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シャルルバスティーユの倒錯なる初恋


 年に一度、大講堂をダンスホールへと変える絢爛豪華な卒業祝賀の夜会が始まろうとしていた。

 新調した礼服に身を包みながら、学友たちと大講堂の大扉前で神妙な面持ちでパートナーを待つ。


 女達がやってくるまでのこの瞬間、僕たちには貴族子息ではなく初心で未経験なただの少年に成り下がっていた。エスコートへの緊張と不安に押し潰されないように立っていることで精一杯の憐れな羊。これまでの学生生活で身に着けた高慢が、所詮は保護された檻の中で得たハリボテなのだと思い知らされる時間だった。


(最初に手を取って……いや、先にドレスを着てくれたお礼を……)


 アネットを誘えた男がいないことは確認済みだ、相手のいない彼女だけれどきっと僕が送ったドレスを律儀に着て見せに着てくるはず。いや、絶対にそうだ。

 僕の好きになった女性は、誠実に溢れた優しい人なのだから……


 不安と期待の男たちの沈黙の時間は女たちのはしゃいだ声と靴音で最高潮を迎える。


「やあ! 素敵だね!」

「マ、マドモアゼル、う、うるわ、麗しのマドモ……いてっ、舌噛んだっ」


 華やかに着飾ったパートナーを出迎えた学友たちのおべっかつかいがあちこちから聞こえてくる、淑女たちの反応は様々で、ぎこちないほめ言葉に不満顔だったり優しく微笑んでみたり……その誰もが普段は見慣れた女子生徒たちのはずなのに、まったく知らない女性に見えるから不思議だった。


(アネット……アネットは……)


 パートナーが揃った順に夜会会場の講堂へと入っていく、一組目のカップルが大扉に足を踏み入れた途端始まるオーケストラの演奏で、花が咲き誇ったように大講堂が華やいだ。


(アネットがいない)


 それどころかオディスティーヌもいない。

 二組目、三組目、ぞくぞくと他の生徒たちが夜会へと赴いている……。


(まずい、このままだと間に合わない)


 夜会で最初に踊るメンバーは男子の成績上位五組。

 僕は首席だからもちろん選ばれている……


(早く来い、支度に時間がかかりすぎだ)


 苛々としながら待ち続け、あっという間に残っている男は僕だけとなった。

 もうアネットを楽しみにするどころではない。

 夜会が正式に始まる前の軽快な音楽が流れる講堂の中から好奇の視線がチラチラと投げかけられて、皆「まさか」と「もしかして」とワクワクした顔で僕を見ていた。


「諸君、卒業おめでとう」

 

 夜会(バルデュ)の始まりを告げる学院長の挨拶が講堂から聞こえてきた。

 ああ、もう……ゴシップ決定だ。

 高らかに祝いの言葉を述べる学院長、ゆっくりとだが徐々に盛り上がりを含ませて始まった定番のワルツが始まって、開け放たれた大扉の向こうから大講堂の中央で踊り出す男女四組の姿が見えた。 

 この瞬間、大講堂の大扉前で待ちぼうけを食らった哀れな男が誰か、夜会に参加しているすべての人間に周知されてしまった。

 最初の踊りに参加しない生徒たちが、僕が扉前で一人たっているのを興味津々に覗き込んできて興奮しながら何事かを囁きあっていた。


(あ、の、女!!)


 こんな屈辱は生まれて初めてだ!


 僕が……まさか、このバスティーユ侯爵の長男にして大貴族の正当後継者、明日の卒業式で生徒代表として表彰され、三か月後には貴族下院議員選挙に推薦される予定のこの僕が?!


 たかだが学生行事の夜会で女に袖にされただと?!


(オディスティーヌ!!)


 アネットを巻き込んで今頃宿舎で僕をあざ笑っているに決まっている。


(アイツ、ドレスだけ貰い逃げしやがった!!)


 浅ましい、ガメつい我欲まみれの頭の足りない馬鹿女!! そんなに僕と踊りたくないのか、僕だって嫌なのを我慢してやっているのに!!


(自分の家名にも泥を塗ってることになぜ気が付かない?!)


 不本意とはいえ僕達の婚約は公然のモノだ、僕が夜会の会場にも入れなかったと生徒たちから実家の親に話が言ったら僕達の実家は揃って笑いものになる。

  これからの僕の名誉にだって関わってくる。

  僕が……まさか、このバスティーユ侯爵の長男にして大貴族の正当後継者、明日の卒業式で生徒代表として表彰され、三か月後には貴族下院議員選挙に推薦される予定のこの僕が?!


 たかだが学生行事の夜会の真似事に出席できないなんてありえない!


(首に縄をかけてでも……)


 オディスティーヌがいるはずの寄宿舎に行こうと踵を巡らせたときだ、廊下の向こうから女性がやってくるのが見えた。


「シャルルさま!」


 待ち望んでいた姿に思わず息を呑む。

 薄青のドレスを着たアネットが慣れない足取りで僕へと真っ直ぐ向かってくる。


「あの、シャルルさま……」

「……っ」


 歩くたびに揺れるたっぷりとしたドレスの裾でレースに編み込んだパールが輝く、流行りのパフスリーブではなく、伝統的でシンプルながら手首から肩、首回りや胸元を繊細なレースとパールで飾ったドレスは上品でアネットによく似合っていた。シニヨンにまとめた灰色髪にもパールで作った花の飾りが行儀よく飾られて、彼女自身が持つすべての彩を引き立てて……


「……天使」

「え」


 アネットが眼鏡の向こうで濃いアメジストの目を瞬かせた。

 眼鏡も夜会用にフレームの部分に花の細工が施されている。


「申し訳ありません、今なんて? ちょっとお声が聞き取れなくて」

「違う、いや、違わないんだが……キミが、あまりにも……」

「素敵なドレスをありがとうございます」

「ああ……そだね」


 僕は何を言ってるんだろう、自分でもうまく言葉がつむげない。ただ目の前の天使の姿を永遠に記憶に焼き付けておかなければならないことだけは分かる。


「素敵だ」

「よ、よかったです。実は派手過ぎるのではないかと……私は形はよかったのですけど、ご紹介くださったモード商の方が装飾をかなり凝ってくださって」

「完璧だ」


 違う、こんな味気ない言葉を贈りたいんじゃない。もっと彼女が宝物にしてくれるような賛美を贈りたいのに、目の前にいる圧倒的な美に太刀打ちができない。 

 弁論大会でもサロンの討論でも、喋ることができないなんてことは一回もなかったのに。


(なにか、なにか言わないと……)


 何を? 息をすることすら困難なこの状況で、この完璧な女性に対して僕は一体なにを言えばいいんだ? どうすれば彼女の美しさに僕が感動しているって伝えられる?


 不躾に凝視している僕に対してアネットは怒ることもせずに照れくさそうにはにかんだ。


(女神!!!!)


 心臓が!! 壊れてしまう!! 

 血を吐きださんばかりに身悶えそうなのを押し殺して、なんとか平静を保つ。

 こんな……駄目だ、こんな綺麗な彼女の前で醜態などさらしてなるか。


「あの、それで……お待ちいただいているオディスティーヌなのですが、実は昼頃から姿が見えなくて……」


 なるほどアネットだけを置いて一人消えたのか、ふん……ドレスはくれてやろう。森のクマとでも踊ってろ。この際、婚約者に逃げられ最初の踊りの生徒になれなかったことなどどうでもいい。


「夜会の準備をすると言っていたので、寄宿舎で待っていたのですが時間になっても戻ってこなくて、もしかして先に来ているのかもと思ったのですが」

「見かけていない、きっと来ないつもりだろう」

「ええ、でも……! オディスティーヌは……」

「我が婚約者殿がいないとなると、僕は夜会バルデュに参加できなくなってしまう、これでは恥さらしもいいところ……もし、誰か、僕と一緒に夜会に行ってもいいと言ってくれる……」


 ああ、また僕はこんな言い方しかできない。


 ギュっと一度目を閉じて、僕を魅了してやまないアメジストの目を覗き込んだ。


「……アネット、僕と、僕と一緒にバルデュに出てくれないか」


 言った! ちゃんと自分の言葉で彼女を誘ったぞ! やったんだ! 声は少し掠れて指先も震えているけれど、僕は言った。


「も、もう少しだけオディスティーヌを待ってあげてください! きっと来るはずです、シャルル様がご用意してくださったドレスの支度に手間取っているだけですから! オディスティーヌは本当に今夜を楽しみにしていて、だからっ、その……」


 違うんだよアネット、僕はオディスティーヌの代わりを求めているんじゃないんだ。キミを求めているんだ。


(どうやったら伝えられる)


 この残酷なまでに優しい人に、どうしたら僕の気持ちを分かってもらえるんだ。


「わたくしも一緒に待ちますから、あの、それに、万が一オディスティーヌがこなくとも、相手がいないのはシャルル様だけでは……」

「キミと」

「も、申し訳ございません! 私と一緒の扱いでお気を悪くさせてしまっ……!」

「キミと踊りたいんだ」

「え? …………ぁ」


 頑張れシャルル・バスティーユ、今夜結ばれるんだ。

 本当の、真実の愛を手に入れよう。


 男だろう。


「僕のバルデュのパートナーに」

「オディスティーヌ、なの?」

「は?」


 アネットが僕に向かって……いや、僕の後ろを凝視してポカンと口を開けている。


「アネッ……」


 すぐ横を短い金色の髪の男が通り過ぎる。

 背の小さい男……違う。


 オディスティーヌだった。


「オディスティーヌ、アナタ……髪が、それにその恰好」


 髪をバッサリと切って、アネットと揃いの布で作った男物の礼服にデカイ胸ごと身を包んだオディスティーヌは、紳士の礼の真似事をしながら、アネットにソッと腕を伸ばした。


「一緒に楽しい夜にしましょうって約束したわよね」


 僕に絶対にむけない笑顔でオディスティーヌは言った。


「わたくしと踊ってくれる? アネット・グノー」


 アネットの顔が紅潮しほころんだ、僕が誘った時にみせたモノとは違う……雲泥の差の、心からの笑顔。


「もちろん!」


 飛びつくように手と手が絡まって、2人は会場である大講堂に駆け込んだ。

 会場内はちょうど軽快なテンポの明るい曲が始まっていて、オディスティーヌはアネットを振り回すようにそのまま踊りに加わった。


 相手がいないはずのアネット・グノーが見覚えのない男と揃いの礼服を着て踊っているのを見つけた連中が怪訝な顔をして、その謎の男がオディスティーヌだとわかると一気に騒然とし始める。にも拘わらず、ステップとも呼べない足運びでそれっぽく音楽に合わせて踊っている2人は誰よりも楽しそうで、輝いていて……




 だからなんだっていうんだ?



「オディスティーヌ・オスマヌス!!!!」


 許さない、絶対に許してはならない。理性が一瞬にして焼き切れる音がした、将来だとか体裁だとかそんなものどうでもいい、ただただアイツから僕の天使を奪い返したくて踊っている2人の間に割って入り、アネットを引き剥がした。


 僕の怒声に音楽が止まる、男装のオディスティーヌに目を剝いていた学友たちが僕にも同じように驚きの視線を向けている。


「どういうつもりだこの馬鹿女!!」

「あら? まだいたのシャルル、お相手がいないのによく会場に入って来れたわね」

「減らず口を……ふざけるものいい加減にしろ!! 自分が何をしているのかわかっているのか?!」

「ええ、もちろん。アナタこそ折角の夜会に水を差すような大声を出すのをやめてくださる? 迷惑だから、それともまさか……わたくしと踊りたくなった?」

「誰がお前のような恥知らずと踊るか!」


 アネットがいつもの調子を取り戻しオロオロと慌てふためいた。


「あの、シャルルさま、落ち着いてください。申し訳ありません、私が舞い上がってしまったから……」

「キミは何も悪くない!」

「そうよ、アネット。悪いのはこの男よ」

「いいや! 貴様だオディスティーヌ! なんだその服は?! どういうつもりだ?! お前、僕が贈った布で……まさか、そんなものを作るなんて……」

「デザインはわたくしの好きにするってお伝えしたはずですけれど?」

「そんなことはどうでもいい!」


 コイツは僕が贈ったモノで武装して僕の最愛の人を目の前で搔っ攫って行った。しかも……


「女のくせに」


 アネットと踊るなんて、僕が踊るはずだったのに。


「男の真似事はヤメロと仰りたいの? はっ、アナタって本当に石頭の堅物」

「黙れ」

「いいえ、黙りません。どうして男と女で踊らなければいけないの? なぜ苦楽を共にした最愛の友人と踊っては駄目なの? 誰のためのお祝いなのよ、わたくしたち自身でしょ?!」


 オディスティーヌは短くなった髪をサッと払った。


「わたくしは好きな格好で好きな人とわたくしの努力とこの数年間を祝うわ、ヒラヒラしたドレスなんて動き辛くて大嫌い。ああ、アネット、アナタのドレスはとっても素敵よ。それに古臭いステップもウンザリ、何よりアナタのように前時代的で女は男の言うことを聞いて当たり前と思っている男の見栄の為に着飾るのなんて絶対にやりたくありません、いい加減になさって」


「いい加減にするのはキミだ」


 コイツは何度僕の邪魔をすれば気が済む、いつもいつも僕がアネットに近づこうとするのを邪魔するだけでなく、僕が今夜振り絞った勇気すら無駄にした。



「キミが恥をかく趣味を持っているのはこの際どうでもいい、だけれど僕にまでそれを強要するな、そして……! そして自分が大切だと思っている友人にまで恥をかかせるな!!」


 アネットが慌てて言った。


「シャルルさま! 私は恥とは思っては……」

「キミがどう思うかではない、他がどう思うかだ!」



 公共の場で男女で行うことを女同士で行うなんて、自分たちは恥知らずであると大声で言って回っているようなもだ。


「オディスティーヌ、僕はこれまでキミの自分勝手で我儘なただの思い付きと癇癪を許して来た、それはとてもとても寛大な心で目をつぶって……はいないけれど、それでも一線はこえなかった」


 それも今日でおしまいだ。

 この女はやってはならないことをした。

 絶対に、死んでも許せないことをしたのだ。


「もうたくさんだ、キミの自己中心的振る舞いも、恥を恥とも思わない厚顔無恥も、もういい加減付き合いきれない。キミとの婚約を破棄する!!」


 会場の中から驚きの声が上がった。バスティーユとオスマヌスの政治的盟約の象徴である僕達の婚姻が、僕達自身の手によって終わりを迎えるのだ。

 たとえそれでまた両家が反目し合い、陰謀の血が流れたとしても僕は構わない。


「キミのせいだぞオディスティーヌ、実家へは自分で報告するんだな。父君への言い訳を考えておけ、僕は金輪際キミと関わり合いになりたくない、二度とその顔を見せるな!」


 オディスティーヌの勝気な碧眼が大きく揺れた。

 本当に馬鹿な女……せいぜい後悔しろ、泣いて縋りつかれたって僕はもう腹を決めたのだ。


 これで終わり。


 僕達の不毛な青春

 嫌い合い、憎み合った、輝きの欠片もない、ただムカつく思い出だけが残った関係性の終わり。


「アネット、行こう」

「え? ええええ?!」

「大丈夫、キミは僕が守るよ」

「はぇ?!」


 オディスティーヌから引き離したアネットの手を取る。

 温かく柔らかい、吸い付くような手。

 握りしめているだけで、ひたすらに愛おしさが募るこの手を、僕はもう放しはしない。


 そう決意して強くアネットの手を握りしめた矢先、パンという音と共に僕達の手が振りほどかれる。

 衝撃と驚きに刺しこむ金色。

 オディスティーヌが僕とアネットの手を叩き払ったのだ。


「……顔を見せるなと言ったばかりだが?」

「オ、オディスティーヌっ、一度部屋に戻りましょうっ、ね? 少し冷静に」

()はいたって冷静よ、アネット」


 震える声でオディスティーヌは言った。

 爛々と輝く碧眼に水面が張り、いつ頬を伝ってもおかしくないくせに、意地だけは頑なに持ち続けるのはさすがとしか言えない。


「婚約破棄、とそうおっしゃいましたね、シャルル・バスティーユ」

「撤回して欲しいならこの場で泣いて縋って僕の靴を舐めてみろ、そうすれば一考ぐらいはしてやる気になるかもしれないぞ」


 絶対に撤回なんかしないが。


「誰が」


 オディスティーヌはせせら笑った。どこかヒステリックで高揚を含んだ不気味な笑いでも、顔だけは一級品の彼女がすると見応えがあった。


「婚約破棄、上等! アンタなんかこっちから願い下げだったわ! まさかそっちから言い出してくれるなんて……ありがとう常識と社会正義のお坊ちゃま! 出会ってから初めてアンタを見直したわシャルル! そんなことが言える男だったのね、驚いた!!」


 オディスティーヌの目から煌めくものが散った。

 青翠の目が見たこともない輝きを放って興奮している。

 どこかで見覚えのある表情だった。


「喜んで別れさせていただきますわ! これでやっと……自由になれる! ずっとアンタが嫌いだった。いいえ、アンタだけじゃない! アレをしなさい、コレは駄目、もっと淑女らしくって……みんな……ずっと自分を殺して生きてきたわ、いい加減ウンザリ! アンタも、馬鹿みたいな婚約も、くだらない風習や古臭い価値観も! それを押し付けてくる親族もこの学院も! お母様もお父様も!! みんな大嫌いだったのよ!! 婚約破棄をありがとう! わたくしはこれにて貴族社会からお暇させていただけますわ!!」


 興奮して大声でのたまうオディスティーヌは狂っているように見えた。いつだって自由に生きていたくせに、どう好意的に彼女のこれまでを振り返っても己を殺して生きてきたようには見えない。むしろ、周囲に迷惑をかけ通しだったくせに。


「アネット!」


 オディスティーヌがアネットに向けて両手を広げた。


「ずっと夢があるとアナタに言っていたでしょう! わたくしね、牧場を持ちたいの! 土地を開墾して畑をつくり動物を飼い、天候と命に悩まされながら太陽と月と共に起きて眠るの。春は花の息吹を浴びて夏は土にまみれるわ、秋の収穫を祝って冬は機を織って暮らすのがずっと夢だった、そこにうるさい人はいないの。誰も()に淑女らしくしなさい、なんて言わない、草原を裸足で駆け回っても怒られない、わたくしが()らしくいられる()()()()()()を作るのがずっと夢だった!」


 ……思い出した。


(僕だ)


 興奮したオディスティーヌのあの顔は……アネットの眼鏡を抱きしめて夢想したときに写った僕の顔そっくりだ。


「私、行くわ。明日の卒業式には出ない、このまま消える。家もこの学院も、ううん、この世の中全部大嫌いだったけれど……アナタは、アナタだけはわたくしに優しかった、ありのままの()を好きだと言ってお友達になってくれた。私、アナタと……もし、アナタが……」

「助けるわ」


 アネットがらしくない凛とした声で言った。

 濃いアメジスト目から滝のような涙を流して、眼鏡を半分曇らせながらヒックとしゃくりあげているのに、鋼鉄よりも硬い意思をもった力強い声だ。


「アナタを手伝うわアネット・グノーはオディスティーヌの親友ですもの。当たり前じゃない、アナタの小さな国を私も見たい」


 はあああああああああ?!?!

 何を言っているんだこの娘たちは?!


「アネット!」


 咄嗟だった、アネットの細い両肩を掴んで、ぐるんっとオディスティーヌから僕を見るように身体の向きを変えると身も蓋もないほどに叫んでいた。


「キミが好きだ!」

「へ?」

「僕と結婚してください!!」


 情緒も雰囲気もない、あるのは驚きと冷やかしの喧騒と悲鳴。

 明日の醜聞、もっといえば向こう数年は語り継がれるだろう笑い話。

 クソみたいな人間どもの唾液まみれになろうとも、今ここで言わなくてはならない。


「シャ、シャルルさま……? な、なにを? シャルルさまにはオディスティーヌが……あ、婚約破棄……あれ?」

「初めて出逢ったときからアネット、キミのことが好きだった。僕の妻になって欲しい」

「えええええええ?! そ、それはオディスティーヌを引き留めるために?? あの、でしたら婚約破棄を取り消していただけますと……」 

「違う、本当にキミが好きなんだ、大好きだ。キミの心臓を取り出してキスしたいほどに愛している」

「私は殺されるのですか?!!」


 涙で崩れてきた化粧をしたアネットの顔が恐怖に青ざめると、こんなときだっていうのにゾクリと背筋にイケナイものが走った。


「まさかそんな勿体ない。キミの未来は望んで僕の妻になるか……まあ、色々痛い目をみて僕の妻になるかの二択だ」

「痛いことをされるのですか?!」

「痛いことというのは例えで……いや、例えってわけでも……」


 しないとはいえない。

 縛ったり吊るしたり少し尻を叩いたり……怯えて屈服させ従順を引きずりだす、そういうことを僕はしたい。


「でも大丈夫だ、幸せにする。豊かさは保証しよう、苦労はさせない。だから……」


 ヒュンッと鋭い風切りと共に銀が鼻先を横切る。

 僕の横顔を突き刺し損ねた肉切り用の大型カトラリーがそのままこの騒動を眺めていた野次馬の間を通り抜け大講堂の石壁に突き刺さった。


 誰がやったかなんて確かめなくともわかる、オディスティーヌだ。


「薄汚れた手で私の親友に触るのをやめていただける? 外道」

「……さっさと豚小屋に引っ越せよ、止めないから」


 オディスティーヌの両手にはスプーン、フォーク、ナイフ、グラス、あらゆる食器が握られている。やる気満々だ、髪を短く切って男装をしたオディスティーヌがそうして暴力も辞さない意思を全身で発していると、まるで舞台の上で決闘を申し込む役者のように見えた。


「ねえ、お坊ちゃま。婚約破棄した直後に他の女に求婚なんてどうしてしまったの? お利口さんでお家の言いなりで見栄っ張りのシャルルらしくないじゃない」

「お前に何がわかる」


 言葉にして、もしかしたらそれは僕にも言えることなのかもしれないと何故か思った。

 小さなころから婚約者という立場で一緒にいたのに、オディスティーヌの夢のことなんてちっとも知らなかった。自分を殺して生きてきたなんて、そんな風にも見えなかった。

 ただ勝手気ままな世間知らずの自己中心的女だと思っていたし、やっぱりその通りでしかないと思う。


「そうね、私アナタのことなんてちっとも興味ないもの、だからアナタが誰と結婚しようがどうでもいいわ」

「僕もキミが肥溜めで絶頂しようが牡牛と性的接触をしようがまったく興味がない」


 でもそこにアネット・グノーが関わるのなら話は別だ。

 お互いに――


「決闘よ、シャルル・バスティーユ!」

「はっ! 僕に対等に扱ってもらえるとでも?」

「あ、あっ、あっ、あのっ、ふ、お二人っ、私の為に喧嘩は……私、の為? じゃないかもしれないけど喧嘩は……」

「アナタの為よ!」

「キミの為だ!」


 そこからは散々だった。

 華麗なる卒業祝賀の会は大暴れするオディスティーヌとそれに応戦する僕、一生に一度の学生時代のパーティーを滅茶苦茶にされて泣き叫ぶ声と、突然の婚約破棄と求婚に興味津々の黄色い声、そして僕とオディスティーヌどちらが先に倒れるかの賭けに興じる騒ぎで王立学院創立以来の最低最悪なモノになった。


 それ以後は最悪を通り越して笑うしかない。


 翌日は取り繕った醜聞まみれの卒業式、さっさとトンズラしたオディスティーヌの分まで好奇と憎悪の視線を浴びる首席代表の僕。

 来賓でやってきたオスマヌス侯爵は娘の出奔に泡を吹いて倒れたし、バスティーユの両親はステッキで僕を滅多打ちにした。


 失ったものは多い。

 すでに卒業資格を取ってはいるけれど教師たちからの僕への信頼は地に落ちて、もうこの学院へのコネは期待できない。数年かけて築いてきた生徒間での優位な立場も崩れ去り多くの学友が僕から離れて行った……


 でも得たものもある。

 全ての学友が離れてしまったわけじゃない、僕がオディスティーヌと演じた醜い争いのあと、数人がまだ友人面をして傍に残った、彼らは学友ではなく悪友となるのだか、それはこれからの社交界での若きバスティーユ卿としての話になる。



「ご卒業おめでとうございます、シャルルさま」


 オディスティーヌのいない卒業式、昨夜の今日で注目の人となったアネットが式のあと僕に声をかけてくれた。学院の広場で各々別れを惜しむ学友たちだったけれど、僕達の傍には誰もいない。全員が遠巻きに、今や笑いの種である僕とアネットを見ていた。

 目立つのが苦手なアネットはてっきり式には出ないと思っていたし、このタイミングで話しかけてくるなんてことも予想外だった。


「キミもおめでとう、無理はしていないかい? 誰かにからかわれたり……」

「ええ、あの、まあ、少し」

「誰だ? 教えてくれ」

「い、いいんです! 大丈夫です!」

「そうはいかない、僕のせいだ、キミを笑ったらどういうことになるのか思い知らせてやる」


 本気で言っているのに何故かアネットはクスリと笑った。


「オディスティーヌと同じことをおっしゃるのですね」

「アイツの名前は出さないでくれ」

「シャルルさまとオディスティーヌは似ておられます」

「それはこれ以上ない侮辱だ」

「オディスティーヌにもそう怒られました」


 ほらね、とでも言うようにアネットが柔らかく小首をかしげて僕を見上げた。濃いアメジストが少し照れくさそうに見上げてくる。


「私、オディスティーヌのところに行こうと思います。落ち着いたら手紙をくれると約束してれましたから、それまで実家で色々と勉強していようと思って。オディスティーヌが社交界を離れても、私がパイプ役になれるのではないかと思いまして」


 彼女が怯えの彩を宿さず僕を見つめることが今まであっただろうか。


 昨夜の返事はまだ聞いていないが、これは……


 そっと彼女の肩にかかる三つ編みを手の甲で撫でた、しっとりと甘えるように肌を滑る灰色髪を指先で捕まえて口づけると、触れた唇から伝わる感触が口内へと滲んでとても甘く感じる。

 愛おしい――心の底から湧きたつ慈愛と捕食したい欲の唾液で溺れそうだった。


「ひぇ」


 指の腹で三つ編みを愛撫して顔を上げると、そこには血の気を失った可愛い人。

 愚かなアネット、昨夜の大惨劇とオディスティーヌの逃亡で僕の告白をすっかりと忘れてしまっていた残酷な天使。


「ぁのぅ……」

「オディスティーヌと喧嘩していた僕は同い年の男に見えたかい? それはさぞかし気心が知れた気分になっただろう、それとも方々から嘲笑される僕をやっと格下に見れて余裕が生まれたのかな?」

「け、けけっけ決してそのようなことは……! ふあっ」


 三つ編みを撫で上げて耳朶に触れると細い身体がビクリと跳ねた、すぐそばにいる僕にしかわからないほどの小さく、それでいて確かな反応。

 そうだ、こうでなくては――


「グノー子爵は卒業式にはお越しなのかな?」

「は、はぃ……ぁ、の、サロンで……お知り合いの皆さまと葉巻を……ぁ、いゃっ、シャル……」


 人差し指と中指の爪で首筋を撫でてやると面白いほどにプルプルと震えている。爪を立てて赤い筋を残したい誘惑をグッと堪えた。


「閣下には後ほどご挨拶とお詫びに窺がわなくては、お嬢様の晴れの日に余計な醜聞を添えてしまった」

「お、お気になさら……はわっ?!」


 首から肩を撫で背中に腕を回して手のひらでグッと抱き寄せた。僕とアネットの間には理性一枚分の距離しかない、傍から見れば抱きしめているように見えるだろう。


「シャルルさまっ! ち、近いです!」

「キスをしても?」

「キ?! だ、駄目です! 駄目駄目駄目……ひゃんっ?!」


 背骨の形をなぞるように手のひらを滑らせて腰へ。か弱い丘陵を存分に楽しみながら柔らかな臀部に今にも触れてしまうぞと腰を撫でることで脅しかける。


「キミは選んだわけだね、愛しい人」

「ぃ、え? えら……? はぇ?」


 アネットの丸眼鏡に僕の歪んだ笑顔が写っている、感情をむき出しにした、品位も高潔も介在しない、ありのままの僕……この顔は、確かにあのお転婆に少しだけ似ているかもしれない。


 不安と羞恥に揺れるアメジストをたっぷりと見つめて、アネットの耳に息を吹き込んだ。


「痛いほうを」


 まずは鼓膜から。

 オディスティーヌの元へ行くだなんて、素直に喋ってしまうおバカさんにはたっぷりと思い知らせてあげよう。


「もう昨日までの僕ではないよ」


 婚約破棄、貴族紳士にあるまじき婦女子との大立ち回り、公衆の面前での告白、元婚約者に雲隠れされた大侯爵の不肖の息子。

 それがなんだって言うんだ?


 オディスティーヌは愚かだがひとつだけ正しいこと言った。


『お利口さんでお家の言いなりで見栄っ張りのシャルル』


 その通りだ。僕はこれまで見栄と利己の為に生きてきた、それを変える時がきたのだ。


 変革――

 革命――

 蜂起――

 ――いいや、これは洗礼。


 親愛なる我が残酷の君の手によって僕の純愛はまっさらに清められた。


「堕としてあげるよアネット・グノー」







 僕は護憲元老院議員バスティーユ大侯爵の嫡男、シャルル・バスティーユ。


 王立学院卒業したての、どこにでもいる普通のありふれた、淡く切ない恋に身を焦がす憐れな男だ。




































































































































































































































































































































































































































































































































































お読みくださり有難うございました。

☆評価を残して行ってください。


評価基準

☆……読んで損ではなかった

☆☆……面白かった

☆☆☆……面白かったし文章もある程度読めた

☆☆☆☆……最後まで楽しく面白く読めてこれと言って気になるところもなし!

☆☆☆☆☆……これだよ!これ!こういうヤンデレ待ってたんだよ!!



 ↑です。評価点数は今後の創作の参考にいたします。

 気になるところや気に入ったところ、ここはこうした方がよかったのでは? あくまで読者目線だけれども……感想アドバイスありましたらお気軽にコメント残していってください。

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― 新着の感想 ―
シャルルのど変態ぶり最高です。こういう変態を求めていました! でも最後のオディスティーヌとオディスティーヌのとこに行きます!ってキリッとしたアネットが素敵だったので、アネットはシャルルから離れて幸せに…
[良い点] 待ちぼうけを食らうシャルルの焦燥にこっちもハラハラしました。 >バスティーユ侯爵の長男にして大貴族の正当後継者、明日の卒業式で生徒代表として表彰され、三か月後には貴族下院議員選挙に推薦さ…
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