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懐かしく 優しい 黄昏時に…

 疲れた。本当に疲れた。葵はしばらくして、意気揚々と大学に戻って行った。葵の持ってきたカードとありったけの妄想を駆使して何とかした。葵の研究に協力するのが約束だったから、逆らえない。

 その日は身体的にも、精神的にも疲れ果て、ドロのように眠った。


 あの日以来、葵はまた大学に行ったまま帰って来ない。いつもと同じ生活。

 夕方、ウオーキングから戻った時、呼び止められた。振り向くと、渚だった。

「良かった。お会いできた」

 照れ臭そうに笑う。

「あ、あの時の。あの後、大丈夫だった? あの先輩?」

「はい、お陰様で。私の顔を見ると、コソコソ逃げるのですよ」

 様子を想像して、可笑しかった。

「本当にありがとうございました。あの、良ければ…… これ、お礼に……」

 オズオズと袋をさし出した。チャックのシンプルなデザイン。

「クッキーです。お嫌いですか?」

「いや、好きだけど」

「お口に合えばいいのですけど…… 少し形が不揃いになって……」

 すごく恥ずかしそう。

「え? 自分で焼いたの?」

 小さくうなづく。

 かなり驚いた。この時代、キューブが普及したこともあって、ほどんど自炊する事がない。

「あ、重いですよね。私、古風な祖父母に育てられたからか、古くて重いみたい……」

「そんな事ない。うれしいよ。ありがと」

 袋を受け取った。渚は嬉しそうにしたが、すぐ、困った顔になった。

「あの…… すみません。これも、受け取ってもらえませんか?」

 もの凄くためらった感じで、小さなカードを出して来た。以前、伊集院麗華に渡されたメモリーカードと同じ物だった。渚からかと、ドキッとした。

「メモリーカードだよな。俺に?」

「はい、その、同じクラスの藤堂君からで……」

「? どういう事?」

「この前、藤堂君が見ていたみたいで。その、一目惚れしたって」

 良く分からない。

「藤堂君、先輩が好きで後をつけていたらしいです。それで、あの事を見てしまって、先輩より強くて男らしい……、あ、お名前お聞きしてませんでしたね」

「あ、俺、太郎」

「その、彼、太郎さんの事を好きになってしまったと。だから、私にこのカードを渡して欲しいって」

「! ちょっと待て! 彼って? 藤堂君って?」

「ええ、生まれつきの身体は男性です」

「……悪い。俺は」

「はい、きっと、そうだと思いました。迷惑ですよね。すみません」

 受け取り拒否をし掛けて、思いとどまった。拒否したら、困るのは、きっと、渚だ。その藤堂とやらに何か言われるかもしれない。

「分かった。受け取っておく。その藤堂とやらには、ちゃんと渡したって言っておいて」

「すみません。助かります」

 ホッとした様子。

「青空高校だったよな。ここからちょっと山手にある」

「そうです。創立165年という古い高校なんですよ」

 そう言えば、俺が行っていた時も創立60何年とか言っていた。

「太郎さんは、在宅なんですね」

「ああ、親の都合で引っ越しが多くて……。森さんはどうして登校に?」

 この時代、在宅と登校とは、半々だと聞いていた。

「私は、あの……」

 ものすごく、モジモジ恥ずかしそう。

「まだ、誰にも言っていないのですけど、話を作るのが好きで、そっち方面の事がやりたくて、その、色々な人と関わった方がいいかなって? 人間観察的な?」

「作家とか? 脚本家? あ、漫画家とか?」

「ええ、まぁ……」

 その時、遊歩道の向こうにスクールバスが停まった。数人の小学生が大人に付き添われて降りてくる。付き添いは子ども達がマンションの中に入ったのを見届けてから去って行った。本当に子どもが大切にされている。麗華の親のようなクズもいるのだろうが、ⅮⅤやネグレクトで命を落とす子はいない。渚は子ども達を目で追っていた。

「実は…… 子ども向けの話しを作りたいんです。子どもが減って、すごく狭き門だとは分かっているのですけど……」

 童話か児童文学か。この子なら、暖かくて優しい話が作れそうだ。

「推理小説も好きなんですよ。特に、平成から令和辺りのが好きなんです」

「東〇圭吾とか?」

 渚は目を丸くした。

「どうして? そうです! 友だちなんかも全然分かってくれないのに」

 つい、知っている作家名を出してしまった。本当に、この子といると、未来なのを忘れる。このまま、家族の居る自分の家に帰れるような思いになる。

「いや、俺も、結構、推理小説好きで、古い小説も読んでいるから。物理の大学教授シリーズなんか、面白いよな」

「はい! 大好きです。本当に面白いですよね」

 渚の目がキラキラしている。

「こんな事言うと、増々、時代遅れって言われるのですけど、私、紙の本の方が好きなんです。祖母にもらった文庫本を少しだけ持っているのですけど、指に触れる紙の感触が気持ち良くて……」

 俺の時でも、既に、ペーパーレス化が進んで来ていた。

「あ、なんか分か……」

 そう言いかけた時、女性の甲高い声が響いた。

「あ! いた! やっと見つけた! よくも無視したね!」

 鬼のような形相をした鬼頭カリアが立っていた。


 

   

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