14から16まで。
14
夏休みと数ヵ月で稼いだお金で、オートバイを買う。
三人で貯めたお金で、買う。
美凪は何度も何度も、勇二と守人に、ありがとう、大切に乗るからと繰り返した。
母葛城由美子は、美凪がアルバイトを始めたのは知っていたから、そのお金で買ったのね、と思っていた。
母は、大型バイクの値段を知らない。美凪の読みは当たった。余計な詮索もなかった。
昼間は、誰に見つかるかわからないから、バイク乗りの練習と慣らしは、夜になる。南国鹿児島の晩秋とはいえ、夜は寒い。
勇二は、晴れの日もカッパを着た。時には中に新聞紙を重ねて入れた。
意外に温かい。
お金はあるけれど、アルバイトをして、お金を稼ぐという尊さを知ってから、親にせびるのを、やめた。
美凪は、カッパはカッコ悪いからと、ジーンズにジャンパーで、我慢した。
美凪だけは、アルバイトは続けていたけれど、お金はオートバイで全部、持っていかれた。バイクは水道水では、動かない。
貧乏高校生には常に、若さだけが残っていた。
数週間で、勇二は気づいた。
「葛城は、ライダーの素質が、あんじゃね?」
そう言えば、免許を三度めで取れたと聞いた。自分が11回目だから、優秀だ。と勝手に比べて思っていた。
冬の夜。
遠出も苦にならなくなった、ある晩、鹿児島市内のドルフィンポートという北埠頭そばの港公園で、勇二とふたり、ホットコーヒーを飲んでいたら、サイレンの音が近づいてきた。
カップルが多くて、みんなが一斉に振り返る。
見ていたら、バイクがこちらに向かって、いかにも逃げてくる様相だ。
二人の目の前の、細い道の縁石に乗り上げて転倒した。
近づいて止まったパトカーから二人の警官。
無抵抗なライダーにいきなり、警棒で殴り付けた。
「なっ、なにしてんの?」
叫ぶ美凪。
「おいっ!無抵抗なのに、酷いじゃないかっ!」
勇二も拳を握る。
騒ぎに、周りにいたカップルたちも、集まりだした。
「何でもない。解散しなさい」
警官は、両手を広げて、そう促す。
ライダーは、パトカーの後部座席に押し込められて、しばらくそこに居たけれど、どんどん人が集まりだしたのを気にしたのか、走り去っていった。
あとには、倒れたバイク。
勇二はそれを起こすと、美凪を見た。
そこには、初めて見る形相の、彼女がいた。
15
美凪のデビューは、12月31日だったと、勇二は言う。
その夜。天文館は年越しで賑わっていた。
ひとりで家で寂しく年越しするよりも、知らない顔のみんなとでもいいから、楽しく越したいという人々の群れ。
天文館通の巨大スクリーンにカウントダウンが始まった。
その時。
青白い光をくゆらしながら、一台のバイクが疾走してきた。シンプソンの限定マッドブラックのヘルメットにこれもブラックのジャンプスーツ。
あっという間に天文館通前を行き過ぎる。
「あっぶね~」だの「年末に元気だね~」だの「目立ちたがりかよ~」だのと言う人が大方だけれど、そこに、サイレンを鳴らしたパトカーが、
「止まりなさいっ!」と必死に追いかけてくると、「おわっ、すげぇ」とか「なになに?見えなかった~」とか「ひとり暴走族かぁ~」とかに、語らう話も変わってくる。
人は身勝手で、臨機応変で、高揚する出来事を待ち望んでいる。
自分に火の粉が掛からなければ、それはいつでも対岸の火事で、楽しく面白く、観戦しましょうとなる。
そして、その夜。美凪もその事を、知った。
年を越して、2回目の天文館暴走を終え、自宅に帰ると、グリーンのバイクが止まっていた。
勇二だった。
「よぉ、今晩は」
「う、うん」
うつ向き加減になる、美凪。
「一発めで結構、噂になってんじゃん。葛城の気持ちは、はっきり言って、わからん。でも、警察憎しってのは、これまでのことで、とやかくいうつもりはない。
でも、俺も守人も、葛城のことを心配してるんだ。それだけは、覚えていてくれ」
それだけ言うと、勇二はバイクに跨がった。
「あっ、待って」
美凪の言葉を背中に、勇二は走り去った。
そして、春が来てまた、夏が来た。
気持ちは移ろい、あんなに心配していた勇二も、美凪のドライビングテクニックを見て、安心というまやかしに、捕らわれていた。
16
城島隼人は、白赤の自分のバイクに近寄ると、
「俺のペガサスよ。今夜もともに羽ばたこうぜ」と言いながら、タンクのウイングマークに右手を置き、目を閉じる。
一分間。
それが、彼の、ルーティーン。
跨がる。
バイクに火が入る。
軽くレーシング。
チタンマフラーが虹色に光る。
「今夜は『風の女神』に会えますように」
そしてやっと、夜に包まれた街へ走り出す。
「えぇっ、まじでっ?」
美凪は、思わず声を上げる。
今夜の夕食当番は美凪で、渾身の二度揚げから揚げとアスパラベーコン巻き、そしてシチューを作っていた。
「ごめん、大浦さんとこに不幸があって、急遽お休みでさ~。母さんが出ることになったの」
旦那が行っても、役に立たないから、そこはやっぱり奥さんがいくことになるわけよ、とも一人言のように言う。
由美子は、シチュー以外のおかずをぱっぱっと弁当箱に詰めると、
「ほんじゃ、行ってきます。戸締まり、ガスの元栓、消灯、よろしくっ」そう言って、出ていった。
ひとりの食事は、侘しい。
テレビで、コンビニの焼き鳥が割引中とやっているのをみて、食べたくなった美凪は、自転車の鍵を持つと、家の鍵を閉めて、出る。
近くのコンビニだから、電気はそのまま。
自転車のそばに行くと突然、ガサッと音がして驚いてそちらを見ると、バイクカバーの下から猫が出てきた。
人生のストーリーの始まりはいつも、些細なきっかけから始まる。
美凪は、家に引き返すと今度は戸締まりをして出た。
ジャンプスーツに、今夜はつい最近、勇二と守人にプレゼントされた、アライのヘルメットを被る。
何でもない日のプレゼントさ、と笑っていたふたり。
火を点す。
鼓動が、落ち着いてきた。
美凪も、ゆっくりと夜に包まれていった。