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凪  (改訂版)  作者: 田中浩一
14/18

49から53まで。


49


ドルフィンポートの美凪の元に、乗用車が止まる。

運転手は見知らぬ、角刈りにスーツ姿の男性。

「大丈夫か?待たせた。乗りなさい」

後部座席の窓から顔を出したのは、城島隼人だった。

美凪は、勇二が去った方角を気にしながら、乗り込む。

そんな美凪を気遣ってか、

「警察が威信をかけて追っている。大丈夫、捕まえるさ。それに、彼も助けるっ」と力強く声をかける。

無言で頷く美凪だった。

美凪を乗せた乗用車が仙巌園前(せんがんえんまえ)を通過しようとする時、城島隼人の携帯が鳴った。

「失礼」

そう言って、スーツの左ポケットからスマートフォンを出す。

「はい。城島」

話し出して、数秒後。

「なんだとぉぉぉぉ!逃げられたぁぁぁぁっ!!」

城島隼人の地声の大きなことは美凪も知っていたけれど、その時の怒声には、飛び上がらんばかりに驚いた。角刈りの運転手も、声に圧されて頭を前に倒す。

その後は、窓側を向いて、囁くように喋っていたが、夜の暗がりに反射する窓ガラスに映る城島隼人の苦渋の顔を、美凪は見ていた。

城島の口元が、井上、事故、病院と単語を続けている。

通話を終える。

城島が振り返ると同時に美凪が、問いかける。

「井上くんがどうしたんですかっ?病院って?事故って?」

「落ち着きなさい。まずは井上君の家族に連絡したい。電話番号を教えてほしい」彼のスマートフォンが見当たらない、とも言う。

美凪が自分のスマートフォンから電話番号を教えると、

「それで、井上くんは?」と訊ねる。なにかが喉を圧迫して、吐きそうだった。

城島は、視線をそらして、前を向きながら、ゆっくりした口調で答える。

「大変、危険な状態らしい」

「もどってくださいっ!病院へっ、井上くんのところへっ!!」

叫ぶ、美凪。

角刈りの運転手は、城島署長の命令の前に、車をUターンさせた。

ボタンを押す。

屋根の一部が反転、パトライトが赤く回転する。

サイレンを鳴らす。

鹿児島市立病院へと、飛ばす。


50


面会謝絶、絶対安静。

井上勇二は、ICU(集中治療室)に、いた。

駆けつけた家族も、会うことが許されない。

医者である勇二の父が、担当医から話を聞いてきてからの、落胆した表情を見て、美凪ならずとも、そこにいたみんなが、視線を落とした。

「神様・・・」

美凪は、祈る。


城島隼人は署に戻ると、陣頭指揮をとった警部の説明を聞く。

「上野あけみを、中央公園地下駐車場に追い詰めました。出入り口を封鎖。人の出入りする階段、エレベーターにも署員を配置。万全で望んでいました」

警部は汗をかいていた。顎から滴る。それほど太っているわけではない。室温も寒いくらいだ。

ただひとつ。城島隼人署長が、熱気をはらんでいることを除いては。

「地下駐車場、管理室の監視カメラの映像です」

パソコンから送出された映像が、プロジェクターに映し出される。

上野あけみがバイクを、1.5トン貨物の前に止め、荷台から梯子を二本引き出し、その上を半クラッチを上手く使い、並走して上がる。次いで、引き込まれる、梯子。

一分もしないうちに、赤いコートの金髪ロングヘアーの上野あけみが、荷台から飛び降りる。

「ここまでを見て、我々は、上野あけみを金髪ロングヘアーの赤いコートの女と認識。階段並びにエレベーターから上がってくるのを、待ちました」

い並ぶ警察官の前で、汗を拭く。

続ける。

「しかし、そのような女は、どこからも出てきませんでした。そして、次にこの映像です」

それは、階段とエレベーターの昇降口の監視カメラの映像だった。

赤いコートの上野あけみが、壁に吸い込まれていく。

居合わせた警察官らが、息を飲む。

「これは、監視カメラの角度によるもので、実はここにトイレがあるのです」

相変わらず可哀想なほどの汗をかきながら、警部は続ける。

トイレと思われる壁から、ニッカポッカにファー付のジャンパーを着た、スキンヘッドの小男が出てきた。

眉毛はなく、マスクをしている。

黄色い工事用ヘルメットの顎紐を首に、後ろに垂れ下げた格好で、階段を上がっていく。

「これが、上野あけみです。そして、我々は、みすみす目の前を通りすぎる被疑者を、捕らえることができませんでした」

警部は、主に署長に向けて、頭を下げた。

  つまり、上野あけみは、巧みに監視カメラを利用していたのだ。

そして警部は、さらに顔を紅潮させ、言いにくそうに眉根を寄せて、唇を歪めやっと、

「このあと、現場付近の個人店のバイク店が襲われ、店主所有のオートバイ、ホンダCBR1000RR、色、レプソル、つまりオレンジに近い色、一点が盗難にあっております」

城島署長が目を見開く。

警部は脱水症状で、今にも倒れそうだった。


51


意識不明。

祈るしかない状況で、井上くんのお母さんが、着替えや諸々の物を取りに行かなければならないから、あなたも乗せていくわと、美凪は帰ることになった。

一時も離れたくはないけれど、会うことすらままならず、まして家族のなかにいることが、はばかられた。

 自分の撒いた種。心の中のもうひとりの美凪が、囁く。

車内では何も言えず、家の前まで送られて、ありがとうございますと、お辞儀をする。

「目が覚めたら必ず連絡するから」と言われて、彼女だと認められた気がして、涙が溢れた。

家では、由美子が起きて待っていてくれた。

「お腹は空いてないかい?」

首を横に振る。

「もう遅いから、寝なさい。明日には良いことがきっと、あるから」

そう言われて、うん、うん、と頷いては泣く我が子を、抱き締める由美子だった。

翌朝。

スマートフォンが振動した。

一、二時間ほど、うつらうつらしていた美凪は、井上くんのお母さんからだと思い、スマートフォンを取った。

画面には、「井上勇二」からの着信と表示されている。

出る。

油の切れた錆び付いた歯車のような声音で、上野あけみは喋る。

「誰にも言わずに、あんたのお父さんのお墓においで。来れば、あんたの大切なものを返してあげる」

一度、学校に行く振りをして、日勤の由美子が出掛けたあと、家に戻る。

ジャンプスーツに着替えて、アライのヘルメットを被る。

城島隼人にメールを送る。

勇二とお揃いのジャンパーのポケットにしまい、ファスナーをあげる。もう見ることもないかもしれない。


Z900RSに火が入る。

「勇二・・・」

静かに、スタートする。

向かう先は、父高崎裕也の眠る、鹿児島県志布志市。


52


「僕も連れていってください」

そう電話をいれた中島守人は今、城島隼人のとなりに座っている。

朝の登校途中に美凪が、忘れ物をしたから取りに戻ると言って、帰ったきり戻ってこないので、守人もすぐにとって返した。

すると目の前を、美凪のバイクが行き過ぎるところだった。

一大事だと城島に連絡すると、城島も美凪からのメールを読んだばかりだと言う。

城島は国道10号線に待つ、守人を拾ってくれた。

「彼女は、僕たちのヘルメットを被ってるんです」

乗るなりそう言う守人に、怪訝な顔で見る城島。

「これです」とタブレットをみせる。

「なるほど。GPSか」

すると、前席の角刈りのドライバーが、シートの間からマイクを渡す。

渡されて城島は、叫ぶ。

「容疑者上野あけみは、大隅半島鹿屋市かその周辺に潜伏している模様。全車、そちらに急行せり。曽於、志布志、鹿屋、肝付署にも、応援要請を打診せよ」

そして、苦虫を噛み潰したような顔になり、

「今度こそは、必ず逮捕する。いいか、全員聞けっ!けしんかぎぃ、きばっどっ!」

了解、了解と返答が続く。

上空には、警察航空隊のヘリコプターが、先に飛んでいく。


霧島市国分下井海水浴場を右に、交差点を過ぎると、三差路になる。

左に建設会社の巨大な看板を見て、美凪は右へと進路をとる。

  左に行けば志布志市に多少近いけれど、ずっと山道だ。海岸線のこちらの道を選んだ方が、飛ばせる分、意外と早いかもしれない。

そう美凪は考えた。

その三差路の付け根のコンビニから、そろりと赤白のバイクが、美凪を追い始める。

 息を潜めるように、

プルクラッチ。

シフトダウン。

ミート。

一気に美凪のバイクを抜き去ると、蛇行を始める。

こいつだっ!美凪は一瞬にして悟る。

油断している道中に襲ってきたんだ。

福山地区の坂を登り始める。

亀割峠。

霧島市国分福山の名産、黒酢のカメを運ぶときに、揺れたり落としたりで割ることが多かったことから名付けられた。

それほどに蛇行する、中央黄線の二車線の山道。

山の木々が覆い被さるように繁っている。

すぐに頂上に着く。右眼下に海が見えた。

と、すぐに左に、急坂を下る。

すぐに右カーブ。まさに、下りのヘアピンカーブ。

その時、美凪はあることに気づいた。

上野あけみのバイクのブレーキランプが点りっぱなしだった。

勇二が言っていた、普通と大型では、雲泥の差があること。上野あけみはレーサーだけれど、大型バイクのレースには出ていないこと。

そして、公道では経験が浅いのではないかと言うこと。

最後は美凪の憶測だが、外れていないと、確信する。

勝機はある。


今こうして走りあってることに、なんの意味があるのかわからないけれど、上野あけみは狂ったその頭の中に、未だにレースの勝ち負けの記憶だけが残っているのではないだろうか?

寂しい人生を送ってくると、過去の一番輝いていた頃の記憶だけが、甦ってくる。

上野あけみはその栄光に、すがっているのではないか?

「可哀想な、ひと」

美凪は呟くと、牛根地区の狭い二車線をウネウネと走る。車道沿いに家々が立ち並んでいる。年配者が、平気で道を横断する。

右カーブ。

上野あけみの目の前に突然現れる、お婆さん。

すれすれでかわす。

倒れるお婆さん。

美凪も距離をおいてかわす。

ミラーで見ると、

「こあーっ、あんねどがぁ!」と手にした大根をふっている。

安心して、上野あけみを追う。


53


いつ、上野あけみは父を好きになったんだろう?

ふと思う。

海岸線の緩やかな道になる。

遅い冬の朝日が、すぐ横に静かに凪る海に時を知らせる。

喘息を持っていた父高崎裕也は、幼い美凪と遊ぶときも、休み休みだった。

時に咳き込む父の丸まった背中を小さな手で、「大丈夫?」と何度も何度もさすっていた。

笑いながら父は、「もう治ったよ。ありがとう、美凪」と抱き上げては、頬擦りしてくれた。

そんな切ない日々。

小さな心に思いやりと温かい気持ちを教えてくれた、父。

どうして?どうして上野あけみは、父を好きになってしまったんだろう?

寂しかった上野あけみに父が、ほんの少しの慈愛の水を注いでしまったから?それが発端。

でも、それは、だれもがする、思いやり。

いけないのは、上野あけみ。

そう、いけないのは、あの女。

目の前を走る、あいつだ。


二台のバイクは、朝の陽光の中を、疾走する。



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