第一章:井戸の底
こちらは銀河夢幻伝シリーズ第三弾となります。
第一弾【銀河夢幻伝サジタリウス】https://ncode.syosetu.com/n8095hd/
第二弾【銀河夢幻伝スコーピオン】https://ncode.syosetu.com/n8142hd/
を未読の方はそちらからお読みいただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
-1-
一切の闇と静寂の中に居た。
目を閉じているのか開いているのか、その感覚すら奪われる。
今自分はどのような状態にいるのだろうか?
わからない。
立っているのか。
横になっているのか。
わからない。
わからない。
怖い。
怖い…!!
怖い!!!
「あ…」
闇をかき分けなんとか一言、言葉を発することに成功し、
安堵する。
自分の声でここまで安心した事があっただろうか…。
体中が麻痺しているようなそんな感覚でゆっくりと起き上がるだけの動作にも
数分もの時間を費やしたような感じがした。
ここは…どこ?
ゆっくりと顔を上げる。
少しずつ、
少しずつではあるが瞳が暗闇になれて
視界が静かに広がり始める。
三方を灰色の石レンガに囲まれているようだ。
残る一方には果てしない闇が続いていてその先をうかがい知る事は出来ない。
床は同じ石造りで、それでいてとても冷たく体温を奪う。
ここは…どこ?
「…う…」
すぐ隣で声が聞こえ慌てて
振り向く。
「…アキレス?!」
僕のすぐ隣に横たわっていた彼に気づき
そっと手で触れる。
!?
生暖かい…
生暖かい…水?
いや…これは!!
次の瞬間から鉄のようなツンした鋭い香りが鼻の奥一杯に広がる。
「アキレス!!怪我をしてるの?!」
暗くてよく見えないが
アキレスの腹部がびっしょりと濡れているのが分った。
一体何があった?
何が…?
思い出せ…
そうだ…僕は…
僕らは…
そうだ
現代に帰るために銀河系の中心にある
あの巨大な石板の上に行ったんだ…。
で?
それで?
ああ…そうだ、
僕の代わりにイネ=ノが穴に落ちてしまったんだ。
そうだ…
それから?
それからどうなった…?
思わず胸が痛む。
心臓の音がいつもよりも大きく胸を叩きつけている。
そうだ…
スズ=タケが僕らに向かって鎌を…。
で…
アキレスがやられて…
僕は…確か…アキレスがかばったときに
頭を強く打って…気を失った…?
そこではっとする。
そうだ…手当てを!!
急いで制服のジャケットを脱ぐと
それをたたみアキレスの腹部の傷口に押し当てた。
これでも止血のつもりだ。
「…う…竹人…様…私は…もう」
「しゃべっちゃだめだよ!!大丈夫!
僕がなんとかするから!!
とにかく喋らないで安静に!!」
「い…え…それよりも…これを…」
そう言ってアキレスは自分の手にあった指輪をはずし僕に差し出した。
「な!!なにしてるんだよ!縁起でもない!!僕は受取らないからね!!
さぁ!自分の手に戻して!!」
「いえ…これを…どうかお使いください。」
「え?」
「竹人様…この回廊の奥に…リー…がいま…す」
そこでアキレスは激しく咳き込み口から血を吐き出した。
「や…やめて…アキレス!!お願いだよ!!…しん…じゃ…うよ…」
涙が溢れる。
やめて!!こんな…
こんなアキレスの姿なんて見たくない!!
こんなの…悪夢だ!!
悪夢だっ!!
「…に…これを渡してください…。必ずや力になります…
…竹…と…様…」
指輪を持った手とは反対の手で僕の頬をそっとなでて見せた。
「こんなことに…なってすみません…。
どうか…ご無事のまま元の世界に戻られますことを…祈っております…」
「アキレス…」
するとアキレスは目を細めニコリと微笑んで見せた。
「入間様がうらやましい。
私も…生まれ変わって…あなたと友達に…なりたい…」
アキレスの手がぱたりと音を立てて床に落ちた。
?!?!
アキレスの笑ったままの瞳から冷たい涙が一筋頬を伝う。
「や…
アキレス…?
アキレス?!
ねぇ…ちょ…冗談…だよね…
アキレス!!
アキレスーっ!!!!」
アキレスの手を両手で強く握り締めた。
涙が溢れてとまらない。
イヤだ…
こんなの…夢だ…
夢なんだ…
イヤだよ…
「イヤだよ…」
これは夢なんだ…
僕は悪い夢を見てるんだ。
そうだよ…夢なんだよ。
目が覚めたら自分の部屋に居て
また新しい朝の中、学校に登校して…
入間とふざけあいながら部活に向かうんだ…。
そうだよ…
「アキレス!!」
だから…
早く…覚めてよ…
たのむよ…
「アキレスっ!!!!!」
夢なら…早く…早く!
早く覚めてよ!!!!
「アキレスーーーっっっっ!!!!!」
『………ト…』
夢なら
『……ケト』
夢なら、早く…
『…タケト…』
…?
え?
今…誰かが僕を呼んだ?
慌てて振り返るが
視界の先はただただ暗闇が広がるばかりだ。
気のせいだったのだろうか…。
とにかく…アキレスの方に向き直ると
開いたままの瞼を手でそっと閉じてあげた。
「…ごめん、アキレス。僕…何も出来なくて…
本当に…ごめん…ごめんね…!!」
『竹人…』
「…!?」
もう一度後ろを振り向く。
『竹人…こちらへ』
声が…闇の奥深く向こうから…
静かに…
僕を呼ぶ声が聞こえる…?
幻聴なんかじゃない…
間違いなく…誰かが僕を呼んでいる?
そういえば…アキレスがこの奥に誰かがいるって言ってた…。
袖で涙をぬぐうと
アキレスの手に握り締められた指輪をそっと取り出した。
まだ掌には微かに熱が残っていた。
指輪も温かい…。
それを自分の小指にそっとはめた。
その次の瞬間だった。
アキレスの体全体が突如光りだしたのだ。
「え?!」
すると、それはあっという間の出来事だった。
まるで砂が風に飛ばされてゆくように
アキレスの体が
消えてしまったのだ。
あまりの突然の出来事に僕の身体は暫く硬直したままだった。
一体…何が…。
アキレスの体の上に押さえつけていたジャケットが残っているだけだった。
どう…いう…事?
ジャケットをそっと拾う。
先ほどまでアキレスの血で真っ赤に染まっていた染みは消え、
元の真っ白い色を取り戻していた。
『星になったんだよ』
「?!」
また闇の向こうから声がした。
『さぁ…こちらへ』
さらに僕を誘う声がする。
僕は生唾を音を立てて飲み込むとゆっくりと立ち上がった。
手にしたジャケットをゆっくりと着込み
一歩進んだ所で何かを蹴飛ばす。
「おっと!!」
学生カバンとバイオリンケースが転がっていた。
ああ…荷物も一緒にあったんだ。
ゆっくりと拾い、ケースを肩に引っ掛けると声がする闇の向こうへと体を向けた。
一度だけアキレスが横たわっていた場所を振り返り、
心の中で軽く頷くと前に向き直り慎重に歩を進めた。
-2-
手探りでゆっくり前へ前へと進むうちに
そこが石の回廊である事を知る。
とにかくひたすらに真っ直ぐと伸びているようだ。
向かう先から風が静かに吹き抜けてくる。
この先に何があるというのだろう…。
だが…僕が立ち止まろうとすると
また例の声がして僕を先へと急がせる。
一体誰が何のために僕を呼んでいるのか分らない。
そもそもここが何処なのかも理解していないのだ。
中心宮に居たはずなのにいつのまにかこんなところに居て
そして負傷したアキレスは……。
またじわりと泣きそうになり立ち止まる。
『竹人…こっちだよ…さぁ…早く』
なんとなくイラっとした。
大切な人を目の前でなくして悲しみに暮れているのに
それも察せず、自分の所へ来いだって?!
急に頭が熱くなるのが分った。
そしてそこでもう一度立ち止まり
ゆっくりと深呼吸をする。
「あなたは…だれ?なんで僕の名前を知っているの?」
闇に向かって問いかけた。
しばしの静寂。
僕がそこへ行くまで答える気がないのだろうかと
諦めかけた頃、
『私は…あなたが探す者。あなたが求めている者。
さぁ、答えを知りたいのなら早くこちらへ』
「?」
どういうことだ?
僕が、探す者?
僕が、求めている者?
答え?
それって答えになってないんじゃ…。
とにかくそちらに行くまで答えは分らないという事か。
はぁ、とためいい気を付き再び歩き出した。
すると…
どれだけ歩いただろうか、
やがて遠くのほうで微かに水の流れる音が聞こえてきた。
それもかなりの量の水が流れているようだ。
噴水の…ような…。
それとも滝?
すると、
ずっと奥、
ずっとずっと、回廊の奥の方に光の筋があるのを見つけた。
あ!!
出口!?
光りさえ見つければこちらのものだ!!
今は振り返るのも恐ろしい。
とにかく前へ進むんだ!!
闇に向かってじゃない。
光りに向かって!!
歩調が早まり
いつしか気がつくと僕は光りに向かって走り出していた。
肩でバイオリンケースがカチャカチャと音を立てているのが聞こえるが
それがなぜか今の僕を勇気付けてくれていた。
そして回廊が終わりその先へと飛び出した。
!?
足元がぐらつき思わずバランスを崩し地面に手を付いた。
ゆっくりと顔を上げる。
その部屋はとても広く
敷地は円形でぐるりと丸く天井は果てしなく高くて天井が見えないが、
その天井から青白い光りが真っ直ぐにきらきらと降り注いでいる。
その光りの先に…ひとつ…小さなベッドがあった。
そのベッドに腰をかけながら誰かが僕の様子をじっと見ている。
まぶしすぎて顔がよく見えない。
「…あなたは…?」
そう言って立ち上がろうとした所でまた地面がぐらりと揺れた。
「わぁ!!」
『気をつけて。この部屋は水に浮いているだけだからね。
暴れると危ないよ。』
…?!
水に浮いてる?!
よく見てみると床と壁に隙間があってそこから水がきらきらと輝くのが見える。
それにしてもよく揺れる床だ…。
この円形の部屋、横から見るとすり鉢状になっているのではないだろうか…。
しかし…なんでそんな不便な事をわざわざ?
今自分が走ってきた回廊の下から大量の水がものすごい音を立て溢れ出てきた。
その水は何処へ流れて行くのだろう。
ゆっくりと注意しながらベッドへと近づいた。
天井からの光がきらきらとまぶしすぎていまだにその人物の顔を確認できない。
目を細める。
?
あれ…このシルエット…
するとくすくすと笑い声が聞こえてきた。
「まだ気がつかない?」
「え?」
「僕の顔だよ。」
「………」
ゆっくりと歩を進め目をさらに細めたところで
次の瞬間、目を見開く。
「え?!」
思わず声を上げていた。
肩からバイオリンケースが滑り落ち床に倒れる。
だがそれにかまう余裕なんてなかった。
だって…
え?
ええ?!
「………キク=カ?!」
-3-
見覚えのある顔、それに声も…。
キク=カだ。
キク=カが目を細めながらニコニコと微笑み
ベッドに腰を下ろしていた。
「な…なんで…君が…」
喉が詰まる。
次の瞬間僕は、床が揺れるのもかまわずにベッドに向かって真っ直ぐに
走り出し、気がつくと僕はキク=カの両肩をしっかりと掴んでいた。
「なぜ?
なんで君がここに?
ああ…そんなこと問題じゃない…。
なんでアキレスにあんなの事をしたんだ?!
何故?
何故なんだ!!」
キク=カの瞳を真っ直ぐに見つめた。
まるでビー玉のようにキラキラと輝くアクアブルーの瞳…。
?
あれ…
そこで違和感を覚える。
この部屋に降り注ぐ強い光のせいだろうか、
それともこの独特な雰囲気のせいだろうか…
キク=カの瞳の色は…こんな色だった?
それに良く見ると髪の毛まで…
水色?
白に近い薄い水色の髪の毛…???
光りのせいでも部屋の雰囲気のせいでもない、
間違いなく、
アクアブルーの瞳に、薄い水色の髪の毛…
一体…
「どうしたの…この髪…」
するとキク=カはまたくすくすと笑い出した。
「僕、キク=カじゃないよ。
はじめまして、になるかな?竹人君。
僕はリィーン。蛇使い座守護神だよ。宜しく」
え?
言葉を失った。
彼が何を言っているのか全く理解できなかったからだ。
なんだって?
キク=カじゃない?
何を言って???
こんなに瓜二つで…。
そうだ…この感覚。
キク=カに初めて会ったとき
弟の明人と間違えたときみたいに
狐にでも化かされたような気分だ。
キク=カじゃない?
蛇使い座守護神?
蠍座じゃないのか?
星座が違う?
なんで?
蛇使い座と蠍座には何か接点があっただろうか?
でなければ何故こんなにもキク=カと瓜二つなんだ??
思わず絶句して
ただただ黙ったままその人物の瞳を見つめたまま
色々な事が頭の中で駆け巡っていた。
僕が何も言わずに黙っていると
その人物はゆっくりと立ち上がり
片手を差し伸べ握手を求めてきた。
「え?」
「君を元の世界に返してあげるよ。」
とりあえずその手を取った次の瞬間、
思わず手を引っ込めた。
あまりにも手が…氷みたいに冷たかったからだ。
まるで…死んで…
「驚かせちゃったかな?まぁ…いいよ。
さ、ここに掛けて。」
そう言って座ると空いたベッドのスペースに僕が座るように促した。
しかし僕はそれには従わなかった。
いや、従えなかったと言ったほうがいいのかもしれない。
体が硬直して動かないのだ。
まるで体が頭からつま先まで石と化してしまったかのように
微動だせず、ただただ目の前にいる少年をじっと見つめていた。
次は何が起こる?
次は、何が起こる?
ねぇ、次は、何が起こるの?
放課後から切り離された世界。
ガラスの蝶、ケンタウロス、町の明かり、
病人たち、拷問。
そしてケイローンイネ=ノ、
アキレス…
さらに、キク=カ、スズ=タケ、
アスティーヤ…
銀河の中心、
そして今。
今がここにある。
さぁ、次はなんなんだ。
「僕が説明してあげようか?」
「え?」
「混乱してるんでしょ?
あまり時間がない。
限られた時間だけど、
僕が持ちうる全てを君に話してあげるよ。」
「………」
そういわれても…。
何故だろう…頭がぼんやりしてくる。
疲れているのだろうか。
そうだ…
そうだ、疲れているんだ。
当然だ…。
これだけ色々な事を体験して何事もなくへらへらしているほうが異常だ。
「だからここに腰掛けて」
リィーンがニコリと微笑んで自分の隣に座るように僕を促した。
「え?」
「僕は君の心が読める。
だから口に出さなくても分るよ。
だから無理はしなくて良い。
さぁ。」
「なにを言っているか分らない」
「なにを言っているか分らない」
僕とリィーンの声が重なった。
「え?」
「え?」
「どういう事?」
「どういう事?……くすっ。だから言ったでしょ。僕は君の心が読める。
君がこれから言おうとしていることも分ってしまうんだ。
さぁ、本当に時間がないんだ。
キク=カの事やイネ=ノ様があの後どうなったか僕が知りうる限りの情報を提供するから。」
「………」
心が、読める?
…そういえばこの人も守護神、つまり神様なんだ。
だったらそのぐらい出来て当然なのかもしれない。
ゆっくりと深呼吸をし、そして静かに肺にたまった空気を吐き出す。
自分を納得させるように軽く頷くと
足に転がったバイオリンケースを持ち直し
それを学生カバンと一緒にベッドの脇に置いた。
そして促されるままに少年の隣、少し離れたところに
ゆっくりと腰をおろして見せた。
「じゃあ…話してあげるよ、君が知らなかった秘密をね。」
-4-
「もう一度自己紹介するよ。僕は蛇使い座守護神、リィーン。
心と記憶をつかさどってる。
捨て子としてイネ=ノ様に拾われてから色々な事を学んだ。
特に医術は幅広く勉強させてもらったよ…。
そこで僕は死者を蘇らせる術を手に入れた。」
「え…死んだ人間を…蘇らせられるの?!」
「…そう…。
だから僕は死者を蘇らせた。それが
キク=カ。」
「え?」
「僕は以前人間をよみがえらせて大神の罰により命を奪われた。
そして僕は星になったまま静かに眠るはずだった。
それを呼び起こしたのがイネ=ノ様。
キク=カは重い病気に苦しんでいた。
心と身体のね。
特に心のほうは深刻で
人格が分裂する病気だった。
人を救うはずである神が人を殺めることがあってはならない。
それを治そうとイネ=ノ様は必死だった。
しかし、キク=カは自らの親友を手に掛けてしまいショックで自害した。」
「え?!自害っ?!」
思わず叫んでしまった後にはっとし口に手を当てる。
「ごめんなさい。先を続けてください。」
そういいつつもショックは隠せなかった。
キク=カがオリオンを殺してしまったところまでの話しは聞いていたが、
その後にキク=カが自ら命を…?!
イネ=ノから聞いた話と食い違っていることに気がつく。
イネ=ノは大神の怒りに触れてキク=カは死んだといっていたが…。
「キク=カが自害した瞬間から蠍座の星々、そして12星座星系、銀河の星々は
かなり不安定な状態に陥った。
星同士がぶつかりあい消滅したり、ブラックホールがあらやる所で多発し星々を飲み込み、
ホワイトホールが未知の物体を吐き出し…。
誰にも手が付けられないような状態に陥りつつあった。
キク=カは12星座守護神の一人。
銀河系を形成する大切な要素の一人が欠けたのだがからそれは当然なのかもしれない。
蠍座守護神に跡を継ぐもの者が居ない。
キク=カには子供も兄弟もいない。
そこで銀河を守るべく僕を蘇らせたのが僕の師匠であるイネ=ノ様。
イネ=ノ様は僕にキク=カを蘇らせてほしいと頼んできた。」
「え、ちょっと待って。なんでイネ=ノが君にわざわざ頼まなくちゃいけないの?
イネ=ノが自分でやればいいじゃないか。
だってイネ=ノも神様なんでしょ?」
「それはできない」
「なぜ?」
「キク=カが病気や事故で死んだのならそれもできただろうが
キク=カが死んだ原因は自害。
自ら死を選んだものを蘇らせるのはそう簡単じゃない。
そこでその道のエキスパートである僕がその役を任された。」
「………」
「僕はキク=カを生き返らせた。
ただし自ら自害した者だ、何のリスクもなく蘇らせるのは僕にも
難しい。それに彼は神だ。ただの人間ならいざ知らず
相手が神ともなると僕にもそれなりのリスクが伴う。」
だんだん話しが複雑になってきた。
僕が少し難しい顔をすると
リィーンはちらりと僕を見て目を細めて微笑んだ。
あ…そうか…僕の考えてること筒抜けなんだっけ。
「キク=カは身体に重い病気を持って命を覚醒させた。
キク=カ自身が体の内部をあちこち蝕む病気。
だからキク=カは生きていながら死の苦しみを味わい続けなくてはならない。
しかし僕は彼に永遠の命を与えたのだからキク=カは再び自害してその苦痛から
逃げる、なんて事も出来ない。
永遠に。」
ひどい…。
リィーンが話している間はなるべく淡々と聞くように勤めていたものの
それでも心の中で声が漏れる。
だってそうじゃないか…。
キク=カ…
そんなに苦しい思いをして…。
あ…だから僕がバイオリンを弾いても何の効き目もなかったんだ…。
それなのにイネ=ノは…
「キク=カが蘇ったことによって乱れていた銀河系は落ち着きを取り戻しつつある。
だからここで一件落着となる。」
「ちょっと待って…リィーン…、君、いや、あなたは?
さっきリスクを伴うって。それとイネ=ノはどうなったの?」
「その前にここが何処なのか話そう。
ここは蠍座守護神の宮殿の中枢の奥深くの井戸の中。
君、キク=カが預言者って聞かされたんだろうけど彼が予言するところ
みてないだろ?
キク=カに予言なんて力はない。
ただ、君がこの世界に来た事と、中心宮の時空のゆがみが生じる瞬間がいつなのかを
キク=カに教えた者がいる。
時空のゆがみのことを理解できるのは相当の力を持った者。
大体想像はつくけれど…とにかくキク=カの予言の力じゃない。
だからあれは予言のうちに入らない。
キク=カの予言とされるもの全部は、僕の力を借りたものに過ぎない。
僕も予言なんて出来ないけど人の心が読める。
それと直接会わなくても僕は人の夢の中にもぐりこむことも出来る。
だからその人の気持ちが知りたいときは夢の中の無意識にもぐりこみ
質問を投げかければいい。
で、その力を使って
予言まがいな事をさせられているんだ。
僕がここで予言の言葉を蠍座の使いの者に言い渡すと
それがキク=カの所に伝わり
さもキク=カが予言したようになる。
言ってみれば僕はキク=カの力の影武者みたいなものかな。」
「その使いの者って…」
「スズ=タケだよ。
彼はキク=カの側近。
蠍座宮でキク=カの次に権力のある者。
イネ=ノ様の力によって命を吹き返した僕は蠍座に囚われこの場所に連れてこられた。
おそらくまたキク=カに何かあったら僕の力を借りようとしているんだろうね。
永遠の命を吹き込んだのだから“次”なんてありえないけれど。
それに僕は一度は死んだ身。
無理やりイネ=ノ様が蘇らせてくれたけれど
蘇ったのは魂だけ。
だから身体はほとんど死んでいるのと同じ。
少しなら動くけれど
元気に走り回ったりなんて事は出来ない。
無理やりな命があるから食事なんかは摂らなくても済むのは楽だけど。
でも、
それって死んでいるも同然だよ。
だから僕には体温がない。
それからイネ=ノ様。
君たち中心宮まで行っただろ。
あそこでイネ=ノ様は君が帰るはずだった世界に落ちてしまった。
時間のずれが生じているからおそらく君の世界の時の流れで言うと、
2,3年ほど先の世界に行ったはずだ。
僕たちが今いる世界と君がもともと存在していた世界は別次元。
僕らの世界は神が実在する世界だから君とイネ=ノ様が同時に存在することも叶ったが
君の世界では神が実存する事は許されていない。
だからまして射手座守護神が同次元に二人も存在するなんてありえない。
君が元の世界に帰れば、イネ=ノ様はその世界から跳ね返されて今のこの世界に
戻ってこれることになる。
ただ同時に存在する空間はない。
だから…君はおそらくイネ=ノ様にもう一度お会いする事はないだろう…。」
「まって…リィーン…
なんで僕じゃなくてイネ=ノが僕の世界に行っちゃった事を知ってるの?
その話し、誰に聞いたの?」
するとリィーンはくすりと笑った。
「アキレスの意識にもぐりこませてもらったんだ。
あそこで起きた出来事をアキレスの目を通して見させてもらった。
ひどいものだね…」
「………。」
「さて、そろそろ時間のようだ。」
リィーンがそう言った直後、
後ろで鳴っていた水の流れ出る音が勢いを増したかと思うと
途端に足元まで水が流れ込んできた。
「わっ!!なに?!」
慌ててバイオリンケースとカバンを抱きしめベッドの上に飛び乗った。
「スズ=タケの仕業だね。
君がここに居ることが感づかれたんだろう。
せっかくアキレスが命を掛けて君をここまで飛ばしてくれたのに。
スズ=タケも僕をもう必要としていないみたいだね。
どうやら僕もお払い箱のようだ。
天敵のイネ=ノが居なくなってたぶん気が大きくなってるんだろう…
かわいそうに。
僕はキク=カと違って命には限りがある。
たぶんこれで二度と生き返る事はないと思う。
いや…あるとしたら」
「え?」
水の音が大きすぎてリィーンの言葉が良く聞き取れない。
「さぁ、指輪を出して」
「え?」
言われるがままに指輪の付いた手を差し出すその間にも
水は勢いよくあふれ出しとうとうベッドを飲み込むまでの水位に達してきた。
「射手座の指輪と、アキレスの指輪、それから僕の指輪の3つがあれば
君を元の世界に返せるよ。」
「ちょっと待って!!この状況で僕一人だけ帰れないよ!!
君はどうなるの?!」
「僕は12星座守護神じゃないし一度は死んだ身。
そう…僕はキク=カじゃなくて君を救うために蘇ったのかもしれない。」
水位は僕らの胸あたりまで迫ってきたのでとうとうベッドから立ち上がると
僕はバイオリンケースと学生カバンを手放しリィーンを抱きしめた。
「だめだよ!!
自分から死んじゃダメだよ!!それは罪なんでしょ?!
自ら罪をかぶることない!!
だって君は何も悪いことしてないじゃないか!!
とにかくここから出よう!!」
そういいながら光さす天井のほうを見上げた。
水位とともに上昇して地上に出られないかと考えたのだ。
が、次の瞬間愕然とする。
かなり高い位置に頑丈そうな鉄の網格子が掛かっていたのだ。
水はその上にいけても僕らはそこを通り抜けることができない。
どうする?!
そうこうしている間にも水位は上がり続け
立ち泳ぎしながらなんとか呼吸するのが精一杯の状態にまで追い詰められてしまった。
それに水の勢いが増してきているような気がする。
このままじゃ数分後にはあの鉄格子にぶつかってしまう。
「竹人、落ち着いて、
指輪を!」
そう言いながらリィーンは僕の左手を引っ張った。
が、僕はその手を引っ張り返して引っこ抜く。
「ダメだって言ったじゃないか!!」
「時間がないんだ!!」
華奢な体とは思えないほどの力で僕の左手を思い切り引っ張り出されてしまった。
そして自分の指輪と僕の指輪、そしてアキレスの指輪を重ね合わせた、
と、次の瞬間、
突然白い静寂の中に僕は居た。
え?
耳が痛い。
静か過ぎてホワイトノイズがキィーンと激しく耳に刺さるように聞こえてくる。
気がつくと全てが真っ白だった。
真っ白。
何も聞こえない。
何も存在しない。
何もない。
真っ白な空間。
そう…
まっしろ…。
まっしろ。
僕は立っているのか、それとも浮いているのか
それすら分らない、
それすら存在しない
何もない、
真っ白な空間。
何もない。
何も。
何処が前で、
何処が後ろで、
何処が上で、
何処が下なのかも
全く分らない。
不思議な無重力空間のような真っ白。
宇宙に存在する全てもありとあらゆる、“物”と呼ばれる全ての物質が
消え去ってしまったのではないかと思うくらい
静か過ぎて寂しくも漠然とした世界が果てしなく四方八方に広がっている。
怖い…。
怖い!!
消えてしまったのは世界じゃなくて僕の方なのではとすら思えてきた。
「リィーン?」
怖くなって声を出してみる。
どうやら声は出せるようだ。
「リィーン!!
どこ?!リィーン!!」
しかしリィーンの姿はない。
そこに、ふわりと言葉が羽のように舞い降りてきた。
『竹人君、君にあえて嬉しかった。また会おう。アンドロメダに宜しく』
「え?」