最秀令嬢、アニィエクレールは間違えない
読み切り短編です。
最◯令嬢シリーズ第五作品となりますが、過去作を知らずともこの話だけで完結し楽しめますので、お手隙の合間にどうぞ。
「そういうわけだ。自分の非を認めるか?」
と、憤怒の表情でひとりの令嬢へとそう咎めるのは、輝かしい金色の髪と瞳を持つ端正な顔立ちをした公爵家の令息、キール・アビゲイル。
「……アニエス様、残念ですわ」
そう言って冷ややかな目で言葉を吐き捨てたのは、これまた金色をした流麗な長い髪を持つ男爵家の令嬢、クレア・イニエール。
「な、何よ! 私が何をしたって言うの!?」
二人に謂れのない理由で咎められ狼狽しているのはアニエス・クレイルという名の侯爵家の娘。
「自覚すらないとは……まぁいい。貴様のような女とは今日限りで婚約破棄させてもらうぞ!」
「な、なんですって? キール様、本気で仰っているの!?」
「当然だ。良い機会だからついでに教えてやる。私が本当に愛しているのはこのクレアだ。私の真に愛すべき淑女を虐め抜いた貴様には、もはやどこにも居場所などないと知れ!」
そしてキールは一枚の契約書を取り出し、それをクレアの目の前でビリビリと破り捨てた。
「そ、そんな……わ、私たちの『婚約書』を……」
アレは破られるという事は、本当に婚約関係を解消させられたという証拠となるのである。
キール・アビゲイルに痛烈な言葉を突きつけられるも、しばらくは言い訳を繰り返していたアニエスだが、結局、キールから申し出た婚約破棄は覆される事はなく、アニエス・クレイルは婚約者のキール・アビゲイルを下位貴族のクレア・イニエールに奪われる形となる。
それだけに留まらず、公爵家より悪女のレッテルを貼られたせいで貴族魔法学院からも居場所を無くし、アニエス・クレイルは逃げるように自主退学を余儀なくされた。
そして、
「アニエス・クレイルは身分差を利用して目に余るほどにクレア・イニエールを虐め抜いた」
という噂と共に彼女はこの地で居場所を無くす。もちろんその事実は全てが捏造されたものであったが。
……と、かくして彼女は理不尽な婚約破棄をされてしまうのだった。
「……ふう」
アニエス・クレイルは貴族学院の退学届を提出したその帰路にてひとり溜め息を吐いた。
が、その表情は実に穏やかだ。
何故ならこれらは全て、アニエス・クレイルという一人の令嬢自らが望んだ結果なのだから――。
●○●○●
現在この国、オスタニアには一風変わった法制度がある。
それは成人となる16歳の誕生日までに必ず異性のパートナーと婚約関係を結んでおかなければならない『婚約法』というものだ。
それは、前国王のブラハム・オースティンが急死した為、急遽その実兄であるグラハム・オースティンが戴冠したその直後に定められたばかりの新法案であり、その意図は少子化対策だと謳われている。
オスタニアは近隣国に比べ年々、少子化が深刻化していた。その対策の政策としてこの『婚約法』が定められたのである。
しかしこの法案の大きな問題点は男尊女卑にも通じている事であった。
これはどういう事かというと、男性側だけに関してはいつ、どのような時でも正式に婚姻を結ぶまでならばパートナーを好きな理由で取り替えても良い、というのである。
現国王であるグラハムの考えは「男はより良い女をパートナーにしないと子作りに励まない」というなんとも度し難い暴論の持ち主であった。
どちらにしてもこの国の政策、未来はロクなものではないと多くの国民は常々思い抱いていた。
「そんな国の中でも、一応ああやって理由を付けてくるだけキール様は幾分かマシよね」
そう思っているアニエスは、深夜に自室でぼやく。
先日、婚約破棄を言い渡してきたキール・アビゲイルの事を庇うような発言だが、それでも内心アニエスはキールを酷い愚か者であるとは思っている。
それよりもアニエスは婚約者に婚約破棄された事や学院を追放されるように辞めた事よりも、自身のお勤めを無事終えられた事に安堵していた。
「アニエス様、ご準備は整われたでしょうか?」
扉の外からアニエスの侍女、ケティの声が響く。
「ええ、ケティ。すぐ参りますわ。あなたにも苦労を掛けましたね」
「そんな事は。全てはアニィエクレール様のご意向のままに従ってまでです」
「……ええ」
アニエスは身軽な装いにし、大きなキャリーバッグを引きずり、いくつものショルダーバッグを抱えた。
そして自室からの去り際に、
「さようなら、キール様。そしておめでとう、オスタニア」
そう、呟いた。
●○●○●
「まさかこのオスタニアからも出ていくなんて、驚きましたわ」
「ああ。だがちょうど良かったのではないか? これで私はクレア、キミと心置きなく結ばれる事ができるのだから」
「ええ、キール様」
アニエス含むクレイル家一族が皆、逃げるようにオスタニア王国から出国して、しばらくしたとある日。
アビゲイル家主催の夜会、その晴れやかなる舞踏会場にて、公爵家の嫡男キールと男爵家の令嬢クレアは楽しそうにそんな会話を交わしていた。
「それにしてもキール様、今更ですけれど本当に良かったのですか? 私よりもアニエス様の方がお家柄はとても格上でしたのに」
「何を言っているんだクレア。私は家柄などよりもキミの人柄に惹かれたのだ。それにアニエス、あの女は私の言う事をまともに聞くような女ではなかったしな」
「……うふふ、嬉しいですわ」
クレアはニッコリと微笑んだ。
「そんな事よりも記念すべき今日。キミのデビュタントに合わせ、キミとの婚約を皆に告げよう」
「はい、キール様。私、幸せですわ。あなた様と結ばれる事が叶って……」
クレアは頬を赤らめながら、キールの肩に寄りかかった。
「……」
そんな彼女を見て、キールは少し黙る。
キール・アビゲイルが下位貴族のクレア・イニエールを婚約者に選んだ理由。それは、彼女の人柄と見た目の美しさだけでなく資産的価値にも目を付けていたからだ。
イニエール家は王国の外れに小さな領土を持つ下位貴族の男爵家であるが、その土地の一画には、貴重な鉱石が採れる鉱山があった。
キール・アビゲイルはその将来的資産価値を見出し、彼女をなんとしても頂こうと考えたのである。
更に言えば、クレアは男への媚び方が上手く、男を喜ばせる所作に長けていた。結果、キールが彼女に惹かれるまでそう時間はかからなかった。
しかし問題だったのはアニエスの存在だ。
アニエスはかの名高いクレイル家の令嬢。クレイル家はオスタニア国でも屈指の名家であり、上流貴族の中でも大きな権力を持つ侯爵家だ。
オスタニア王の異母兄弟に当たる公爵家の嫡男であるキール・アビゲイルは幼い頃より、親たちの勝手な判断によって身分的にも権力的にも申し分のないクレイル家の娘と半ば強制的に許嫁とさせられていた。
キールも昔はそれで良かったと考えていたし、アニエスも満更ではなさそうな態度でキールの傍にいた。
しかし彼らが12になった歳の頃。貴族学院の下流貴族であるクレアが同じクラスメイトとなり、徐々に関係性は変化していった。
そして気づけばキールにとってアニエスは鬱陶しい存在となっていった。
同時にこの年、王位を継承したのがキールの叔父のグラハムであった。
「……グラハム叔父上のおかげ、だな」
キールは眉をひそめて呟く。
その言葉通り、グラハムが王位を継承し、新たな法案を打ち出した事によりキールの悩みの種であったアニエスを厄介払いできたからである。
クレアと結ばれる為には、正当な理由を持ってアニエスとの婚約を解消しなければならない。しかしキールの父、カイル・アビゲイル公爵が定めたクレイル家との繋がりを断つには、安易な理由ではままならなかった。
キールはクレアの資産的利用価値について父のカイルに話したのだが、カイルは頑なにアニエスとの婚約解消を認めなかった。
そこで叔父のグラハムに相談したのである。
そしてグラハムはキールの話を聞き、ひとつ条件を出した。
それは――。
「……キール様?」
「あ、ああ。どうしたクレア?」
「いえ、なんだかボーッとしていらしたので」
と、キールの瞳を覗き込むかのように見上げてくるクレアは実に可愛らしく、この女を早く自分好みに染めあげたいという欲望が昂ると同時に悔しさもまた、キールの中でやや込み上げていた。
(クレアの資産だけではない。この美しい唇も輝く髪も透き通る肌もその全てが私のものだ。だが、叔父上との約束は何事にも最優先される)
キールが叔父でありオスタニアの王でもあるグラハムと交わした条件。
それはキールの新たな婚約者であるクレアをいつでも好きな時に自分の性欲の捌け口にさせろ、というものだった。
その代わりにグラハムはキールの父、カイルに対してだけではなく世間的にも女の取り替えに関してもっと手軽に行える為の斬新な法案を作る、という約束なのである。
それが『婚約法』の始まりだった。
叔父に自分の女を好きに弄ばれるのは正直面白くはなかったが、それでもキールはなんとしてもクレアとクレアの資産を手中に収めたかった。
その一番の理由は彼の二つ下の弟であるアランへの対抗心でもあった。
キールの実の弟、アラン・アビゲイル。
金髪の兄とは違い銀色の髪色をしていて、やや目つきの鋭く少々強面のアランはその見た目とは裏腹に多種多様な能力に長けていた。
貴族学院の成績も運動能力も魔法の潜在能力も、学業関連の全てにおいてアランの方が一枚も二枚も上手であり、キールの兄としての威厳はせいぜい年齢が上だというくらいだ。
だが弟のアランは無愛想の為、男女問わず他者との交友関係に疎い。ゆえにキールはアランに勝てそうな分野、つまり将来の妻になる者とその資産でアランを見返してやろうと考えていたのである。
「……それでですね、キール様はいつお話しになられるのですか?」
「ん? すまないクレア。なんだ?」
「ですから私たちの事ですわ。今日、いつになったら私たちの婚約を発表なさるおつもりなのですか?」
「ああ、そうだな。そろそろ頃合いか」
キールは周囲を確認。食事と談話が落ち着きを見せ始めたタイミングを見計らい、クレアの手を引いてステージへと導いた。
「皆の者、聞いてくれ!」
キールが声を張り上げると、会場にいた者らは一斉に彼の方へと向き直す。
「私の以前の婚約者であったアニエスが救いようがない悪女である事は皆もすでに知っているであろう! そんな彼女との婚約は解消し、私は真に私の愛を注ぐ相手を今宵この場で発表させてもらう!」
そうしてキールは堂々と下位貴族である男爵家の令嬢、クレア・イニエールとの婚約を発表した。
「そしてこの件は今宵こちらに御足労頂いている我が叔父上であり、我らが王でもあるグラハム陛下にも許可を得ている」
キールがそう言うと、ステージの傍らで悠々とワインを嗜んでいた恰幅の良い男が座椅子に腰掛けたまま手を上げる。
「うむ。キールの婚約者はクレアで問題ない。我が定めた婚約法においてもなんら問題のない選択である。そうであろう? カイルよ」
「……その通りでございます」
グラハム王はギロリ、と一人の男を睨め付ける。
その男こそキールの父、カイルだ。
カイルは眉をひそめ、その場に跪きこうべを垂れた。
グラハム王自らの声明を出してもらったのは、キールの父と母にこの婚約を納得させる為だ。
事情を深くは知らないキールの両親は訝しげにしていたが、この国において王の言葉は絶対だ。特に逆らうような言動もなく、静かにキールを見守る。
これで邪魔者はいなくなった、とキールは安堵しほくそ笑んだ。
クレアは下位貴族の女だが、その容姿と資産はどうしても手に入れたかった。だが、婚約法を利用したとしも正当な理由が乏しければその家門と人間性に関わる。上位の貴族であればあるほど尚更だ。
(……くくく。クレアの初夜を叔父上に奪われるのは少々口惜しいが、代わりに叔父上のコネで私にも上物の妾を分けてくださるそうだしな)
キールもグラハム王に負けじ劣らずの女好きだ。互いに利害も一致し、この二人は実の親子よりも親子らしく性格も性癖も似ていた。
「皆様、改めまして私がキール様の新たな婚約者となりましたクレア・イニエールです。よろしくお願い致しますわ」
クレアの挨拶と会釈の様子をグラハム王が口元を歪めるようにニヤけて眺めている。
(全く、堪え性のない叔父上だ。まさか今日、この後にすぐクレアを頂こうと言うのだからな。……それにしてもクレアも馬鹿な女だ)
キールは、今夜はオスタニア城のグラハム王の私室で寝泊まりせよ、とクレアに命じている。その理由は特に話していない。
(私と婚約できた事がよほど嬉しいのか、それを嫌な顔一つせず頷くのだからな。クレアの奴は叔父上の事を全く疑っていないようだし、この女も良いのは見た目だけで、存外頭の中はお花畑なのだろうな)
と、キールは呆れ気味に見下しつつクレアの様子を窺っていた。
「……さて、それではこの辺りで少々余興を挟みましょう」
そんな時。不意にクレアは両の手をぽんっと合わせて笑顔で突拍子もない事を言い始める。
「は? おいクレア、キミは何を……」
「いいからいいからキール様、適当にその辺にお掛けになって? 私、今から一芸を披露したいんですの」
キールはわけもわからないまま、しかしクレアの笑顔に釣られ言われるがまま、グラハム王の近くの椅子に腰掛けさせられた。
「皆様、これをご覧ください」
クレアはそう言い、嬉々として書簡を広げて見せた。
それは『婚約書』であった。
グラハムの定めた『婚約法』では、この『婚約書』を男女が互いに持つ事で婚約関係にある事の証明とされている。
「はい。この婚約書は確かに私とキール様の物ですわ」
その場にいたほぼ全員が「なんだ、クレアの自慢か」と少し苦笑しながら眺めていた。
「グラハム陛下の制定された『婚約法』に基づき、私とキール様の婚約はこの『婚約書』によって確約され、守られておりますわ」
会場からは彼女の自慢にやや呆れ気味な顔をする者や、小さく溜め息を吐く者もいる。そしてそれはキールも同様であった。
「嬉しいのはわかったからクレア、もういい。下がれ」
全く仕方のない奴めなどと考えつつキールが呆れ気味にそう言うと、
「うふふ、キール様ちょっとだけお待ちください。私、どうしても皆様の前でもう少しお話ししておきたくて!」
クレア・イニエールは下位貴族の令嬢だ。王族の親類である公爵家の人間と婚約できた事が、よほど嬉しいのだろうなと会場にいた誰もがそう思った。
「大丈夫だクレア。もうお前を虐めるような女はいないし、今後も私の妻となる者を虐げれるような輩は現れないだろう」
キールが苦笑いしてそう言うと、
「ええ、もちろんそれはそうなのです! ですからね……」
クレアはニコニコと笑顔を絶やす事ないまま婚約書を皆の前で広げるように見せ、
「これを、えーい!」
その大切であるはずの婚約書をビリリッと真っ二つに破いて見せたのである。
「「っな!?」」
キールやグラハム王含め、その場にいた全ての者が驚嘆の声をあげるが、
「って、やっちゃいます! でも、まだまだー! えーい! えーい!」
ビリビリ!
バリバリ!
と、クレアは更に更にこれでもかというくらいに細かく細かく破き続ける。
「そんでもって、こうです! こうこうこう!」
ビリビリに破いて落ちた紙切れを、淑女とは思えない程はしたなく足を上げ、ダンダンッ! と踏み躙ったのである。
「お、おいクレア! お前何をしている!?」
「あはッ! キール様! 見て見て! 婚約書が粉々のぐっちゃぐちゃですわ! ねえ、今どんな気持ち? ねえねえ?」
美しくも歪んだ笑顔で実に楽しそうにクレアは笑う。
「ぶ、無礼な! 我が作った公的書類をそのように扱うなど、不敬罪の極みであるぞッ!」
「うふッ! グラハム陛下! はい! 私が陛下の作られたルールを破りましたわ!」
国王陛下の顔を見てもクレアは満面の笑みでそう答える。
会場にいた誰もがクレアは頭がどうにかなってしまったのだと思い、騒然とした。
婚約法に基づき婚約を一方的に解消しても良いのは男だけなのである。つまりこの国においてはどんな理由があろうと女側から勝手に婚約を解消する事はできない。
それをクレアは文字通り『破った』のだ。
「ふう! さてっと、それでは後付けになりますが、私、クレア・イニエールはキール・アビゲイル様との婚約を解消させて頂きますわ! こーんな馬鹿でアホで能無しで女性をモノとしてしか見ないようなクズ男、こっちから願い下げです! あー、気持ち悪かった! あとグラハム様、あなたのきっもち悪い下心満載だけのゴミ法案もくっだらなすぎましたわぁ。婚約法? ばっかじゃねーの? って感じですの。二人まとめてブタの餌にでもなりやがれですの! おっほほほ!」
と、クレアはまた嬉々として声を張り上げてそう言った。
会場はしん……と静まり返る。
「……な、何を……何を言っているクレア!? キミの方から勝手にそんな事はできないし、そもそも何故こんな無意味な事をした!? この会場にはキミのご家族もいるだろう! そのような無礼な行為、家族もろとも死罪となっても致し方ないと言えるぞ!?」
キールの言葉通り、すでにグラハム陛下の指示した衛兵らがクレアの周囲だけに留まらず、クレアとキールの両親がいたテーブル付近にも現れていた。
「うふふ、キール様。現時点を持ちまして、その衛兵らはですね……」
相変わらず笑顔を絶やさないクレアがそう言うと、
「なっ、何をしている衛兵ども! その無礼な女を引っ捕らえろ! この私自らその場で慰み物にしてくれる!」
我慢の限界だったのか、グラハム陛下が憤怒の表情で声を張り上げた。
衛兵らはクレアの前に立つや否や、
「ご苦労様」
クレアがそう声を掛けた。
と、同時に全ての衛兵がクレアの前に跪く。
「女王陛下! なんなりとご命令をッ!」
同時に会場にいた衛兵たち全てがクレアに向かって敬礼を掲げている。
「な、なんだこれは……? 何がどうなっている……?」
「キール様……いえ、キール・アビゲイル。私は……いえ、妾は現時点を持ってこの国の最高権限を持つ女王となりましたの。以後、があなたたちにあるかどうかは知りませんけれど、よろしく御免あそばせ」
「……!? ……!?」
キールには何が何だかさっぱりわからない。そしてそれはグラハム元王や会場にいたその他貴族らも同じだ。
「何をふざけた事を、この無礼な性悪女め……」
とグラハムがわなわなと体を震わせていると、
「ぐぶふぇッ!?」
頭を思い切り殴られ、衛兵によって強引にその場で跪かせられた。
そして続けて衛兵はキールの身体も拘束する。
「貴様もだ! 跪けキール!」
「ぐ!? は、離せ無礼者! 何故私がクレアの前で跪かなければならないのだ!?」
「愚か者めが!!」
「あいたぁ!?」
ゴンッ! と強めに鉄拳制裁を衛兵により喰らわせられながらキールも強引に跪かせられる。
「何がクレアだ! このお方をどなたと心得る!? こちらにおわすお方こそ、かのゾルドバルト家でもその秀才な頭脳において右に出る者はいないとされる最も眉目秀麗なお方、アニィエクレール・ゾルトバルト様その人であらせられるぞ!」
「ア、アニィエクレール、だと……?」
「様をつけろ! そもそもお名前で呼ぶなど恐れ多い! ゾルトバルト様、と言え!」
キールは再びゴツン、と頭を殴られていた。
「ゾ、ゾルトバルト……ま、ま、まさか……」
その名前を聞いた途端、顔色を青ざめさせ大量の冷や汗をかき始めたのは、衛兵によって身体を抑え付けられているグラハム王であった。
「まさか……それが本当なら……」
ガタガタと身体を震わせてそう呟くグラハムの姿を見て、キールはますます困惑する。
会場の多くの貴族たちもキール同様、状況の理解に追いつけずにいたが、衛兵たちは誰も動くなと武器を構えて命じている為、皆、怯えながら身を縮こませていた。
「な、なんなのだ!? ゾルト……バルト、とはなんなのだ!? クレア、お前は一体……!?」
「ゾルトバルトとはこの地より遥か遠くの大陸、ゾルディア王国の陰の実力者であり、この世界で唯一無二、どのような場所に立ち入る事もいかな振る舞いすらも許され、全世界の貴族会の最頂点におわす一族の、誇り高き御名前ですよ、愚かなる兄上」
クレアもといアニィエクレールの背後、その影より現れそう言葉を紡いだのは、キールの実の弟であるアラン・アビゲイルであった。
「ア、アラン!? お前は一体何を……!? これはどういう悪ふざけのつもりだ!?」
「アラン・アビゲイル……もしや貴様がゾルトバルト様を焚き付け我らをこのように謀ったのだな!?」
キールとグラハムが声を上げる。
アランは小さく溜め息を吐き、
「……悪ふざけなどではありませんよ兄上。これが真実です。今日、今この時よりこの国、オスタニアはアニー様の物となったのだ。そして叔父上、仰る通りでございます」
「そんなはずは……私の考えでは間違いなくそれはアニエスのはずだ……あやつめがこの国を乗っ取ろうとしていた諸悪の根源だったはず……。だからこそキールに婚約破棄をさせ、新たな女を当てがった。それがまさか……何故こんな事に……?」
「グラハム叔父上? 先ほどから何をぶつぶつと……?」
キールが怪訝な表情でグラハムの方を見る。
「グラハム叔父上よ。前王のブラハム・オースティン様を死に追いやり王位を奪ったものの、その不審な死を嗅ぎつけたゾルトバルト様に目をつけられていた事までを悟ったのは、さすがだと言っておこう」
アランは冷めた瞳でグラハムを見据えて言葉を紡ぐ。
「だが詰めが甘かったな叔父上。叔父上が追放したアニエス・クレイルはゾルトバルト家の者ではない」
「く……ア、アニエスが……アニエスこそがアニィエクレールではなかったのか……ッ! だがそれではアニィエクレールはゾルトバルト家の誇りを捨てたとでもいうのか!? 奴らはその誇り高い名を必ず偽名に使うのでは……なかったのか!?」
「そうだ。彼女らはその名を誇り、本名に似通った偽名を必ず名乗る。ご長女であらせられるリリィマリアーノ様はリリー、と言った具合にな。だからこそアニィエクレール様もしっかりとその誇り高き御名前を偽名に潜ませているではないか」
アランの言葉にアニィエクレールはにっこりと微笑む。
「妾も基本はアニー、と名乗っていますわ。けれど、此度の件に限りクレア・イニエール、と少々文字をアナグラムして勘付かれにくく偽名していたんですのよ。……そう、全ては愚かなる王グラハム、あなたを釣り上げて陥れる為だけに、ね」
「そん、な……馬鹿な……」
がくり、とグラハムはうなだれる。
グラハムの計画は数年前から企てられていた。
自らの望む国を作る為に邪魔な者。それは実兄であるブラハムと外部監査役、陰の執行人とも呼ばれるゾルトバルト家の存在だ。
それらを葬り、または欺く為の計略を慎重に秘密裏にグラハムは積み重ねていった。
まずは邪魔なブラハムをこの世から消す事。
しかしゾルディア王国のゾルトバルト家は、不正や身勝手を働く王族や貴族に対し、まるで義賊のように制裁を加えてくる非常に厄介極まりない存在である事を知っていたグラハムは、ブラハムを消す前に自分の密偵を使い、オスタニアがゾルトバルト家に目をつけられているかどうかを事前に調査した。
結果として、この国にもお目付け役の娘が一人送り込まれていた事を知る。
そしてその名前までも突き止め、それこそがアニィエクレールと言う名の令嬢である事を知った。
グラハムはどうにかしてアニィエクレールを見つけだし、ていよく追放し、その存在を消してしまわなくてはと考えた。
すると驚いた事に、自分の甥っ子であるキール・アビゲイルの婚約者であるアニエス・クレイルがアニィエクレール・ゾルトバルトである事がわかった。
グラハムは、アニエスを正当な理由をつけて追放するにはどうしたら良いか、と自分に忠誠心の高い臣下の一人に相談するとその臣下はこう答えた。
「アニエスは問題児だというように仕向けましょう。そしてキール様に新たな婚約者を当てがい、アニエスとの婚約を破棄させ、この国から追いやるのです。その後、グラハム様の思うがままの国づくりを致しましょう」
その臣下の言葉に従い、グラハムは事を進めた。
キールの新しい女、つまりクレアの事もその臣下に任せた。
結果、見事にアニエス・クレイルはその一家もろともオスタニアから追い出す事に成功。
そしてここまで万事、順調に進んでいった。
それだというのに――。
「グラハム叔父上。ゾルトバルト家を……アニー様を舐めすぎです。あなたのその計画も何もかも、ひと粒残さず全てを把握、網羅し、今日までその一切を悟らせる事なく、あなたをこの状況に誘導したアニィエクレール様を、な」
アランは冷たく言い放つ。
「だ、だがいくらゾルトバルト様とはいえ、いきなりオスタニアの王になるなど、許されるはずが……」
「妾はこの国の利権のほとんどを買い取り、各宮廷貴族たちの過半数以上の同意も得ていますの。ですから、今日この日に妾が新たなるオスタニア王国の王として君臨する事はこの国の重鎮たちは皆、すでに存じておりますわ。……グラハム、あなたやキールを除いてね」
そう、全ては今日この日。
キールとグラハムを勝利の絶頂点から完膚なきまでに叩き落とすが為、緻密に何年も練られ続けた計画。
アニィエクレールは数年前からこの未来を、この場面を想像して疑わなかった。
そしてそれは寸分違わず達成されたのである。
「ば、馬鹿な馬鹿な……そうだとするならば、まさか……」
「その通りですよ、叔父上。あなたが自分の娘のように可愛がっていた忠臣、ケティ様が全てここまでお膳立てしてくださったのです」
「ば、馬鹿なッ! アレは我が奴隷商から買い取り、心までも支配した完璧な女だ! 何年も何年も我の目から離さずにいた! ケティが我を裏切るなど……!」
「叔父上。あなたがいつか自分の為だけに育てる性奴隷を買う事も、見せかけの優しさを使ってその奴隷の心を縛り付ける事も、そしてその奴隷をどう使うかも、あなたからの完璧な信頼を得る事すらも、ここにおられるアニー様は全て計算ずくだ」
そのアランの言葉にアニィエクレールはニコ、と笑い、
「ケティが大変お世話になりましたわ。妾の可愛い可愛い妹、我がゾルトバルト家の末っ子のケティルノワール・ゾルトバルトが、ね」
「そ、そそ、そんな馬鹿事があるかッ! ケティは我が奴隷市場で見定めて、その名ですらも我がその場で名付けたのだぞ!?」
「……叔父上。アニィエクレール様は全てを間違えない。あなたがどこの奴隷商のどんな商人からどの奴隷を選ぶか。そして買った奴隷にどんな名前を付けるか。あなたが考えうる思考パターンの全てを緻密に計算していらっしゃる。……いや、正確にはケティと名付けるよう心的誘導もされていたのであろうな」
「ありえぬ! ケティはずっと我の手の届く範囲にいたのだぞ!?」
「ケティルノワール様はゾルトバルト家いちの思念魔法使いだ。その思念だけを操り家族と連絡、意思疎通を行なう事など造作もない。彼女らにとってそのような事、大した障害ではないのですよ」
「う、ううう。ば、馬鹿な……こんな小娘どもに……我は……我が一族は……この王国全ては謀られたというのか……!?」
わなわなと震えるグラハムが首をがくり、と落とす。
「ええ、そう言う事ですの。そして皆様、お聞きなさい。今日この日を持って『婚約法』の一切を廃止としますわ。今後、理不尽な婚約破棄を行なう者は我が名にかけて、凄惨な処罰を下すと心得なさい」
こうしてこの日。
単なる婚約発表の夜会であったはずの場は、歴史的改革の日となる。
オスタニア王国はグラハム・オースティンという暴君から解放され、アニィエクレール・ゾルトバルトが治める国へと移り変わるのであった。
●○●○●
――それから数ヶ月後。
ゾルトバルト家四女のアニィエクレールと五女のケティルノワールによって改革されたオスタニア王国は、その国名をそのままとし、アニィエクレールが統治する国となった。
アニィエクレール・ゾルトバルト女王はすでに多くのオスタニアの貴族らを掌握し、王位に着くと同時に多くの臣下たちは彼女に忠誠を誓い、彼女と国の為に献身したのである。
「アニー様、ここにおられましたか。夜風はお身体に毒です」
深夜。王城のバルコニーにて物思いにふけるアニィエクレールのもとへ一人の男が声を掛ける。
「お気遣いありがとう、アラン」
ニコっとアニィエクレールは笑顔で返した。
「いかがなされましたか?」
「ええ。一度報告に戻ろうかと思ったんですの」
「となると、故郷ゾルディアの地に帰られるのですね」
「この国も安定しましたし、何より世界で初のゾルトバルト家が治める国という名目ができましたから。お父様より申しつけられた妾の使命も一旦潮時です」
「アニー様。改めてありがとうございました。あなた様の類い稀なる思慮深きお考えと知性が我が国を救ってくださいました」
「全てはアラン、あなたの願いが妾の胸を打ったからですわ。腐りゆく国を救いたい、弱き女性を守りたいというその願いが、ね」
「偶然とはいえゾルトバルト家の意向と合致した幸運もございました。ゾルトバルト家の者が一国を治めるというあなた様のお父上の意向が」
「そうですわね。けれど、それだけではありませんわ」
「アニー様……?」
「妾だって一応女ですもの。あなたからの願いだったからこそ、こうして叶えたんですわ。言うなれば愛の奇跡、運命ですわね……」
「アニー様……」
「……アラン」
互いにしばし見つめ合うと、少しだけ恥じらいつつ頬を染めたアニィエクレールはそっと瞳を閉じる。そんな彼女の肩を抱き寄せ、アランは彼女にそっと口付けを交わす。
「アラン、愛していますわ」
「私もです。アニー様」
アランは柔らかく小さな身体のアニィエクレールを抱きしめて思った。
各国の上流貴族や王族を震撼させるほどの強さや権力を持ったゾルトバルト家の令嬢と言えども、一人の女性である事に違いはない。
アランは自分にどこまでできるかはわからなかったが、自身の両腕の中で微笑む彼女を命の限り守り抜き支える事を胸に誓う。
(……奇跡、幸運、運命? うふふ、変な言葉ですの。神様はサイコロなど、振らないというのに)
アニィエクレールはその表情を全く変えずにそう思った。
アニィエクレールは間違えない。
自身が狙い定めた男を完璧に虜にする為ならば、人脈も金も国ですらも利用し、計算通りに動かす。
幸運や奇跡があるとすればそれは、オスタニアという国に居たアラン・アビゲイルという男が、アニィエクレールのお眼鏡に適った事だろう。
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この作品は最◯令嬢シリーズ第一作品目となる「最恐令嬢、リリィマリアーノは容赦しない」の世界観と共通しております。
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