65 特異-Chronos-
或斗の意識が現実に立ち戻り、岩でできた宮殿の優雅な天井が見えたとき、普が大声で「おい! ドブネズミ!」と或斗を呼ばわり気つけの平手を振り下ろしかけているという、まったく優雅ならざる状況であった。
「起きました! 今! 起きました!」
或斗が慌てて平手を回避しつつ自己申告すると、普は胡乱な目で或斗を上から下まで眺める。
おそらく何か異常が無いか心配してくれているのだろうけれども、どうにも過去警察から職質を受けたときと似た気持ちになるので、その目はやめてほしい。
その間に、カシャンという音が聞こえてダンジョンコアが消失し、地響きと共に宮殿が崩壊を始める。
或斗の状態を確かめるのは後回しにした普が或斗をいつも通り荷物担ぎして脱出に走る。
来る道では散々苦しめられた宮殿内の時間の狂いはダンジョンコアの消失と共になくなっており、最短距離での脱出が可能なようだった。
そこで或斗の体の負担にならない程度の速度で走る普の前に、天井から剥がれ落ちた大岩が降ってくる。
普が舌打ちをし、岩を破壊しようと魔法を練るが、この距離だと岩の破片などで普が軽微な怪我をすることになるだろう、と或斗は予測する。
「普さん、そのまま進んでください」
或斗はそう言うと、虹の眼に六芒星を浮かべて、岩の落ちる速度をごく遅いものに変えた。
浮遊しているかのごとく不自然に宙に浮いている岩の下を、普がさっと通り過ぎる。
十分離れてから或斗が虹眼の力を解くと、大岩の落ちる轟音が周囲に響く。
或斗が新しい虹眼の使用感覚を実感しているところで、普が或斗を睨みつつデコピンした。
「手に入れたばかりの能力をホイホイ使うなって何回言えば分かる、アホネズミ」
「すみません」
分かりやすい心配につい苦笑してしまった或斗は、もう1発普からデコピンを喰らった。
ただ、普の忠告の通り、或斗は新しい虹眼の力、時間操作能力を使用していたときに謎の息苦しさ、心臓の痛みを僅かに感じていた。
それを今ここで普に言うと帰国するまで無限にお経のような説教が始まりそうであるので、無事帰ってから、新しい虹眼についてはきちんと検証しておくべきだな、と思うだけに留めた。
そのまま、或斗と普、正確に言えば普に担がれた或斗は崩れゆく宮殿を脱出する。
あの美しいフォルムが嘘のように瓦礫と化していく宮殿の崩壊に巻き込まれないよう遠ざかったところで、或斗はすぐ近くに砂漠の熱射に揺らぐ1人分の人影を見つける。
後方支援部隊の1人が来てくれたのだろうか、と思いよく見れば、それはまったく見知らぬ一人の女性であった。
浅黒い滑らかな肌に、力強くうねる真っ赤な髪を高い位置でひとまとめにした、金の瞳を持つ、ダンジョン適性の高そうな色合いの、スラリとした人だ。
砂漠を渡るに不便の無い、マントで体を覆う恰好をしており、背には旅用の背負い袋がある。
周囲を見回すも、他に連れはいないようで……今の状況のサハラ砂漠を1人で旅している女性、という点では、多少不審さがあった。
女性は前方で崩れ落ちていく宮殿を見て、ハスキーな声でため息を吐いた。
「出遅れたねえ」
その言葉は、女性が今の遺跡ダンジョンを目的にしていたことを表す。
普は油断なく或斗を下ろして後方に庇いながら、「誰だ?」と短く問うた。
女性は普をしっかりと見返し、その少し後ろで女性を観察していた或斗の顔をよく見てから、武器を持たない腕をマントから出す。
「こうすれば分かるかい?」
そう言った女性の手の先から、見覚えのある暗黒色の謎の物体がぐにゃりと発生し、小さな六角形の形をとって地面に落ちた。
或斗と普、双方ともにそれが『暁火隊』で「物質X」と呼ばれるものだとすぐに分かる。
それを生み出しているという人物の名前も、同時に浮かぶ。
「『カージャー』幹部、テミス……!」
或斗がそう言えば、テミスは満足げに頷いて、腕をマントの中に戻した。
普が無言で剣を抜き、その警戒度合いが極限まで高まる。
砂塵の中、今にも戦闘が始まりそうな緊張感で空気が張りつめる。
しかし、テミスは武器を取り出すでもなく、次の瞬間、無防備に大きく頭を下げてみせた。
「何のつもりだ?」
剣を構えた普は訝し気にしつつも、テミスの一挙手一投足を見逃さないよう睨み続けている。
その問いに対するテミスの返答は或斗と普にとって不可解なものであった。
「詫びの仕草のつもりだよ。日本では頭を下げるものなんだろう?」
「詫び……?」
或斗も眉間にしわを寄せてテミスを見る。
少なくとも、テミスと或斗は初対面である、そもそも「カージャー」幹部が詫びを寄越すということ自体が異常な行動であり、意味不明であった。
テミスは真剣な顔をあげ、或斗と普の2人を見る。
「バル=ケリムが迷惑をかけて、馬鹿で悪趣味で最悪なことをやらかして悪かった。申し訳ない。この通りさ」
テミスはそう言うと、もう一度大きく頭を下げた。
或斗はさすがに困惑で頭がいっぱいになり、動けないでいる。
普は警戒も解かず、テミスに対して胡散臭いものを見る目を隠さず睨み続ける。
テミスは2人の態度に気分を害した様子もなく、話を続けた。
「バル=ケリムの行動が『カージャー』の組織的なものでなかったことについては、既にそっちでも調べがついているだろ? あのバカは、ケージャが首輪をつけなかったのを良いことにさんざっぱら命を愚弄して遊びやがった! もう死んでさえいなけりゃ、アタシがぶち殺してやってたところだよ。実際には、捕まえようにも散々逃げ回られてたわけだけどさ。情けないったらないね」
苦い顔を浮かべるテミスの表情は自然で、どうにも演技くささはなかった。
或斗の眼には、テミスが本気でバル=ケリムの行いに憤り、或斗たちへ謝罪の気持ちを示しているように見える。
1ミリも警戒を解かず或斗を後ろへ庇ったままの普を見上げ、或斗は目で大丈夫だと伝える。
普は良い顔をしなかったが、或斗はそのまま1歩前へ出た。
「『カージャー』なら、あの程度のことは気にも留めていないものだと思っていました。ただ、貴方は今まで見てきた『カージャー』の幹部とは違う、普通の感性を持っているように見えます。バル=ケリムの行いについて謝るくらいなら、何故『カージャー』に所属しているんですか?」
或斗の疑問に、テミスは砂避けのフードの上からガリガリと頭をかき、苦り切った顔で組織の内情を明かす。
「『カージャー』ってのはアンタたちが思っているよりずっとバラバラの集団でね、まあトップが適当だから下が苦労してどうにか今まで……まあそれは今は良いや、とにかく、『カージャー』幹部にも色々いるってことさ。今までアンタが会ってきた奴らも全員アクが強かっただろ?」
「それは、まあ……」
大体狂人だったというのをアクが強いというのであれば、そうかもしれない。
微妙な顔を浮かべた或斗に、テミスは真剣な顔に戻って口を開いた。
「アタシが『カージャー』に入っている理由だったね。それはアタシが『カージャー』の思想を正しいものだと思っているからだ」
その言葉に、或斗の緊張感は高まった。
やはりまともそうな仮面をかぶっているだけで、内側には狂気を秘めた人物なのだろうか……そう警戒を浮かべる或斗へ、テミスは慌てて首と手を横に振り「待て待て」と言う。
「アタシは何もダンジョンを使っての大量虐殺とか、一般人を巻き込むやり方を是としているわけじゃあない。その辺りの方針については、何とか変えたくて、色々と交渉材料を集めているところなんだ、けどねえ。さっき見せたテネブラーエとか、今日ここに来たのだってそうさ」
「それならどうして、国際テロ組織と分かっている『カージャー』に所属を……?」
疑問符を浮かべる或斗に、テミスはキッパリと言った。
「ダンジョンは1つの勢力の元に、完全に管理されるべきだ。そうでなければ、無駄に人が死に続ける。そしてその勢力は、どこの国にも属さない組織であるべきだと思う。この辺の地域で起きているような紛争を世界規模に広げるのはアホらしいったらないからね」
剣を構えて静観していた普が皮肉気に口の端を歪めた。
「『カージャー』なんぞに全てのダンジョンを預けた末法の世がお望みってか?」
テミスは怒ることなく苦笑して首を横に振った。
「今までのうちの行いを鑑みれば、そう思われるのも仕方ないだろう。ただ、今はアンタらのおかげで幹部の数も減っているし、組織の方針にアタシの意見を通しやすくもなってる。世界を悪いようにはしない、させるつもりはないよ」
「ハッ、選挙前の政治家でも師匠に持ってるのか?」
白けた顔を崩さない普に、それでもテミスは真剣な顔のまま話を続けた。
「クローン技術も、見かけや発展までの犠牲が悪と思われることは否定しないよ。でも高適性者がランダムに産まれ、それを操作する手法が見つかっていない現状、高適性者には戦闘の負担が集中し、低適性者は見下されるっていう、今の世の中はその犠牲と同じくらいには醜い。クローンだろうが何だろうが、利用することが出来れば、人類は安全と自由と平等を得られると思う」
テミスはクローン技術の発展の中で生まれた犠牲を仕方のないものと割り切った発言をした。
けれども去年の冬、あの研究施設の培養器の中でもがき苦しんでいた未零クローンの欠片たちを思い出すと、或斗の顔は自然険しくなり、どうにも返答することは出来なかった。
「とにかく、ダンジョンにしろクローンにしろ、『カージャー』には技術がある。最先端のものだ。それに、知識だって……だからアタシは『カージャー』がダンジョンを管理する世の中を目指している」
「演説はそれで終わりか?」
普は見下げ果てたという感情をありありと目に浮かべて、馬鹿馬鹿しそうに吐き捨てた。
普が剣を向ける前に、テミスは複雑な顔をしている或斗へ顔を向けた。
「いや、あともう1つある。これは頼みだけど」
そう言って、或斗へ向かってもう一度頭を下げた。
「『カージャー』を変えるため、『カージャー』が世界のダンジョンを統一管理するためには、アンタの力が必要だ。遠川 或斗。アタシに協力してくれないか?」
その言葉を皮切りに、普の怒りが砂漠の熱気に負けないほどに立ち上る。
今にもテミスに斬りかかりそうな怒気を放つ普へ、或斗は「普さん、俺は大丈夫です」と言って片手を上げ、テミスへ向かって断言した。
「断る。俺は『カージャー』と親しむつもりはない」
或斗の返答に、テミスは顔を上げ、眉を下げて嘆息する。
「ま、急な話だ。今までの禍根もあるから、ここで食い下がりはしないよ。今日のところは退かせてもらう。次の遺跡で会おう」
テミスはそう言いながら後退しようとするが、普が剣を突き出し威嚇して追う姿勢を見せる。
「逃がすと思うか?」
テミスは余裕ある表情を崩さず、或斗へ向けてもう1つ言葉を残した。
「ここで見逃してもらう対価に、大事なことを教えるよ、遠川 或斗。時の虹眼は使いすぎない方が良い、命を削ることになるからね」
その言葉の真偽に或斗と普が気を取られた一瞬に、テミスは大きく跳躍して、砂塵の向こうへ消えていった。
「対価無しでも逃げられたってか」
普は盛大に舌打ちをし、忌々し気に呟いた。
それから数日をかけて、ようやく日本へと帰ってきた或斗と普である。
日本は紅葉こそ先のことだが、もうずいぶんと秋めいた気候になっており、風が涼しかった。
帰国して旅の埃を落として1日休みを挟み、情報部でいつものメンバー、すなわち或斗・普・日明・栞羽の4人で情報共有が行われる。
まず普が発言する。
「砂漠で出くわした『カージャー』を名乗る女は、物質Xを生み出す能力を見せました。ほぼ確定で、報告に上げた容姿の女がテミスです。あの女は物質Xのことを『テネブラーエ』と呼称しているようでした」
「ラテン語で"暗黒"、ですかぁ。安直なネーミングセンス、普ちゃんと気が合いそうですね~」
「調理場で暗黒物質作り出せるお前ほどじゃねえわアンチエコロジー女」
そのままいつもの言い合いに発展しそうなところを、日明が止めに入って話を進行させる。
「バル=ケリムの拠点にはあまり『カージャー』組織の本体の情報は無かったという話だったが、テミスについては?」
「そうですねぇ、バル=ケリムの拠点にはロクな情報はありませんでしたけど、テネブラーエという呼称は何度か出て来ていて、テミスが融通してくれないとか、そういった愚痴めいた記録はありましたぁ」
拠点にあった膨大な情報をデータベースのように頭に入れているらしい栞羽は、日明の疑問に即答する。
こういう真面目で有能なところだけ見ていたいんだけどな~、と或斗は1人遠い目をしていた。
栞羽は或斗の微妙な目線に気づかず真面目な話を続ける。
「テミスは魔法の開発に精通した人物であるようですぅ。巳宝堂の洗脳魔法の開発において、術式理論の構築者として名前があがっていることが多いようでした」
日明はその発言を受けて少し考え、腕を組む。
「今回或斗くんと普からの話を聞いたところ、洗脳魔法の開発へ前向きになるような人物像ではない。洗脳魔法については本意ではなかったのだろうか。開発に手を貸すことによって『カージャー』組織内での地位の確立を求めていたように思えるな」
普は日明の発言を否定こそしないが、眉を寄せて意見を出す。
「俺はあの女を信用していません」
砂漠で見せた態度が彼女の真実ではない可能性は高い、普に能天気の平和ボケと言わしめる或斗でさえも、半信半疑といったところだ。
日明もその疑心には苦笑して頷く。
「さすがに『カージャー』幹部の言うことを鵜呑みにしようとは思っていないさ。ただ、利用できるなら何らかの形で接触を持つことも視野に入れるべきだ」
考えを巡らせながらゆっくりと言う日明は、組織の長の顔をしている。
「ではテミスについては、『カージャー』を切り崩すきざはしになりそうであれば手を結ぶこともアリ寄りということでぇ」
栞羽のまとめに、普が不服げに、或斗が複雑な顔で、日明が重みをもって頷く。
そのまま日明は、或斗へ水を向けた。
「それで、今回手に入れた虹眼の力はどうだい? 時を操るだなんて、随分と強力な力だと思うが」
「それが……」
或斗はまず出来ることを説明した。
視認できる範囲の時間を操作することが出来る、それは時間加速・戻す・止めるなど幅広い能力である、とその辺りである。
ただ……と或斗は眉を下げて続けた。
「別れ際にテミスが言っていた通り、この虹眼の力を長く使うと、心臓に痛みがあります。田村先生のもと検査してみると、能力の使い方によって血圧が非常に高くなっていたり低くなっていたりしていました。心臓に関わる形で代償が発生していると考えられます。死ぬまで試すわけにはいかないので田村先生のおおよその予測ですが、1分以上連続して使うべきではないと」
「その力は死ぬか否かの危険がない限り一切使うな」
日明が口を開く前に、普が険しい顔で厳命する。
険しいというか、殺意でも籠っているかのごとき眼光である。
或斗もこの顔の普に反論でもしようものなら、次の瞬間には医務室のベッドの上にいるだろうと思ったので、黙って大人しく頷いておいた。
日明が眉を下げつつ普の意見に賛同し、栞羽は「や~い普ちゃんの過保護~」とからかって普から顔スレスレにペンを投げられるなどしていた。
乙女の顔を何だと思ってるんですか! と抗議する栞羽を完全に無視しながら、普は或斗へそういえば、と尋ねた。
「ダンジョンコアに触れた後、いつもより長く意識を失っていたのは、心臓の代償のせいか?」
問われて、或斗はあの間に視て、否視せられていた不思議な世界の光景を思い出したが、或斗自身何も分からない現象で、知らない風景なのだ。
未だ終わらない巳宝堂の後始末や、バル=ケリムの拠点からの情報吸出し、その上にテミスの動きにまで気を配る必要のある今、話すべき事柄ではないような気がした。
「どうでしょう、よく……わかりません」
自然と視線が机を向き、おそらく普には不信感を覚えさせただろうが、そこで日明が話をまとめに入ってくれた。
「ともかく、2人とも無事に帰ってきてくれて良かった。あとは報告書だな」
日明は欠片の悪気もない笑顔で言ったが、報告書あるいはパソコン苦手症候群を克服出来ていない或斗は一気に萎れた顔になる。
普はその顔を鼻で笑った。
栞羽は「映画版のしわくちゃの電気ネズミですねぇ」と言い、日明から真顔で「その旧時代ネタは本当に伝わらないぞ」と呆れられている。
特異な世界を垣間見、特異な出会いを経たものの、今回も一旦日常に帰ってこられた実感が湧いて、或斗は小さく息をついて微笑んだ。




