58 結界-Clausuna-
20時間近いフライトを挟んで到着したイギリスは涼しく、日本の夏服のままだと少し肌寒いくらいであった。
長袖のカーディガンを羽織った或斗は、普と共に『暁火隊』側で用意した車に乗り換える。
ストーンヘンジは今なお周辺区域では観光資源として人気であり、観光バスなどもあるのだが、ロンドンからの道程では途中に中規模ダンジョンがあり、それを避けて向かうと旧時代のように日帰り観光などは出来なくなっている。
またダンジョンにほど近い観光スポットでむやみに怪我人や死者を出すことを嫌ったイギリス政府は、観光客のための護衛パーティを用意して観光の日を定めて運用している。
そういう事情で、定められた観光日以外にストーンヘンジへ立ち寄る場合、政府にツテがあるとか、自衛できる実力があるとか、そういった条件が必要になってくる。
或斗と普は幸いどちらも満たしているので、『暁火隊』の用意した強化装甲車で最短距離を突っ切って進むことが出来る。
次の観光日は数日後であるため、観光客が押し寄せる前に調査を済ませてしまわねばならない。
夕方のストーンヘンジは刈られた芝に夕陽が巨石の影を落として、立ち入り禁止線や周囲にある現代的な休憩所などが目に入らなければ、まるで異世界のようであった。
さて或斗と普がロンドンで一泊せずに夕方過ぎにストーンヘンジへやってきたのは、月齢の都合である。
去年の秋に訪れたミゼールポレンの塔のダンジョンでは、満月が鍵となってダンジョンへ立ち入れるようになっていた。
今回も同じことが起きるかもしれない、ということで、8月の満月は本日22日、日にちもギリギリの中大急ぎで渡航したのである。
結果から言えば、この試みは成果を出さなかった。
夕方からストーンヘンジの内側に入って透明な壁に触れたり、虹眼の力で透明な壁をどうにか出来ないかと試みてみたけれど、功を奏さなかった。
そして満月が上る中、情報部の可成矢が用意してくれた魔法的・物理的調査機器などを用いて様々な調査を行ってみたものの、アタリは引けずじまい、明るい夜が終わり、空が白んでくる頃、或斗と普はストーンヘンジの壁に月の魔力が関わっている説は一旦排することを決めた。
翌日、ホテルで休んでからもう一度調査を行う。
今度は去年の夏の海のダンジョンや今年訪れたサルストのダンジョンのように、地形的・魔法的にに入口が隠されている可能性を考えてのものである。
地形調査機器・空間異常を調べるための透視の虹眼で周辺を隈なく調べたが、やはりそれらしい入り口などは見つからなかった。
夕方になって、調査を終えてへとへとの或斗は普にどつかれることを覚悟の上で芝の上にかがみ、ため息を吐く。
「突破口が見つかりませんね……そもそもこの見えない透明な壁って、何で出来てるんでしょう」
普は予想通り或斗を蹴り転がしてから、ストーンヘンジの巨石群を眺める。
「壁の出現時期を考えても、ダンジョンに関わるものなのは確かだ。魔力で作られた何らかの素材、あるいは魔法現象だろうな」
「はあ、ビリーさんも御伽噺ついでにもう少しヒントとかくれても良かったのに……」
「アレを頼ってどうする、ヘタレドブネズミが」
蹴り転がされたまま芝の上で大の字になっている或斗の頭部をゲシゲシと踏んで普は機嫌を急降下させた。
ミラビリスとの前回の邂逅は、普にとって不快で腹立たしいものであるらしい。
とはいえ普の機嫌の乱高下は常のことであるので、或斗は気にせず頭を踏まれながら夕空を見上げ、考えを口に出す。
「ビリーさんが言っていたところだと、ここの"宝"は『囲うもの、囲いを破壊するもの』……ううん、囲うものというと、やっぱり檻とか結界? 、とかでしょうか。檻なら鍵でもあれば開きそうなものですけど」
或斗の何気ない発言を受けて、普は或斗の頭をストレス解消グッズにするのを止め、真面目な顔で考え込む。
或斗はそこに一抹の不安を感じ、一応上体を起こして普を見上げた。
「……古来、開かない物を開ける手段は1つだな」
連日の調査で何の成果も得られなかったストレスが発露したのだろうか、普は据わった目でストーンヘンジの巨石群の端の石に近寄っていく。
「ちょっと、普さん? まさか……」
慌てて追いかける或斗であるが、虹眼の力でも使わない限り或斗が普の行動を止めることは不可能である。
普がその長い脚を掲げ、或斗が万能破壊キックと呼んでいる蹴りをおもむろに繰り出した……ストーンヘンジの巨石の1つに対して。
ダンジョン適性Aの化け物力の前では石材など発泡スチロールより脆い。
世界遺産の一部がものの見事に砕け散り、大小の破片がドウと音を立てて周囲に散らばる。
古来、鍵もなく開かない箱を開ける手段はぶち壊す、それのみである。
「うわぁぁ! 普さんこれ世界遺産ですって!!」
「俺の役に立たないなら粗大ゴミの集積所だ。そんなことよりよく見ろ間抜け」
不遜すぎる物言いと悲惨な景色にあわあわしていた或斗も、普の言葉でストーンヘンジの方を、出来るだけ破壊された石材が目に入らないように見てみる。
するとストーンヘンジの中心の祭壇石の上に、虹色に光るダンジョンコアが浮かんでおり、ストーンヘンジの内側には魔結晶が鉱床のごとく生えていて、景色は先ほどまでと一変していた。
「まさか今のが正解だとは……それは26年誰も攻略できないはずだ……」
頭を抱える或斗を他所に、普は早々に内側へ足を進めて周囲を観察している。
「これどうするんですか普さん! イギリス政府に知られたら大変なことになるのは俺にも分かりますよ!?」
「グダグダうるせえ頓馬。知られる前に帰れば良いんだよ、さっさとダンジョンコアに触れ愚図」
実際この唯我独尊普様に文句をつけていても文字通り日が暮れるだけで何も良いことは無い。
或斗は青い顔のまま、中央の祭壇石へと近づく。
普は或斗の肝の小さい苦情を完全に無視して、祭壇石近くのトリリトンと呼ばれる柱のような巨石に刻まれている檻に囲まれた六角形のマークと、ダンジョン語を見ていた。
『これなるは旧き祭壇。神の欠片を封じし牢。番人巨大にして堅牢なる守り備えたり。封じられし力、囲いを支配する眼。器満つる刻を赦すな』
そこまで読むと、普は咄嗟に祭壇石の上のダンジョンコアへしょぼしょぼと近寄っていた或斗の首根っこを引っ掴み、引き寄せる。
或斗のぐえっという声は、或斗の居た場所に振り下ろされた巨大な石の腕が地面を抉った轟音にかき消された。
「これは俺のせいじゃねえな」
「そういう問題じゃないです……!?」
或斗と普の前では、ストーンヘンジを形成していた巨石群の石がバラバラに浮かび上がり、1体の巨大な石のゴーレムとして生まれ変わっていく。
「こんなの本当にイギリス政府に捕まりますよ!?」
「呑気なこと言ってる場合かアホカス! 片付けるぞ!」
或斗をその辺にポイと放った普はひとまず万能破壊キックで巨石ゴーレムの足を形成する石を砕く。
ゴーレムは一瞬だけ体勢を崩すも、すぐに砕かれた石が再集合して今度は破片の密集した歪な足となる。
その上、ゴーレムは砕かれた足の破片をひょいと掴んで、或斗と普の方へぶん投げてきた。
流石普というべきか、投擲動作を察知した瞬間には或斗の元へ戻り、いつもの荷物担ぎをして横へ大きく回避する。
それにしても眼前に凄まじいスピードで迫りくる巨石というのは心臓に悪い、小脇に抱えられつつ胸をバクバク言わせている或斗の頭を小突いて普が叱る。
「ボーっとしてる場合か抜け作、ゴーレムの倒し方くらい知ってるだろうが」
「ええと、コアを壊す、ですよね。でもコアみたいなものはどこにも……?」
「何のための虹眼だ馬鹿ネズミ、何でも良いから突破口を探せ」
ハッとして或斗は六芒星の虹眼を発動させる。
突如始まった戦闘に頭がついてきていなかったらしい、不甲斐なさを噛みしめながら巨大なゴーレムを見上げる。
多視の虹眼で視ても、どこにもコアらしき物体は無い。
透視でも同じ、石の中にコアが隠されているというわけではないようだ。
視魂の虹眼でゴーレムを見上げたとき、或斗はその胸の中心にダンジョンコアのような六角形の魂らしきものがあるのに気づいた。
「ありました! 胸の中心の……魂みたいに見えます!」
或斗は視魂の虹眼でその六角形のコアを破壊しようと干渉を始める。
しかし、抵抗力が強いという風でもなく、例えるならば強化ガラスを殴るような感触で、ゴーレムのコアは干渉を受け付けない。
「……何かに覆われてるみたいに、虹眼で干渉出来ません!」
「何か、ねえ。囲い、結界とやらか?」
普は或斗を抱えたまま跳躍し、ゴーレムの胸の中心辺りに先ほど足を砕いたものよりずっと強い一撃を加える。
足と同じ石材であれば簡単に砕け散ったはずの胸の石材は、まるでさきほどまでストーンヘンジを覆い隠していた透明な壁のような何かに弾かれて、ヒビすら入らない。
「クソが」
舌打ちと共に地面に降り立った普、と抱えられている或斗へ、巨石の破片がブンと風を切る音と共に飛来する。
普はゴーレム誕生によって障害物が無くなったのを良いことに、ゴーレムを視界に捉えたまま後ろへ飛び退く。
石の投擲を十分に避けられるほどまで離れると、不思議なことにゴーレムは攻撃を止める。
よく観察してみれば、普と或斗は初めにストーンヘンジを覆っていた透明な壁があったあたりまで後退していたようだ。
「ここって……最初に透明な囲いがあった場所より外ですよね。番人というか、囲いの内側の守護者の役割をしているんでしょうか」
「問題はどう攻略するかだな。再生能力はいつものこととしても、石の投擲が地味に厄介だ」
ゴーレムは通常のものと違い、人型から遠く離れた、腕と足が5~6本はある奇怪な形をしている。
動きも変則的だが、何より面倒なのは腕が多くて投げられる石の数も多いという点だ。
高速で動く石のゴーレム程度、普がさばいてダンジョンコアから引き離すのは容易だが、普が引きつけている間に或斗をダンジョンコアへ接触させようにも、石を投げられたら或斗は夕暮れ色の芝生のシミに早変わりである。
普が或斗を護衛しながらダンジョンコアの前へ向かうとすると、おそらくあの重厚な足で2人まとめて踏み潰しに来るだろう。
踏み潰しを止めることは出来る、が何本もの足で同じことをされると流石に普の手が足りない。
ゴーレムが攻撃行動をとらない間に、普が戦闘の見通しを立て、或斗も攻略法を考える。
1分ほど考えた或斗は、普を見上げる。
「普さんみたいな力技になりますけど……」
普は無言で或斗の頭をぶん殴った。
せめて最後まで話を聞いてほしい、と或斗は思いつつ、作戦を説明する。
仕切り直しとばかりに、或斗を抱えた普がもう一度ゴーレムの、というかダンジョンコアの方へと突っ込んでいく。
ゴーレムは普と或斗へ複数の腕を振り下ろすも、普は容易く回避し、回避しきれないものは拳で石を破砕して直撃を避ける。
砕かれた腕の破片をゴーレムは同時に何個も投擲してくる、何十個もまとめて掴んで投げられた破片は、普の手や魔法では防御出来ない数であった。
しかし、巨石の破片は或斗を抱えた普の1mほど手前で何かに弾かれ、或斗たちに傷1つつけることなく地面に落ちる。
「結界を使えるのはそっちだけじゃないんだ」
或斗の虹眼が虹色に光っている。
或斗と普の周囲には圧縮して固められた空気の膜があり、それは巨石の破片を一時的に防いでいた。
或斗を抱えたままダンジョンコアに近づく普と、ダンジョンコアに手を伸ばす或斗。
2人を阻もうとゴーレムは複数の腕と足と投擲とで攻撃してくるが、普の動体視力と物理攻撃力、そして或斗の張った結界によって防がれる。
或斗は祭壇石の上にある、虹色の六角形、ダンジョンコアへと触れた。
バチバチと破裂音に似た音と衝撃が或斗の虹眼から脳に伝わり、或斗の意識を遠のかせる。
閉じた瞼の裏は黒でなく、虹色の光が煌々と輝いている。
ずっとずっと遠いところから、同時に或斗の内側から、声が、情報がなだれ込む。
『器よ』
『私を牢より解放せし者よ』
『汝が満ち、識る刻は近い』
『さあ、満たし、満ちよ』
或斗の意識は闇の中の虹の六芒星の中に存在するが、同じ場所に或斗とは違う大いなる力の塊が在るのを理解する。
それは六芒星、籠目、囲うもの、その中心に囚われているのだと、何故か或斗はそう感じた。
夕暮れの丘に意識が戻ってくる。
新しく開かれた或斗の六芒星の瞳には、ゴーレムの胸の中心にある六角形のコアが、更に別の六角形で囲われ、守られているのが視える。
囲いを破壊するもの――或斗は虹眼によって、ゴーレムのコアを守る結界を破壊し、一息に視魂の虹眼でコアを破壊した。
巨石のゴーレムが動きを停止し、ストーンヘンジの一部だった石たちが重い音を立てながら地面に落ちて突き刺さる。
同時にカシャンという音が聞こえ、或斗の目の前にあったダンジョンコアが砕ける。
その瞬間、或斗はダンジョンコアとは一種の結界であるのだと虹眼の力によって理解した。
それは何かを守るのではなく、何か……魔力ではないと思う、を封じ込めるもの。
不意に或斗は、先ほど感じた闇の中の六芒星に囚われた大いなる力の塊を想起した。
そこで突然或斗の頬がべしと張られる、下手人はいつも通り普である。
「何ですか急に」
「戦闘が終わったと思ってぼんやり間抜けヅラを晒している注意力散漫カスネズミがいたもんでな」
そう言われると或斗が悪いような気もしてくるので、教育とは怖いものである。
でもやっぱり頬は張らなくても良かったと思う。
「……本当に力技でしたけど、何とかなりましたね」
安堵のため息をこぼす或斗の頬をもう1回張った普は首を横に振る。
「まだ終わりじゃない」
「え?」
張られた頬の痛みもどこへやら、或斗は敵の姿を探して周囲を見回す。
……と、否が応でも目に入る景色があった。
普が悪びれたところの無い声音で言い切る。
「イギリス政府にバレる前にバックレるぞ」
或斗たちの周囲には、原型のげの字も残していない地面に突き刺さったバラバラの巨石たち、そして無惨に砕かれた巨石の欠片が散乱している。
夜間近の視界にも、世界遺産だった神秘的な遺跡の圧倒的なぶち壊れぶりは明らかであった。
顔を真っ青にして黙った或斗をひょいと荷物担ぎして、普は振り返りもせずにさっさとストーンヘンジだった区域を後にする。
或斗はロンドンのホテルに戻ってからも、帰国の飛行機の中でも、青ざめた顔で狼狽えており、普に鬱陶しいと打たれても震えているくらい、世界遺産の盛大な破壊をやらかしたことにビビっていた。
そんな或斗がやっと一息つけたのは、帰国して事の経緯を説明された日明が「大丈夫だ……何とかしてみせるとも」と言ってくれたときである。
日明の顔がいつになく引き攣っており、声も微妙に震えが入り、或斗と同じくらい顔色が悪かったけれども、或斗にはそれを和らげることは出来ないので見なかったことにした。
組織の長って、大変だ。
或斗はしみじみ痛感し、日明の常の心労を思って現実逃避した。




