第十章:二人の医術者
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「リィーンは研究熱心だな」
いきなり頭上から声が降ってきたので
はっとして目を開いた。
ここは僕の研究室。
部屋中、本と植物で散乱している。
椅子に座り、研究用の資料に目を通している間にいつの間にか
転寝していたらしい。
顔を上げる。
「イネ=ノ先生…」
ガラス玉のように美しく輝く紫色の瞳を輝かせ
射手座守護神イネ=ノが僕の背後に立っていた。
「リィーン…、研究もいいけれど食事はちゃんとしてるんだろうね?
医術者自身の健康管理ができなければ患者の健康管理はできないよ?」
「すみません…つい夢中になってしまって…」
そういいながら資料の本を閉じ、席を立つ。
「下界で珍しい薬草を手に入れたんです。お茶にして淹れますから
良かったら召し上がっていってください」
応接セットの椅子に詰まれた本を慌てて寄せ集めると
椅子の脇に積んだ。
「ほぉ。では是非いただいていこうかな」
そこにイネ=ノ先生が腰を下ろした。
「やぁ、フィディ。元気かい?」
僕が飼っている大蛇にイネ=ノ先生は頭をなでならが挨拶した。
そんなイネ=ノ先生の様子を横目で見ながら
乾燥させて細かくちぎっておいた薬草をティーポットの中に入れると
そこに熱湯を注いだ。
「君も大分力をつけてきたね。
どうだろ、下界でその腕を試してみないかい?」
「えっ?!」
驚きのあまり思わずティーカップが手から滑りそうになる。
「あの…独立って事ですか?」
「だめかい?」
「あ…いえ…ただ…その…」
視線を斜め下に落とした。
するとイネ=ノ先生の笑い声が軽やかに響いた。
「あははは…大丈夫…この宮殿から追い出したりはしないよ。
ただね…君も医術者を志すのなら
もっと多くの患者と接すべきなのではと思うんだ。
僕と一緒じゃ診れる患者はかなり限られているだろう?
しかも一般の人間じゃない。
一般の人間にこそ医術の力が必要だと思わないかい?」
僕が淹れたお茶を両手でそっと受取りながらイネ=ノ先生は言った。
「…はい…。ですが僕には…」
「知ってるよ。君の得意分野と僕の得意分野は違う。
だから君は君の得意分野でやればいい。」
そういいながらお茶を一口啜って見せた。
と、
「?!
なんだいこれ?
変わった味がするけれど…」
「あ、はい…ムレスズメユリという植物の花びらを乾燥させたものです。」
「ムレスズメユリ?珍しい名前だね。聞いたことないけど下界に?」
「はい。北部に咲く花です。
新雪の降る時期に一瞬だけ咲いては枯れてしまう花で
その花が咲いている期間はとても短く、この茶葉の量を採取するのも
大変で雪の中あちこち探し回ってきました。」
「ああ…そんな貴重な茶葉を淹れちゃって良かったのかい?」
「勿論です。イネ=ノ先生に飲んでいただきたくて取って置いたのですから。
ちなみに効能は安眠、悪夢の削除です。」
「悪夢の…削除?」
「はい、一部地域で悪夢に心を囚われて命を落とすという奇病が発生していまして
その病気の治療に役立てないかと思っていたのですが先日行った臨床実験が
成功しまして…。
その報告も兼ねてイネ=ノ先生にこのお茶を飲んでいただきたかったのです。」
「なるほど…そういえば南西部でそんな病気が発生したと報告を受けていたね。
さすがはリィーンだね。」
「有難うございます。」
先生にほめられるのが嬉しくなってちょっと恥ずかしげに照れてみせる。
「君の才能を必要としている人がいるんだよ」
そういいながらイネ=ノ先生はお茶を一口啜った。
「………ですが…、私は外へ出ていい体ではないかと…」
「何を言っているんだい。君にしか出来ないことだよ、それは。」
「しかし…。
人の心の中を自由に覗けてしまうなんて、相手からしたら
恐怖以外の何物でもないのではないでしょうか?
気味悪がられるだけかと思うのですが…」
「僕はそうは思わないよ。」
「…それはイネ=ノ先生が守護神だから…」
「リィーンは私の心を見たことがないのかい?」
「………」
「あるだろ?だったら分って欲しい。
君を必要としている人が大勢いる。
それは神より授かった才能なんだよ。」
「神、ですか…。」
思わず俯く。
「僕は、神から見捨てられたのに…、ですか?」
「何を言っているんだい。
見捨ててなんかないさ。君のためを思ってアポロン様は
私に君を託されたんだよ。
君の成長をアポロン様は楽しみに見守ってくださっている。
これは真実だよ。」
そういいながらイネ=ノ先生はフィディの体を軽く持ち上げて
もてあそぶ。
「………。」
「どうだろ、一生この宮殿に篭っていても仕方があるまい。
その悪夢の削除の成功だって外で花を見つけたことによるものだろ?
もっと外の世界に触れておいで。
外の世界に出て、色々な人と接すれば君も分るよ。
自分の力の必要性をね。」
そう言ってゆっくりと立ち上がると
ご馳走様、と言い残しイネ=ノ先生は姿を霧のように消して見せた。
一人取り残された僕。
深いため息を一つついて見せた。
一日も早く、とイネ=ノ様は仰られた。
正確には心の声で、だが。
僕には人の心を読み取ってしまう力がある。
それを恐れずに接してくれるのは、イネ=ノ先生とフィディ、
それから僕の助手だけだった。
「先生、お呼びでしょうか?」
扉の向こうからノックと同時に声が響いた。
ゆっくりと扉が開き、外から僕の助手が顔をひょっこりと出した。
その様子がなんとなくおかしくて微笑む。
それにつられてさらに微笑む助手。
助手、と言ってもまだ子供だ。
僕よりもさらに小さな体で、アクアブルーの瞳をキョロキョロと
させた。
「やぁ、ヒユ。ちょっと相談があるんだ。いいかい?」
それに頷き、僕の助手ヒユは一瞥して僕の向かいにある椅子に腰を下ろした。
僕が差し出した焼き菓子を嬉しそうにほおばる。
「どう?」
「はい、おいしいです。これは?」
「この前採って来た薬草を混ぜ込んでみたんだ。
風邪に効くって。ヒユ、最近風邪気味だろ?」
「有難うございます。とても優しい香りがしておいしいです。
ところで、ご相談と言うのは?」
「うん…今、イネ=ノ先生がいらしていたんだけどね、
僕に下界で仕事してみたらと仰られたんだが…僕一人では色々と心細くてね、
良かったらヒユにも是非手伝ってもらいたいんだ。」
「勿論です!僕はリィーン先生の助手ですから!!
何処へだってついていきますよ!!」
「ふふ、良かった。嬉しいよ。さ、もっとお食べ。残ったら持って帰っていいから」
「はい!!」
にっこりと微笑み再び焼き菓子を食べ始めた。
ヒユは僕の助手。
もともとは捨て子だったのをイネ=ノ先生が保護され、この宮殿で
同じような子達と一緒に育てていた。
僕も彼らと同じように暮らしていたがイネ=ノ先生の弟子に付いたとき
今いるこの部屋を与えられた。
久しぶりにイネ=ノ先生のお手伝いで彼らの宮殿に赴いたとき
ヒユの才能に気付き僕の助手として付いてもらったのだ。
ヒユの才能、それは…。
「分りました。では支度してきますので…」
そう言ってヒユは焼き菓子を包むと軽く頭を下げ部屋を出て行った。
ヒユの才能。
それは、僕の心の言葉を受け止める力がある。
僕が人の心を読み取るのとは逆に、ヒユは受取ることができるのだ。
どう違うかと言うと、
僕が色々な他人の心を自由に読み取るのとは違い、
ヒユは、投げかけられた意識だけを受取ることが出来る。
逆に言うと僕のように自由に他人の心を読む事はできない。
ただ、意図的にヒユに向かって投げられた心の言葉を読むことができるのだ。
だからヒユに物事を伝えるとき、
口を使って直接言葉にすることもあれば、意識だけを飛ばして
会話することもある。
今のように。
勿論、ヒユには僕以外の者の言葉だって受取ることができる。
意識的にヒユにその心の言葉させ向かっていればヒユはそれを読み取ることができるのだ。
しかし…ヒユもまたその才能に悩んだ者の一人だった。
宮殿で他の子供たちにその能力をからかわれ苛められていたのだ。
悪口を意図的に心の言葉にして投げかける。
見えない攻撃をヒユは、自分の力が皆に知られたときから受けていた。
さぞや辛かっただろう…。
僕も同じような事を経験したからよく分る。
だから、この部屋に移り住み一人で過ごす事になってからは
それはそれは天国のような日々だった。
宮殿の子供たちのみんながみんないじめっ子だというわけでもないし、
苛める側の心の奥底で思っている寂しさも僕は知っている。
皆の近くにいるとついつい心を読んでしまうのも苦しかった。
だから僕一人のこの部屋は誰にも攻撃されることはなく
誰かの心をついつい読んでしまうことも少ないし
一人好きな研究に没頭することができた。
幸せで平穏な日々。
それをヒユにも与えてあげたかった。
僕と一緒に下界に同行している間、ヒユは子供たちのからかいを受けずに済む。
一瞬でもそう言う隙間があると随分と楽になれるものだ。
それに…一人で下界に下りると心細い、というのも僕の本心だった。
「ねぇ、フィディ。お前もついてくるかい?」
ソファに座るとゆっくりと大蛇の頭を優しくなでた。
「フフフ、君は昼寝のほうが好きか?」
人の心を読むのも得意だが動物もはっきりではないが
なんとなく分る。
フィディは僕の大切な友達の一人だ。
僕がイネ=ノ様に預けられるとき、実の父となるアポロン様が
僕のお供にと付けてくれたのだ。
「先生、お待たせしました。」
そう言ってヒユが真っ白な看護士姿に着替えて部屋に入ってきた。
「よし、じゃあ行こうか。
イネ=ノ先生から直接紹介された患者さんを僕が診るんだ。
色々と手伝ってね。」
そういいながら自分も白衣を着込む。
「珍しいですね。」
ヒユが目をキラキラと輝かせながら僕を見た。
「そうだね。イネ=ノ先生の仕業だよ。」
クスリと笑うとかばんを手に取った。
-2-
そこは宮殿の一室にある診療部屋だ。
たくさんある大きな窓からは太陽のまぶしく白い光がさんさんと降り注いでいて
室内はかなり明るかった。
部屋に入ると、椅子が二つとベッドが一つ置いてあるだけにも関わらず
室内は無駄に広い。
部屋の奥側の椅子にはすでに患者が腰を下ろして僕を待っていた。
僕が室内に入ってくるなり慌てたように立ち上がり、
深々と頭を下げた。
「宜しくお願いします。」
相当緊張しているようだ。
「はい。では診察しますので…。」
そう言って向かいの椅子に僕は腰を下ろして見せた。
その斜め後ろにヒユが立つ。
患者は若い女性。
髪は恐ろしいほどに真っ黒く長かったが、あまり手入れされていないようで
ぼさぼさだ。
カーキ色のしわくちゃにくたびれたワンピースを着込んでいる。
普通、宮殿下の一般市民はこの宮殿には立ち入る事は出来ないのだが
彼女は特別だった。
イネ=ノ先生が僕のためにと用意した、いわば実験用の患者なのだ。
イネ=ノ先生は僕の独立を以前からずっと望んでいたがそれを僕が拒んでいることも知っていた。
だから定期的に一般市民を診察させては僕に自信を付けさせようとしているようだった。
そして今回もその例の一つである。
ゆっくりと患者の目を見た。
どんよりと濁った暗い紫色の瞳。
無表情でただただ恐ろしいものを見るようなおびえた瞳を僕に向けていた。
「なるほど…そうでしたか…それは災難でしたね。
ちょっと失礼。」
無駄に長い前髪を軽く横にはらい、彼女の目をじっと見つめた。
瞳が細かく左右に動いている。
僕は軽く瞳を閉じた。
意識を彼女の中に集中する。
深く、
深く、
ゆっくりと、
静かに、
彼女の意識の中にもぐりこんだ。
もぐりこみ…、
そして…。
瞳を開ける。
「もう大丈夫ですよ。
悪夢は僕が追い払いましたから。
あとは少しの間ゆっくりと安静にすることが必要です。
一晩こちらで入院されるのがいいでしょう。
栄養のある物も食べた方がいい。
あとは薬湯を出しますのでそれも飲んでくださいね。」
「では、こちらへ。」
ヒユが患者を別室のほうへと案内した。
そして一人僕はこの部屋に取り残される。
二人が部屋を出たのを確認しやっとの事で大きくため息をついた。
体が少し汗ばみ呼吸も荒い。
今回はなかなかの獲物だった。
さすがはイネ=ノ先生、
難しい患者をよこしたものだ。
今の患者は
心を悪夢に囚われていた。
深く囚われていた事もあり、自己を消失寸前だった。
自己というのは患者の全てが機能する核そのものだ。
この核が悪夢に囚われ壊れれば患者も死ぬ。
僕は患者の意識にもぐりこみ、彼女の心の中で
その悪夢と対峙し、
そして戦い、彼女の核を取り戻したのだ。
今回はなんとか一人で大丈夫だったが
自分ひとりでは手に負えないときフィディに手伝ってもらうときもある。
対象物を締め付けてもらう。
といっても実際に患者を締め付けるわけではない。
患者の意識の中、
僕らの中では夢幻空間と呼ばれる意識層の中で
治療は行われる。
分りやすく言うと夢の中で戦う、といったらいいだろうか?
だからここでは実際の体力よりもより強い精神力が必要となる。
心と心のぶつかり合いのようなものだ。
「さすがはリィーン先生。」
突然後ろで声がしたので体をビクリと震わし
勢い良く後ろを振り向いた。
「あ…イネ=ノ先生!!」
「お疲れ様、どうやら無事上手くいったみたいだね。」
「…はい。なんとか」
そういいながら額の汗を手でぬぐって見せた。
「そうそう、その調子だよ。」
イネ=ノ先生は僕を見つめながら優しくにこりと微笑んだ。
「さて…僕も頑張らなくちゃね…」
「どちらに?」
すると一瞬イネ=ノ先生が困った顔を作ったのを
僕は見逃さなかった。
すぐにいつもどおりの穏やかな表情を作り直すと僕の束ねた長い髪に
そっと触れながら言った。
「蠍座に行ってくるよ。」
「……あ…はい…。分りました。」
蠍座…。
今イネ=ノ先生が付いている患者の一人が、
蠍座の守護神なのだ。
かなり重い病にかかっていてイネ=ノ先生でさえ
梃子摺っているという重症患者だ。
無理もない。
相手が人間ならいざ知らず、守護神…しかも十二星座守護神の一人と来ている。
十二星座守護神は他の星座とは格が違う。
十二星座守護神の存在が銀河系を守ってくれている。
十二星座のひとつでもかければ銀河系になんらかの影響がでる。
最悪銀河系が消滅してしまうことだってありえる。
だからそれだけ十二星座守護神の力と存在意義は大きい。
「リィーンも来るかい?」
「え?」
思わず驚いてイネ=ノ先生の瞳を真っ直ぐに見つめてしまった。
そこには相変らず美しいガラス玉のようにキラキラと輝く
紫色の瞳があった。
「で…ですが、私なんかが行っていい場所では…」
「守護神の部屋は勿論遠慮してもらいたいけれど、庭ぐらいなら大丈夫だよ。
蠍座守護神もリィーンみたいに植物が大好きでね、
庭にたくさんの花や植物があるんだ。
蠍座の植物は見たことないだろ?
勉強がてらにどうだい?
リィーンはもっと外の世界を見た方がいい。」
そういいながらイネ=ノ先生は目を細めて優しく微笑んで見せた。
「あ…はい…。イネ=ノ先生がそう仰るのでしたら是非。」
そう言って思わず緊張する。
蠍座の宮殿に?!
この僕が?!
星座守護神…ましてや十二星座守護神の宮殿に
行けるなんて…。
そうそうあるもんじゃない。
他の星にさえ行ったことがないのに
他の星座の、しかも守護神の宮殿と来ている。
胸が高鳴った。
握ったこぶしの手のひらが汗ばむ。
「じゃあ行こうか。」
「はい……?
え?
行くって…今ですか?!」
思わず叫ぶ。
「どうなさいましたか?あ…イネ=ノ様!!」
患者を病室に送り届け戻ってきたヒユが
僕らの様子をみて慌てた。
そしてイネ=ノ先生の前で跪く。
「やぁ、ヒユ。久しぶりだね。
その後は変わりないかい?」
「は…はい!!」
「ふふ…顔を上げていいよ。ヒユも一緒においで。
リィーンと一緒にいい所へ連れて行ってあげるよ。」
「え?」
ヒユが目を丸くして顔を上げた。
「…どちらにですか?」
「蠍座の守護宮だよ。
さぁ、手を。」
そう言って僕らにイネ=ノ先生は両手を差し出したので
右手を僕、左手をヒユが受取った。
「少し風が強いけど決して僕の手を離してはダメだよ?
じゃあ、いいね?
いくよ?」




