表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/19

第三章:記憶のぬくもり

-1-

「何かあったの?


少し熱もあるみたいだしとりあえず今日はゆっくり休みなさい。

学校には連絡しておいたから。」


そう言って母は静かに部屋から出て行った。


ふっとため息を一つつく。


時刻は午前10時。


母の話では

倒れた僕を父が運んだらしい。

その父はもう出勤していていない。


何はともあれ、幸いと言うべきか

少しだけ熱が出ていた事もあり

結局今日は学校を休むことになった。


いや…とてもじゃないがこんな状態で何事もなかったように

勉強なんて出来るはずもない。


混乱した頭の中を少し整理したかった。


しかしだからと言って今すぐには

羽鳥翼からもらったパソコンのデータを見る気にもなれず

ただただベッドに横になり続けている。


ここは現実の世界。

これが、僕がずっと帰りたかった場所。

そう、

ここは僕の家。

僕の部屋。

僕の、世界。

僕の…居場所…。

なつかしい、僕の世界の匂い…。



ぽろりと頬を涙が伝った。


今までのあの不思議な出来事は一体なんだったのだろうか。


夢だった?


夢…?


一言で…、

そんな簡単な一言で片付けられるような代物じゃない。


そうだ!!


やっとの事で思い出しベッドから飛び起きると

椅子の上に置いてあった学生かばんのポケットの中からそれを取り出す。


別珍のえんじ色の小さな巾着。

そう、アキレスから帰り際にもらった光り花の種だ。


それをキュっと手で軽く握ってみせる。

柔らかい布の感触を掌いっぱいに受けた。

間違いない。

あの世界は確実に存在していたんだ。

その証拠にこれがある…。


ゆっくりとベッドに腰を下ろす。


アキレス…。


涙がぽろぽろと零れ落ちた。


そうだ…

アキレス…


アキレスが死んで…


リィーンも…


僕だけ一人リィーンを井戸の中に置き去りにしたまま帰ってきてしまった。


リィーン…明人…


明人…


明人!!


そうだ!!


僕が家に帰ってきて明人が言った言葉を今更ながらに思い出す。


僕が疲れすぎて明人の言葉をおかしく聞き間違えたのか、

それともあの台詞はまぎれもなく…?


しかし真実を確かめたくても明人は今学校に行ってしまっている。

帰ってくるのを待つしかない…。


少し寒気を感じ椅子にかけてあったカーディガンを着込んだ。


今は冬。

僕があの世界へ行ったのがゴールデンウィークが終わったすぐ後、

そして戻ってきたら季節は2年も過ぎ、冬を迎えていた。


不思議な感覚だ。


あんな経験をしたんだ。


今自分がこうして存在している。

ただそれだけのこと。

当たり前のこと。

そんな些細?な日常がとても幸せで、幸せで…。

幸せすぎて涙さえ流れてくる。


イネ=ノの世界で学んだ事はとても大きい。


一冊の本が書けるのではと思うくらい、

とにかく僕の人生の中で

かなり濃密な日々だったと思う。


そして…それは

明人の言葉がまぎれもなく事実なのなら、

まだ終わっていない。

この光り花の種と同じく存在している不思議がある…。


なぜ…こんな事になってしまったのか…

よくわからない。


あの日の放課後、イネ=ノの世界にいきなり飛ばされ

数々の経験をし、そして僕は今、元いた場所へと帰ってきた。

なのに物語は終わりを見せるどころかさらに続いている。


僕はどうしたらいいのだろうか…

この世界にこの件で相談できる相手はいない。

いるとしたら…

この件を唯一知っている人物…。


羽鳥翼。


そうだ、

あの人は一体何者なんだろう。


イネ=ノの世界にはいなかった。

けれど全く無関係ではなさそうだ。

じゃあ、…だったら…

なんなんだ…。


ふと思い出し立ち上がると

クローゼットの横にかけてあった制服のポケットからそれを取り出す。


羽鳥翼の連絡先…。


自宅の住所まで書いてある…。

滑らかにすべるようなキレイで読みやすい文字だ。


そういえばこの人、物理学科って昔会ったときに言ってたなぁ…。


これだけ見ると本当に普通の一般人のようにみえるが…。


考えてみたら羽鳥翼とは一昨日も含めまだ2度しか会っていない。

なのになんだろう…この感じ。

もう何十回、何百回と会って来たようなそんな懐かしい感覚だ。


連絡して色々と話しを聞けそうだ。

そうだ、その前にこれを見てみよう。


羽鳥翼からもらったフラッシュメモリーとか言う代物だ。


僕がこの世界に戻ってきて

自分の部屋にノートパソコンが置いてあったのにはまず驚いた。

僕がいない間に父がイネ=ノに買ったのだろうか…。


でも…少し困ったことが…。

パソコンが今までなかった。

つまり僕はパソコンの使い方がよくわからない。

学校の授業で何度かやったことがあるが

その程度だ。

電源を入れて、ペイントソフトやワープロソフトを起動したり電源を消すくらいは分る。

けれど、このプラスチックの塊の中にあるデータをどうパソコンに

取り込むかが分らない。

パソコンに詳しい明人は今はいないし…。


なにかそれらしい穴みたいのないかな…。


ノートパソコンを色々な角度で見てみると後ろのほうに

なんとなくそれらしい穴を見つける。

これかな…。

フラッシュメモリーのキャップをはずし

ちょうどそれに入りそうな箇所を見つける。


これをこうやって…

あ!!刺さった!!

よしよし。


早速パソコンの電源を入れてみる。


数十秒後にはデスクトップの青いスクリーンが映し出された。

と、さらに数秒後新しいウィンドウが表示される。

項目が色々と並んでいるがその中に

「フォルダーを開いてファイルを表示」という項目がある。

これかな?

マウスでダブルクリックしてみる。

すると新しいウィンドウが表示されテキストファイルが一つ中にあるだけだった。

タイトル「竹人へ」


え…?!

これはもしかして

イネ=ノから僕に宛てた手紙?!


胸が高鳴る。


僕はたった一人で冒険をして帰ってきた。

けれどそれを話す相手がいない。

そんな孤独な冒険。

それをこの手紙がそっと救ってくれたような

そんな気がした。


イネ=ノ!!


そうだ…イネ=ノはどうなってしまったんだろう。

リィーンの話しが確かなら僕と入れ違いに自分の世界に帰ったはずだ。


はやる気持ちを抑え、わざとらしく一度深呼吸してみる。


よし!


心の準備は出来た。


テキストファイルのアイコンをダブルクリックしてファイルを開いた。


『竹人へ。


この手紙を読んでいるという事は無事元の世界に戻れたって事だよね。


僕がこの世界で君になりすまして過ごした日々の事を日記にしてここに綴ろうと思う。

参考になればうれしい。』


そしてその文章の先からは日付け区切りで日記になっていた。


イネ=ノって意外とマメなんだなぁ…。

でも、これでイネ=ノが僕の世界でどんな風に過ごしたのかがよくわかる。

よしよし。

助かるよ、イネ=ノ!


カーディガンの裾を引っ張りなおし続きの文章に目を通した。


-2-

「お兄ちゃん学校休んだんだって?大丈夫?」


僕が台所で紅茶を淹れて飲んでいると

明人がランドセルを背負って学校から帰ってきたところだった。


「明人…」

それ以上言葉が出なかった。


「どうしたの?あ、紅茶?僕も飲みたい!」

そう言って食器棚から自分のティーカップを持ってきてテーブルに置いた。


「いいよ。じゃあランドセル置いて手、洗って来たらね」

「やった!」

そういうと嬉しそうにあどけない笑顔を作って明人は台所から2階の自室へ向かった。


「………」


わからない…。


それにイネ=ノの日記といい…。


いつもは入れない砂糖を紅茶の中に入れ、ティースプーンで軽くかき混ぜる。


分らない…


「分らないよ…」


思わず言葉が口から漏れる。


なんとなく悔しくなって

甘い紅茶と一緒にそれを飲み込んだ。


廊下の向こうの音楽室から静かにピアノの音色が流れてきた。


ショパンのノクターン2番。


生徒さんの演奏だ。


なんとなく気持ちが悪い。

演奏が下手なんじゃない、

今の自分の心情に合っていないからだ。


どうせノクターンを聴くなら1番のほうがよかったかもしれない。


そんな事を考えていると明人が手を洗って台所に入ってきた。


「お茶菓子食べないの?この前生徒さんからお土産にもらったクッキー、

棚にあったよね。それ食べようよ!」


そういいながら棚をあさる明人。


いつもと変わらない、

そう、

いつもと変わらないあの明人だ。


2年会わなかっただけあってさすがに身長も随分と伸びたし

顔立ちも落ち着いてきた。

けれど中身は変わらない。


ただ…子供っぽさと大人っぽさが入り混じった雰囲気が

キク=カの面影を思い出させていた。


キク=カ…。


それに…

リィーン……。


「どうしたの?」

僕が黙り込んだままでいると明人が僕の顔を覗きこんで見せた。


「あ…なんでもないよ…ちょっとぼーっとしてただけだから」


「熱があるんだっけ?休んでなくて大丈夫?」


「うん…これ飲んだら上行くから…」

そう言ってまた一口紅茶を啜った。


「僕ももらうよ」


そう言ってティーポットを手に取ると

自分のティーカップに紅茶を注いだ。

と、

「あち!!」

注ぐときティーポットの角度を付けすぎて

紅茶をこぼしてしまったようだ。


「あ、大丈夫?!」

椅子から立ち上がる。


「大丈夫だよ、ちょっと火傷しただけだから」

「大丈夫じゃないよ!ほら、早く水で冷やさないと!!」


そういいながら明人の手を引っ張り水道の水を出すと

その水に手をさらす。


と…


水の流れる音が…


水の…


流れる…


音が…


水がステンレスのシンクにぶつかる音…


排水溝に流れていく音


音…


水が…


水、


み…ず…


「お兄ちゃん!!」


次の瞬間明人が叫ぶ。


思わずよろけそうになってシンクに手を着く。

反動でパジャマの袖が少し濡れてしまった。


「大丈夫?顔が真っ青だよ。

僕は大丈夫だから早くベッドで横になったほうがいいよ!!」


「ごめん、大丈夫だよ。ちょっと眩暈がしただけだから。

さぁ、手を冷やさないと」


「もういいって。

お兄ちゃんこそ大丈夫?」

水を止めるとタオルで手を拭き

僕の両頬にその冷たい手をそっと当てた。


!!


思わず手でそれを勢い良く払いのけた。


突然の僕の態度に驚いて目を丸くする明人。


「あ…ご…ごめん。

冷たかったからちょっとびっくりして…」

慌てて謝るが明人の目はすでに潤んでいた。


やばい…泣かせちゃう!!


「本当ごめんね、今日体調があまりよくなくって。

ね?だから泣かないでよ」

頭をくしゃくしゃとなでてみせる。


あれ…

なんか…このやり取り、凄く懐かしい…


ああ…懐かしい。


そうだ…そうだったんだよ。


そうだったんだよな。


これだよ、これ…


僕の日常だよ。これが!!


なんだか無償に嬉しくなって思わずにやけている自分がいた。


「お兄ちゃん…」

涙をこらえながら明人が上目遣いで僕を見た。


「もう大丈夫だよ、お兄ちゃん…心配しないで。

お兄ちゃんはちゃんと現実世界に帰ってこれたんだから」

「え?」


思わず聞きなおす。


「なに?」


「僕、嬉しいよ」


そういって明人は僕の身体にきゅっと抱きついて見せた。


心拍数が上がっていくのが分った。


「だって、お兄ちゃんがいなくなって凄く心配したんだよ、僕。」


「…うん…」


「やっと帰ってきたかと思ったら全然赤の他人で…

でも今度は間違いなく、本物だね。

本物のお兄ちゃんなんだよね。」


「…………明人…」


イネ=ノの日記を思い出す。


最初は竹人として振舞っていたが

明人に他人だと見抜かれてしまい、

最後の最後でカミングアウトしたのだというのだ。


それを明人は理解したという。

そしてさらに明人も…。


そっと明人の体を離し左手の小指にそれを探した。


真っ直ぐ透き通った透明なガラス球が付いた指輪を見つけ

愕然とする。


だめだ…。


もう…。


思わず体の力が抜け

床にひざを付いて座った。



「お兄ちゃん!!」



「なんで…なんでなんだ…」


目の前にしゃがんだ弟の目を見つめた。


「なんで…」


明人を抱きしめた。

強く強く、ぎゅっと…ぎゅっと…


なんで…


なんでなんだ!!


「………ちゃん…痛いよ…」


「あ…ごめん」


そっと明人を離す。


そこには明人の真っ直ぐ光り輝く

黒い瞳…黒い髪、白い肌…明人…

明人…明人…


「お兄ちゃん…帰ってきたばかりで凄く疲れてるんじゃないの?

二階行こうよ、ね?少し横になった方がいいよ。」


「…ありがとう…本当、ごめん」

「なんで謝るの?いいから、いいから!」


そう言って明人はふわりと小さな笑顔を作って見せた。


-3-

「そう…」


ただ一言だけ明人は言葉を漏らした。


場所を僕の部屋に移し

僕は今まで異世界で経験したことの全てを

明人に話した。


ベッドに腰をかけながら僕もひとつため息をついて見せる。


明人は僕のデスクチェアに腰を掛け静かに僕の話しに耳を傾けていた。


「そして明人が蛇使い座守護神の指輪をつけている…

イネ=ノがこの世界に来たことによって明人までも巻き込んでしまって

本当に申し訳ないと思ってる…」


「な…!!謝らないでよ!!別にお兄ちゃんは何も悪くないよ。

それにむしろ僕は嬉しいよ。

お兄ちゃんはちゃんと帰ってきてくれたし、お兄ちゃんのその世界での出来事と

リンクして僕もその力を共有できてるんだから。

だからおにいちゃん一人で悩まないで僕と一緒にこの問題を解決していこうよ」


思わず目を見開いて明人を見つめた。


随分と…大人っぽい台詞…。


一昔前の、僕が異世界に行く前の明人はもっと弱弱しくて泣き虫で…

僕なしじゃ何もできなかったのに…

それが…今じゃ逆の立場に立っていて僕をこうして支えてくれようとしている。


イネ=ノの日記にもあった。

明人も僕がいない間に色々と辛い体験をしている。

それが幸か不幸か明人を大人にさせていた。


ジレンマ。


自分が知っていたかつての弟ではなく自立心の芽生えた

たくましい真っ直ぐな瞳をした弟が、今僕の目の前に居る。



「どうしたの?」

僕が急に黙り込んだのを見て明人が小首をかしげて見せた。


「ううん…ただ…本当…この後僕らはどうなってしまうんだろう…

あ、そうだ…明人にも会わせた方がいいのかな?」


「羽鳥さん?」


「うん。

この世界で唯一僕らの事を知っている人物だからね。

連絡先も教えてもらったから…少ししたら連絡してみようかと思ってる。」


「そうだね…でも…その前に僕、お兄ちゃんにお願いが…」


そう言って明人は上目遣いでチラリと僕を見た。


「なに?」


「蠍座守護神がお兄ちゃんのクラスに居るんでしょ?

会いたいんだけど」


「ああ、…イネ=ノの日記にも書いてあったよ。

けれど、会ってどうするの?

リィーンから少しだけ話しを聞いたけど決して二人は仲が良かったようには思えない。

むしろ顔を合わせない方がいいんじゃないのかな?」


「そんな事ないよ!!

僕は会いたい!!会って色々と聞きたいことがあるんだ」


「たとえば?」

「それは…リィーンとキク=カの事だよ…。お兄ちゃんは知らないこと。」

そう言って明人は僕からそっと視線をはずして見せた。

「どうしようかな…とにかく僕が先に会って来るよ。

まだ本人と会ったことがないからなんともいえないし。

明日は学校に行く予定だよ。」


「…うん」


「それにしても、なんだか変な気分だなぁ…」


そう言って思い切り両手を天井向けて引っ張り上げて見せた


「だってそうだろ?

あの世界に行っている間に2年も時が流れていて

僕は浦島太郎状態。

で、学校では1年からやり直し、だもん。

折角友達になったクラスメイトとは違う学年…。

というか、僕の先輩になっちゃってるんだもんな…。

なんだか空しいものがあるよ。」

「お兄ちゃん…大丈夫だよ。

その…今は帰ってきたばかりで色々と混乱してるだろうけれど

少しずつ慣れていくし忘れていたものとかも取り戻していけるはずだから…」

そう言って明人は優しくニコリと微笑んでみせた。


「明人…」


胸の中がふんわりと温かくなるのを感じた。


明人の優しさが熱に変わってゆく。


あたたかい…。


とても

やさしいぬくもり…。



「ありがとう」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ