あの娘のせいであり、それを産んだ妻のせいであり、妹などに負けるような不甲斐ない嫡男のせいでもある。


だからというわけでもないが、信頼する家宰が青い顔でダンジョン発生の報を食卓へ知らせに来た時などは、またか、という諦念が大きかった。


とうに妻子への情も尽きかけていたものの、ダンジョン発生の報を耳打ちされた隆興は我が身可愛さに1人逃げるようなことはしなかった。


まずは順当に誤報を疑ったし、そうでないならば巳宝堂の当主として速やかに家人を避難させる、その指揮をとることが隆興の、当主の役割であったからだ。


もはや名誉も誇りも泥まみれとなった巳宝堂の、当主という肩書とその役目に縋りついている部分がなかったとは言わない。


それでも隆興はダンジョン発生の報を聞いてすぐに妻子に共有し、使用人にも知らせ、安全地帯まで避難することを告げた。


この果断な決断力、状況の見極めに優れた部分が、26年荒れ狂うダンジョン社会において巳宝堂の家を支えた力であった。


ただ、やはり隆興以外の者、特に妻と嫡男は凡庸に過ぎた人間だった。


妻はグダグダと誤報を疑いながら、家に伝わる宝飾品や金品をまとめるのに時間をかけ、嫡男は慌て怯えるのみで、自力で支度を整えることはおろか、使用人を動かすこともままならない有様。


隆興が品性に欠けると普段は全く出さないような大声で怒鳴りつけて、どうにか妻と息子の支度を終えさせ、さあ車で避難を、と屋敷の家屋を出れば家宰が駆けて来て、青を通り越して白い顔で「車がございません」と言う。


下手人は下級の使用人たちである、己の身可愛さに主君筋を見捨てて車を奪って逃走したものと思われる。


怒れど地団太を踏めど、車は戻ってこない。


隆興も家宰も下の者の指示に精いっぱいで、まさかそんな不心得者が家中に居ると思っていなかったこともあるけれども、目が行き届いていなかったことも事実だ。


家宰は白い顔のまま、別邸から、タクシー会社から何とか車の手配をしようと駆けまわってくれているが、非常事態における回線の混雑のためか電話すら碌々繋がらないようだった。


巳宝堂一家が間抜けにも荷物を抱えて門の前で車を待っている間に、隆興らは外から阿鼻叫喚といって間違いない数多の悲鳴を聞く。


生まれてこの方耳にしたことのない、獣、おそらくこれがモンスターなのだろう、その唸り声や雄たけびが聞こえてくる。


隆興はまず、救助が来ることを前提に、屋敷の蔵に立てこもることを考えた。


下手に外に出ては危険だと本能的に察知していたのだ。


しかし「こうしている場合じゃないのじゃありませんか」「父上、今すぐに逃げなければ!」と詰め寄る妻子を宥めることが出来ず、あるいはその気力がもはや隆興に残されていなかったのかもしれないが、結果として巳宝堂本家屋敷の門扉は開け放たれ、妻と息子、家宰以外の使用人らも、隆興のことなど置き去りに我先にと逃げ出した。


腐っても名家の屋敷、使用人の数も未だ多く、門扉付近は大混雑で、皆狂乱の中外へと散り散りに駆けだしていった。


隆興は家宰に屋敷を任せ、妻子だけでもと連れ戻すために門から出る。


門の外にはまさにピタリ地獄絵図と頭に浮かぶ光景が広がっていた。


巳宝堂の屋敷はそれなり中心部に近い位置にあり、中心部辺りは見たこともない、ぐんにゃり空気が歪んで穴のようになったものが浮かんでおり、そこから大小様々のこの世のものとは思えない化け物たちがあふれ出てきている。


周囲の瀟洒だった家々は、ひとところは火に包まれて盛大に煙をあげ、またひとところはモンスターの爪痕が大きく刻まれ、そして道のあちらこちらに赤黒い人間だった血まみれの肉が転がっていた。


ここが安全区域でなければもう少しマシな状況だったかもしれない、安全区域外の人間は戦うか逃げる術を誰しも有しているもので、人口密度だって安全区域内ほど高くはないのだ。


ひるがえって安全区域の中の人間は適性こそ高くとも戦闘経験が浅く戦えない者、まだ身を守れるほどの歳でない者が多く、巳宝堂を見れば分かるように特権階級である富裕層などは純粋に適性の低い者が多かった。


隆興は遠目に妻子が、胴回りがリムジンほどもある巨大な蛇型モンスターに襲われているのを見た。


どうにかせねば、それが家族の情であったか、巳宝堂当主としての責任感だったかはもはや誰にも分からないが、隆興は嗜み程度にある剣の心得を頼りに妻子を助けに行こうとした。


その辺りの崩れた建物から鉄の棒を引き抜いて、妻子の元へ駆けていこうとして――隆興の右足に激痛が走り、その場に倒れこむ。


頭だけ挙げて振り向けば、黒豹のような姿の巨大なモンスターが血のついた爪をペロリと舐めていた。


隆興の右足は爪の数に分かたれて、近くに千切れ飛んでいた。


黒豹型モンスターは、先日無礼にも巳宝堂を訪れ恐喝まがいのことをしていったあの此結 普という男と同じようなプレッシャーを放っている。


死、それだけを感じさせる威圧感だ。



「あ、ああ……」



自分で思っていたよりも情けない声が出た、隆興は己の末路を悟る。


黒豹が遊ぶように隆興の左足、両腕を潰していく間に、隆興はここにきてようやっと、あの金色に紫の瞳をした自分の娘のことを思い浮かべた。


アレが居たなら、何か違っていただろうか。


痛みでほとんど失われていく意識の中、幼い少女の声で「お父様」と呼ぶ声が聞こえた気がした。







『暁火隊』本部に、足立区の安全区域内に大規模ダンジョンが発生しモンスター氾濫が起きている、という報が届いたのは午前8時半。


ちょうどほとんどの隊員が出勤しているか、出勤間近の時間帯であった。


全員が出勤するのを待つ時間も惜しく、日明はものの10分ほどで態勢を整えさせ、政府からの要請に従い足立区安全区域へと向かうことをその時点で集合していたメンバーへと通達する。


既存の任務は全て一時的に中断し、後から出勤してくるメンバーは物資と共に後を追って合流するよう指示し、日明率いる『暁火隊』は足立区安全区域へと、小回りの利く複数台の中型車で向かう。


或斗が車の中で日明から聞いたところによると、ギルドを通して他の大規模パーティにも政府からの要請がいっているそうで、安全区域前か、到着後にそれぞれのパーティのトップは合流して手短に方針を話し合う予定らしい。


とはいえ大規模ダンジョンに突入するのは『暁火隊』がメインとなるだろう、という予測も添えられる。


『暁火隊』に来た政府からの要請は「大規模ダンジョンの攻略と消滅」であるが、他のパーティはそれぞれ得意分野に合わせて要人の保護や避難所の防衛など既に役割を振られているだろう、という。


じゃあ初めに顔を合わせて話す意義はあまりないのでは? と首を傾げる或斗であったが、それぞれパーティの面子とか些細な行き違いの回避だとか、理由はそれなりにあるのだそうだ。


1度行ったきりのあのごちゃついた街で、後続のメンバーや他の大規模パーティと上手く合流できるのか、些か不安に思っていた或斗だったが、『暁火隊』含め他パーティの車はそもそも安全区域内に入ることが出来なかったため、逆に安全区域の外側で上手いこと顔を合わせることが出来た。


というのも安全区域一帯は中から避難してきた車が殺到して大渋滞を引き起こしており、小型車だろうがまともに動けたものではなかったのだ。


パニックを起こしているのか、先に到着していた警察の避難誘導にも従わず、車を乗り捨てて逃げた者もあるようであった。


こうなると或斗たちも車を降りるしかなく、物資を運ぶ後方支援部隊にはダンジョン付近で集合することとして、ひとまず戦闘メンバーだけで安全区域内へと走って向かう。


こういうときも、或斗は文字通りのお荷物として普に担がれての移動となる。


安全区域とはいえ流石にこの緊急時には身体チェックなどという余裕はなく、或斗たちはすぐに壁の内側へと入ることが出来た。


同じタイミングで他の大規模パーティも入口に集まることとなったので、日明が主導してその場で手短な挨拶と方針固めを終える。


やはり政府の意向もあり、ダンジョンへ入って攻略とダンジョンコアの消滅を担うのは『暁火隊』となるようだ。


安全区域の中に入ってみれば、前回とは天国から地獄といった有様で、どこを見渡しても酷いものであった。


悪いことに、ダンジョンは安全区域のほとんど中心部に出来ているようで、都市のあちこちから満遍なく煙が上がっており、遠くから悲鳴が聞こえてくる。



「一刻の猶予もない。我々はダンジョンへと向かい、攻略のち消滅させる」



日明の力強い言葉に従って、『暁火隊』の戦闘メンバーは移動に適した道を選びながらも最短距離で、街の中心部で空間を歪ませている大きな穴、ダンジョンへと駆ける。


安全区域内を普にいつも通り雑に担がれて移動する或斗は、見覚えのある屋敷が目に留まった。


前回来訪した巳宝堂本家の屋敷である。


その、屋敷の門を出て少し離れたところに、赤黒い肉塊が転がっている。


それをよく見れば、両手足を切り裂かれ、内臓をほじくり食われたと思しき老人、巳宝堂隆興だと分かった。


1度きりとはいえ顔を見知った人物の陰惨な死体を見て、思わずえずきそうになって或斗の体に力が入る。


普がチラと視線を向けて、或斗の反応を理解したのだろう、或斗の頭上から無感情な声がかけられる。



「無駄な力を入れるな。運びづらい。目でも瞑ってろ」


「……すみません。でも……」



或斗は珍しく普の指示に従わず、目を閉じないでこの惨状を見ることを選んだ。


或斗の脳裏には、砂漠で出会った「カージャー」の幹部、テミスの言葉が過る。


――ダンジョンは1つの勢力の元に、完全に管理されるべきだ。そうでなければ、無駄に人が死に続ける。


定期的に発生し続ける全てのダンジョンを完全に管理することなど、可能なのだろうか。


「カージャー」にはその手段があるというのだろうか。


テミスの口ぶりでは、何か或斗たちの知らないことを「カージャー」が握っている風でもあった。


今ここに広がる地獄のような惨状を今後恒久的に無くすことが可能なのなら、それは正しいことではないか。


普に担がれ線状に流れていく景色、その中にいくつも転がる赤黒いものを見送りながら、或斗はぐるぐると回る思考を止めることが出来ないでいた。


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