隣室の宇多川さん(20)は男子高校生がお好き
都内のアパートで一人暮らしをしている男子高校生・一之瀬甚太もとに、新しい隣人が挨拶にやって来た。
「この度隣に引っ越してきました、宇多川万里菜と言います。よろしくお願いします」
黒髪ロングの、清楚系美人。しかも年上という、好みドンピシャな宇多川さんを前にして、俺は柄にもなく心臓をドキドキさせていた。
男子校通いで、女性に無縁だった俺の日常。それがこうも一変するなんて……これを幸せと呼ばずに、何と呼ぶのだろうか?
この出会いから始まるであろうラブコメの予感に、俺は胸を躍らせていた。
「お近づきの印に、こちらをどうぞ」
言いながら、宇多川さんは菓子折りを差し出す。
こういう時は、下手に遠慮する方が失礼だよな。俺は素直に、菓子折りを受け取った。
たった数分の挨拶だけど、宇多川さんの人となりはおおよそ掴めたと思う。
物腰は柔らかく、口調や仕草は丁寧で、常識力も備わっている。それでいて、年下の俺にも礼儀正しいときた。
本当に、人間性が出来ている。
3年後、俺は二十歳になるわけだけど、果たして宇多川さんのような出来た大人になれるだろうか?
挨拶を終えた宇多川さんは、隣室へと戻っていく。
彼女が部屋に戻って数分後、どんがらがっしゃんと、アニメでしか聞いたことのないような轟音が聞こえてきた。
音の出所は、宇多川さんの部屋だ。
明らかに生活音ではないと判断した俺は、隣室で何か異常事態が起こっているのだと考えた。
例えば、黒光する例のアレが出たとか? それとも、昔隣室で首を吊った女の人の霊が現れたとか?
心配になった俺は、隣室の玄関チャイムを鳴らした。
「宇多川さん? 今凄い音がしましたけど……大丈夫ですか?」
宇多川さんからの返事はない。
その後俺は何度かチャイムを鳴らすも、やはり彼女からの反応はなかった。
「……意識を失っているとか、そんなことはないよな?」
だとしたら、一大事だ。
俺はドアノブに手をかける。ドアには鍵がかかっていなかった。
今日会ったばかりの、しかも女性の部屋に許可なく入るなんて、言語道断だ。しかし、事態は緊急を要するかもしれない。
「宇多川さん、ごめんなさい!」
俺は一言彼女に謝ってから、部屋の中に入った。
玄関に、宇多川さんの姿はない。トイレや洗面所にも。
俺は最後に、奥のリビングに入る。するとそこには……段ボールの山に埋もれた、宇多川さんの姿があった。
「……」
目の前の光景を見て、俺は声を失う。
引っ越ししたばかりなのだ。段ボールの中身が整理出来ていないのは、頷ける。
臀部を突き上げるという女性にあるまじき体勢でいることも、なんらかのアクシデントが起こったものだと考えれば、納得出来る。
問題は、段ボールの中身だ。
ふたの開けられた段ボールの中から飛び出していたのは……男子高校生の制服に、男子高校生の体操着に、スクールバッグにローファー。
20歳の女性には絶対に必要ないであろう道具の数々が、宇多川さんに覆いかぶさっていた。
「えーと……宇多川さん?」
俺が名前を呼ぶと、宇多川は「んー! んー!」と何かを訴えるように呻き声を上げながら、ジタバタする。
俺が段ボール諸々を退けると、彼女は「プハーッ!」と息を吐いた。
「危なかった……。もう少しで窒息するところだったわ。まぁ、男子高校生の制服に埋もれて窒息するのなら、本望なんだけど」
何を言っているだ、この人は?
「甚太くんだったかしら? 助けてくれて、ありがとう。そして見苦しいところを見せてしまったわね」
「えぇ、本当に」
「色々言いたいことはあるでしょうけど、一つだけ言わせて。これらのグッズは全て合法的に入手したものよ! 決して盗んだわけじゃないわ!」
いの一番に言いたいことが、それかよ。仮に合法だとしても、この光景にはドン引きだわ。
「えーと……もしかして、宇多川さんには弟でもいるんですか? この制服やローファーは、弟さんのものとか?」
「いいえ、私に弟なんていないわ。そしてこれは全て私の私物よ」
でしょうね! 校章が全部違っていたから、そんな予感がしていましたよ!
「……見られてしまった以上、白状しないといけないようね。私、宇多川万里菜は――大の男子高校生好きなのよ!」
美人で清楚で俺の好みドンピシャな年上の女性は……どうやら変態だったみたいだ。
◇
宇多川さんが越してきてから、半月が経過した。
男子高校生好きを公言していたので、俺は少々身の危険を感じていたものの、しかしながらこの半月、彼女が俺に指一本触れることはなかった。
宇多川さん曰く、手を出したら負けらしい。男子高校生は神聖不可侵とか。いや、知らんがな。
しかし男子高校生好きという性癖を抜かせば、宇多川さんは至って普通の美女だった。
生活していて迷惑を被ることもないし、それどころか夕食をお裾分けしてくれたりと、なにかと一人暮らしの俺に気を遣ってくれている。
ご近所付き合いが少なくなってきている現代社会、宇多川さんみたいな隣人は大切にするべきなのかもしれないな。俺はそんな風に思い始めていた。
午後3時。
勉強がひと段落済んだところで、俺は干していた洗濯物を取り込むべくベランダに出た。
すると隣室のベランダでは、宇多川さんが優雅にアフターヌーンティーを楽しんでいた。
「あら、甚太くん。ご機嫌よう」
「こんにちは。……紅茶なら、部屋の中で飲めば良いじゃないですか」
「絶景を眺めながら飲む紅茶が、一番美味しいのよ」
「そういうもんですか?」
「そういうものなの」
絶景と言っても、ここから見える景色なんてどこにでもある街の風景だ。それを眺めながらの紅茶だなんて、物好きな人である。
洗濯物を取り込もうとすると、宇多川が「あっ……」と声を漏らした。
そして俺は気がつく。
「絶景」と言っておきながら、宇多川さんの座っている椅子は外を向いていない。俺のベランダを向いている。
もしかして宇多川さん……俺の洗濯物を見ながらティータイムに興じていたわけじゃないよな?
試しに俺は、手に取った下着を上下左右に動かす。すると宇多川さんの視線も、同じ方向に動いた。
あっ、これは現行犯ですね。
「……宇多川さん」
「ごめんなさい。でも、仕方ないじゃない? 目の前に沖縄の青い海顔負けの景色が広がっていたら、誰でも眺めたくなるものでしょう?」
俺の下着以下だなんて、沖縄の海に謝れ。
「お詫びに……そうだ! デート! デートしてあげる!」
「えー……」
「こんな美人とデート出来る機会なんて、そうないわよ?」
確かに宇多川さんは美人だ。だけど、変態だしなぁ。
「……夜7時までには帰して下さいよ」
「それは女である私の発言じゃないかしら!?」
だって宇多川さん、何かと理由付けて俺を部屋に連れ込みそうなんだもん。
手は出さなくても、全国津々浦々の高校の制服を着させそうなんだもん。
しかし美女とデートという事実は変わらない。
それに俺にとって初デートということもあり、少なからず楽しみだという気持ちはあるのだった。
◇
翌週の日曜日。
宇多川さんとデートをする日がやってきた。
家ではTシャツにジャージ姿の俺だけど、女性とのデートということで可能な限りオシャレをしていた。
俺のスマホの検索履歴には、「初デート おしゃれ」という検索ワードが残っていたりする。
ピーンポーンと、玄関チャイムを鳴らすと中から宇多川さんが出てくる。
……女物の制服姿で。
「甚太くん、何その服装は!?」
「それはこっちのセリフですよ。20歳の大人が休日に何制服なんて着てるんですか」
宇多川さん程の美人がどんな服装をするのか楽しみにしていたけど、流石にこれは予想外だわ。
恐らく自分が高校生の時に使っていた制服なのだろう。2年の成長を経た彼女の体には、いささかサイズが合っていない。
具体的に言えば、胸部の辺りが窮屈そうだった。
「どこからどう見てもコスプレですね。待ってるんで、無難な服に着替えてきて下さい」
「えー」
不満を口にしながらも、宇多川さんは渋々服を着替える。
ニットのセーターにトレンチコートに、下はロングのスカート。女子高生(偽)から一転、大人の女性らしさを醸し出していた。
「男子高校生とのデートだからね。張り切っちゃった」
「最初からそうして下さいよ。……めちゃくちゃ似合ってます」
宇多川さんに連れられてやって来たのは、ボウリング場だった。
「ボウリングなんて、小学生の時以来ですよ。宇多川さんはよくするんですか?」
「いいえ。滅多にしないからこそ、一緒にやってみたいのよ」
確かにボウリングなんて、一人じゃまず来ないからな。上手い下手は抜きにして、純粋に楽しむとしよう。
ボールを選びながら、宇多川さんはある提案をしてくる。
「折角ボウリングするんだし、賭けをしてみない?」
「賭けですか?」
「えぇ。私が勝ったら、君の下着を貰うわ」
正気なのか、この女は?
いや、宇多川さんは元々おかしな人間だった。つまり正気を疑うような発言をする今は、平常運転である。
「嫌ですよ」と拒否するのは容易い。しかしそれでは、いつもと何ら変わらないやり取りだ。
……たまには、やり返してみたいな。俺の中に、そんな欲が出てきた。
「良いですけど……その代わり俺が勝ったら、宇多川さんの下着を貰いますよ」
「望むところよ」
即答する宇多川さん。
冗談を言っているわけじゃない。後に退けなくなったわけでもない。これは、本気の目だ。
「一応確認しますけど……下着ですよ? 本当に良いんですか?れ
「欲しい物を手に入れる為なら、それなりのリスクを背負うべきよ」
どうやら後に退けなくなったのは、俺の方だったみたいだ。
ボウリング勝負の結果は、どうだったのかって?
宇多川さんが満足そうな表情をして、俺は新しい下着を買う羽目になったとだけ記しておこう。
◇
それからも宇多川さんは、頻繁に俺をデートに誘ってくれた。
稀にヤベェ発言をしたり、通りかかった男子高校生を視姦していたけれど、総じて見ればいつも楽しいデートだった。
夕食のおかずを分けてくれる日も増えた。
いつも貰ってばかりというのは悪いので、俺も少しずつ料理を覚え始める。
互いにおかずを出し合うわけだから、結果二人で食事を共にする機会も増えていった。
顔が好みだった。初めはそれだけの理由で興味を抱いて。
しかし男子高校生好きの変態だと知るやいなや、関心は薄れていった。
それから一緒に過ごす内に、やっぱり最初に芽生えた気持ちを忘れることが出来なくて、気づけばまた恋をしていた。
今宇多川さんに告白したら、付き合ってくれるかな?
多分だけど、間髪入れずに「OK」と返してくれると思う。
だけどそれは、俺が男子高校生だからに過ぎなくて。もし俺が男子高校生じゃなかったら、果たして彼女は今みたいな関係性でいてくれるだろうか?
そんな不安を胸に抱えつつも、俺は見て見ぬフリを繰り返す。そうしているうちに――高校卒業の日がやってきた。
男子高校生でいられるのも、今日まで。この制服に袖を通すのも、今日が最後。
明日以降の俺は、宇多川さんの興味の対象になるのだろうか? 目を背けていた問いに、とうとう直面する日がやって来た。
「甚太くん、卒業おめでとう」
「ありがとうございます。……で、どうして一眼レフカメラを構えているんですか?」
「男子高校生(卒業式ver.)を写真に残そうと思って。ほら、こっち向いて。良いよ、良いよ〜」
どこのグラビア撮影だ。
「だけど甚太くんも、明日から高校生じゃなくなるのよね」
「そうですね。……男子高校生じゃない俺に、もう興味はないですか?」
聞くなら、今しかない。俺は勇気を出して、宇多川さんに尋ねた。
「高校生じゃなくなっても、俺を好きでいてくれますか?」
「……」
宇多川さんは何も言わずに、俺の頬に手を添えた。
「宇多川さん?」
「これが答えのつもりなんだけど……伝わってない?」
「これが答えって……あっ」
宇多川さんのモットーは、男子高校生は神聖不可侵。決して触れないことだった。
しかし今の宇多川さんはどうだろうか?
辛うじてまだ男子高校生である俺に、思いっきり触れている。
「あなたは私にとって男子高校生じゃない。甚太くんなのよ。大学生になろうが、おじさんになろうが、おじいさんになろうが。私はずっとあなたが大好きよ」
こうして俺は男子高校生から、宇多川さんの恋人になった。
なのに月に一回くらい制服を着させられるんだけど……それはまぁ、可愛い彼女のお願いとして妥協するとしますか。