素朴なあの子は……初恋の香り
「悪い。大丈夫? そんなに力を入れたつもりはなかったけど……」
大事にしたくなくて、愛想笑いをしながら、男に手を差し伸べた。
途端、男はとび上がると、
「もう二度と、声は掛けてやらないからな!」
俺の方は見ず、女の子に捨て台詞を吐くと、すごいスピードで逃げて行った。
「あの、助かりました。有難うございました」
深々と、女の子が頭を下げた。
「いや、でも、良かったのかな? 同じ高校の先輩なのだろう? この後……」
「高校の一つ先輩ってだけで、そんなに関係はないのです」
「え? 関係ないのに、あんなに偉そうに迫っていたのか?」
「はい、男っぽくってモテるから、女は皆、自分の思い通りになるって思っているみたいなんです。まるで王様気取り」
ふと、奥田ミカを思い出した。 女王様気取り。
「何人もの女性と付き合って、この間は妊娠させたって自慢してました」
「なんだよ。それ。そんなの自慢するって、腐ってんな!」
言ってしまって、ハッとした。この時代の価値観を失念していた。また変に思われたのでは?
だけど、その子は、
「そう、そうですよね。いくらモテるからって、好きでもない相手とそんなことして、ましては、子どもまで作るなんて、最低ですよね」
力のこもった返答をしてきた。その後すぐ、照れ臭そうに、
「すいません。つい、嬉しくなって。私なんか、考えが古いって言われてて。同じ価値観の…… それも、こんなとても素敵でモテそうな方なのに……」
最後の方は聞き取れないぐらい小声になっていた。
滅茶苦茶、恥ずかしそう。こんな反応、された事がない。逆にドキドキしてくる。
「私、そのマンションの森渚です。青空高校の一年です」
後ろにそびえ建つファミリー向けマンションを指さした。落ち着いた外観の高級マンション。
「青空高校? 俺も」
と言いそうになって、言葉を飲んだ。
「俺は在宅で二年」
この子、同じ高校なんだ。あの高校、まだ、ちゃんと存在しているんだ。超後輩か。親近感がわく。
「何週間か前、一度、お会いしてますよね?」
「ああ、うん」
「やはり、少し、不慣れな感じでしたけど……」
「最近こっちに引っ越して来たから」
「もう、慣れました?」
「うん、便利だし、自然も意外と多くて、住み良い町だよな」
渚がパァッと嬉しそうに笑った。この時代にしては地味顔だが、笑い顔は人懐っこく、優し気で、見つめてしまった。渚はそれに気づき、耳まで赤くすると、うつむいた。
「わ、私も、この町好きです」
そう言った時、彼女の後ろから「渚」と呼ぶ声がした。
「あ、母だわ。仕事から戻ったみたい」
渚は再び深く頭を下げ、
「本当にありがとうございました」
と、母親の方に去っていった。
俺も意外に時間をとってしまったので、ウォーキングを止め、マンションに戻った。
渚と話していると、百年先の未来に来ている事を忘れそうになる。圧を感じずにいられる。ホワッと心が温まるような、ワクワクするような思いになる。外見は葵が源五郎丸に似ているが、雰囲気は渚が似ている。とにかく、ここに来てから、初めて、他人と自然体で話した。
その夜は葵が久しぶりに帰って来た。テンション高め。なのに、俺を見ると、
「あれ? 何か、嬉しそうじゃない? 良い事あった?」
ドキッとした。
「別に、いつも通りです。葵さんこそ、楽し気ですけど?」
葵は顔を高揚させ、ニッコリと笑った。
「当たり前よ。すごく、成果がでているの!」
俺の目の前に来て、両肩をガッシリとつかんだ。
「太郎君って、本当に最高! ステキ! すごいよ! すごい!」
「…… な、何がです?」
「骨太で骨密度も高くて、健康で、もう、理想の健康体。血液も問題なしだし、何より……」
葵は一息置いた。
「男性ホルモンがものすごく多いの! 精子の数も多くて、その上、運動量もすごい! 元気そのもの!」
いつもだが、葵のこう言うほめ言葉は嬉しくない。
「今の時代で、俺は男らしいって偉そうにしている奴のなんて、全然、足元にも届かないわ!」
苦笑いをするしかない。
「ね、太郎君って、百年前の太郎君の時代でも、多い方だよね」
「さあ? どうなんでしょう? そんなの調べた事ないし……」
「あ、そうか。そうよね。まだ、学生で調べたりしないよね」
一人で勝手にうなづいている。
「でさ、もっと、研究をすすめて、成果をだしたいの」
バックから容器とメモリーカードを取り出した。
「もっと、ちょうだい。これ、この前、太郎君が使った映像と似た性癖と場面のやつだから」
バン!! と、爆発するように羞恥心が噴き出した!
全身が熱くなる。
ワナワナしている俺に、葵は目を輝かせ、容器とカードをさし出した。
せっかく、せっかく、穏やかで、楽しい気分でいたのに……
一瞬で吹き飛ばされた。