裏社会の女
女性は顔を近づけると耳元で囁いた。
「あんたって……密入国者だろ?」
「み、密……」
口ごもった。
「大丈夫。ここ、監視システムからは死角だから」
そうか、外国からの密入国者だと思っているのか。そうだよな。そっちの方が現実的だ。
「あ、ああ。そう」
話を合わせることにした。
「やっぱり、まだまだ、日本の方がましな国いっぱいあるからな。で、いつ日本に来たん?」
「つい最近」
「だから、不慣れっぽかったんだね。でも、日本語うまい。すごく勉強したんだ」
「うん…… まぁ……」
「今はどこに匿ってもらってんの? あ、女とか?」
その通りだ。何か、顔が赤くなる。
「そうだろうね。でさ、その女、これから先、あんたの事どうするつもりなん? ちゃんと、日本人として登録させてくれるん?」
? 密入国者がちゃんと登録など出来る方法があるのか?
「それは……」
「ま、普通の人間なら無理だよな。でも、そうなら、あんた、この先ずっと、ポリスから逃げて、まともに働けず、正規の病院にもかかれず、その女に匿われて生きなくてはならないんだよ。当然、結婚なんかもできないし」
暗たんたる思いにかられる。何も言葉が出ない。
そんな俺を女性はジッと見ている。
「日本の戸籍欲しい?」
「え?」
ビックリして女性を見返した。
「あげれるよ」
意味有り気な笑み。
「あんたのデータを日本人として正規に登録させられるよ」
「そ、そんな事が出来るのか?」
「あたしならな。あたしのパパね」
唇を耳に付けて言った。
「裏社会のボスなのよ」
「ハ? ヤ〇ザ!」
声に出してしまった。慌てて、自分の口を押える。
「もう、古臭い言い方。どこで日本語ならったん?」
「いや、その……」
「それも、かなり力がある方で、政治家や経済界にも繋がりがあるんよ。あんたのデーターを登録させることなんか朝飯前よ」
「そんなに簡単に出来るのか?」
「まぁ、本来はそれなりに金が動くけどな。後、労働力になってもらうとか」
ヤ〇ザの労働力? 背筋が凍る。
「でもさ、パパって、あたしにはものすごく甘いの。あたしの言う事なら大抵はきいてくれる。あんたの事頼んであげてもいいけど?」
「それでも…… 見返りはいるのだろう?」
「まあね。あたしと付き合ってくれればいいの。大した事ないだろ?」
綺麗な顔で微笑んだ。こうしていると、本当に綺麗なのに……
「オッケーだよな」
「ちょ、急には決めれないよ」
「え? なんで? こんな好条件な話ないよ。ただで日本人になれるんだよ」
「今、匿ってくれている人もいるし……」
「その女も喜ぶはずだよ。自分の男が日本国籍もつんだから。あんた位なら、数人の女持つの当たり前だし、その女の事なんか気にしなくていいよ」
価値観が違い過ぎて、クラクラする。
「とにかく、すぐには決めれない」
「……仕方ないなぁ。分かった。待ってあげる」
ホッとした。
「うん、そうして欲しい」
「じゃ、アドレス交換しよ。あ、あたし、鬼頭カリア」
そう言いながら、ブレスレットをした腕をさし出してきた。
「俺は…… 太郎」
「へぇ、いい日本名つけたな。センスいいじゃん」
「そうかな?」
複雑な気持ちなまま、ブレスレットの付いた腕を出した。
カリアと分かれた後、真っ直ぐに葵のマンションに帰った。
疲れた。とにかく、疲れた。
葵はまだ帰って来ていなかった。グッタリしていると、夜遅くになって葵が帰って来た。
「遅くなってごめんね。タイムスリップの事、色々文献探したり、検索したんだけど、見当たらなかった。もっと、調べてみるね」
申し訳なさそうに言った。
仕方ない。こんなの滅多にある事じゃないし、居ても、ひっそりと身を隠していただろう。
「すいません。お願いします」
「太郎君は? 今日、どうしてたの?」
「え? 少し街の方へ行ってみました。あの、変を事聞きますけど、この時代でも、裏社会はあるのですか?」
葵は直ぐには質問の意味が分からない感じだった。
「え、ええ。まぁ、明がある所は暗がある。今もあるわよ。表の社会とより深く繋がっているみたい。え? 何? 何かあった? ヤバイのにかかわったの?」
「いえ、そういうわけでは……」
カリアの事は言わない方がいい。
「本当に? とにかく、かかわってはダメよ。特に太郎君みたいな無登録者は利用されて、闇に落ちていくだけよ」
やはり、かかわらない方がいい。しかし、カリアからの申し出は……麻薬のように魅惑的だった。