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01

 一曲目のカドリールが終わると同時に、アークレインは真っ直ぐにエステルの元へとやってきた。


「約束通りお迎えに参りました。踊って頂けますか、エステル嬢」

「喜んで」


 エステルは嬉しくて仕方ないという表情でアークレインの手を取った。


 招待状に書かれていたプログラムによると二曲目はスローワルツだ。

 ゆったりとした優雅な曲が流れ始め、エステルはアークレインのリードに従ってステップを踏む。


(踊りやすい)


 エステルのダンスの技量は平均点だ。上手くはないが下手というほど酷くもない。しかし、アークレインのリードが的確なおかげで、自分の技量以上に体が動く。


 社交が好きではないエステルは、舞踏会に参加しても最低限しか踊らない。

 だから比較対象として知っているのはライルとシリウスくらいだが、ライルの腕前は、エステルと同じく可もなく不可もなくというレベルで、シリウスは乱暴だった。


 ライルとのダンスは教科書通りのダンスだ。

 一方で身体能力の高いシリウスは、真面目に踊れば上手で、よその女性とは丁寧に踊るくせに、エステルが相手だとわざと意地悪をしてくる。


 その二人のダンスと比べると、アークレインとのダンスは踊りやすくて楽しかった。


「お上手ですね」

「殿下のリードが素晴らしいからです」


 アークレインは誰もが認める正統派の王子様だ。

 顔立ちが端正なだけでなく、長身で細身に見えてもしっかりと筋肉が付いていて、フロックコートがよく似合っている。

 おとぎ話の王子様がそのまま絵本から抜け出してきたかのような錯覚を覚える存在である。


 もしエステルに異能がなければもっとダンスを楽しめたはずだ。踊り始めてから、周囲の若い女性から感じられるマナが昏くて怖い。


 マナが陰っているのはアークレインもだ。うっすらと曇っている程度なのと、オリヴィアとのカドリールの時からマナの状態が変わらない所を見ると、エステルが気に食わないのではなく、ダンスが好きではないのだと思いたい。


「……!?」


 何度ステップを踏み、ターンした時だろうか。刺すような悪意を感知し、エステルはびくりと身を竦ませた。


 アークレインの背後、招待客に紛れて、どす黒いマナに覆われている給仕の男がいる。

 男の視線はアークレインを凝視している。

 怖い。

 本能的に恐怖を覚えたエステルは、さりげなく男から距離を取るようにステップを踏み、アークレインを誘導した。


(何なの、あの人)


 エステルはこっそりと男を観察し、お盆で隠すように銃を構えている事を発見してぎょっと目を見開いた。

 銃口はアークレインに向いている。

 考えるよりも先に体が動いた。エステルはアークレインの体を思い切り突き飛ばした。


 次の瞬間――

 ダァン! という大きな音が聞こえ、エステルの左の上腕部に激痛が走った。


(いっ……)


 痛い。熱い。それしか考えられない。

 悲鳴と怒号が飛び交う中、意識が少しずつ遠のいていく。


「エステル嬢!」


 ぐらりと倒れたエステルをアークレインの腕が抱きとめた。香水の匂いだろうか、爽やかなベルガモットのような香りが鼻腔をくすぐった。

 そして、霞む視界の中、青ざめた表情のシリウスが駆け寄って来るのが見えて――


 それを最後にエステルの意識は闇の中へと呑み込まれた。




   ◆ ◆ ◆




 ……あつい。


 意識を取り戻したエステルは、体全体が熱を持っている事に首を傾げた。


(風邪でも引いたのかしら)


 視界に入ってきたのは見覚えのない場所だ。

 天蓋の付いた立派なベッドの中心にエステルは寝かされていた。室内は薄暗かったが、間接照明による穏やかなオレンジ色の光がついていたので全くの暗闇という訳ではなかった。


 ベッドの天蓋に取り付けられたカーテンの向こう側には、ウォルナットと思われるダークブラウンの応接セットが置かれているのが見える。

 壁にはのどかな農村を描いた風景画や(ヤン)製の陶器が飾られ、上品で落ち着く雰囲気にまとめられていた。


(ここ、どこ……?)


 身を起こそうとするなり左肩に激痛が走り、エステルはその場で悶絶した。そして、直前の記憶が蘇ってくる。


 そうだ。自分は撃たれたのだ。ロージェル侯爵家での舞踏会で、アークレイン王子とダンスを踊っている最中に。

 エステルはさあっと青ざめると、今更ながらに恐ろしくなって震えた。


 体が酷く怠くて熱い。怪我をすると発熱すると聞くけれど、本当なのだと実感した。

 負傷した左腕には包帯が巻かれていて、きちんと手当てされていた。

 ドレスはガウンに替わっている。脱ぎ着しやすそうな前開きのガウンは肌触りがとてもいい。この光沢は絹だろうか。袖や襟には細かな装飾が施されていて、明らかに一級品とわかるものを着せられていた。


 腕には点滴の管が繋がっていて、何かの薬剤が投与されている。


 熱が出ているせいか、汗をじっとりとかいていて喉が渇いていた。

 周囲を見回すと、ベッドサイドに小さなテーブルがあり、水差しと使用人を呼ぶ為のベルが置かれていた。


 エステルは傷口に障らないよう慎重に体を起こすと、水差しに手を伸ばす。

 しかし途端に目眩を覚え、その場に崩れ落ちた。


 テーブルの上のものをなぎ倒してしまい、けたたましい音が辺りに響き渡った。ベルや陶器の水差しが割れる音が入り混じった音だ。


「お嬢様、大丈夫ですか!?」


 女中(メイド)のお仕着せを着た女性が、慌ただしく室内に飛び込んできた。


「ごめんなさい、色々とひっくり返してしまったわ」

「お気になさらないで下さい。それよりもお目覚めになられて良かったです。丸一日意識を失われていましたので」

「嘘……」


 エステルは女中(メイド)の助けを借りてベッドに戻してもらうと、思い切って尋ねた。


「あの、ここはどこですか……?」

「ロージェル侯爵家のタウンハウスですよ。お嬢様は昨夜、このお邸で開かれていた舞踏会で、アークレイン殿下を庇って銃で撃たれたんです。覚えていませんか?」

「撃たれたのは覚えています」

「声が枯れていらっしゃいますね。片付けより先にお水をお持ちしますね」


 女中(メイド)はエステルに微笑むと、部屋を出て行った。




 ややあって女中(メイド)は新しい水差しを持って戻ってきた。お盆の上には、横になったまま水が飲めるようにという配慮だろう。白磁の吸い飲みも載っている。


「まずはお水をお飲み下さい」


 女中(メイド)はそう言うと、白磁の吸い飲みをエステルの口元にあてがった。


 吸い飲みの中に入っていた水は、ほのかな酸味と甘みがついていた。レモンと蜂蜜が入っているようだ。

 エステルが人心地ついたのを確認すると、女中(メイド)はエステルが水差しを落として汚した床の掃除を始めた。


「わたし、どうしてこんな所に……」

「お嬢様は暗殺者の凶弾から殿下を庇われてお怪我を……覚えていらっしゃいませんか?」

「覚えています。そうですか……そのままこのお邸で治療してくださったんですね」

「はい。動かすのは危険だという判断で。フローゼス伯爵もこちらに滞在されていますよ」

「お兄様が……」


 シリウスにとってのエステルは、エステルにとってもそうであるように、この世にたった一人の家族だ。信頼できる親族は他に叔父夫婦がいるが、兄妹というのは重みが違う。さぞかし心配をかけてしまった事だろう。


「今日はもう遅いので明日お知らせいたしますね」


 そういえば今は何時なのだろう。間接照明の明かりを頼りに壁に掛けられた時計を確認すると、一時を指していた。

 女中(メイド)の言葉から推測すると、夜中の一時という事になるのだろう。


「片付けが終わりましたので私はこれで失礼致しますね。まだお熱が高いのでゆっくりお休み下さい」


 女中(メイド)が去って一人になると、途端に眠気が襲ってきた。熱に浮かされた体はまだ休息を必要としている。エステルはそのまま睡魔に身を委ねた。

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