33から35まで。
33
鳥野郎というニックネームをつけられているとは露知らず、城島隼人は鹿児島駅そばの「かんまちあ」という広場に愛車とともに、待ちぼうけを食っていた。
「そう言えば、時間を言わなかったな」
待ち合わせの時間のことだろう。それを伝えていたにしても、「風の女神」こと葛城美凪が、来る確率は低いだろう。
城島にもそれはわかっていた。
スマートフォンを見る。着信アリ。
「もしも、城島だ。どうした?」
通話の相手はどうやら城島よりも年下かあるいは部下のようだ。
「わかった。午後からの便が取れたら、それで行こう」
通話を切ると、ロマンスグレーの髪を一度、撫で付けて、ヘルメットを手に取る。
「さて、休暇はおじゃんだ。また、会えるかな、『風の女神』ちゃん」
エンジンに火を点し、鼓動が落ち着くのを待つ。
「高崎美凪。きみと楽しくツーリングができる日が来ることを、僕は信じてるよ」
かんまちあから、エキゾーストサウンドが、遠ざかる。
34
全治四週間、リハビリを入れると完治まで三ヶ月ほど。
高校生活一番羽を伸ばせる二年生の夏休みを、リハビリとオートバイ磨きに費やした美凪は、それでも退屈はしなかった。
毎日欠かさず、勇二と守人がお見舞いに来てくれていたし、勇二にいたってはこっそり、由美子のいない夜、自分のバイクの後ろにのせて、夏の夜の街に連れだしてくれた。
港の公園で、心地よい潮風を頬に受け、松葉杖を持たない美凪に勇二が肩を貸す。
決まって話すことと言えば、オートバイの話が多くて、でも守人がいるときは、世の中で起こっている事件事故などの事象を分析して話してくれた。
そんなとき決まって美凪と勇二はあくびを噛み殺すのに苦労した。
夏の夜はカップルも多い。見ていると恋人たちは、寒い冬の日はもちろん、夏の暑い日もくっついているように見える。
その夜もカップルの数が多くて、やっと空いているベンチを見つけてふたり、腰掛ける。
貸りていた肩から美凪は腕を下ろす。すると、今度は勇二が美凪の肩に手を回す。引き寄せる。
大胆だなと、いつも思う。
「フェアじゃない」
そう言っていた守人の真摯な顔が脳裏をよぎるけれど、大きな勇二の手の温もりが、それを溶かして忘れさせてしまう。
目の前を、桜島フェリーが行き過ぎる。
海は今夜も静かな凪のようだ。
ふたり、言葉はなかった。ただお互いがそこにいることを確認して、気持ちもここにあることも信じて、同じ時間のなかを、たゆたう。
勇二が少し動く。合わせるように美凪も顔をそちらに、傾ける。
唇が、重なる。
時も緩やかな凪のようにそこにとどまり続けている。
35
それは暦の上では秋とはいえ、まだ夏の日の名残りの強い午後だった。
「元鹿児島県警署長の河野仁さんが、昨夜未明、都内のホテルの一室で、遺体になって発見されました。事件と自殺の両面で、捜査をしています。河野さんは県警を退職後、都内の企業の相談役として再就職していました。続いては・・・」
テレビのニュースで、ありふれた事件のなかのひとつのような扱いで、流されていた。
三人が事件を知ったのは、スマートフォンのネットからだった。三人同時に見つけて、三人同時に沈黙した。美凪が話し出すまで、ふたりは待ち続けた。
「今夜、お母さんがいないの。うちでみんなで持ち寄りで、夕御飯食べない?」
ふたりは速効で首を縦に振った。
「実は、さっき伯父さんから、あっちで大変なことになったって。だから、鹿児島に残ってる家族のことを気にかけてやってくれってメールが来たんだ」
守人はよほど信頼されているようだ。気にかけるといっても、実際は守人の母が話し相手になるのだけれど。
「葛城も今夜ひとりで不安なんだろうな。お父さんのことに関係していた奴の、死」
勇二は守人とスーパーで買い物をしながら、美凪のことを慮っていた。
「せっかく立ち直って普通の生活を取り戻したのに、また蒸し返すんじゃないか、心配だよ亅
守人は、怪我が治ったあとも美凪がバイクで暴走行為をしなくなったことを喜んでいた。
また、勇二が二人でツーリングに行く計画をしていることも聞いていた。その話のおり、
「中島くんも、免許とろうよ」と何度も美凪に誘われたけど、そのたび、右手首が疼く気がして苦笑いで返した。
好き嫌いもあるけれど、乗り手は選ばれる。特にオートバイが大きくなればなるほど、それは顕著だと、守人は分析する。
午後六時。
美凪の家に集まった。
守人はノートパソコンを持ち込み、勇二は三人分のお総菜をテーブルに並べた。
美凪が作った冷やし中華も並べられて、和気あいあいと時間は過ぎていった。
勇二がペットボトルのジュースを注いで、美凪が洗い物を済ませて、テーブルに戻ってくると、守人が口を開いた。
「目をそらしていてはいけないと思うんだ。もちろん、葛城が拒否するのなら、話は終わり」
「何かわかったんだな」
勇二が声を抑えて訊ねる。
頷く守人。
「わたしは大丈夫。もう過去に引き戻されないわ。それに今は、二人がいてくれるから」
美凪は、交互に目を合わせて頷く。
守人はノートパソコンを開いて、画像を出した。そこには女性ライダーらしい姿が写し出された。レース用バイクも後ろに写っている。
「今度のことで僕は上野あけみを検索してみたんだ。そしたら、意外と有名人なんだってわかった」
暗くなってきた空のもと、秋の虫が鳴き始めた。




