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電子的記憶のエッセイ  作者: 大塚煌
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フラストレーション

少しばかし自分を重ねているのかもしれません……。

 人知れず生まれる命も有れば、人知れず散る命も有る……。なんて普通の条理を脳内に展開しては閉じ、展開しては閉じを繰り返す。

 上記と同様、エヴァリスト・ガロアのように知らぬ所で著名と成る者も居れば、永久にその名が世に知られることの無い者も存在している。

 果たして私はどちらであろうか、自問自答の道は万里の道より長く、果てしない。果てることもないだろう。だから、少しでも共感を得ようと文を書いた。言うなればエッセイ。

 僕の世は、この「僕のエッセイ」なのだ。



 「エッセイ」


 エッセイは、十六世紀のフランス。モンテーニュが書いた「エセー」から始まる。

 日本語で言うと「随筆」で、「筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文」のことを言う。

 そんなものと知らずエッセイの響きが気に入ったからとそれを連呼していた少年だったが、学年が上がるにつれ意味を理解し、そして書いていた。

 その少年は俗に言う、文学少年と成っていた。

 但し彼の語彙力と言ったらため息がつかれる程の底辺さであり、字も上手いと言えない。下手だと言われても頷くしかないほど。けれど、その少年は改善しようとしなかった。

 拙い文章で、拙い文字で、その4百文字の作文用紙に筆を走らせた。

 爽快に気分が良い。そう、彼は思っただろう。ただ、その字の底辺さに見る者が居なかったからか、内容も同様進歩無しだ。

 でも、それは中学一年生までのこと。まだ、彼が、幼かった頃の話だ。


「学校が嫌になった。だが、私は行かなければならない。義務であるから。一部の桎梏だ。嗚呼退屈になる。が、人生そんなものだと言われたときには死にたくもなった。死後の世界の有無など判りはしないのだから一度死んでみよう。など言っても、終着には怖い、と腰が引ける。とてもつまらない」

 エッセイか?彼の文章を読んでみると、実に可愛そうと思うことが有る。

 また、いちいちわからない単語をぶつけてくるのもたちが悪い。そして、彼の母は口を開く。

「これって、あんたの?」

 と。

 勿論、感嘆による疑惑ではない。この文章が、母親にとって最初に目にする息子の文なのである。四六時中書いていたエッセイにしてはあまりにも拙い。こんなものか。そう思っただろう。

 だが、その少年は感嘆されていると捉えた。この過ちに気づくのは、大体、三平方の定理を目にするときくらいだろうか。

 まだあの時の彼は思っただろう。当然、私は将来作家になるのだろうと。今思えばバカバカしいと赤面してしまう。

 再度となるが、それはもう過去の話なのだ。



 現在?健在。

 二つの単語を並べてみてふっと笑った私は、過去の回顧に回していた意識を今へと変換する。

 電車の中で少しばかり目を瞑っていたことを思い出す。3連の大会であった為か、睡魔が滝のように頭上から降り注ぐ。

 それに勝ることは不可能であり、目を瞑った途端一時的休憩をする。熟睡ではない。

 過去の回想を経て覚醒した私の意識だが、思っていたよりぼやけていた為また睡魔に侵入を許した。

 電車のカタンカタンの音に苛立ちを覚えるくらいに疲れていた身体は、自然に壁を頼った。

『まもなく〜、〜です。お出口は右側です』

 自分の目的地がより遠いことを脳内で確認しながら、もう何もかもの思案を止めた。



「……お〜い。君?終点だよ?」

 目を閉じたその時からの意識が全く無かった。そして逆にあったのは、こちらをもの思わしげな顔で覗く高校生くらいの青年であった。

 しかしまあ珍妙たる男性だ。電車で寝てる知らん人に声をかけるとは、私ならば起きた後が恐ろしくてそんなことは出来ない。が、社会には少なからず居るのだろう。こういう、自分の社会的関係の枠を自ら拡大させようとする者らは。

「……?君……中学生?はは、君もあそこに行ってきたのかい……」鬱を醸し出すその青年は下を向く。

「どうかなさいましたか?」

「いや、あの、僕もその『中学生作文コンクール受賞作品展示会』……に行ってきた訳なんだけれども……。なんというか、自分にそぐわなかったというか」

「はい……?」

「いや、すまない。少しばかり思慮の欠けた言葉だった。忘れてくれ」

 手元のパンフレットにでかでかと記された展示会の文字に気づいてから、はぁと溜息を吐く。その仕草を眼前の青年は苦笑いで見守っていた。

「私も同意見ですね。と言いますか、私の方が上手く書けると思えるものらばかりでした」

 少年はしたり顔で続ける。

「まあでも参考程度にはなったと」

「辛口だね。……でも、作文だったり文学っていうのは、上手い下手が無い世界だと思うんだ。そもそも、文が上手いというのはなんですか、貴方にとって上手いと感じる文の特徴はなんですか、と問われると、さぁとしか言いようがないだろう?まぁ、持論だけど」

「それでも私はあれらを否定したい」

 断固として、私は考えを変えようとはしなかった。

 3日連続の大会の上に、予定を詰めに詰めて見に行った成果としては割に合わなかった。

「なんか僕、最初に言ったことと真逆のこと言ってるね。ちょっと疲れたかな」

「…………」

「……もう出発してしまう。君ももう出た方がいいよ」

「そうします」

「…………」

 深く沈みこんだ腰を冷たい鉄製の手すりを頼りながらゆっくりあげる。その動作を横目に眼前の青年は笑う。

「…?なんですか?」

「君、文を書くことが好きなのかい?今回のコンクールにも――」

「出してませんよ。僕は文は書いても人に見せない。見せたってわかってもらえないから」

 急に下がった声のトーンに目をパチクリさせた青年はおやおやと軽薄な言葉を吐く。

 流れるように電車を出た後、改札をまた流れるように出る。途中にその青年が問うことがいくらかあったが無視し続けた。

「おい。なあ、どうした?」

「どうもしませんよ」

「どうもしなかったら無視しないだろう?」

「……」

 改札を出てから初めての岐路にあたって、青年はこちらふっと見た。

「まぁいい。少年、君のことはよくわからないが都合がいい。これを持っていってくれないか?」

 青年はポケットから黒いUSBを取り出してからひょいっと投げた。

「んっ。……なんですか、これをどこに持っていけと?」

「人生の終着まで」

「はい?どういう意味ですか」

「ちょっと預かれってこと」

 ふうんと呟いてからUSBのシールを見る。そこに書いてあった言葉が見覚えがあったことにまたふうんと呟く。

鋼翔こうしょう……高校?」

「一年F組の、隆田たかだ翔だ。文芸部に入っている」

「……」

「おや?君は名乗らないのかい?」邪魔そうな前髪をふわっと宙に浮かせてから青年は問う。

「……鋼翔中学。三年四組、斎川さいかわ杏将あしょう

「杏将?はは、変な名だ」

 そのまま青年は、ひらりとした背を少年に向けた。

「とりあえず持っていてくれ、見てもいいぞ?それじゃ」

 岐路で別れた後の道は、とても早く感じたのは多分気のせいだろう。そして、その少年はその夜のことを忘れることは無かった。

 夜に流れる冷たい風は、世界の端まで吹いていると思えるくらいに絶えることは無かった。



 創作物語の中には時間というものが現実とは全く違っている。

 読み進めていくと、突然に三年、五年間など過ぎることがある。時間軸という世界における基盤を当人の思うがままに変動させることができる。それが創作物語の醍醐味と言っても過言ではない。

 だから、僕のこのエッセイという名の人生にちょっとした時間の空飛も許されるのである。故に、場面は一年後の春へと変わっていく。


 四月。桜は私の歩く先から拒むように、吹き荒れていた風に乗ってやってくる。当然、顔にはそれらがへばりつく。振り落としてみても、矢継ぎ早に降りかかるので振り落とす手を止めた。

 今度は顔につかないようにとカバンを盾にしてみる。いきおい前方が見えなくなるが、自分の歩行速度を落として前にいるかもしれない人に当たらないようにする。

 が、そんな小さな葛藤を経ても前方からの衝撃が頭をゆすった。

 確かに歩行速度は随分と遅くしたため、ぶつかるはずがないと見込んでいたがまさかそれを上回るほどの遅さの人がいたとは。それとも止まっていたのか?一秒程度その要因の追及に充ててから、程なくして前方の被害者へと意識を回した。

「あの、大丈夫ですか?」

「……あんた自分からぶつかってきてたくせに『大丈夫ですか?』な訳?普通謝罪の一言から始まるものでしょう」

 被害者は女性だった。入学式の日にアっていう感じにぶつかって、それから青い春が始まっていく兆しは見えなかった。見えていたのは、妙に仏頂面の女性と、中身がばらまかれているカバンだった。

「あ、すみません……」

「はあ……」

 いつのまにか風は止んでいて、花びらを鬱陶しいと感じることは無く、上手い謝罪の仕方を模索し続けた。

「手伝ってよ。カバンの中身、出たから」

 彼女の自分への対応が意外だったことに呆けていた私は、緊迫なようすで返事をしながらもそれらに手を伸ばした。

 全て拾い終わるとまた仏頂面で立ち上がり、歩き始めた。

「あの、本当にすみません……」

 去ろうとする彼女は、ふと足を止めこちらを一瞥すると、すぐに向き直って足を動かした。

 いろんな人がいるだな。

 私は一つの教訓のようにとらえてから、風の吹かなくなった通りを歩き始めた。


 それから校舎に着いてから会場となる体育館へと移動した。

 その冗長と言っていい式を聞いているふうな顔をさせながら呆けていると、気づかぬうちに式は終わっていた。式後は各自の教室に行くことになっていて、皆ぞろぞろと出口へと向かっていった。

 そしてその出口へと向かう途中、不意に後ろから声がする。

「なあ、お前校門近くで女と話してただろ?」

 未だ自分に話しかけられていると認識せず、何も聞かなかったように歩き続けた。

「おい、お前だって。おい」声とともに肩に何かが触れたことを感じ、対象が自分であることが判った。

「私ですか?」二重の検証として尋ねてみる。

「はい、そうですよ。でさ、お前が話してた相手の名前って何だよ」

「私も今日会ったばっかりでしてあまり知らないのですが」

「ええ!あんな話してたのに?お前うらやましいやつだな。初対面の女とすぐ話せるなんて」

「私は初対面の人に急に話しかけられた上に、うらやましがられるようなスキルなど持っていないが……」

 途端その男は私の横に並び始めて、顔を覗くように話をしてくる。

「へへ、すまんすまん。俺は、田中たなか雄哉ゆうや。北鋼翔から来た。お前は?」

「……鋼翔中学。斎川」

「名前は?」

「別にいいだろう?君が僕の名前を知らなくたって」

「名字を言っといてそれは無いだろう」

 断固として名前を言うことは無く、そして田中と名乗るその青年も諦めようとはしなかった。

「もう一度言うが、俺は田中雄哉。北鋼翔中学から来た。お前は?」

「……斎川」

「あーー!もう、名前を教えろって言ってんだろうが!」

 今日二回目の初対面の人の仏頂面。だが、名前を言えばバカにされることは承知しているので、その名を口にすることは許容しなかった。

「やめろって。そいつ結構頑固だからさ」

 不意にまたその後ろから声がする。その声に聞き覚えがあったからか、田中とのやり取りで解け気味だった口元も直ぐに強張った。

「ん?誰だよ」

「僕は鋼翔中学から来ました、織本おりもと景秋かげあきです。景秋っていうけど、夏が好きです!好きな魚はサンマです!」

 田中は、まるで汚物でも見るような目でその織本を一瞥してからこちらへ「こいつはお前の友達?」と伺う。だが私は答えなかった。

「ふうん。で織本?だっけ?お前こいつの名前知ってんの?」

「存じ上げませんが……。どうしました?知りたいのならば当人に訊けばいいものを……。あれ?僕の今のギャグは?スルーされてる?」

「どこまでが本気なのかギャグなのかわかんねえんだよってか、こいつ自分の名前言わねんだよ」

「僕も彼、斎川君についてあまり知らないが、とても頑固なことは覚えている。それと……ああ、彼いじめられてたんだ。結構本格的でね。今時こんなことする奴いるんだぁ、的な目で見てたけど」

「「…………」」

 織本の軽薄な口はまだ閉じない。

「でも泣いてるとこ見たことないんだよ。結構気が強いよ、斎川君。それと友達も作ろうとしないから、たぶん君の事嫌いだよええっと誰だっけ……」

「田中だ」

「そうだね、君、ザ田中君って気がするよ。でね、僕思ったんだ。よく先生とかがさ傍観者を加害者と同罪です、っていうじゃん?でも僕怖くてさ、傍観するしかなかったんだよ。でさ、そこでもし助けに行っていじめの標的になってしまって、酷いけがをしてしまった!ってなったらさ……誰が悪いんだろうね?ああ、もちろんいじめをしていた人が悪いと思うよ、でもそういう意識を植え付けた教育者の方にも責任はあると思うんだよ。僕は強くもないし、正しいですよと言われたことを貫き通すことが出来るほどの根性を持っているわけでもない。だから君を助けられなかった。そういうことさ」

「な、なんだよ急に……。そんなこと言わな――」

 田中の話を遮り開口する。

「……君は僕に言い訳してんの?」

「そうだね、自己満足と少々の憂鬱も込めて」

「…………」

「おっと、僕は君たちとは違う組っぽいからここいらで抜けさせてもらうよ。では」

 ほんのちょっとの気まずさを残した織本は、颯爽と他のクラスの方へと走っていった。それから少しは田中はしゃべりかけることはなく、その雰囲気が続いた。

 丁度教室が見えたところで田中が口を開いた。

「ま、気にすんなって。高校にはそんな奴いないって」

「何を」

「へ?」田中は怪訝な顔で訊き返す。

「私は気にしてなんかいない。ただ気にしてるのは君でしょう?可哀そうとか思わなくていいよ。そういうの鬱陶しいから」

「斎川……」

 同時に教室の中にいた先生が「早く入ってこい」と大きく声をかけたので、田中の憂いをほどいてすぐに駆け込んだ。



 何もなくして終わった入学式の一日。

 初めての高校ホームルームは書類を配るのと、クラス内の自己紹介だけで終わって、その他人間関係、部活動の話は明日に持ち越しとなった。

 帰り道には例の青年らは近寄ってこなかった。寂しさもないが、彼らの本質を理解したと思っていた自分にとっては想定はしていなかった。

 だからといって青年に興味を持つことはない。きっと彼らもたいして僕に関心が無いだろうから。

 帰り道をただ辿っていくだけの時間に希少性は見込めないから感情の動揺は一切無かった。

 家前に来てやっと自分が生物であると解ったように、目に輝きを取り戻してから部屋に向かった。

 風呂に入っていると、余計無駄なことを考えてしまう。だから長風呂は嫌いだ。風呂から出た後は床にすぐ入る。

 今日の回顧はなるべくしたくないと思っても、つい思い浮かべてしまう。

 人が良く思い出すことは、いいことじゃなくて、たいていが悪いこと、都合が悪いことだらけの黒い思い出。でも、それくらい誰でも抱えている。それでも人は特別でありたいと願う。きっと、あの織本とかいう奴も、田中とかいう奴も。みんな心の中に書き続けているエッセイがある。僕の、私の、俺のエッセイが。



 これはたぶん、僕のエッセイじゃない。これは、僕たちの……いや人間のエッセイ。

 その欠片でしかないのだろう。僕のも、彼女のも。

 彼女は何も書いているのだろうか。人生という名のエッセイいや、小説を。





 ぐちゃぐちゃだ。何もかも。

 桜が綺麗だと更けていたら、突然横から男がぶつかってくるなんて考えてもいなかった。

 その所為で今日の為に買ったバッグも汚れるし、初日の書類も汚れるし。サイアク。

 高校に来てまでこれ?なによそれ。今までの期待を返してよ。

「担任の山口だ。始業式で話された通り、部活動についての事は明日にやることになっている。今日はまあ自己紹介程度のことをやって帰ってもらう。……じゃあ、一番の相田から」

 自己紹介?

 斜め前の席に座る青年[たぶん相田って人]が素早く立つ。

「僕は鋼翔中から来た相田 心です。趣味はスポーツ全般です。よろしくお願いします」

 ぱちぱちぱち

 拍手が騒がしい。騒音に聞こえる。

「同じく鋼翔中から来ました安達 佐那です。えっとお……趣味は、ラジオを聴くことです。よろしくお願いします」

 ぱちぱちぱち

「北鋼翔から来ました織本です。趣味は……いろいろです。よろしく」

 ぱちぱち

 …………。

 ちっ。うるさいなあ。なんかもう……。


「ん?どうした?えっと次は、斎川?か?」

 さ、か。じゃああと少しか。

 前の席ががらりとこちらへ迫る。

「鋼翔中出身の斎川……です。趣味は、読書です。よろしくお願いします」

 ……。今朝の男だ……。前に座っていたなんて。

 ストンと座る仕草に注目していた所為か、周りの拍手の声さえ耳に届かなかった。



「お~い。次、せーー」


「あ!はい。私です。すみません」勢いよく立ち上がった後、その勢いを声に乗せた。

 乱雑に下がった椅子の行方を気にする暇もなく、口が開いた。

瀬島せしままつりです。梶刈中から来ました。趣味は小説を書くことです。よろしくお願いします……」

 拍手が鮮明に聞こえる。体はひどく火照っている。

 それ以上に前の男がなにもリアクションを起こさなかったのが衝撃だった。

 それ以降の自己紹介も、担任の妙に簡潔な話も、明日の予定についての話も、何も耳に入らなかった。

 ただ、前の、斎川の体が少しも動かなかったことに神経を削いでいた。


「瀬島さん?私は、えっとお、せきっていうんだけど。その話いいかな?」

 気づけばもう対象の斎川はそこにはいなかった。

「あの、いいかな?」

「別にいいよ。返事しないかもだけど」

 堰はえへっと苦笑いを浮かべては斎川の座っていた席についた。

「瀬島さんって斎川さんと知り合い?」

「今朝突然ぶつかってからの知り合いだけど?なんでそんなこと訊くの?」

「斎川さんがこれを落としていって」

 堰が取り出したのはUSBだった。シールにこの高校の名前が書いていることからここの物では?と感じたが、眼前の堰の顔を見る限りそれではないらしい。

「じゃあ他の人をあたってみる。ありがとね?」

 堰は何故そこまで知人を探すのか。それに興味が湧くのは質問された身としては当然と言えよう。

「ねえ、ねえ。堰さん?だったっけ?なんでそこまでしてUSBそれを返したいの?」

「えっ?だって……。わかんないけど。なんかそうしたいっていうか……。へ、変かな?」

「変ね」

 愕然とした表情を見せる堰に、私はふと口を引きつらせた。

 その少しの動作に堰は今度はにっこり笑った。

「変だけど、面白いね?堰さん」

 次には堰は頬を赤らめて口を開いた。

「堰 くくっていうの。宮玖って書いて、くく」堰は宙に漢字を書いた。

 堰に興味が湧いたのだろう。気づけば口は開いていた。

「ねえ、くく。そのUSB貸してくれない?最終的には彼に返すからさ」

 戸惑いつつ、堰はそれを差し出した。

「なにに使うの?」堰は問う。

「他愛のないことに」

 堰はきょとんと首をかしげてから後ろの時計を確認した。

「いけないや。約束の時間だった!それじゃね?えっと……まつりちゃん」

 そのまま彼女は出ていき、教室には静寂が下りた。

「まつりちゃん……か。私も帰ろうかな」


 それから帰ってUSBを自分のパソコンに差し込むには迷いは無かった。気になっていないと言えば嘘になる斎川という男の一部でも知りたかったのだろうか。

 起動とともに鳴ったファンの音は部屋には自分以外いないことを深く感じさせる。だが、それ以上に高揚していたためか、寂しさはなかった。

 


 USBの中身を知った後、それとなく落ち着いて、身支度を済ませてから床に就いた。

 今日は多分よくない日だったと思う。

 それを自分と主人公が描く物語にそっと添えた。

 こうやってみんな書いてる。人生っていう名の物語を。ただひたすらに、そうやって。

 多分、あの斎川ってやつも。

 やっぱり今日は良くない日だな。

誤字報告、感想等々よろしくお願いします。

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