瞳孔に純潔を焼き付けながらキミを毟り齧る夢想に血肉を与えることにした
アネット・グノーに恋をしている。
それは揺るぎないものではあるが、僕は王立学院での年月を彼女をささやかに見守ることに費やすだけだった。
とてもではないけれど、婚約者のある身で彼女にこの想いを打ち明けるのは誠実に欠ける……誠実などというモノが僕の心身に備わっていたことに驚くと同時に、それを数年に渡って保ち続けてきたことは奇跡と言っていい。
そうやって僕は怖がられながらも、友人の婚約者という安寧の立場からアネットと穏やかな学生生活を過ごした。
それは財産も侯爵位も関係ない、僕の真心だけで起こした奇跡のような時間で……僕はそろそろその奇跡をぶち壊そうと思っている。
なぜなら――
「卒業祝賀夜会のお相手はもう誘えたか?」
男子の学習棟の講義室で、伸び伸びとしながら学友たちが勉強もそこそこに身を乗り出して庭園を眺めている。自習を言い渡された三階の講義堂から見える庭園では、ちょうど卒業記念の花壇を作っている女子生徒たちがいた。
「僕はベルモントのご令嬢を誘おうと思ってる」
「残念、あのご令嬢はすでに吾輩が予約しておるのだ」
「コールスタのお嬢さんにお誘いの手紙を渡したら白紙の手紙が返ってきたんだけど、これってOKってことでいいのかな?」
「僕はもう案山子を連れて行くことにしたよ、名前はアントワネット。最高の相手さ、踊らなくていいし何より僕にガッカリすることもない」
「じゃあ残り救済女神の人数は……」
好き勝手なことを言いながら、学友たちが女子生徒たちを思い思いに品定めする。花苗を持って土で手や顔を汚しながら、最後の学院生活の思い出を作っている女たちは、男子棟からニヤケ顔で覗いている男たちの存在には気が付いているはずのに、誰もが知らないふりをしてつまらない花壇いじりに笑顔を振りまいているのは、今この時間が彼女たちのアピールの為に与えられたモノであるということを承知しているからだ。
王立学院の卒業祝賀会が男女で参加するパーティー形式を取っているのは、将来の貴族社会を背負ってたつ若者の社交界デビューの練習でもある。
貴族にとって社交界はもっとも大切な仕事場で、僕達は財産と人脈形成によって富を増やす。バルデュで相手を見つけられないのは自分は将来性無しと学友たちに知らしめるようなもので男女ともに大変に不名誉なことだった。
「えっと……リヒタント子爵嬢、グノー子爵嬢、レアハート男爵嬢、ノックウェル男爵嬢……」
「グノーのご令嬢は売約済みだ」
学友が指折り数えるのを遮って誰も知らない真実を教えてやると、焦りからの驚きが上がった。
「嘘だろう? 誘おうと思っていたのに! 相手は?!」
「キミより爵位は上だ」
「くそ!!」
アネットをお前たちのスペアにしてたまるか、彼女とバルデュで踊るのは僕だ。
まだ誘ってもいないが。
「婚約者のいる奴らはいいよな、黙ってても相手がいるんだから。シャルル、当日あのお転婆姫をどうやって御するんだい?」
未だ相手を見つけられていない学友の伯爵令息がニヤニヤ笑いを浮かべてソバカス面を醜悪にゆがめた、貴様のそういう下品な内面がモテない理由なのだと教えてやるほど僕は友情に厚い男でないのが残念だったな。
(いつか対立することがあれば監獄にぶち込んでやろう)
僕をその手の話題で貶めようというのも罪が重い。
「お前も大変だよな、オスマヌスのお嬢さまと夜会なんて。首輪とリードでもつけないと踊れないんじゃないか? みたところ躾が行き届いてるってわけじゃなさそうだ」
「なんだったら貸し出すよ、女の扱いには自信があるんだろう? お手並み拝見といこうじゃないか」
「冗談はやめてくれ。確かにオディスティーヌの見た目は完璧だし、身体つきだって最高だ。家柄だって申し分ない、でも中身が未開の猿じゃあ……なあ? 勃つものも勃たないぞ」
ほとんど全員が声を上げて笑った、もちろん僕も。
彼らの認識通り、オディスティーヌは見た目と家柄はまさに誰もが羨む高嶺の花で、その価値を本人の内面が大暴落させている。
「シャルル!」
授業終了の鐘が鳴り、女たちが庭園からバラバラと帰りだし、覗いていた僕達も自然と解散となったとき、下から僕を呼ぶ声にゲンナリした。
(うるさいのに捕まった)
それにきっとあのことだろう。
窓から顔を出すと、案の定土まみれのオディスティーヌが仁王立ちで僕を見上げ、その隣でアネットが親友と僕をハラハラとしながら交互に視線を送っていた。
「アナタ、アレはなんのおつもり?」
「当然だろ? 我が婚約者殿は放っておいたら農婦の格好で参加しかねない、バルデュではせめて土埃は落としてきてくれよ」
「アナタこそ、その高慢なお顔を洗っておきなさい。浅ましさがしれてよ。あと、あのデザイン通りのつまらない服など着ないから、そのつもりで」
「好きにしろ」
金色の豊かな髪を土汚れで黒くなった手でバサリと掻きあげ、オディスティーヌは機嫌悪くクラスメート達の群れに続いた。
アバズレめ、誰がお前などと踊るものか。せいぜい恵まれた立場にあぐらをかいて……
「シャ、シャルルさま!」
震えてアクセントが迷子になっている愛らしい声音にドキリと緊張が走った。
本命からの反応に心臓が縮こまる。
「あの! わたくしにもドレスをありがとうございます! とても素敵なデザインで、大切に着ますので!」
それだけ言うと、大きな声をだした恥ずかしさに耐え兼ねたのか、アネットはうつ向いて灰色髪を翻しオディスティーヌを追いかけていった。
(あぁ……)
よかった。
(こんなにも嬉しいなんて)
誰かに贈り物をする喜びを初めて知った。
昨夜、モード商がデザイン画を持ってオディスティーヌとアネットを訪ねたと報せがきたときから、心中を占めていた不安がようやく薄らいでいった。
アネットにバルデュ用のドレスをプレゼントしたくて、でも僕からわざわざアネットに贈り物をするには理由もなくて、だからオディスティーヌとのお揃いという名目を掲げてモード商を手配した
世間的には、婚約者にドレスを贈るのは不自然なことではないし、彼女達の仲の良さは周知の事実で、だから気を利かせた僕があの2人に揃いのオートクチュールを頼むのは格好つけた計らいぐらいにしか見られない。
(オディスティーヌが余計な反発をしなくて良かった)
あの女は僕から雇われたモード商を送り返すことくらい平気でするだろう、そうしない為にわざわざオディスティーヌ好みの服を作るお針子がいる店を探し当てたんだ。
(デザインくらい好きに変更すればいい)
多少金が嵩んだって構うものか。そんなこと、アネットが僕が選んだ布地で僕の考えたデザインのドレスを着てくれる幸運からすれば些末な出費だ。
(きっと似合う、キミのことを思ってたくさん悩んで選んだんだ)
オディスティーヌと揃いのドレスを着るのならアネットはきっとバルデュに出席するだろう、例え僕の牽制で男達が誰も彼女を誘わなくても。
そうなれば当日の夜、恥をかかないように僕が彼女と踊ったところで婚約者への不誠実を言われなくて済むし、オディスティーヌも文句を言わないだろう。
僕は仲良し2人を携えて両手に花を気取ればいい。
そしてオディスティーヌの目を盗んでアネットを夜会から連れ出す。
(すまないアネット)
僕はキミを手篭めにすることにするよ。
連れ出して、気持ちを伝え、キスをしてキミの処女を散らす。
親友の婚約者と関係を持ってしまったことに罪悪感を持つだろうけれど、僕はあえてキミにその残酷な運命を背負って貰うことにした。
学院を卒業してしまえば、僕とアネットの関わりは極端に少なくなる。
もう時間がない。
(キミが悪いんだ)
純粋なくせに僕をたらしこみ、無自覚に煽ってくる。誘惑を仕掛けながらオアズケを強制する魔性を振りかざしている悪女には、僕がどれほど想い悩んでいたのかその身でもって思い知らせてやる。
(共に幸せになろう)
関係を持ってしまえば、オディスティーヌとの友情に亀裂が入るのは間違いない、彼女は愛人という立場になるのだ。
でもそれは、アネットの実家であるグノー家にとって悪い話ではないだろう、たかだか地方子爵家の娘が未来の大侯爵の寵愛を一身にうける愛人。
そこらの下級貴族に嫁ぐより遥かな大出世だ。
(あぁ、早く……早く……)
キミと結ばれたい。
はやる気持ちを笑うように、卒業までの日々はゆっくりと過ぎていく。
このわずかな数日は僕の灰色髪の女神が乙女である最後の時間で、その姿をよく目に焼き付けておこう。
僕の学院生活を彩ったブリリアントにして、最初で最後の愛おしい人。
夜会の日が近づく毎に純潔を保持しているキミが愛おしく眩しく、尊いものであることを自覚する。
一瞬一瞬が二度と戻らない彼女の蕾としての未熟の時間。
そうして、花開かせる日を指折り数えて待ち焦がれやってきた卒業前夜。